2019/12/03 - 2019/12/03
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fernandoさん
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名古屋城を見学に行きました。
ガイドさんと共に見どころを歩きます。
復元された本丸御殿は豪華絢爛、お金をかけただけあります。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2019年12月3日(火)。
今日は名古屋駅から名古屋城までバスで行きます。
名古屋観光ルートバス「メーグル」で、9:30のバスに乗ります。 -
「メーグル」の運行ルートです。
観光施設を巡るので便利です。
1DAYチケットがあり500円で乗り放題になるのでお得です。
1乗車ですと210円です。
月曜が運休です。 -
ということで9:30に出発します。
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トヨタ産業技術記念館(写真)→ノリタケの森→四間道 と停まります。
トヨタ産業技術記念館の旅ブログhttps://4travel.jp/travelogue/11553091 -
約20分で名古屋城に着きました。
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名古屋城の正門です。
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名古屋城は慶長15年(1610年)徳川家康が築城を命じ、尾張徳川家の居城として栄えました。
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門をくぐると江戸時代の世界になります。
大人観覧料は500円です。 -
観光ガイドボランティアさんに案内を頼みます。
無料です。 -
入るとすぐに金の鯱(シャチ)のレプリカがあります。
大きさは本物と同じですがこちらは金箔です。
本物は金の板だという。 -
ボランティアさんが概要を説明してくれます。
この辺りは西の丸になります。 -
名古屋城の地図です。
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手前に西南隅櫓(セイナンスミヤグラ)、奥に天守閣が見える。
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西南隅櫓は重要文化財です。
大正10年(1923年)に災害により倒壊したが大正12年に修復され、名古屋空襲での消失を免れました。 -
当時はこの辺りも石垣で囲われていたという。
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その当時の面影が残るのはここです。
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その裏手に「清正公石曳きの像」がある。
清正公とは加藤清正のことで熊本藩藩主として知られるが、元は愛知県の生まれです。そして築城の名手であったことから名古屋城の普請に協力している。 -
東南隅櫓です。
ここも重要文化財です。 -
瓦に葵の紋がある。
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表二之門を通って本丸に入ります。
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この門は重要文化財となっています。
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正面の石垣に一つだけ大きな石がある。
この辺りに表一之門がありましたが空襲で焼失しました。 -
東南隅櫓の内部の見学はできません。
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復元された本丸御殿です。
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尾張藩主の住居・政庁として使用するため、慶長20年(1615年)徳川家康により建てられました。
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本丸御殿内部の見学の前に、清正石を見に行きましょう。
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名古屋城で最大の石です。
ここは東一之門があった辺りです。 -
ここの部分の普請は黒田長政の担当であったが、巨石であるがゆえに加藤清正が積み上げたと伝えられる。
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その先に東二之門がある。
二之丸東鉄門枡形にあったものですが、昭和47年にここ本丸東二之門の跡に復元されたものです。
重要文化財です。 -
ところで、石垣には様々な刻印があります。
石垣の築造を命じられた諸大名が、他大名の石と区別するためのものです。
写真のは笑っているように見えます。 -
天守閣が見事に聳えます。
慶長17年(1612年)に完成し、尾張初代藩主として家康九男の義直が入りました。
昭和5年(1930年)に城郭建築における初めての国宝に指定されました。
昭和20年(1945年)の名古屋空襲で本丸のほとんどを焼失しました。
昭和34年(1959年)天守閣が鉄筋コンクリート造で再建されました。
現在は耐震性の問題で閉館されています。
木造での建替えを計画中です。 -
ガイドさんが金鯱について説明してくれます。
右が雄で、左が雌だそうです。
厚さ0.15mmの金板を使っています。 -
その金鯱をアップにします。
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右の雄です。
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左の雌です。
徳川家の権力・財力を誇るものです。 -
雨どいが当時のものとしては珍しいとのことです。
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本丸御殿に横から入ります。
本丸御殿は部屋数30を超える平屋建ての建物です。 -
昭和5年(1930年)天守閣とともに国宝に指定されました。
昭和20年(1945年)の空襲で焼失しました。
平成21年(2009年)から復元工事を開始されました。
平成30年(2018年)6月8日全体公開となりました。
所々にこのような案内板が設置してある。
総工事費は150億円といわれている。 -
本丸御殿の平面図です。
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最初に外から見たこの場所は玄関です。
ただ一般観光客はここではなく横の出入り口から入ります。 -
その玄関を入った所にすぐあるのが「玄関二之間」です。
本丸御殿をを訪れた人がまず通され、対面を待つ殿舎です。 -
飾金具も見事です。
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「玄関一之間」です。
床や違い棚もあり、身分により通される部屋が分かれるようです。 -
「表書院」で正式な謁見に用いられました。
一之間、二之間、三之間とあり、写真は一之間です。 -
一之間の奥に位置するのが上段之間で藩主が着座した部屋です。
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奥に進んで「対面所」に入ります。
ここは藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた建物です。 -
次之間、上段之間とあります。
写真は上段之間で、京都の四季の風物や名所が穏やかな筆致で描かれています。 -
さらに奥には「上洛殿」があり、廊下からして絢爛豪華になります。
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「上洛殿」は、寛永11年(1634年)の三代将軍家光の上洛に合わせて増築された建物です。
三之間から上段之間まであります。 -
上段之間は、これ以上はないという贅の限りを尽くしたものです。
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その先に湯殿書院がありますが、見学通路が狭いとのことで観覧客はここで折り返しになります。
湯殿書院へは一旦外に出て別の入り口から入りなおします。 -
障子の貼り方に注目してください。
わざと桟の真ん中で継いでいる。 -
本丸御殿を出て表書院の先を回り込みます。
正面に対面所、左手に上洛殿がありその向こうに天守閣が聳えます。 -
こちらが湯殿書院の入り口です。
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将軍専用の湯殿です。
湯船はなく、湯気を引き込むサウナ式蒸風呂でした。 -
その奥に「黒木書院」がある。
本丸御殿は総檜造りであるのに対し、ここだけが松材です。
清須城内にあった家康の宿舎を移築したものと伝えられています。 -
湯殿書院の所から西南隅櫓に行けます。
一番最初に西之丸から見えていた櫓です。 -
その内部は公開されています。
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空襲時の焼失を免れているので、修復はされていますが当時のものです。
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西の丸から正門方面です。
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北方面は、手前に本丸御殿、その向こうに天守閣が見えます。
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本丸を出て二之丸に来ました。
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ちょうどよく色づいています。
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二之丸茶亭を背景に赤が目立ちます。
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東門を出ます。
これで有料地区は終了です。 -
城壁を抜けます。
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金シャチ横丁で、各種お店が軒を連ねます。
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地下鉄市役所駅です。
全国的にも駅の入り口が日本的門構えになっているのは珍しい。 -
手前が名古屋市役所で、その向こうが愛知県庁です。
両方とも特異な形の建築物です。 -
地下鉄で名古屋駅に戻ってきました。
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