2019/11/27 - 2019/11/27
20位(同エリア492件中)
品行方正さん
かつて旧日本軍の軍港だった基隆の和平島に行ってきた。
この辺り一帯には戦中、冷戦時代からの軍事施設が多数有るので長い間非公開だった。
今では奇岩の地質公園で有名な野柳に匹敵するほどの風光と良く設備の整った海水プール等を備えて人気の観光スポットになっている。
北海岸の風景を楽しむなら海外からの観光客でグジャグジャになってしまった野柳より、むしろこちらの方がお勧めかも・・
和平島は統治時代沖縄出身の漁民の集落があった地域で、戦後も引き上げずに残っていたため228事件に巻き込まれて多数の犠牲者を出してしまった場所でもある・・
228事件はある意味日本語集団vs北京語集団という一面もあったので、北京語を理解しないことで充分な説明も出来ないまま反乱者として被害にあってしまったらしい。
和平島には犠牲になった琉球漁民(アメリカ統治下では琉球)を悼む像が建てられている。
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いきなりで唐突だが・・
私が東大に進学しなかった理由ははっきりしている。
私は1951年生まれだがこの年代は大学紛争の影響で東大の入試が中止され、受験生はみな大混乱に陥ったのである。
結果として私は某三流(四流、五流説も有力だ)大学に進学してそのまま卒業した訳だが、何故三流大学を選択したのかの理由が分からない。
いくら考えても理由が思いつかないのだ・・!?
難解な問題と格闘しつつ朝の一服をくゆらせていたところ、現地情報員からの緊急情報着信音が鳴り響いた。
暗号で着信したので一見したところ意味不明だ。 -
早速AI技術を駆使して解読してみたところ、以上のような情報であった。
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私は即座にミッションの決行を承認し返信した。
情報漏洩を恐れて文字情報では送らない。 -
今回はMRTの圓山からバスでまずは基隆に向かう。
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改札を出たところのスグでとても便利です。
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わりと新しめのバスに当るとスマホの充電をしながら行けるが、高速を使うのでじきに着いてしまう。
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バスは港の真ん前に到着(終点ではないのでご注意を)する。
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正面の山にはハリウッドよろしくKEELUNGの看板。
KEELUNGといえば世界的に有名な港町なのに台湾の人にキールンと言っても意外に通じない。
英語読みとはチョット違う発音をする・・
この左側には台鉄の基隆駅。 -
基隆は金山方面から九份方面に至るまで、北部観光のターミナルでもある。
取り敢えずここにくればイロんな所に出かけられる。 -
市内でも巨大な観音像がある中正公園や廟など、市街地をウロウロするだけでも十分に楽しい。
港湾施設や軍の施設なども、普段目にしないのでなかなか新鮮である。 -
巡視艇や軍関係の船、貨物船にフェリーや観光船。
様々な船が停泊している・・ -
中心にある広場では子連れや孫連れで遊びにくる人、ペットと戯れている人、そしてただただボーっと海を眺めている人など、みな思い思いに過ごしている。※ホームレスの方々にも快適そうな!?場所だ※
休日には様々なイベントの会場として使用される。 -
必ずいるのが鳶を狙う面々。
鳶は基隆のシンボルマークで街中に鳶のイラスト等が溢れかえっている。※ややオーバーです※
かくいう私もその馬鹿の中の一人だが、今ではよく立ち寄るファミマに行くと何も聞かずに勝手にコーヒー(アメリカーノ、S、ホット、キャップ無し)を淹れてくれる。 -
運よくクルーズ船が入港していれば、それはそれで一興である。
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これは余談だが鳶を撮るカメラしか用意してないと、せっかくクルーズ船が入港していても撮影できない。
船は大きすぎて画角に収まらない・・ -
カフェ文化も意外に充実している街で、こんなものも用意されている。
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港のすぐ横のバス停から出発だ。
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そして和平島公園のバス停で下車する。
全く予想通りだ!?・・ -
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Welcome to 和平島。
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公園に入ると広々とした風景が広がる。
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金額は忘れたが若干の入場料が必要だ。
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軍事施設があるため一部は非公開だが広い公園である。
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珍しい地層が海に侵食されて様々な景観を作り出している。
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奇岩だけではなく一般に千畳敷といわれる地形も同時に存在する。
※日本のローカル観光列車で有名な五能線の千畳敷みたいなものだ※ -
この公園に来て先に書いた琉球漁民の話を初めて知る事になるのだが、それが印象に残って台湾と沖縄、そして日本の関係に興味が沸いてしまった。
帰ってからアレコレ調べてみた。
すると、ヘェ~、ヘェ~、ヘェ~が連続する事態になってしまった。 -
そもそも日本が台湾に関係するきっかけも琉球漁民であった。
琉球漁民が台湾南部で原住民に多数殺されてしまった牡丹社事件が始まりである。
当時はまだ日本国民ではなく(江戸時代は琉球国のまま薩摩藩が統治)琉球国民であったが、管轄をしていた鹿児島県が日本政府に対して外交決着を強硬に求める。 -
明治政府は外交ルートを通じて清国に謝罪と賠償を求めるが清国からは「台湾は化外の地」と言うビックリするようなご返答。
台湾は清国とは関係無いから謝罪も賠償をするいわれも無いという意味だ。 -
それをきっかけに明治政府内で様々な議論が起こるが鹿児島県寄りの軍部が強引に出兵し、残念ながらこれが日本が台湾と関係する始まりとなる。
日本の軍事行動により清国も仕方なく交渉の席に出て来ざるを得なくなり、ここで日本は琉球国民を実質日本国民だと認めさせる。 -
しかし清国だけが相手ならこれでも良いが欧米列強と何かあった場合、これでは琉球国と日本の関係があまりにもあやふや過ぎる。
そこで明治政府は慌てて琉球国をまず琉球藩とし、当主を東京に住まわせて他の旧藩主と同じく華族として待遇した。
やがてそのまま沖縄県になり、国際的にも大きな抵抗が無かったのでここで完全に日本の一部となる。 -
多くの事を初めて知ることになったが、時代をさかのぼれば「おきなわ」の人々も自分たちを琉球人だと思っていた訳でもない。
「琉球」という地名は昔の中国(隋のころ)が台湾とその付近の島々一帯をザックリ琉球と名付けただけで「おきなわ」の人々は自分たちの地域を琉球と呼ばれていることさえ知らなかった。 -
それを知ることになるのは中国の明の時代になって朝貢貿易を始めるにあたってからである。
中国がすでに自分たちの事を長年「琉球」と呼び慣わしているのだから是非もない。
これを機会に外交上では琉球国と名のるようになる。
我々がよく使用する「琉球王国」は歴史上存在しない。 -
ついでに言えば「沖縄」という表記は「おきなわ」風な耳できいた音に、こちらは江戸時代の日本が当て字したものだ。
「琉球」にしろ「沖縄」にしろ勝手に人様に付けられた訳で・・
この部分でも「おきなわ」は複雑な家庭環境で育った子なのであった。 -
中国では琉球と外交関係を結んだ以降、沖縄を「大琉球」と呼び、一方国家が存在しなかった台湾は「小琉球」と一時期区別して呼んでいたらしい。
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いずれにせよ日本が台湾に関与する始まりと戦後日本国民が完全に台湾から退去することになる両方に「琉球漁民」が関わっていたことになる。
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特に以外だったことをもう一つ・・
琉球国もアチコチと交易関係を結ぶようになると、かつての日本もそうだったように日本でいえば古事記や日本書紀にあたる歴史書を編纂している。 -
その中で国主の祖を何と「源為朝」と記述している。
地理的にも近く、往来もほぼ中国大陸が中心で有るはずの琉球国が国主の祖を清和源氏に求めるのか・・?
源為朝は歴史上の人物で、その一生は日本では全く別なものになっている。 -
もちろん創作だろうと思われているが、一体何のために?誰のために?
しょせん伝説ならもっとアヤフヤで良いのに、あまりにも具体的過ぎる・・ -
・・・まぁ、そんな事には関係なくきれいな風景だ。
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雄大な海を眺めながら「あっちの方が日本だな・・」とか思ったりする。
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常に波に洗われている部分には固い岩だけが残っている。
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固い岩は溶岩なのか?
今では波が当たらない少し内側では柔らかそうな地層にこの固い岩が挟まっている。
珍しい地層だ・・
タモリにはきっとこの地層はご馳走なはずだ!? -
そう言えばここは鄭成功に追われたオランダ人の最後の地でもある。
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偶然の産物で様々なものが出来る。
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如何にも柔らかそうな地層の中に固い岩がかろうじてくっついている。
多分野柳と同じ構造か。 -
風景や設備の多様性と散策のし易さではこちらの方が断然上かも。
※個人の感想です※ -
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チョット削られ方が違ったら女王の顔にでもヴィーナスの顔にでも何にでもなれる。
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実は名前が付けられている岩も有るにはあるが、通りすがりの老人にはあまり興味がない。
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海上を航行する船を眺めているのも楽しいものだ・・
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なかなかの光景でした。
興味にもよるが満足度はかなり高い・・ -
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これで海岸沿いの散策は一応終了です。
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一方こちらは公園の中心的存在の観光センターだ。
海水浴客用の設備からテラス席完備のカフェ、売店、付近の観光案内所まで兼ねている。 -
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海水を引き込んだプール。
11月後半でも泳いでいる強者が・・ -
当然シャワー完備。
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屋内には更衣室やトイレ、ドライヤーも用意されている。
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夏の盛りだったら大変な賑わいになることだろう。
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・・さて、公園を後にしてチョットした市街地を通りながら港のある方向に向かう。
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こちらはこちらで、また結構な風景である。
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この日はやや曇りがちだったがきっと夕陽も素晴らしいに違いない。
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しばらく歩いているとパステルカラーの建物群が見えてきた。
ここだけ一見マカオ風?・・ -
こうなれば最終目的地はアソコだ!!
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見渡すと穏やかな港の風景が広がる。
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遠くには貨物船やクレーンも見える。
この風景を目当てに多くの観光客が訪れていた。 -
これは造船所の跡だそうだ。
今はやや寂れているが昔は結構スゴイとこだったのね・・ -
いよいよ最終目的地に向かって歩を進める。
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どうやら飲食店やカフェが多く入居している建物群のようだ。
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・・んっ!?
何か感じが良さそう・・ -
裏から素敵なカフェを発見してしまった。
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こんな所にも有るのか洒落たカフェ!!
如何にも日本人が好きそうな雰囲気を漂わせている。
侮れないぞ台湾!! -
小舟が係留された感じはなにか運河沿いの風景みたいだ・・
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街なかの通りに出て正面に向かう。
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すると有りました!! ここです!!
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やはり私の大好物でした。
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何故かこんな感じが好きなんです。
イヤ、こんな感じも・・か? -
マスターが何かにこだわっているのは間違いない。
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あなたの目指す方向で間違ってないと思います!?
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海辺のカウンター席が運良く空いていた。
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・・というか、ここに来たらこの席じゃなきゃ意味が無い。
※個人の感想です※←チョットしつこい!! -
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日が落ちて店を後にする時にはさらにイイ雰囲気に。
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・・さて取り敢えず基隆駅前まで帰りましょう。
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夜基隆にいたらやっぱり夜市にも行かなきゃね・・
という訳でマクドナルドの看板の所から入って、取り敢えず一巡りする。 -
・・いつも通りの光景です。
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この日は平日なのに妙に混んでいた。
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現地情報員よると基隆の夜市は料理のバラエティーでは他を圧倒しているらしい。
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ここに比べれば士林の美食街などモノの数に入らないそうだ。
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現地情報員は何故か普段から士林夜市の評価は非常に低い。
(良くない思い出でも有るのか?・・失礼!!) -
ヤハリここにもあったブタ一頭。
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海鮮系も充実している。
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確かに情報員の言う通り種類は豊富だ。
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寿司屋があれば・・
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カレー屋もある。
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ここは黄色の提灯が印象的ですね。
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赤提灯はこの一角に・・
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日本の一部地方では魚のすり身を揚げたものを天婦羅と言ったりするが同じようなモノがここにも有る。
しかも老舗だそうである。 -
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黄色い提灯に見送られてそろそろ引き上げます。
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もちろんフルーツ系も充実していましたよ・・
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反対側の出口を背に駅方向に向かいます。
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途中に魅惑的な小路が有ったので思わず入ってしまった。
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おおっ~、なかなか良いではないか!!
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さりげなく日本食屋さんが有ったりして・・
ここだけでなく基隆は街中にも意外に日本の物が多い気がする。
気のせいか・・? -
最後に食事でもして・・ということでこのビルに向かう。
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ここで魅惑的な看板を見つけてしまった。
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それがコレだ・・
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なかなか良い佇まいではないか!!
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私が「せっかく台湾にいるのだから日本食にしましょう!?」(真っ当な和食は海外では台湾でしか食べられない・・とヨイショしたつもりだが)と提案し、多数決による採決の結果賛否同数となった。
しかし議長権限によって辛くも実現するに至ったのである。 -
料理を選びながら奥に進んで最後に決済するシステムだ。
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勝利の結果がこれだ!!
やはりビールが一番おいしかった・・!? -
食事の後、テラスに出ると素晴らしい夜景を堪能することができる。
食後のコーヒーはここで飲むにかぎる。
クルーズ船が入港していればこの様な風景になるが、残念ながらこの日はいなかった。 -
それでもこれで充分ではないでしょうか。
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広場のKEELUNGも山側のKEELUNGも何色かに変化して、とても綺麗だ。
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こうして余生短い老人の貴重なある一日が終わったのであった・・
この日は台鉄で松山まで帰りMRTで北門へ。
そしていつもの様にバスで淡水まで座って(老人ですから)帰る。
結果的に少し感慨深い旅になったが、何処かに行けばそこにまつわる何かが有るもので、むしろそちらの方が旅の面白さではないだろうか。
何処かに行くと、何か新しいことを知ることになる・・
それにしても綺麗な風景だ・・
いやぁ~、楽しかったなぁ、お陰様で・・
オ・シ・マ・イ・・・です。
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この旅行記へのコメント (4)
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- yoshiboさん 2019/12/14 10:41:54
- 東京大学
- 品行方正さん、初めまして。
東大に行かなかった事は良かったと思います。
今頃、「東大でのくせに」と陰口に悩んでいるのでは。まず 東京大学出身だと、何が出来ても当然の事と思われる。出来ない人はやっかみも有って馬鹿にされる。東大出身と言う事で、逆に悩んでおられると推察しております。
また家族も大変だと思います。元次官が暴れ息子を殺しましたが、息子さんは子供の頃から東大へ行けと言われて、その重圧に耐え切れ無かったとではと思います。
予備校で東大の教授の息子さんが居て、彼には志望校が有ったのに、父親は「東大以外は大学ではない」と言ってたそうです。
周りの東大卒の方々を見てると、東大に「行けなくて」良かったと思います!!!!
ご健康とご多幸をお祈りいたします。
- 品行方正さん からの返信 2019/12/14 12:46:51
- Re: 東京大学
- 親身のお言葉、胸に響きました・・
もしかしたら肋骨に軽くヒビが入ったかも知れません!?
有り難うございました。
結果的に幸運だったと教え導いて頂き、これからは晴れ晴れとした心境で残りの人生を徘徊出来そうです。
うっかり長生きしてしまわない様に気を付けなければと、心を新たにした次第です。
これを機会に今後とも、宜しくお願い致します。
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- kaz-ykさん 2019/12/12 23:55:25
- KEELUNGの旅行記 拝見 有難う
- 品行方正さん 今晩は 来年3月 KEELUNGを、訪問します。
夜市は、前回訪問したので、来年は、貴方様の旅行記を、参考に、観光します。
御礼まで
- 品行方正さん からの返信 2019/12/13 01:16:24
- Re: KEELUNGの旅行記 拝見 有難う
- わざわざご丁寧に有り難うございます。
テキトーな事ばかり書いて、参考になるかどうか・・
是非、素晴らしいご旅行を‼
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