2019/09/30 - 2019/09/30
87位(同エリア133件中)
kakusanさん
- kakusanさんTOP
- 旅行記220冊
- クチコミ1件
- Q&A回答1件
- 248,119アクセス
- フォロワー1人
6時頃ホテルにて起床。散歩に行った。朝食は洋食だが昨晩と違って質素だった。定番の朝食だ。防府天満宮に行くことにした。ホテルの前からバスが出ている。10時半のバスに乗った。予定は1時間かからないが途中バスに乗る人が登り口で倒れた。けがはなかったが運転手が本社連絡などで30分かかった。その間エアコンを切っていたので暑かった。防府駅についたのは30遅れだった。12時ごろ着いた。1時間半はバスに揺られたので疲れた。タクシーで天満宮まで行った。10分はかからない。
防府天満宮は菅原道真が亡くなった翌年に創建されたので、日本で最初に創建された天神様と言われ、境内には「扶桑菅廟最初」の石碑が建てられている。防府は道真が失脚して大宰府に流されて行く道中の宿泊地の一つで、北野天満宮、大宰府天満宮と並び日本三大天満宮と言われている。防府は旧山陽道の宿場で、天満宮の門前町として栄えた歴史を持つ。防府天満宮の創建には道真公との深い関わりがある。
説明では『菅原道真は時の権力者である左大臣藤原時平の陰謀により太宰府市に左遷されその地で薨去された。大宰府へ向かう途中、周防国(すおうこく)の国府の置かれたほうふに寄港し休息を取った。道真は「この地は都から離れていない、できればここに居を置きたい」と願いでたが、その願いは叶わず大宰府の地にて無念の思いのまま薨去された。薨去されたその日、ほうふでは不思議な現象が起きた。道真公の魂が光となり、雲となってこの地に帰ってこられたと悟り、酒垂山に祠を建立して松崎の社と号した。これが防府天満宮の創建とされ、これをもって日本で最初に創建された天神さま(天満宮)と称している。』と書いてある。
石段を登り参拝した。天満宮として最初の建立と書いてある。春風楼の床下を覘くと、屋根を支える組み物が床下にあり珍しい。境内には巨大な樹齢800年の神木がある。天満宮であちこち見たので時間がかかった。昼食をとるのが遅れた。とり天の定食を取った。歩いて国分寺に行った。あいにく仏像の観覧は休みだった。100体の仏像があるが休館だった。仏像の足跡があった。
タクシーで駅までもどった。列車の時間がなく急いでなんとか新山口駅行きに間に合った。列車は新山口にすぐに着いた。バスはなんと時間とお金がかかったことだ。湯田温泉まで乗り越しで降りることにした。湯田温泉駅からタクシーで行った。ホテルで荷物をうけとり今日の別のホテルまで歩いて行った。すぐ近くだがキャリーバッグの足に石が挟まり丸い滑車が四角になりほとんど引くのが重い。夕食は昨晩のホテルよりは品数がすくなかった。温泉の温度も低くて長湯した。朝食はバイキングだ。他のホテルと違ってこだわりがあった。ソフトクリームのセルフは面白くめずらしい。甘くなくコーヒー浮かべて食べて飲んだ。帰りは新幹線で一気に博多に行った。博多でキャリーバッグを買う羽目になった。ラグビーのワールドカップがあっている。博多の山笠のラグビー出し物が目についた。外人さんも多い。ラグビー効果だ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
防府(山口) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
56