2018/09/15 - 2018/09/23
89位(同エリア1022件中)
わきさん
2018年
9月15日より9月23日までの間
モロッコを旅した。
スケジュールは
9月15日成田発エミレ―ツ航空にて、
ドバイ経由でカサブランカ・ムハンマド5世国際空港着
カサブランカ・カサヴォヤジャー駅から
特急列車にてマラケシュへ、約4時間乗ってマラケシュ着
マラケシュ・リヤドアザリアにて3泊
その後、9月19日朝マラケシュ駅から
やはり特急列車にて、8時間乗ってフェズ駅着
フェズ・リヤドサラにて2泊
その後9月21日朝フェズ駅から
やはり特急列車にて6時間余り乗ってカサブランカ着
カサブランカで、1泊
そして翌22日にカサブランカムハンマド5世国際空港から
ドバイ経由で成田へ向かい、23日日本成田着という旅です。
マラケシュ①は
https://4travel.jp/travelogue/11407520
マラケシュ②の本編は、
マラケシュ博物館と写真美術館での様子である。
一番当方が行きたかったのが写真美術館だった。
1870年から1950年までの、モロッコ写真が
当時の写真家たちによって、飾られていた。
80年間のモロッコを撮影したものだが、
当方の撮影技術が拙劣極まりなく、公開するのも
憚られるが、貴重な写真ばかりなので、思い切って公開させて
頂きます。
光の反射と写真自体が、ガラスケースにおさめられていて、
角度によっては、とても正視に耐えないが、
安いオリンパスカメラで撮影せざるを得なかったので
ご容赦ください。
表題写真は、アラブ・ヤンガ―(アラブの若者)と題するもの。
1926年撮影とある。
何ともいえぬ魅力あふれている写真、しばし、
当方はこの写真をながめていた。
1926年といえば、世界大恐慌が起こる3年前。
モロッコで、かような写真が撮られていたこと自体が
少々意外だった。
やはりモロッコはアフリカではなく、
地中海世界の一員だったのだ。
因みに日本では、
明治維新期、横浜の下岡蓮杖・長崎の上野彦馬によって、
写真技術は輸入され、銀板時代から、湿板時代、
そして乾板時代へとながれ、明治中期には写真やが
大いにはやり、トレンドとして大もうけできる時代だった。
その申し子は、長崎の上野彦馬だったようだが、
この男極めて女癖の悪い男でもあった。
詳細を記載すると色々と問題があるかと思われるので、省く。
この旅行記の前半は、マラケシュ博物館の中の様子。
こちらも見ごたえたっぷりだった。
すべて、フナ広場から、スークを通って、
徒歩で行ってみた。途中
いろいろ寄り道しながら、ではあったので、
写真美術館まで到着するのに、3時間近くかかったと
思われる。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
この日の午前朝のフナ広場の様子。
昨夜の騒々しい宴が嘘のようだった、
マラケシュトクトクが休んで?いる?
それとも、客待ちなのか。 -
メディナ旧市街は、こんな細い路地が
網の目のごとく入り乱れている。
上に路地の名の看板?があるが、
うまく撮影されていない。 -
当方たちのリヤドがあるケディム通りを
1枚撮った。 -
フナ広場、スマリン門である。
スークの入り口。
何にも記載がなかったので、
近くの店の男にここは、スマリン門で間違いないか
聞いたら、「スマリン スマリン」と答えてくれて
安心した。 -
人も歩き始めている。
旧市街地メディナもそうだが、
スークの中でも、
時々2輪車、ヤマハ・カワサキ・ホンダの自動二輪
が通っていく、そしてロバの荷車だった。 -
中に入っていく
-
スマリン門からスークを歩いて行く
-
標識がある。
迷子にならぬようにである。 -
ここは、何の市場スークだったか?
よくみると、バブーシュが見える。 -
どんどん歩く
-
標識を目印に
-
迷わないために、しつこく標識を撮影した
標識ばかり撮影するので、店番の人間が何人も、
ここは、どこそこで、となにやら話しかけてきた。 -
同上
-
これも市場スークの出入り口だが、
1年3か月前なので、もう忘れてしまった、
ごめんなさい、この写真に撮影したおかげで、
迷わなかったことだけを覚えている。 -
ふた通りのわかれ道に出たので、
すかさず撮影。 -
ここは、何のスークだよと
種類を教えてくれている。 -
横に入ると、人一人入れるかどうか
知れない路地を入っていく。
この間、そこのけそこのけとロバが通ったりした。 -
ここは、何のスークだったか、
皮製品がやたらと並んでいた記憶がある。 -
標識は至るところで見かけた
-
スーク市場内をゆっくり歩きながら
これは何だろうかと納得いくまで観察しながら歩いた。
このあと、カディーマ広場で、何か飲んだ記憶があったが、
記録によれば、Cafe Epices
とあった。多分現地で一番誰もが頼むものを注文した。 -
やっとベン・ユーセフモスクまできた。
-
どうせ中はマリーク派なので、見せてはくれない。
緑色の屋根。左側にあるのは、ミナレット尖塔。
ここから、正式にはアザーンが流れるはずだが。 -
修復中なのか。
-
ベン・ユーセフモスクの向かいにマラケシュ博物館がある。
その
マラケシュ博物館の中庭である。パティォは極めて美しかった。 -
同上
-
パティォを違う角度より撮影
-
中庭は、モザイク模様が溢れていた。
-
以下モザイク模様や、
絵画、ハマムの跡などを。 -
ここからは絵画が
-
水場
紋様がきれいだ -
-
-
-
絵画の部屋が続く
-
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フナ広場光景の絵画、
クトゥヴィアモスクを中心に描いてあった。 -
元は、ハマムだったような雰囲気
-
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博物館を出て、
通り標識を撮影。 -
ちょっとわかりにくいが、
この写真では、小さくランプの後ろ側に、
写真美術館は左であると教えてくれている。 -
そのとおりに、歩いて行く
近くにバヴーシュを売る店があった。
男老人が一人でやっていた。
かみさんがバヴーシュを買った。 -
ここが、写真美術館の正面入り口。
宣伝も何もないので、よく見ないと通り過ぎるかもしれない。 -
Jean Besancenot
作。1939年
題して、ベルベル人の女
光の反射と写真それ自体白いガラスケースの中に
あったので、上手くは撮影出来ていない。 -
Jean Besancenot
作。1939年
題して、フェズから来た女
原題は、A woman of fez -
Jean Besancenot
作。1939年
原題 Berber woman Dades valley
題して、アトラス山脈
ダデス峡谷の女 -
Jean Besancenot
作。1939年
これも、フェズから来た女
原題A woman of fez
カメラ写りが極めて良くない、
光の反射でこのように、なってしまいました。 -
Jean Besancenot
作。1939年
原題A hartania of the Ait seddrat Draa Valley.
いうなれば、マラケシュの南東部ザゴラ地方のドレ―渓谷の
着飾った女といったところ。
1939年撮影といえば、第2次世界大戦がはじまった年である。 -
これは、どこだったか、
写真情報を記載するのを忘れ不明です。 -
Gabriel Gillet 作
1940年のフナ広場の様子
何か殆ど現在と変わっていない。
クトゥビアモスクがはっきりしている
これは、夕方以降撮影されたことがわかる。
なぜなら、人々が溢れているからである。 -
LL,
Jemaa el Fna square
1920年
これは、昼間に撮影されたということがわかる。
フナ広場が閑散としているからである。 -
Marcelin Flandrin 作
In the souks Marrakech
1920年写す
極めて光の反射で、わかりにくいが
マラケシュスークの当時の雰囲気が伝わってくる。 -
Marcelin Flandrin 作
マラケシュのヤシの木立ち1920年
原題は、Palm Grove -
Marcelin Flandrin 作
Draped woman
1920年
布を優美に着こなした女
といったところ。 -
1880年Georges Washington Wilson 作
原題 Couple in its interieur, Tangier
題して、タンジェの奥地のカップル? -
1926年Landrock作
原題は、Young Arab -
J Robichez作
1935年
Jewish berber woman in
the high Atlas
1935年のアトラスからきたユダヤ系ベルベル人の女 -
Didier Madras 作
1950年
チズニット地方に住んでいるベルベル人の女
原題は、Berber woman Tiznit -
Didier Madras 作
1951年
マラケシュより北東地方タグディのノマド
原題は G'Guibat nomads in tagoudit -
Didier Madras 作
1957年
原題 TYpe of woman Boumalne
砂漠の高原の端、
ダデス渓谷の上流に位置するBoulmane の女 -
ここから6枚は、
ニコラス・ミューラー写真家の作
いずれもタンジェで撮影した
1942年と43年の作品 -
タンジェの少年
1943年 -
1942年作品
タンジェ
内容がどうも掴めない
当方としては興味がある1枚だった。 -
ニコラス・ミューラー写真家の作品
タンジェの水場それともハマム?の女
1942年 -
ニコラス・ミューラー写真家の作品
1942年
タンジェの女たち -
1942年同上
タンジェ
白いのは、目だけ出すアバヤに
そっくりだ。 -
1942年作品だが、
これは、一体何だろうか。
見ながら
極めて不思議の感に打たれていたことを
覚えている。 -
この写真については、
説明書きを撮影するのを失念したらしい。
記録にも残っていなかった。 -
Didier Madras 作品
1950年作
マラケシュの当時の城壁である。
どこの部分の城壁なのか、東西南北あるので、
いまいち不確かであるが、
これも印象的な1枚だった。
このあと、スークを通って、
フナ広場に出て、
メディナの或るレストランで、
極めて遅い昼食をとった。
アルコールに目がない当方なので
アルコールのある店を探した。
とにかく、ムスリムは、特に旧市街では、
アルコールはまず置いていない。
リヤドの徒歩数分のところにアルコール置いてある店あったので、
次回は、遅い昼食の「カサブランカビール」のシーンから
始まる事になりそうである。
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