2019/10/16 - 2019/10/16
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naoさん
大阪市福島区玉川は、旧淀川河口部に位置する水上交通の要衝で、貞享元年(1684年)の安治川開通以来、諸国から大坂に入津する廻船の停泊地として繁栄しました。
太平洋戦争の際に度重なる空襲の戦禍に見舞われた大阪にあって、比較的戦災被害の少なかった福島区には、今も大正から昭和初期にかけて形成された町並みが残されており、近代的なマンションが建ち並ぶ幹線道路から外れて一歩足を踏み入れると、人情味あふれる下町風情が広がっています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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玉川にやって来ました。
と言っても、町並みではなく心惹かれた石畳の路地を最初にもってきました。 -
板塀と見越しの松が見事にマッチした町家です。
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建物の角を隅切りした町家は、少なからず町の交通安全に寄与しています。
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玉川の町並みです。
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かつての姿を留める長屋や・・・
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町家が連なっています。
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大阪環状線の上を、阪神高速3号神戸線がクロスして延びています。
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日本酒にこだわる居酒屋さん。
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こちらは酒屋さんです。
ひょっとすると、前の写真の居酒屋さんへ日本酒を供給しているのはこちらのお店かもしれませんね・・・。 -
表札代わりのフクロウのオブジェ。
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2階に手すりを設けた町家。
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防火のための袖壁を設けた長屋です。
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現在は三者三様の姿に改装されています。
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2階の外壁に焼杉板を張った長屋です。
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この長屋は、妻壁にも焼杉板が張られています。
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どこからかピアノの音が聞こえてくるな~と思っていたら、こちらの音楽教室からでした。
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腰に杉板を張った土塀をめぐらせたお屋敷がありました。
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大正初期に建てられたこちらのお屋敷は・・・
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イベントスペースや集会所として貸し出されているそうです。
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屋号を染め抜いた柿渋色の暖簾が風に揺れています。
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こんもりと茂った樹木のあるお屋敷です。
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そのお屋敷の主屋は、持ち送りで支えられた下屋や白漆喰塗籠めの本卯建など・・・
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見どころが豊富に散りばめられています。
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お屋敷の裏側の様子です。
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腰板を張った土塀をめぐらせた町家です。
塀の内部に植えられたモミジが紅葉するときれいでしょうね。 -
「證如上人御由緒」と刻まれた石灯籠が立っています。
天文2年(1533年)、この地(当時は野田村)を訪れた本願寺第十世証如上人(證如)が、近江観音寺城主佐々木六角定頼の手勢に不意打ちにあったところ、本願寺第八世蓮如上人の教えを受けていた野田や福島の門徒衆が鋤や鍬を手に戦い、証如上人を福島の浜から小舟で脱出させることに成功しますが、この合戦で門徒衆21人が犠牲になりました。
落ち延びる小舟の上で宗徒の討死の様子をくわしく聞かれ、痛く心に感じられた証如上人は、すぐさま一通の御書(後に「野田御書」と言われる)をお書きになり、門徒衆への感激の気持ちを示されました。 -
「證如上人御由緒」と刻まれた石灯籠の向かいにある円満寺。
野田御坊と称される円満寺は、証如上人を守らんとして討ち死にした21人の菩提を弔うため、享保2年(1717年)に浄土真宗本願寺派(西本願寺)の門徒衆によって創建されました。 -
2階の両面に袖壁を出した町家です。
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白漆喰壁や木製の手すりに、建築当初の姿がそのまま残されています。
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こちらの土蔵は、1ケ所外れて無くなっていますが、銅板を張った防火扉を窓に取り付けておられます。
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良い路地があったので入って来ました。
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消防車が入れないほどの狭い路地ですから、消火器が備え付けられています。
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こちらの塀の腰板は以前のまま残して、恐らく漆喰が塗られていただろうと思われる上部まで板で覆っています。
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塀と同じ様に、こちらの土蔵も漆喰が塗られていただろうと思われる部分を板で覆っておられます。
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本来、土蔵はこういう外観なんですがね・・・。
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凝った造りの窓庇です。
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こちらは浄土真宗大谷派(東本願寺)に属する極楽寺で、先ほどの円満寺と同様、野田御坊と称されています。
ちなみに、天文2年(1533年)に起こった本願寺第十世証如上人を救うための合戦で犠牲になった門徒衆の菩提を弔うため、極楽寺の境内には「21人討死の墓」が建立されています。 -
極楽寺の門前に立つ野田城址の石碑です。
野田・福島に城の原形ともいうべき砦が最初に築かれた時期は、室町時代後期に室町幕府の要職を務めた戦国大名細川晴元と、同時代の四国は阿波国の武将三好元長との対立抗争により、堺・天王寺・木津・今宮等で戦が繰り広げられた、享禄4年(1531年)から天文元年(1532年)にかけてであろうと推測されています。
元亀元年(1570年)には、全国制覇をもくろむ織田信長に反逆する三好三人衆らの軍勢がたて籠もったことから、それに呼応するように石山本願寺が決起したとされます。
以上のように、歴史上重要な表舞台に登場する城であったにもかかわらず、今も築城年代や城郭の規模など、その詳細については定かではないようです。 -
極楽寺の一角には、正面に「證如上人御旧跡」、側面に「二十一人討死御書御法事」と刻まれた石灯籠が建立されています。
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個性的な外観の町家が並んでいます。
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野田恵美須神社門前の角に立っている道標です。
正面に刻まれている「左 御旧跡御坊極楽寺」は、すぐ西側にある極楽寺を示しています。
そのほかにも、「ふなつばし なかのしま」、「弓場」などの文字が読み取れます。 -
腰板張りの土塀をめぐらせた町家です。
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玉川の町並みです。
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こちらの4軒には、それぞれの個性が反映されています。
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その内の1軒は、石畳が奥へと延びています。
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玉川の町並みです。
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2階の木製窓に、張り付くように手すりが取り付けられた町家です。
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漆喰を塗籠めた町家が残っていました。
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阪神高速3号神戸線の桁が額縁のような効果を発揮した一枚です。
見えているのは中之島の建物群です。 -
防火用の袖壁のある町家が・・・
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隣り合っています。
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では、玉川の町並みを後に、次へ向かいます。
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