2019/11/01 - 2019/11/01
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しゅいぐーさん
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予定がキャンセルになり鷹見泉石記念館へ行ってきました。 古河の町でぶらぶらすることにしました。その隣の奥原清湖画室も見てきました。最後に古河歴史博物館にも寄ってきました。古河には、美術館などたくさん見学するところが有ります。もう一度訪問してゆっくり見てみようと思います。
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古河藩主
土井利位の案内 -
雪の殿様です。
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鷹見泉石記念館 案内
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鷹見泉石記念館は古河藩が藩士たちのために用意した武家屋敷の一つで、隠居後もっぱら蘭学にいそしんだ鷹見泉石が最晩年を送った家でした。
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建物は寛永10年(1633)古河城主土井利勝が、古河城の御三階櫓を造ったときの残り材を使って建てたと伝えられ、もとの建坪は100坪もあり(現在の2倍以上)、屋敷全体は東西に長い他に比べて一段と広大な(現在の4倍以上)ものでした。
鷹見泉石記念館(歴史的建造物) 名所・史跡
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土井氏の家中では、奥氏・潮田氏・鷹見氏など、もと家老を勤めた者が入った場合が多かった屋敷のように思われます。
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いくつも座敷のある長屋門もあって、元治元年(1864)には、天狗党の乱に巻き込まれ、幕府にくだった水戸藩士100名あまりを一時収容した屋敷でもありました。
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それは、泉石の子忠正が家老となり、城内の屋敷に移って空き家になっていたときのことでした。
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維新期、この屋敷は再度入居した鷹見家の所有となり、泉石の残した膨大な資料は、この家で代々の子孫に守られ今日に伝えられたのです。
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南画家奥原晴湖は、慶応元年(1865)以来、活動の場としていた東京上野の摩利支天横町の「墨吐烟雲楼」が、明治24年(1891)、鉄道用地となってしまい、旧古河藩領でもあった埼玉県熊谷へ新たな活動拠点をつくります。
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これが繍水草堂。はじめ繍仏草堂、のち寸馬豆人楼とも称した画室です。この移転については、西欧文化の興隆の一方で、南画をはじめ東洋文化をかえりみない風潮を思ってとの諸説があります。いずれにしても晴湖は中央画壇とは距離をとって、自らの画の道を志したのでしょう。
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大正2年(1913)に晴湖は没し、画室は主を失います。そこで、晴湖のおいにあたる池田多喜雄氏によって昭和4年、誕生地である池田家の屋敷地内に移されました。
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古河歴史博物館
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古河歴史博物館 美術館・博物館
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オランダの楽器ストリートオルガン
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貝塚も近くに有ります
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