2019/09/14 - 2019/09/21
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nikodonさん
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イスラエル周遊ツアーに参加してきました。
この旅行記は、その前半のハイファからエンボケック(死海)まで。
聖書の舞台であり、
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地を抱え、
民族離散から2千年の時を経てユダヤ人の独立国家が誕生したイスラエル。
一民族、一国家の日本人には
想像しがたい歴史を、旅のあいだ、知ることになりました。
個人的には、
ガリラヤ湖とゴラン高原がおりなす風景、死海など、
今まで見たことのない自然の姿が印象的でした。
(ヨルダンに行ったことがある方たちは珍しくない光景だと。。)
以下は、現地ガイドさんの話。
(ツアー参加者の一人が13年前イスラエルに来た時より
緑が多いと感じると話すと)
確かに以前より緑が広がっていて、それは、
灌漑技術が世界的にみても高水準だからです。
バナナ、ナツメヤシ、マンゴーなどの果物や野菜が豊富で、
食料自給率は90%です。
イスラエルがパレスチナを攻撃したと日本のテレビや新聞が報じますが、
それはパレスチナが先に攻撃してきたからなのに、そこは伝えず、
パレスチナは、国がなくてかわいそう、と
イスラエルを悪く言う、そういう偏向報道を日本のマスコミはしています。
3年の軍隊生活では、慎重に銃を扱うように教育されます。
銃で相手を傷つければ、自分も傷つけられる。
だからよほどのことがなければ発砲すべきでないと教えられます。
(そうした自重の精神は、
そのままイスラエルの国の精神に重なるのではないかと思いました。
苦難の歴史があるからこそ、沈着な行動を第一とするのではと。)
現在パレスチナ自治区であるガザやエリコは、
いずれパレスチナのものになると自分は予測しています。
しかし、エルサレムは、旧市街が
キリスト教徒地区、ムスリム地区、ユダヤ人地区、アルメニア人地区
で構成されており、譲ることは不可能で、
国連などが管理する国際都市としてはどうか、と言われていますが、
私もそれしかないと思っています。
遠い東の国がイスラエルを救うと(聖書?に)書かれていますが、
日本のことではないかと考えています。
イスラエルにもパレスチナにも肩入れせず、公平に対応できる
アジアの国は、日本しかない。
国際都市エルサレムを管理していく役割を日本が担えるかも、と
麻生さんがイスラエルに来た時に、そう進言しようとしたら、
暴走しかねない麻生さんの性格を考えた
駐イスラエル大使が鉄壁の防御をし、進言できませんでした。
(もうすぐ空港に着いてお別れという時に聞いた
日本語ガイドさんの最後のこの話が一番心に残りました。)
文中で、ガイドブックと表記しているのは、
「地球の歩き方イスラエル2019~20」です。
参考にさせていただきました。ありがとうございます。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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2日目(9月15日) ハイファ→アッコー→ナザレ→ティベリア
(1日目は成田からテルアビブへ12時間30分のフライト。
テルアビブ到着後、1時間40分のバス移動でハイファへ。
成田でセキュリティチェックが人力で行われ、3時間遅延。
直行のチャーター便なのに。。でもこの国の成り立ちを考えたら、
テロ防止に神経質になるのは仕方ないかな、と。)
写真は、
ハイファ
ステラ・マリス・カルメリット修道院。
ミサ中で、内部に入ることができませんでした。
建物内のイエスやマリアの鮮やかなフレスコ画が素晴らしい
とガイドブックにありましたが、見られなかったのが残念。
カルメル修道会の総本山。 -
ハイファ
ステラ・マリス・カルメリット修道院の外観。
撮影していなかったので、ネットから拝借しました。 -
ハイファ
ステラ・マリス・カルメリット修道院のオリジナルの施設。
今はイスラエル軍の施設として使われているそうです。 -
ハイファ
展望台からの眺め。展望台は前述の修道院のすぐそばです。
写真の奥に向かって、
右手から陸地が長々と続いていますが、
途中がアッコーの町。
陸地が切れて海に落ちるあたりがイスラエルとレバノンの国境。
ハイファは、テルアビブ、エルサレムに次ぐイスラエル第3の都市。
自由と平等の町と言われ、ユダヤ教徒と他の宗教の人がお互いを尊重しあい、
共存しようとしている、オープンな雰囲気がある、とガイドブックに。
ハイファは、軍需工場、化学工場が多いので、いつも攻撃の標的にされてきた、
と現地ガイドさんの話。 -
ハイファ
いなご豆。
さやの中の豆は、皆同じ大きさなので、
ダイヤモンドの重さを表す単位「カラット」の元になったそうです。 -
ハイファ近郊
ダリヤット・エル・カルメル
(イスラム系の宗派であるドルーズ派の人たちの街)
のムフラカという教会。
2階が展望台になっていて、
観光客がたくさん登って写真を撮っていました。
山(カルメル山地)の上なので、畑など緑の多いハイファ近郊が見渡せました。 -
ハイファ近郊
ダリヤット・エル・カルメル
のムフラカという教会の内部。 -
アッコー
2日目のランチは、ハイファからバス移動して、
アッコーの「MOBERSHAM」というお店で。
チキンシュニッツェル(カツレツ)をいただきました。
ケバブ、チキンシュニッツェル、白身魚から
自分の好きなものをチョイス。
横につけたピラフのようなのは、自分で取り分けたもの
(サラダやこのピラフのようなのが、お皿に盛られていて
それを、自分でとり分ける)
ですが、実は、香辛料がきつくて、全然食べられませんでした。
嗅覚だけはやたらいいので、香辛料が気になると食べられない。。。^^。
ちなみに、夕食はほとんど、宿泊するホテルのレストランで
ビュッフェスタイルの食事でした。
やはり、香辛料がたくさん入った料理が多く、
食べてみないとわからないので、
けっこう残すことになって、申し訳なかったです。 -
アッコー
緑のドームと高いミナレットが目をひく
ジャーマ・アル・ジャッザールが
ランチのレストランのそばから見えましたが、
ここは観光しませんでした。 -
アッコー
十字軍の聖ヨハネ騎士団の要塞の遺跡。
十字軍と巡礼の人たちの医療の世話をしていた慈善団体の本部だったそう。 -
アッコー
聖ヨハネ騎士団の要塞の復元模型。 -
アッコー
聖ヨハネ騎士団の要塞の遺跡の内部。
アーチの一番上の部分が尖っているのが特徴。
ビューティフルホールや大通りなどと呼ばれるところもありました。
騎士のホールは、夏にはコンサートやフェスティバルにも使われています。
敵が襲ってきた時のために、港まで続く、細い逃げ道も作られていました。
ちなみに。
巡礼者はお金や荷物をたくさん持って旅をしなければならず、
盗賊に襲われることも多かった。
テンプル騎士団では、12世紀、出発前にお金を預ければ証明書を出し、
聖地でその証明書を見せればお金を返してくれる、
今のカードみたいな仕組みを機能させていた、
と、これは現地ガイドさんのお話。 -
ナザレ(アッコーからバス移動し、ナザレへ)
受胎告知教会。
ガイドブックによると、
マリアが受胎告知を受けたと伝えられる洞窟の上に建つ
1969年に完成した中近東最大級のモダンな教会。
ローマ皇帝コンスタンテイヌスが母ヘレナの頼みを受けて最初の建物を建ててから
ビザンツ時代や十字軍時代にも教会があり、
いつの時代も聖地になっていた。 -
ナザレ
受胎告知教会の内部。
人々が並んでいるのは、
祭壇の(写真左下の)マリアがお告げを受けたとされる洞窟を見るため。 -
ナザレ
受胎告知教会。
マリアがお告げを受けた洞窟。 -
ナザレ
受胎告知教会。
建物内部の天井部分。
中央の白い部分は、マリアを表す百合の花。
周囲のMの繰り返しのような内装はマリアのMを表しています。 -
ナザレ
受胎告知教会。
建物内部には、各国から送られたマリア像が飾られています。
写真は、長谷川路可の作品「花の聖母子」。 -
ナザレ
受胎告知教会。
建物内部に飾られた長谷川路可の作品「花の聖母子」の袖部分。
真珠がびっしりと敷き詰められています。
調べたところ、
1968年、長谷川路可の下絵を元にベネツィアで製作されたそうです。 -
ナザレ
聖ヨセフ教会。
マリアの夫ヨセフが大工の仕事をしていたという場所に建てられた教会。
前述の受胎告知教会からすぐ。
写真の中央の建物(アーチ型の入り口の)がそれです。 -
ナザレ
聖ヨセフ教会の内部。 -
ナザレ
聖ヨセフ教会の内部。
地下にヨセフの仕事場があるのですが、現在は入場禁止。
なんでも日本のプロテスタントのグループが
地下でお祈りをし、感極まって大声を出したために、
教会の聖職者が驚き、怒って入場禁止にしてしまったのだと、
現地ガイドさんのお話でした。
そのうち、また見学が許可されるようになるだろう、とも。
2000年前のナザレの町は、
教会の敷地(現在の受胎告知教会と聖ヨセフ教会のことかな)
ぐらいしかない小さい町だったそうです。 -
ナザレ
聖ヨセフ教会から階段を降りて、
受胎告知教会の前の広場に下りてきたら、
マリアの像に熱心にお祈りする女性に出くわしました。
白いスカーフに赤い衣装が印象的で
どこかの教団のシスター?と
一瞬想像したりしたのですが、
このあと立ち上がって、
写真の右にいた男性と連れ立って(つまり一般の人でした)
聖ヨセフ教会の方へ上って行きました。 -
ティベリア (ナザレからバス移動し、ティベリアへ)
ティベリアのホテルからの眺め。夕刻。
ガリラヤ湖(標高マイナス210m)の向こうにゴラン高原が見えます。
ゴラン高原の上に白く見えるのは、たぶんエン・ゲヴというキブツ。
(キブツは、イスラエル独自の社会主義的共同体。
おもに灌漑事業、農作業に従事しており、
国内で消費される野菜や果物のほとんどを生産。
イスラエル国内に270以上のキブツがある。ガイドブックより。)
湖畔から2kmぐらいはイスラエルの領土ですが、
それより向こうはヨルダン領です。
地図で見る限り、ほとんど砂漠か、土漠のようですが、
どんなところか行ってみたいとひどく興味をそそられました。 -
3日目(9月16日)ティベリア周辺を専用バスで観光(山上の垂訓教会→ハツォル→ツファット→パンの奇跡の教会→聖ペテロ教会→カペナウム→ティベリア )
写真はティベリアの朝。ホテルから。
空と大地と水(湖、海)が組み合わさった風景にとても惹かれるので、
こんなところで1週間くらい滞在して本でも読んでいたい。。。 -
ガリラヤ湖周辺
バスからの写真なので、見にくくてすみません。
これはキブツのバナナ畑。
中央のベージュ色のは、バナナにかけたネットで、
水分の蒸発を防ぐためだそうです。
山上の垂訓教会へ向かう途中で。 -
ガリラヤ湖周辺
山上の垂訓教会。
1930年に建てられたフランシスコ会の教会です。
イエスがその思想、教義の最も重要な部分を語ったところで、
12使徒を選んだのもここだといわれています。 -
ガリラヤ湖周辺
山上の垂訓教会の内部。
聖堂が八角形なのは、
マタイによる福音書の第5章の8つの句からなる
「主の祈り」にちなんで。
その8つの句がラテン語で、屋内の壁の上部に記されています。
写真の、壁の上部、窓のようなのがそれです。 -
ガリラヤ湖周辺
山上の垂訓教会の建物の
後ろ側が展望台になっていて、そこからの風景です。
写真の左側の木の向こうにティベリアの街が見えます。
写真中央の山の右端の黒っぽい部分、実はギザギザの形になっているのですが、
祝福の山とも言われるアルベル山です。 -
ガリラヤ湖周辺
ハツォル国立公園
旧約聖書の舞台となったところで、世界遺産の遺跡です。
ここでは、紀元前800年の深さ40mの貯水槽の跡に降りたりもしました。
ガイドブックによると、
古代から要衝の地で、長らくカナン人の町だった。
ヨシュア記にはハツォルの王ヤビンとの戦いの様子が描かれている。
その後ソロモン王がメギッドなどとともに要塞化した(列王記)。
イスラエル王国のアハブの時代のものとみられる
さまざまな建物の跡が見つかっており、現在も発掘は続いている。 -
ガリラヤ湖周辺
ツファット
絵画やオブジェなどアート作品のショップが並ぶ
アーティスト地区の小路を通って
シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)を見学に行きました。
ガイドブックによると、
シナゴーグの多い旧市街とアーテイスト地区が見どころだそうです。 -
ガリラヤ湖周辺
ツファットのシナゴーグ。
ツファットは、エルサレム、ヘブロン、ティベリアとともに
ユダヤ教の4大聖地の一つ。
旧約聖書では、イスラエル12支族のナフタリ族、またはアシェル族の土地
として知られており、
オスマン朝時代はティベリアの町よりも大きく、
ガリラヤ地方の中心都市だったそうです。 -
ガリラヤ湖周辺
ツファットのシナゴーグの内部。 -
ガリラヤ湖周辺
ツファットの通り。
ガリラヤ地方の中心都市だったとは想像できないほど、
静かな通りに、黒い装束のユダヤ教徒の男性が一人歩いていました。 -
ガリラヤ湖周辺
ツファットの町。
帰りもアーティスト地区を通ったので、
思わず、パチリ!
そういえば、アーティスト地区のこの小路だけは、
人がたくさんいました。 -
ガリラヤ湖周辺
ツファットの町。
バスまで戻る途中、
ザクロがたわわに実っていました。 -
ガリラヤ湖周辺
ランチには、
聖ペテロの魚(セントピータース・フィッシュ)をいただきました。
ガリラヤ湖周辺の名物料理。
焼いた魚にレモンと塩をかけて食べるのですが、
淡白で美味しいのではありますが、
お醤油が欲しかった。。。
でもお醤油があっても使ってはいけない、かもでした。
旅行会社Hのイスラエル旅行説明会資料にあったのですが、
日本から持ち込んだ食品を皆で取り分けて食べるため、
お皿を貸して、というのはダメ。
食べ物によってはそのお皿が2度と使えなくなる。と。
ユダヤ教では、コーシェルという食事の規定があり、
この規定に即して食材を選び、調理した食べ物を食します。
その規定に即していない食べ物を載せたお皿はもう使えず、
割ってしまうと、どこかで聞いたような気がするのですが。
「新約聖書」の「マタイによる福音書」では
神殿税の支払いを求められていたイエスが、
ガリラヤ湖の漁師だったペテロに対し、
「魚釣りに行きなさい。最初に釣れた魚の口の中に銀貨が入っているだろう」
と述べており、
この一説に由来するのが、ペテロの魚です。 -
ガリラヤ湖周辺
ランチを食べたレストランの中庭。
ガリラヤ湖の向こうにゴラン高原が見えるシチュエーション。
宿泊したホテルの湖側のホテルの施設でした。 -
ガリラヤ湖周辺
ランチを終えて、午後の観光に向かう途中、
マグダラのマリアのお墓がありました。
緑色のドームがそれです。
道路沿いに、えっというくらい簡素な作りでした。
これより湖側のマグダラ村は現在発掘が進められているそうです。 -
ガリラヤ湖周辺
パンの奇蹟の教会
イエスが2匹の魚と5つのパンを祝福して増やし、
説教を聞きに集まった5000人を満腹にさせたという
奇蹟(ルカによる福音書)にちなむ教会。
350年に教会が建てられ、6世紀に修復されたがその後忘れられ、
20世紀に発掘・再建されてベネディクト会の修道院に。
会堂のビザンツ時代のモザイクの床が見どころ。 -
ガリラヤ湖周辺
パンの奇蹟の教会 内部 -
ガリラヤ湖周辺
パンの奇蹟の教会 内部 モザイクの床。
奇蹟に登場する魚とパンが鮮やかに描かれています。 -
ガリラヤ湖周辺
ペテロ首位権の教会
イエスがペテロとアンデレに出会った場所に建てられた教会です。
この写真の右手は、ガリラヤ湖畔です。
ガリラヤ湖の水(聖なるイエスの水)を持ち帰りたいと
ツアー参加者の何人かがペットボトルに汲んでいました。 -
ガリラヤ湖周辺
ペテロ首位権の教会 内部
正面の岩は、復活したイエスが弟子たちに食事を与えたとされており、
イエスの食卓と言われ、祭壇になっています。 -
ガリラヤ湖周辺
カペナウム
写真の教会は、船の形をしていて
バチカンの法王が訪問した時に記念に作られたそう。
この下に5世紀の教会、4世紀の教会、ペテロの家が、
つまり4層になって埋まっています。
この左手にシナゴーグの遺跡があります。
カペナウムの町はダマスコ(ダマスカス)を経てバビロンに通じる
中継地として10世紀頃まで栄えていたとガイドブックに。
現地ガイドさんは、キリストの時代、1万人住んでいた、と。 -
ガリラヤ湖周辺
カペナウム
シナゴーグの遺跡。5世紀頃に建てられたらしい。 -
ガリラヤ湖周辺
カペナウム
前述のシナゴーグの遺跡の壁面。
黒い部分は2000年前のキリストの時代のもの。
その上に(白っぽい石で)5世紀に別のが建てられました。
マタイの福音書によると
イエスは洗礼者ヨハネが捕えられるとナザレを去り、カペナウムに住み始めました。
イエスが説教したところは、この下に埋もれていると考えられています。
このあと、ティベリアのホテルに戻りましたが、
希望者だけ、ダイヤモンドのお店に行きました。
イスラエルは、ダイヤモンドは採れませんが、
加工技術は世界有数とのこと。
ちなみに、
大粒で目をひいた1.15カラットの一粒ダイヤのリングは10,000ドルでした。
そのあと、お手頃だからと勧められた一粒ダイヤのペンダントは2,500ドルでした。
ショップは撮影できる雰囲気ではなかったので、写真はありません。
ごめんなさい。 -
4日目(9月17日) ティベリア→エリコ(パレスチナ自治区)→クムラン→マサダ→エンボケック
ティベリアから1時間40分でエリコに。
写真は、エリコの手前の無人地帯。
いわゆるイスラエルとパレスチナ自治区の緩衝地帯です。 -
エリコ(パレスチナ自治区)
ヨルダン川。ガリラヤ湖の水が流れています。
地名はカッサル・エル・エフード(ユダヤの城)。
イエスがヨルダン川で洗礼を受けたと言われることから、
たくさんの人が訪れた記念ににごっている川に入っていました。
白いTシャツは、近くのお店で売っているようでした。
川の向こうはヨルダン領です。 -
エリコ(パレスチナ自治区)
パレスチナのお金持ちが作ったお城のような別荘がけっこうありました。
日本の支援で作られた道には
日本通りとか、日本の支援を表示する看板がかかっていたりしました。
パレスチナには、世界中の国が支援金を出しているそうです。
現地ガイドさんが言うには
パレスチナの人々はもらうのが当たり前という精神状態になっている。
お城のような別荘は、日本の血税でできているのです。と。 -
エリコ(パレスチナ自治区)
誘惑の山
正面に見えるのが誘惑の山。
山の中ほどに見える白っぽい横長の建物は、ギリシア正教の修道院。
その近くまでロープウエイで行くことができます。
マタイによる福音書第4章に、
イエスが荒野で40日間断食をし、悪魔に誘惑を受けたと記されている、
その場所がここで、デール・クルントゥル(40日の修道院)と呼ばれています。
イエスの苦行を追体験するために、
かつて多くの修道士がこの山に穴を掘って住み着いていたそうです。 -
エリコ(パレスチナ自治区)
ロープウエイで登ると、そこは展望台になっていて
エリコの街が見渡せました。
死海の水の蒸発で、遠くがかすんだような景色です。
エリコは、海抜下260mと世界で最も低地にある町の一つ。
紀元前1万年頃から人間が住んでいた跡があり、城壁跡もあるため、
要塞化された最古の町ともいわれます。
水が豊かで気候が暖かく、人々も穏やかだそうです。
3000年前、モーセに率いられてエジプトを出たイスラエルの民は、
40年間シナイの砂漠をさまよった後、モーセの後継者ヨシュアの指揮のもと、
待望のカナンの地に入り、そこで最初に攻め込んだ町がエリコで、
町の城壁の周りを7回ラッパを吹き鳴らしながら廻ると、城壁が崩れ落ちた
という有名な「エリコの戦い」はここが舞台です。(ヨシュア記6章)
新約聖書で、イエスが盲人の目を見えるようにした(マルコによる福音書)のも、
罪深いと思われていた徴税人の家で救いを行った(ルカによる福音書)のも、
エリコです。 -
エリコ(パレスチナ自治区)
ロープウエイから見えた遺跡テル・アッスルターン。
1万年前の住居跡、石を積み上げた塔、4000年前の城壁の跡などが残っています。 -
エリコ(パレスチナ自治区)
エリコのローズというお土産。
お水に入れると復活するらしいのですが、
シダ? コケ? よくわからない。。すみません。 -
クムラン遺跡 (エリコからツアーのバスで35分)
クムランが有名になったのは、
ここで、のちに死海写本といわれる紀元前2世紀の巻物が見つかったから。
1947年ベドウィンの少年がクムランの洞窟で土器に入った巻物を発見。
壷に納められた600を超える巻物は、
イザヤ書全巻、詩編を含む旧約聖書、創世記外典、ユダヤ経典のテキストなど。
それまで最古と言われていた写本よりさらに1000年も古いものだったそうです。
このクムランでは、紀元前8世紀に人が住み始め、
紀元前2世紀の終わり頃、
クムラン教団と呼ばれるユダヤ教徒の一派が修道的共同生活をしていたそうです。 -
死海沿岸の陥没したビーチ (マサダへ向かう途中)
近年、死海の水位が下がっており、
たとえばホテルも、ビーチがやたら広くなり、つまり水際が遠くなっているそう。
写真は、地中の固まっていた塩が溶けて陥没してしまった場所。
道路の一部が陥没してしまい、通れなくなっているところもありました。 -
マサダ砦の遺跡(マサダ国立公園)
高さ400m。
岩山の上に広がる、平坦な地を生かして造られた、
いわゆる自然の要塞。
紀元前100年頃に大祭司により要塞が造られ、
その後ヘロデ王が補強、増築し、豪華な冬の宮殿を建てました。
70年、ローマ軍がエルサレムを攻撃し、手中に納めたため、
ユダヤ戦争は事実上終わり、ユダヤ人の2000年近い離散の歴史が始まるのですが、
マサダは、967人が最後まで戦い、立てこもった場所。
1万人のローマ軍に囲まれ、抵抗は2年以上続きました。
最後の時を迎えた時、ユダヤ教では自殺が禁じられているため、
男たちは自分の家族の女子供を殺し、
くじ引きで選ばれた10人が残りの男を殺し、
1人が残りの9人を殺し、
その最後の1人は剣の上に身を投げ出して死んだそうです。
女子供7人だけがこの状況を伝えるため生き残ったと言われています。
巨大な貯水槽、食糧庫、サウナ設備などの跡がありますが、
2年近くの籠城では、貯蔵食糧のほか、
この岩の上で野菜などを作り、生活していたそうです。
え、こんなところで野菜なんか育つの?という感じでした。
2000年近い昔のことだから、今は岩ばっかりだけれど、
もっと緑に恵まれていた台地だったのでしょうか?
想像するしかない、歴史や伝説が多い国だなあ、と思いました。
この後、「アハバ」という化粧品のショップに寄りました。 -
マサダ砦の遺跡
遠くから見たマサダ砦の遺跡。
頂上部分が、平たく広がっています。
白く蛇行しているのが道で、ローマ軍はそこを登りつめ、
砦との高低差分の櫓を組んで、
砦に攻め入ろうとしたため、抵抗していた人々は死を選びました。 -
死海
死海でも南側の方は深さ10mほど。
海の中をあぜ道のようなものが走っているので何かと聞いたら、
塩でできた土手だそうで、
海水の水分を蒸発させ、いろいろな成分を抽出する工場があるのだそうです。
そうやって豊富なミネラル分を生かした石鹸や化粧品が作られるのですね。
死海は標高マイナス400mです。 -
死海
夕方、エンボケックのホテルに到着。
死海の浮遊体験は、翌朝の予定でしたが、夕方、ビーチまで出かけました。
塩分濃度が33%(通常の10倍)で、体が自然に浮いてしまうというのは、
不思議な体験でしたが、
バランスを崩すと、腹ばいになってしまいそう。
そうすると顔が濡れて目や鼻に海水がしみそうなので、
起きあがるのも、そ~っと。(写真の場所は80cmくらいの深さ。)
浮いてリラックスできる、というより、
バランスを崩さないように少し緊張してしまう、というのが正直なところ。
体に傷とかあると、やはりすごくしみるそうです。
翌朝、もう一度浮遊体験に出かけました。
左腕にとまったハエを払おうとして、右手をあげたら、
そのしぶきが鼻の中へ。
もう、こらえきれないくらい鼻の中と喉が海水で「しみしみ」でした。
この後は、イスラエル周遊2(ベツレヘム、エルサレム)に続きます。
「イスラエル周遊1」をご覧いただきましてありがとうございました。
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