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特別展「絵のみち・祈りのこころ-後藤純男の全貌-」 <br />後藤純男は昭和5(1930)年、千葉県東葛飾郡木間ヶ瀬村(現在の野田市)の真言宗の仏門に生まれます。僧侶となる修業を受けながら絵を描き、22歳のときに院展初入選を機に「仏道を捨て、絵の道を選んだ」画家です。院展では日本美術院賞(大観賞)、内閣総理大臣賞等を受賞するほか、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞するなど数々の栄誉ある賞を受賞し、平成28(2016)年に逝去してなお、日本画壇に比類ない存在感を放っています。<br /><br /> 郷里の慣れ親しんだ田園風景に始まり、各地を取材しながら風景を描き、厳しい自然の姿を見せる北海道の滝の連作、深い情趣を湛える季節の移ろいを捉えた法隆寺などの大和古寺のシリーズ、中国の雄大な山河や穏やかな農村風景など、さまざまにテーマを拡げます。画家の鋭い感性は、自然の畏怖すべき大きさ、重ねられてきた歴史の壮大さ、またその中の人々の営みを捉え、作品には、宗教的荘厳さが漂います。そのスケール、重厚さに見る者は圧倒され、画家の深い祈りを感じます。<br /><br /> 本展は、北海道空知郡上富良野町にある後藤純男美術館の全面協力のもとで、初期から晩年までの作品60点余と、スケッチや写真など関係資料で構成します。奈良・長谷寺に奉納された襖絵を期間限定で特別展示するとともに、東京・高幡不動尊金剛寺の襖絵も展示し、画家の画業を過去最大規模で紹介します。<br />主な展示作品 <br />《江南水路の朝》1986年、後藤純男美術館蔵  《淡墨桜》1987年、刈谷市美術館蔵  《春映法隆寺》1980年、愛知県美術館蔵  《雷鳴》1982年、後藤純男美術館蔵  《鹿苑寺庭園》1990年、後藤純男美術館蔵  《山門雨後》1974年、千葉県立美術館蔵<br />http://www2.chiba-muse.or.jp/www/ART/contents/1570602876084/index.html より引用<br /><br />千葉県立美術館 については・・<br />http://www2.chiba-muse.or.jp/ART/<br /><br />後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 2016年10月18日)は、日本画の画家。 <br />昭和61年(1986年)に内閣総理大臣賞を受賞、昭和63年(1988年)から平成9年(1997年)まで東京藝術大学美術学部の教授を務めた。平成18年(2006年)に旭日小綬章を受章する。平成28年(2016年)に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞する。敗血症により逝去。86歳没。<br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />後藤純男美術館 については・・<br />https://gotosumiomuseum.com/

千葉県立美術館 《後藤純男の全貌》展 鑑賞 ☆大和古寺/中国の山河-荘厳に・屋外彫刻も

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2019/12/20 - 2019/12/20

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マキタン2

マキタン2さん

特別展「絵のみち・祈りのこころ-後藤純男の全貌-」
後藤純男は昭和5(1930)年、千葉県東葛飾郡木間ヶ瀬村(現在の野田市)の真言宗の仏門に生まれます。僧侶となる修業を受けながら絵を描き、22歳のときに院展初入選を機に「仏道を捨て、絵の道を選んだ」画家です。院展では日本美術院賞(大観賞)、内閣総理大臣賞等を受賞するほか、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞するなど数々の栄誉ある賞を受賞し、平成28(2016)年に逝去してなお、日本画壇に比類ない存在感を放っています。

 郷里の慣れ親しんだ田園風景に始まり、各地を取材しながら風景を描き、厳しい自然の姿を見せる北海道の滝の連作、深い情趣を湛える季節の移ろいを捉えた法隆寺などの大和古寺のシリーズ、中国の雄大な山河や穏やかな農村風景など、さまざまにテーマを拡げます。画家の鋭い感性は、自然の畏怖すべき大きさ、重ねられてきた歴史の壮大さ、またその中の人々の営みを捉え、作品には、宗教的荘厳さが漂います。そのスケール、重厚さに見る者は圧倒され、画家の深い祈りを感じます。

 本展は、北海道空知郡上富良野町にある後藤純男美術館の全面協力のもとで、初期から晩年までの作品60点余と、スケッチや写真など関係資料で構成します。奈良・長谷寺に奉納された襖絵を期間限定で特別展示するとともに、東京・高幡不動尊金剛寺の襖絵も展示し、画家の画業を過去最大規模で紹介します。
主な展示作品
《江南水路の朝》1986年、後藤純男美術館蔵  《淡墨桜》1987年、刈谷市美術館蔵  《春映法隆寺》1980年、愛知県美術館蔵  《雷鳴》1982年、後藤純男美術館蔵  《鹿苑寺庭園》1990年、後藤純男美術館蔵  《山門雨後》1974年、千葉県立美術館蔵
http://www2.chiba-muse.or.jp/www/ART/contents/1570602876084/index.html より引用

千葉県立美術館 については・・
http://www2.chiba-muse.or.jp/ART/

後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 2016年10月18日)は、日本画の画家。
昭和61年(1986年)に内閣総理大臣賞を受賞、昭和63年(1988年)から平成9年(1997年)まで東京藝術大学美術学部の教授を務めた。平成18年(2006年)に旭日小綬章を受章する。平成28年(2016年)に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞する。敗血症により逝去。86歳没。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

後藤純男美術館 については・・
https://gotosumiomuseum.com/

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄
旅行の手配内容
個別手配

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  • 千葉県立美術館 《後藤純男の全貌》展        38/          1<br /><br />

    千葉県立美術館 《後藤純男の全貌》展 38/ 1

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  • 千葉県立美術館 《後藤純男の全貌》展        38/          2

    千葉県立美術館 《後藤純男の全貌》展 38/ 2

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    千葉県立美術館 《後藤純男の全貌》展 38/ 3

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    千葉県立美術館 《後藤純男の全貌》展 38/ 5

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    千葉県立美術館 《後藤純男の全貌》展 38/ 6

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  • 千葉県立美術館 《後藤純男の全貌》展        38/          22

    千葉県立美術館 《後藤純男の全貌》展 38/ 22

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    千葉県立美術館 《後藤純男の全貌》展 38/ 23

  • 千葉県立美術館    浅井 忠 像        38/          24

    千葉県立美術館 浅井 忠 像 38/ 24

  • 千葉県立美術館    浅井 忠 像        38/          25<br /><br />浅井 忠(あさい ちゅう、1856年7月22日(安政3年6月21日) - 1907年(明治40年)12月16日)は、明治期の洋画家。教育者としても貢献した。 <br />江戸の佐倉藩中屋敷に藩士・浅井常明の長男として生まれる。少年時代は現在の佐倉市将門町で1863年から1872年までを過ごし佐倉藩の藩校・成徳書院(現在の千葉県立佐倉高等学校の前身)で四書五経などの儒教や武芸を学ぶかたわら、13歳の頃から佐倉藩の南画家・黒沼槐山に花鳥画を学び、「槐庭」(かいてい)の号を与えられ、この頃から才能の一端を現した。 <br />1873年に上京。1876年に工部美術学校に入学、西洋画を学び特にアントニオ・フォンタネージの薫陶を受けた。1889年には忠が中心になって明治美術会を設立した。1894年、日清戦争に従軍。1895年、京都で開催された第4回内国勧業博覧会に出品して妙技二等賞受賞。1898年に東京美術学校(現在の東京芸術大学)の教授となる。その後、1900年からフランスへ西洋画のために留学した。 <br /><br />1902年に帰国]後、京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)教授・教頭となり、個人的にも、1903年に聖護院洋画研究所(1906年に関西美術院)を開いて後進の育成にも努力した。安井曽太郎、梅原龍三郎、石井柏亭、津田青楓、向井寛三郎を輩出しており、画家としてだけではなく教育者としても優れた人物であった。東京大学病院において心臓麻痺のため死去。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br />

    千葉県立美術館 浅井 忠 像 38/ 25

    浅井 忠(あさい ちゅう、1856年7月22日(安政3年6月21日) - 1907年(明治40年)12月16日)は、明治期の洋画家。教育者としても貢献した。
    江戸の佐倉藩中屋敷に藩士・浅井常明の長男として生まれる。少年時代は現在の佐倉市将門町で1863年から1872年までを過ごし佐倉藩の藩校・成徳書院(現在の千葉県立佐倉高等学校の前身)で四書五経などの儒教や武芸を学ぶかたわら、13歳の頃から佐倉藩の南画家・黒沼槐山に花鳥画を学び、「槐庭」(かいてい)の号を与えられ、この頃から才能の一端を現した。
    1873年に上京。1876年に工部美術学校に入学、西洋画を学び特にアントニオ・フォンタネージの薫陶を受けた。1889年には忠が中心になって明治美術会を設立した。1894年、日清戦争に従軍。1895年、京都で開催された第4回内国勧業博覧会に出品して妙技二等賞受賞。1898年に東京美術学校(現在の東京芸術大学)の教授となる。その後、1900年からフランスへ西洋画のために留学した。

    1902年に帰国]後、京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)教授・教頭となり、個人的にも、1903年に聖護院洋画研究所(1906年に関西美術院)を開いて後進の育成にも努力した。安井曽太郎、梅原龍三郎、石井柏亭、津田青楓、向井寛三郎を輩出しており、画家としてだけではなく教育者としても優れた人物であった。東京大学病院において心臓麻痺のため死去。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

  • 千葉県立美術館    浅井 忠 像        38/          26

    千葉県立美術館 浅井 忠 像 38/ 26

  • 千葉県立美術館    浅井 忠 像        38/          27

    千葉県立美術館 浅井 忠 像 38/ 27

  • 千葉県立美術館    浅井 忠 像        38/          28

    千葉県立美術館 浅井 忠 像 38/ 28

  • 千葉県立美術館    浅井 忠 像        38/          29

    千葉県立美術館 浅井 忠 像 38/ 29

  • 千葉県立美術館     屋外彫刻       38/          30

    千葉県立美術館  屋外彫刻 38/ 30

  • 千葉県立美術館     屋外彫刻       38/          31

    千葉県立美術館  屋外彫刻 38/ 31

  • 千葉県立美術館     屋外彫刻       38/          32

    千葉県立美術館  屋外彫刻 38/ 32

  • 千葉県立美術館     銃後工場の護り 藤野天光作       38/          33

    千葉県立美術館  銃後工場の護り 藤野天光作 38/ 33

  • 千葉県立美術館     銃後工場の護り 藤野天光作       38/          34

    千葉県立美術館  銃後工場の護り 藤野天光作 38/ 34

  • 千葉県立美術館     銃後工場の護り 藤野天光作       38/          35

    千葉県立美術館  銃後工場の護り 藤野天光作 38/ 35

  • 千葉県立美術館          38/          36

    千葉県立美術館     38/ 36

  • 千葉県立美術館          38/          37

    千葉県立美術館     38/ 37

    千葉県立美術館 美術館・博物館

  • 千葉県立美術館     銃後工場の護り 藤野天光作       38/          38<br /><br />藤野 天光(ふじの てんこう、1903年(明治36年)9月27日- 1974年(昭和49年)12月30日)は日本の彫刻家。本名は藤野隆秋]。号<br />群馬県館林町裏宿(現館林市城町付近)出身]。千葉県市川市の地域文化発展に貢献[1]。日展審査員を6回、さらに理事をつとめた。 <br /> 戦後は文化運動者としても活動した。また師北村西望作の長崎平和祈念像の制作筆頭助手をつとめた。<br />晩年は千葉県立美術館の建設促進に献身した。 <br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br />

    イチオシ

    千葉県立美術館  銃後工場の護り 藤野天光作 38/ 38

    藤野 天光(ふじの てんこう、1903年(明治36年)9月27日- 1974年(昭和49年)12月30日)は日本の彫刻家。本名は藤野隆秋]。号
    群馬県館林町裏宿(現館林市城町付近)出身]。千葉県市川市の地域文化発展に貢献[1]。日展審査員を6回、さらに理事をつとめた。
     戦後は文化運動者としても活動した。また師北村西望作の長崎平和祈念像の制作筆頭助手をつとめた。
    晩年は千葉県立美術館の建設促進に献身した。
    (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

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