2019/11/07 - 2019/11/07
80位(同エリア195件中)
みーみさん
大阪府八尾市。いわゆる「河内」とも呼ばれる地域です。
古代から開けた場所で、古墳なども残っていますが、
今回訪れたのは、時代がぐっと下がった戦国時代の「久宝寺寺内町」
と江戸時代の「安中新田会所」です。
蓮如上人が1470年に西証寺を建立、のちに顕証寺と名前を改めた寺院を
中心として1541年ごろに誕生したのが久宝寺寺内町です。
安中新田会所は江戸時代に大和川付け替えという大工事の際に
生まれた土地に開かれた新田を管理する事務所として建てられた
建物です。
- 旅行の満足度
- 4.0
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近鉄の久宝寺口駅からのスタートです。
ところどころにこのような看板が出ているのでわかりやすいです。 -
駅から10~15分ほど歩いて寺内町に着いて最初に現れたのがこの今口地蔵尊です。
寺内町は浄土真宗のお寺を中心とした町で、自衛のために周囲を環濠や土居などで
囲みました。
現在、堀は一か所を除きなくなっていますが、それぞれの出入口だったところには
地蔵尊が祀られていました。 -
大阪夏の陣における八尾・若江の戦いでは、久宝寺に長宗我部盛親が陣を張り、
敵方藤堂高虎軍の動向を探らせた松があったといいます。
今口地蔵尊の横にはその故事にちなんで松が一本植えられていました。 -
碁盤目状の町割りに、古い建物が残る町並み。
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虫籠窓のある家。
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町割りは昔の寺内町時代とほとんど変わっていないようです。
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ごく普通の現代の住宅もたくさんありますが、新しい家でも古い町並みに
合わせた外観になっているものもありました。 -
「大水路」のある風情ある町並み。
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「寺井戸跡」
詳しい説明書きがなかったのでどういうものかわかりませんでしたが、きれいに整備されているところを見ると、何か謂われのあるものでしょうか。 -
久宝寺御坊と言われる顕証寺は、大きな屋根を持つ堂々とした本堂を持つお寺でした。
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訪れたときは「OTAITAICHI」というイベントが行われていて、境内にはグルメの
屋台が出て、本堂前ではライブが行われるなど、大勢の人で賑わっていました。 -
顕証寺の北側にある八尾市まちなみセンターです。
入り口は和風ですが、奥の建物は現代的。
とてもわかりやすい寺内町の地図がもらえます。
私は寺内町の北にある近鉄の駅から来ましたが、JRの久宝寺駅から来た場合は
先にこのセンターで地図をもらうといいと思います。 -
顕証寺の南側には寺内町で唯一残っている土塁・環濠があります。
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土塁の上から環濠を見下ろしたところ。
もっともこの土塁は戦国時代のものではなく、顕証寺が18世紀初めに再建されたときに造られたものだそうです。 -
町の一番南にある許麻神社ですが、こちらは、少なくとも1100年より以前から
存在していた寺内町より古い歴史を持つ神社です。 -
東口地蔵尊。
ほかにも北口、古口など、寺内町の木戸口に地蔵尊が祀られています。 -
東口にある道標。
「左 大阪 平野道」と読めます。
久宝寺寺内町は大阪と奈良を結ぶ八尾街道が通る交通の要衝でもあったようです。 -
こちらは西口にあった道標です。
「右 八尾地蔵尊 信貴山道」と刻んであります。
八尾街道はいったん久宝寺寺内町の中に入りまた出ていきます。
今まで、大阪・富田林、奈良・今井町、兵庫・小浜町と寺内町を訪れ
ましたが、すべて交通の要衝にありました。
寺内町はただ単に信徒が集まった町というのではなく、交通の要衝を
押さえて、商業の実権を握るという経済的な目的もあったんでしょうね。 -
久宝寺城址の石碑。
現在は小公園のようなところにありますが、 -
昔はこの碑も、城があったといわれる土塁の上に建てらていたようで、その
写真がありました。
今は土塁跡と思われるような高くなっているところは、懸証寺南の環濠跡以外は
見つけられませんでした。
もっとじっくり巡ったらあるのかもしれませんが・・。 -
町内には登録有形文化財の浅野家住宅や高田家住宅など、多くの古い住宅が残っています。
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うだつの上がる家。
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鶴の装飾が目を引きました。
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観光地というよりは、住宅地ですが、それだけに、静かに街歩きを楽しむことができました。
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次にやってきたのはJR八尾駅からすぐのところにある「安中新田会所跡・旧植田家住宅」です。
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江戸時代に、八尾付近で北に流れていた大和川を、西に流れるように付け替えの
工事を行った結果、旧大和川沿いに多くの新田が開発されました。 -
そのひとつが安中新田で、その管理事務所として建てられたのが、安中新田会所です。
その後は植田家の家屋として使われており、最近になって絵図が発見されて、
植田家住宅が最初は新田会所として造られたものだということが判明しました。 -
みごとな欄間です。
主屋は江戸時代に建てらたものですが、植田家の住宅になってから、中はリフォームされたのかなとも思いますが、その辺はよくわからないみたいです。 -
ただ、土間のあたりは江戸時代の姿をとどめているとありました。
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カマヤ(かまどのある台所)
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金箔を施した豪華なふすまのある客間。
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欄間には茶の湯関係の透かし彫りが。
茶碗と茶筅。 -
こちらは釜とひしゃく。
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洗面所。
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風呂場。
風呂場や洗面所、お手洗いは大正あるいは昭和になってからリフォームされたのでしょうか。 -
屋根のある内廊下。
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2階への階段はすごく急でした。
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屋根裏を利用したつし(厨子)2階。
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端のほうは屋根のために、天井が斜めになっていましたが、全体的にはそれほど天井は低くありませんでした。
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庭も一見の価値あり。
大きな灯篭は金毘羅灯篭といって、讃岐の金毘羅宮に参拝した人が、記念に奉納した常夜灯で、奈良街道にあったものを移設したものです。 -
敷地内にはお稲荷さんも祀られていました。
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こちらは安中新田会所のすぐ近くにある渋川神社です。
元は物部守屋の邸宅跡にあった神社だそうです。
古代においてもこのあたりは大和川を通して、大和と難波を結ぶ交通の要衝で、
その大事な場所を握っていたのが物部氏だったんですね。 -
ところで、本殿の後ろ側には細かい彫刻が施されていました。
何の彫刻かまではわからなかったですが、行かれることがあれば、ぜひ後ろ側に回ってみてくだい。
大きな御神木のクスノキも有名です。 -
八尾駅に向かって歩いて行くと、古そうな赤レンガ塀に出くわしました。
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こちらの事務棟も壁はトタンで覆われていますが、窓が縦型の上げ下げ式で、
これも古い建物かなあと思いました。
知らないレトロ建物を見つけるとうれしくなってしまいます。
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