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旅の後半は、ベツレヘムとイスラエル。<br /><br /><br />文中で、ガイドブックと表記しているのは、<br />「地球の歩き方 イスラエル2019~20」です。<br />参考にさせていただきました。ありがとうございます。<br />

イスラエル周遊2 (ベツレヘム、イスラエル)

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2019/09/14 - 2019/09/21

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nikodon

nikodonさん

旅の後半は、ベツレヘムとイスラエル。


文中で、ガイドブックと表記しているのは、
「地球の歩き方 イスラエル2019~20」です。
参考にさせていただきました。ありがとうございます。

同行者
社員・団体旅行
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • 5日目(9月18日) エンボケック→ベツレヘム→エルサレム<br /><br />早朝の死海。エンボケックのホテルから。<br /><br />死海を横切るあぜ道のような1本線は、塩でできた土手。<br />「イスラエル周遊1」でも書きましたが、<br />塩分濃度を調整し、蒸発させ、いろいろな成分を結晶化させて、<br />製品作り(たとえば化粧品とか)に生かすのだそうです。

    5日目(9月18日) エンボケック→ベツレヘム→エルサレム

    早朝の死海。エンボケックのホテルから。

    死海を横切るあぜ道のような1本線は、塩でできた土手。
    「イスラエル周遊1」でも書きましたが、
    塩分濃度を調整し、蒸発させ、いろいろな成分を結晶化させて、
    製品作り(たとえば化粧品とか)に生かすのだそうです。

  • エンボケックからベツレヘムへ向かう途中。<br />死海の西岸を北上中に見られる光景。

    エンボケックからベツレヘムへ向かう途中。
    死海の西岸を北上中に見られる光景。

  • 途中から、死海を離れ、内陸へ入りました。<br /><br />写真の奥に見える砂漠の山とでもいうような景色がしばらく続きます。<br />時々、ナツメヤシとか栽培している緑の畑があったりします。<br /><br />ベツレヘムに向かっているのですが、<br />ベツレヘムはパレスチナ自治区なので、<br />町への入り方がいろいろあるそうで、<br />専用バスの運転手さん任せだとのこと。<br />結果、エルサレムを経由してベツレヘムに入りました。<br /><br />

    途中から、死海を離れ、内陸へ入りました。

    写真の奥に見える砂漠の山とでもいうような景色がしばらく続きます。
    時々、ナツメヤシとか栽培している緑の畑があったりします。

    ベツレヘムに向かっているのですが、
    ベツレヘムはパレスチナ自治区なので、
    町への入り方がいろいろあるそうで、
    専用バスの運転手さん任せだとのこと。
    結果、エルサレムを経由してベツレヘムに入りました。

  • ベツレヘム(パレスチナ自治区)<br /><br />観光の前にランチに。<br />レストラン「THE TENT」。<br /><br />団体観光客を一手に引き受けているレストランらしく、<br />すでにたくさんのお客様がいました。<br /><br />私たちが食事中にも、<br />アメリカかららしい別のグループがやってきました。

    ベツレヘム(パレスチナ自治区)

    観光の前にランチに。
    レストラン「THE TENT」。

    団体観光客を一手に引き受けているレストランらしく、
    すでにたくさんのお客様がいました。

    私たちが食事中にも、
    アメリカかららしい別のグループがやってきました。

  • ベツレヘム(パレスチナ自治区) <br /><br />レストラン「THE TENT」でのランチ<br /><br />最初にサラダなど前菜がたくさん出ます。<br />テーブルをご一緒した人たちで取り分けていただきます。<br />この日まで観光中に食べたランチも、<br />サラダなど前菜の出し方はほぼこんな感じ。<br /><br />この後にスープが。<br />そしてメインの料理が出る、というのが、<br />イスラエルやパレスチナの一般的なスタイルのようです。

    ベツレヘム(パレスチナ自治区) 

    レストラン「THE TENT」でのランチ

    最初にサラダなど前菜がたくさん出ます。
    テーブルをご一緒した人たちで取り分けていただきます。
    この日まで観光中に食べたランチも、
    サラダなど前菜の出し方はほぼこんな感じ。

    この後にスープが。
    そしてメインの料理が出る、というのが、
    イスラエルやパレスチナの一般的なスタイルのようです。

  • ベツレヘム(パレスチナ自治区) <br /><br />レストラン「THE TENT」でのランチ<br /><br />この日のメインは、「チキンマクルーバ」という鶏肉と野菜の炊き込みご飯。<br />写真の左のお皿は野菜の下にご飯が隠れています。<br />これを1人分ずつお皿に盛って、<br />右のお皿の鶏肉を載っけて出してくれました。<br /><br />ご飯は炊き込みのようなピラフのような。。<br />お醤油で味付けしたような茶色い色をしているのですが、<br />お醤油は全く入っていなくて、現地の香辛料だけを使っているようでした。<br />おいしかった、です。

    ベツレヘム(パレスチナ自治区) 

    レストラン「THE TENT」でのランチ

    この日のメインは、「チキンマクルーバ」という鶏肉と野菜の炊き込みご飯。
    写真の左のお皿は野菜の下にご飯が隠れています。
    これを1人分ずつお皿に盛って、
    右のお皿の鶏肉を載っけて出してくれました。

    ご飯は炊き込みのようなピラフのような。。
    お醤油で味付けしたような茶色い色をしているのですが、
    お醤油は全く入っていなくて、現地の香辛料だけを使っているようでした。
    おいしかった、です。

  • ベツレヘム(パレスチナ自治区) 生誕教会<br /><br />前述のレストランは、ベツレヘムの町のはずれあたり。<br />そこから、朝から乗ってきた私たちのツアーのバスにまた乗り、<br />ベツレヘムの町の中にあるバス駐車場へ。<br />大型観光バスがたくさん駐車できる大きな建物でした。<br /><br />そこから、イエスの生誕教会まで徒歩観光です。<br /><br />生誕教会は、写真の左側、日の当たっているところ。<br />右手の影ができている建物は、アルメニア修道院。

    ベツレヘム(パレスチナ自治区) 生誕教会

    前述のレストランは、ベツレヘムの町のはずれあたり。
    そこから、朝から乗ってきた私たちのツアーのバスにまた乗り、
    ベツレヘムの町の中にあるバス駐車場へ。
    大型観光バスがたくさん駐車できる大きな建物でした。

    そこから、イエスの生誕教会まで徒歩観光です。

    生誕教会は、写真の左側、日の当たっているところ。
    右手の影ができている建物は、アルメニア修道院。

  • ベツレヘム(パレスチナ自治区) 生誕教会 内部<br /><br />入ると、すでに待っている人が。<br />1時間ほどで祭壇(イエスが生まれたとされる場所に作られた)まで<br />たどり着きましたが、<br />現地ガイドさんによると、最大3時間待たされたことがある、と。<br />ミサがあって、それが終わるまで30分くらい待たされることもあり、<br />私たちは、スムースだったので運がいいと。<br /><br />私が参加したツアー会社の他のグループがこの翌日来て、<br />テレビクルーのロケのため30分余計に待たされ、計2時間待たされたそうです。

    ベツレヘム(パレスチナ自治区) 生誕教会 内部

    入ると、すでに待っている人が。
    1時間ほどで祭壇(イエスが生まれたとされる場所に作られた)まで
    たどり着きましたが、
    現地ガイドさんによると、最大3時間待たされたことがある、と。
    ミサがあって、それが終わるまで30分くらい待たされることもあり、
    私たちは、スムースだったので運がいいと。

    私が参加したツアー会社の他のグループがこの翌日来て、
    テレビクルーのロケのため30分余計に待たされ、計2時間待たされたそうです。

  • ベツレヘム(パレスチナ自治区) 生誕教会 内部 祭壇前の階段<br /><br />左側のライトの下をくぐると祭壇なのですが、<br />この写真で人々が立っているところは半円形の階段になっていて、<br />お互い押し合いへし合いしないように、少しずつ進んでいきます。<br /><br />生誕教会は、イエスが生まれた洞窟の上に建てられた教会。<br />ローマのコンスタンティヌス大帝が母ヘレナのために325年に教会を建て、<br />その200年後に改築され、<br />十字軍時代には外敵の攻撃を防ぐために要塞化されました。<br /><br />イエスの両親のマリアとヨセフは、ナザレに住んでいて、<br />マリアはナザレで受胎告知を受けた(その洞窟の上に建つのが受胎告知教会)が、<br />人口調査のため二人はベツレヘムに来て、<br />宿が取れないまま洞窟の中でマリアはイエスを生んだのだそう。<br />イエスが飼い葉桶の中で眠っていたのは、<br />その洞窟が馬とか動物を飼うために使われていたからであり、<br />よく生誕の場面を小さな人形で摸したものがあるが、<br />木の家などになっているのはまちがいです、と現地ガイドさん。<br />2000年前は、たぶん住まいも洞窟を利用したりしていたと考えられるそう。

    ベツレヘム(パレスチナ自治区) 生誕教会 内部 祭壇前の階段

    左側のライトの下をくぐると祭壇なのですが、
    この写真で人々が立っているところは半円形の階段になっていて、
    お互い押し合いへし合いしないように、少しずつ進んでいきます。

    生誕教会は、イエスが生まれた洞窟の上に建てられた教会。
    ローマのコンスタンティヌス大帝が母ヘレナのために325年に教会を建て、
    その200年後に改築され、
    十字軍時代には外敵の攻撃を防ぐために要塞化されました。

    イエスの両親のマリアとヨセフは、ナザレに住んでいて、
    マリアはナザレで受胎告知を受けた(その洞窟の上に建つのが受胎告知教会)が、
    人口調査のため二人はベツレヘムに来て、
    宿が取れないまま洞窟の中でマリアはイエスを生んだのだそう。
    イエスが飼い葉桶の中で眠っていたのは、
    その洞窟が馬とか動物を飼うために使われていたからであり、
    よく生誕の場面を小さな人形で摸したものがあるが、
    木の家などになっているのはまちがいです、と現地ガイドさん。
    2000年前は、たぶん住まいも洞窟を利用したりしていたと考えられるそう。

  • ベツレヘム(パレスチナ自治区) 生誕教会 祭壇<br /><br />祭壇。<br />このアングルの写真がうまく撮れなかったので、<br />ガイドブックより引用させてもらいました。<br /><br />ここには警備の男性がいて、<br />観光客が一人で何枚も写真を撮って時間を取らないように、<br />(何しろ、先ほどの写真でわかるとおりたくさんの人が待っている)<br />早く早くとせきたてる。<br /><br />祭壇の中の写真(次の写真です)を撮ってから、<br />人々の後ろから、このアングルの写真を引きで撮ろうと思ったのですが、<br />警備の男性や写真を撮り終えて立っている人などがいて<br />撮れませんでした。

    ベツレヘム(パレスチナ自治区) 生誕教会 祭壇

    祭壇。
    このアングルの写真がうまく撮れなかったので、
    ガイドブックより引用させてもらいました。

    ここには警備の男性がいて、
    観光客が一人で何枚も写真を撮って時間を取らないように、
    (何しろ、先ほどの写真でわかるとおりたくさんの人が待っている)
    早く早くとせきたてる。

    祭壇の中の写真(次の写真です)を撮ってから、
    人々の後ろから、このアングルの写真を引きで撮ろうと思ったのですが、
    警備の男性や写真を撮り終えて立っている人などがいて
    撮れませんでした。

  • ベツレヘム(パレスチナ自治区) 生誕教会 祭壇<br /><br />祭壇。イエスが生まれたとされる場所。<br />穴が空いていて、銀で星の形がはめ込まれています。<br />東方三博士が星に導かれて、ベツレヘムにやってきてイエスに会ったのですが、<br />その星をかたどったもの。

    ベツレヘム(パレスチナ自治区) 生誕教会 祭壇

    祭壇。イエスが生まれたとされる場所。
    穴が空いていて、銀で星の形がはめ込まれています。
    東方三博士が星に導かれて、ベツレヘムにやってきてイエスに会ったのですが、
    その星をかたどったもの。

  • ベツレヘム(パレスチナ自治区) <br /><br />生誕教会の北側にある聖カテリーナ教会。<br />クリスマスイブのミサのテレビ中継が行われるところです。<br /><br />教会前には聖書学者ヒエロニムスの像が立っています。<br />この教会の中にある洞窟にこもって<br />ヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳した人です。<br />ローマの婦人パウラの協力で翻訳を成し遂げたのですが、<br />パウラの死後、彼は彼女の骨をそばに置き、作業を続けたそうですが、<br />像の足元にしゃれこうべがあるのはそれを表しています。

    ベツレヘム(パレスチナ自治区) 

    生誕教会の北側にある聖カテリーナ教会。
    クリスマスイブのミサのテレビ中継が行われるところです。

    教会前には聖書学者ヒエロニムスの像が立っています。
    この教会の中にある洞窟にこもって
    ヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳した人です。
    ローマの婦人パウラの協力で翻訳を成し遂げたのですが、
    パウラの死後、彼は彼女の骨をそばに置き、作業を続けたそうですが、
    像の足元にしゃれこうべがあるのはそれを表しています。

  • エルサレム <br /><br />ベツレヘムで生誕教会を見学した後は、<br />エルサレムへ。<br /><br />「ROOF TOP」というレストランで夕食(フランス料理)をいただきました。<br /><br />そのお店からのイスラエルの夕景です。<br />中央に「岩のドーム」が。

    エルサレム 

    ベツレヘムで生誕教会を見学した後は、
    エルサレムへ。

    「ROOF TOP」というレストランで夕食(フランス料理)をいただきました。

    そのお店からのイスラエルの夕景です。
    中央に「岩のドーム」が。

  • エルサレム<br /><br />レストラン「ROOF TOP」からの眺め。<br />(前の写真のように夕景になっていないのは、食事前に撮ったため)<br />このレストランのある建物は、<br />ノートル ダム オブ エルサレム センターというホテル。<br />左の2枚の写真のうち、上の写真の、右側に見えている建物がホテルの一部です。<br /><br />なんとなく感じがいいし、ニューゲートのそばで、<br />聖墳墓教会へも10分と便利そう。<br />エルサレムにまた行くことがあったら泊まってみたいです。<br /><br />ですが、ホテル検索をしたら、<br />部屋は簡素。テレビ、冷蔵庫、バスタブはない、といった<br />口コミがいろいろ出てました。<br />ローマ教皇庁の管轄だそうですから、それも仕方ないか。。。<br /><br />現地ガイドさんの話では、以前は、ここは修道院で、<br />外がすぐヨルダン領だったかな、国境だったという時代に、<br />修道女の方がくしゃみをしたら、窓の外つまり国境の外に入れ歯が落ちて、<br />国連を通じて返してもらったという笑いに笑えない逸話があるそうで。<br /><br /><br />下の写真は、「ROOF TOP」で出されていたワイン。<br />空になったボトルが置いてあったのでパチリ。おいしかったです。<br />

    エルサレム

    レストラン「ROOF TOP」からの眺め。
    (前の写真のように夕景になっていないのは、食事前に撮ったため)
    このレストランのある建物は、
    ノートル ダム オブ エルサレム センターというホテル。
    左の2枚の写真のうち、上の写真の、右側に見えている建物がホテルの一部です。

    なんとなく感じがいいし、ニューゲートのそばで、
    聖墳墓教会へも10分と便利そう。
    エルサレムにまた行くことがあったら泊まってみたいです。

    ですが、ホテル検索をしたら、
    部屋は簡素。テレビ、冷蔵庫、バスタブはない、といった
    口コミがいろいろ出てました。
    ローマ教皇庁の管轄だそうですから、それも仕方ないか。。。

    現地ガイドさんの話では、以前は、ここは修道院で、
    外がすぐヨルダン領だったかな、国境だったという時代に、
    修道女の方がくしゃみをしたら、窓の外つまり国境の外に入れ歯が落ちて、
    国連を通じて返してもらったという笑いに笑えない逸話があるそうで。


    下の写真は、「ROOF TOP」で出されていたワイン。
    空になったボトルが置いてあったのでパチリ。おいしかったです。

  • 6日目(9月19日) 終日エルサレム観光<br /><br />オリーブ山<br /><br />朝、オリーブ山から、エルサレムの町を一望。<br />真下に見えるのは、ユダヤ人墓地です。

    6日目(9月19日) 終日エルサレム観光

    オリーブ山

    朝、オリーブ山から、エルサレムの町を一望。
    真下に見えるのは、ユダヤ人墓地です。

  • エルサレム オリーブ山周辺<br /><br />主の涙の教会<br /><br />ルカの福音書に、<br />イエスがオリーブ山から帰る途中、エルサレムを眺め、<br />その滅亡を予言し、涙したとあり、<br />その記述をもとに1955年建設。<br />外観は、涙の粒を表現しています。

    エルサレム オリーブ山周辺

    主の涙の教会

    ルカの福音書に、
    イエスがオリーブ山から帰る途中、エルサレムを眺め、
    その滅亡を予言し、涙したとあり、
    その記述をもとに1955年建設。
    外観は、涙の粒を表現しています。

  • エルサレム オリーブ山周辺<br /><br />主の涙の教会 内部

    エルサレム オリーブ山周辺

    主の涙の教会 内部

  • エルサレム オリーブ山周辺<br /><br />主のいばら<br /><br />主の涙の教会の近くにあった木です。<br />イエスが十字架を背負って歩いた時に、頭に被せられたのは、<br />この木のトゲトゲと同じものだった。<br />しかもヘアバンド型でなく、ヘルメット型で頭をおおうような形だったので、<br />ヴィア・ドロローサでつまずいた時、かなり痛かっただろうと。<br />現地ガイドさんのお話でした。

    エルサレム オリーブ山周辺

    主のいばら

    主の涙の教会の近くにあった木です。
    イエスが十字架を背負って歩いた時に、頭に被せられたのは、
    この木のトゲトゲと同じものだった。
    しかもヘアバンド型でなく、ヘルメット型で頭をおおうような形だったので、
    ヴィア・ドロローサでつまずいた時、かなり痛かっただろうと。
    現地ガイドさんのお話でした。

  • エルサレム オリーブ山周辺<br /><br />2000年前のお墓。<br />主の涙の教会のそばで。

    エルサレム オリーブ山周辺

    2000年前のお墓。
    主の涙の教会のそばで。

  • エルサレム オリーブ山周辺<br /><br />2000年前のお墓の内部。<br />お金持ちのお墓だそうです。<br /><br />一般の人は、土葬でしたが、<br />お金持ちの場合は、遺体を腐らせて、骨を箱に入れて埋葬したそうです。<br />写真の箱は、そのためのもの。<br />

    エルサレム オリーブ山周辺

    2000年前のお墓の内部。
    お金持ちのお墓だそうです。

    一般の人は、土葬でしたが、
    お金持ちの場合は、遺体を腐らせて、骨を箱に入れて埋葬したそうです。
    写真の箱は、そのためのもの。

  • エルサレム オリーブ山周辺<br /><br />万国民の教会<br /><br />イエスが最後の夜を苦悶しながら祈って過ごしたという<br />ゲッセマネにある教会。<br />「苦悶の教会」ともいわれています。<br /><br />4世紀に建てられ、1919年さまざまな国からの献金で再建されたため<br />「万国民の教会」の名が。<br />

    エルサレム オリーブ山周辺

    万国民の教会

    イエスが最後の夜を苦悶しながら祈って過ごしたという
    ゲッセマネにある教会。
    「苦悶の教会」ともいわれています。

    4世紀に建てられ、1919年さまざまな国からの献金で再建されたため
    「万国民の教会」の名が。

  • エルサレム オリーブ山周辺<br /><br />万国民の教会 内部の祭壇<br /><br />写真の手前側(床面)の岩は、イエスがその上で祈った岩といわれています。

    エルサレム オリーブ山周辺

    万国民の教会 内部の祭壇

    写真の手前側(床面)の岩は、イエスがその上で祈った岩といわれています。

  • エルサレム オリーブ山周辺<br /><br />マリアの墓の教会<br /><br />写真の正面は<br />マリアの墓の教会。<br />マリアの墓は地下の礼拝堂にあります。<br />こちらは、ギリシア正教の教会でマリアの墓をこの地下としているのですが、<br />ローマカトリックではシオンの丘の方で昇天したと考えているそうです。<br /><br />この写真の手前側が広場になっていますが、<br />ここは、ユダがイエスにキスをした場所だそうです<br />(夜、暗闇の中、キリストをとらえに来た者たちが<br />誰がイエスかわかるように)。<br /><br />正面の建物の右手(緑の植物が垂れ下がっているところ)に小路があります。<br />そこはほんとうに狭い通路で、<br />その先にローマカトリックの小さな教会がありました。

    エルサレム オリーブ山周辺

    マリアの墓の教会

    写真の正面は
    マリアの墓の教会。
    マリアの墓は地下の礼拝堂にあります。
    こちらは、ギリシア正教の教会でマリアの墓をこの地下としているのですが、
    ローマカトリックではシオンの丘の方で昇天したと考えているそうです。

    この写真の手前側が広場になっていますが、
    ここは、ユダがイエスにキスをした場所だそうです
    (夜、暗闇の中、キリストをとらえに来た者たちが
    誰がイエスかわかるように)。

    正面の建物の右手(緑の植物が垂れ下がっているところ)に小路があります。
    そこはほんとうに狭い通路で、
    その先にローマカトリックの小さな教会がありました。

  • エルサレム オリーブ山の周辺<br /><br />ローマカトリックの教会。<br /><br />岩穴といった感じの小さな教会。<br />お参りの記念ということなのでしょうか、<br />聖職者の方がオリーブの葉の小さな一枝をくださいました。

    エルサレム オリーブ山の周辺

    ローマカトリックの教会。

    岩穴といった感じの小さな教会。
    お参りの記念ということなのでしょうか、
    聖職者の方がオリーブの葉の小さな一枝をくださいました。

  • エルサレム 旧市街<br /><br />いよいよ城壁で囲まれた旧市街へ。<br />ヘロデ門(花の門)から入りました。<br /><br />ヘロデ門をくぐって、ちょっと歩いたら<br />2階でくつろいでいるおじさんが笑いかけてくれました。<br />ずっと平和でいられることが一番、<br />といっている笑顔に見えました。

    エルサレム 旧市街

    いよいよ城壁で囲まれた旧市街へ。
    ヘロデ門(花の門)から入りました。

    ヘロデ門をくぐって、ちょっと歩いたら
    2階でくつろいでいるおじさんが笑いかけてくれました。
    ずっと平和でいられることが一番、
    といっている笑顔に見えました。

  • エルサレム 旧市街<br /><br />旧市街は、「ヴィア・ドロローサ」から見学しました。<br />ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)は、<br />イエスが有罪とされ、十字架を背負ってゴルゴダまで歩いた道。<br />14のポイントがあります。<br /><br />写真は、その第1ステーション(留)です。<br /><br />今は小学校になっているので入れませんでしたが、<br />イエスが死刑の判決を受けたアントニア要塞があった場所です。<br />

    エルサレム 旧市街

    旧市街は、「ヴィア・ドロローサ」から見学しました。
    ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)は、
    イエスが有罪とされ、十字架を背負ってゴルゴダまで歩いた道。
    14のポイントがあります。

    写真は、その第1ステーション(留)です。

    今は小学校になっているので入れませんでしたが、
    イエスが死刑の判決を受けたアントニア要塞があった場所です。

  • エルサレム 旧市街<br /><br />ヴィア・ドロローサ <br /><br />第2留。<br />アントニアの要塞だったところで、その上に建てられた教会の中庭。<br /><br />ここの鞭打ちの教会で<br />イエスはいばらの冠をかぶせられ、十字架を背負わせられ、<br />ローマ兵に鞭で打たれました。<br /><br />2000年前は、1mか2m下をイエスは歩いたと現地ガイドさん。<br />ここに限らず、2000年の間に戦争で町が荒廃し、その町の上に新しい町が築かれ、何層にもかさ上げされたケースを聞きました。<br /><br />写真は、観光客(巡礼のグループ?)の一団。<br />2000年前にヴィア・ドロローサを歩いたイエスを想い、<br />同じように十字架を担いで祈念するグループにいくつも会いました。

    エルサレム 旧市街

    ヴィア・ドロローサ 

    第2留。
    アントニアの要塞だったところで、その上に建てられた教会の中庭。

    ここの鞭打ちの教会で
    イエスはいばらの冠をかぶせられ、十字架を背負わせられ、
    ローマ兵に鞭で打たれました。

    2000年前は、1mか2m下をイエスは歩いたと現地ガイドさん。
    ここに限らず、2000年の間に戦争で町が荒廃し、その町の上に新しい町が築かれ、何層にもかさ上げされたケースを聞きました。

    写真は、観光客(巡礼のグループ?)の一団。
    2000年前にヴィア・ドロローサを歩いたイエスを想い、
    同じように十字架を担いで祈念するグループにいくつも会いました。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第2留を示す建物の外の掲示板。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第2留を示す建物の外の掲示板。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第3留 イエスが十字架の重みに耐えかねて最初につまずいた場所。<br />ポーランドのカトリック騎士団が小聖堂を建て、<br />今はアルメリア・カトリックの所属、とガイドブックにありました。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第3留 イエスが十字架の重みに耐えかねて最初につまずいた場所。
    ポーランドのカトリック騎士団が小聖堂を建て、
    今はアルメリア・カトリックの所属、とガイドブックにありました。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第3留 中にはイエスの姿を表現した彫刻が。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第3留 中にはイエスの姿を表現した彫刻が。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第4留 マリアが十字架を背負ったイエスを見たとされる場所。<br />我が子を見た母の心中を思うと、もう言葉もありません。<br /><br />写真は、第4留にアルメニア人が建てた苦悩の母のマリア教会。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第4留 マリアが十字架を背負ったイエスを見たとされる場所。
    我が子を見た母の心中を思うと、もう言葉もありません。

    写真は、第4留にアルメニア人が建てた苦悩の母のマリア教会。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第5留 イエスの代わりにクレネ人のシモンが十字架を負わされた場所。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第5留 イエスの代わりにクレネ人のシモンが十字架を負わされた場所。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />イエスが手をついたとされる壁。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    イエスが手をついたとされる壁。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第6留 ベロニカという女性がイエスに水を与え、ハンカチで汗を拭いた場所。<br />そのハンカチにイエスの顔が浮かび上がったといわれています。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第6留 ベロニカという女性がイエスに水を与え、ハンカチで汗を拭いた場所。
    そのハンカチにイエスの顔が浮かび上がったといわれています。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第7留 イエスが城門の敷居につまづき、2度目に倒れた場所。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第7留 イエスが城門の敷居につまづき、2度目に倒れた場所。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第8留 泣きながら女性たちがついてきたという場所。<br /><br />ガイドブックによると<br />ルカによる福音書の中で、イエスがエルサレムの娘たちに<br />私のために泣くな、自分たち、また自分の子供たちのために泣くがよい<br />と語った場所だといわれている、<br />現在建っている聖ハラランボス・ギリシア正教会の修道院の壁に記念の十字架が刻まれている、と。<br /><br />写真、下の方にその十字架が見えます。<br />

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第8留 泣きながら女性たちがついてきたという場所。

    ガイドブックによると
    ルカによる福音書の中で、イエスがエルサレムの娘たちに
    私のために泣くな、自分たち、また自分の子供たちのために泣くがよい
    と語った場所だといわれている、
    現在建っている聖ハラランボス・ギリシア正教会の修道院の壁に記念の十字架が刻まれている、と。

    写真、下の方にその十字架が見えます。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第9留 イエスが3度目に倒れた場所。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第9留 イエスが3度目に倒れた場所。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第10留(聖墳墓教会内) イエスが着ていた衣を脱がされたところ。<br />聖墳墓教会の入り口横にある聖堂。<br /><br />第10留以降は、聖墳墓教会内にあります。    

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第10留(聖墳墓教会内) イエスが着ていた衣を脱がされたところ。
    聖墳墓教会の入り口横にある聖堂。

    第10留以降は、聖墳墓教会内にあります。    

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第11留(聖墳墓教会内) イエスが釘付けにされたところ。<br />ローマ・カトリックの小聖堂の祭壇になっています。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第11留(聖墳墓教会内) イエスが釘付けにされたところ。
    ローマ・カトリックの小聖堂の祭壇になっています。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第12留(聖墳墓教会内) <br />イエスが磔になった十字架が建てられ、息を引き取った場所。<br />ギリシア正教会の小聖堂の祭壇になっています。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第12留(聖墳墓教会内) 
    イエスが磔になった十字架が建てられ、息を引き取った場所。
    ギリシア正教会の小聖堂の祭壇になっています。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第12留(聖墳墓教会内) <br />祭壇の下の穴。磔の十字架が立った場所といわれています。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第12留(聖墳墓教会内) 
    祭壇の下の穴。磔の十字架が立った場所といわれています。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第13留(聖墳墓教会内)<br />聖母マリアがイエスの亡骸を受け取ったと伝えられている場所。<br />スタバト・マーテルというイエスの死を嘆くマリアの小さな祭壇があります。<br />第11流と第12留の間にあります。

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第13留(聖墳墓教会内)
    聖母マリアがイエスの亡骸を受け取ったと伝えられている場所。
    スタバト・マーテルというイエスの死を嘆くマリアの小さな祭壇があります。
    第11流と第12留の間にあります。

  • エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ<br /><br />第14留(聖墳墓教会内) イエスが墓に納められた場所。<br />現在は聖堂(この写真、手前の茶色い四角い建物)。<br />イエスの時代には洞窟だったそうです。<br /><br />聖堂は荘厳な建物で、中を見学したい人たちがたくさん待っていました。<br /><br />イエスが磔刑にされたゴルゴタ(ゴルゴタはしゃれこうべのこと。埋葬された丘が、丸い頭蓋骨の形に似ているため)の丘の上に建つのが聖墳墓教会です。<br /><br />聖墳墓教会は、聖書の出来事にちなんだ礼拝堂がたくさんあって、<br />6つの宗派(ギリシア正教、ローマ・カトリック、アルメニア正教、コプト正教、エチオピア正教、シリア正教)が場所ごとに管理しています。<br />

    エルサレム 旧市街 ヴィア・ドロローサ

    第14留(聖墳墓教会内) イエスが墓に納められた場所。
    現在は聖堂(この写真、手前の茶色い四角い建物)。
    イエスの時代には洞窟だったそうです。

    聖堂は荘厳な建物で、中を見学したい人たちがたくさん待っていました。

    イエスが磔刑にされたゴルゴタ(ゴルゴタはしゃれこうべのこと。埋葬された丘が、丸い頭蓋骨の形に似ているため)の丘の上に建つのが聖墳墓教会です。

    聖墳墓教会は、聖書の出来事にちなんだ礼拝堂がたくさんあって、
    6つの宗派(ギリシア正教、ローマ・カトリック、アルメニア正教、コプト正教、エチオピア正教、シリア正教)が場所ごとに管理しています。

  • エルサレム 旧市街<br /><br />ランチへ向かう途中、2000年前の町を復元した絵がありました。

    エルサレム 旧市街

    ランチへ向かう途中、2000年前の町を復元した絵がありました。

  • エルサレム 旧市街 <br /><br />アルメニア料理のレストラン「BULGHOURJI」でランチ。<br />アラブ風刻みサラダや人参サラダ、挽き割り小麦のピラフ、ミックスグリル他。

    エルサレム 旧市街 

    アルメニア料理のレストラン「BULGHOURJI」でランチ。
    アラブ風刻みサラダや人参サラダ、挽き割り小麦のピラフ、ミックスグリル他。

  • エルサレム <br /><br />ランチのあと、シオン門(旧市街を囲む城壁の南側にある門)を抜けて<br />「最後の晩餐の部屋」へ。<br /><br />写真は、シオン門をくぐったあたりで売っていたオリジナルのベーグル。<br />ユダヤの伝統的なパンでこのように細長いのだそうです。<br />東欧に渡ったユダヤ人がベーグルを作り、<br />その後ニューヨークで人気になったそうです。<br />

    エルサレム 

    ランチのあと、シオン門(旧市街を囲む城壁の南側にある門)を抜けて
    「最後の晩餐の部屋」へ。

    写真は、シオン門をくぐったあたりで売っていたオリジナルのベーグル。
    ユダヤの伝統的なパンでこのように細長いのだそうです。
    東欧に渡ったユダヤ人がベーグルを作り、
    その後ニューヨークで人気になったそうです。

  • エルサレム マリア永眠教会。<br /><br />ガイドブックやネットではマリアをまつって建てられた教会とあります。<br /><br />現地ガイドさんは、ここからマリアが昇天したとされている、と。<br />ローマ・カトリックの教会と現地ガイドさんは言ったように記憶していますが、<br />アルメニア正教の教会のようです。<br /><br />ネットではマリアが最晩年を過ごしたところ、とも。<br /><br />この日の朝見たマリアの墓の教会(オリーブ山周辺)は、<br />ギリシア正教がマリアの墓としているところ。<br /><br />さて、マリアのお墓はどちらなのでしょう。<br /><br />聖書には、マリアの死について書かれていないようです。<br />2000年の間のどこかで、信仰厚い人々? 聖職者? あるいは権力者?が建て、<br />それが修復されるなどして現在に至っている、というのが、<br />一番妥当なのでは、と思いました。<br /><br />何しろ、2000年前のことは、誰もわからない。。。

    エルサレム マリア永眠教会。

    ガイドブックやネットではマリアをまつって建てられた教会とあります。

    現地ガイドさんは、ここからマリアが昇天したとされている、と。
    ローマ・カトリックの教会と現地ガイドさんは言ったように記憶していますが、
    アルメニア正教の教会のようです。

    ネットではマリアが最晩年を過ごしたところ、とも。

    この日の朝見たマリアの墓の教会(オリーブ山周辺)は、
    ギリシア正教がマリアの墓としているところ。

    さて、マリアのお墓はどちらなのでしょう。

    聖書には、マリアの死について書かれていないようです。
    2000年の間のどこかで、信仰厚い人々? 聖職者? あるいは権力者?が建て、
    それが修復されるなどして現在に至っている、というのが、
    一番妥当なのでは、と思いました。

    何しろ、2000年前のことは、誰もわからない。。。

  • エルサレム 最後の晩餐の部屋<br /><br />マリア永眠教会の近くにあります。<br />イエスが処刑の前の晩に<br />弟子たちを集めて最後の晩餐を行なった、<br />十字架を前に最後の訓話を行なった、とされる場所です(左の下の写真)。<br /><br />何もなくて、あれ?という感じ。<br /><br />その場所に十字軍が建てたのが現在の建物。<br />15世紀のオスマン朝時代にはイスラム寺院として使われていたそうです。<br /><br />隣はダビデ王の墓のある建物ですが、私たちのツアーは寄りませんでした。

    エルサレム 最後の晩餐の部屋

    マリア永眠教会の近くにあります。
    イエスが処刑の前の晩に
    弟子たちを集めて最後の晩餐を行なった、
    十字架を前に最後の訓話を行なった、とされる場所です(左の下の写真)。

    何もなくて、あれ?という感じ。

    その場所に十字軍が建てたのが現在の建物。
    15世紀のオスマン朝時代にはイスラム寺院として使われていたそうです。

    隣はダビデ王の墓のある建物ですが、私たちのツアーは寄りませんでした。

  • エルサレム 鶏鳴教会<br /><br />最後の晩餐の部屋から歩いて鶏鳴教会へ。<br /><br />鶏鳴教会は、祭司カヤパの屋敷跡で、<br />ゲッセマネで逮捕されたイエスが、ここの地下の牢獄に留置され、<br />最後の一晩を過ごした場所です。<br /><br />この写真の奥、山の向こうの方に死海があります。

    エルサレム 鶏鳴教会

    最後の晩餐の部屋から歩いて鶏鳴教会へ。

    鶏鳴教会は、祭司カヤパの屋敷跡で、
    ゲッセマネで逮捕されたイエスが、ここの地下の牢獄に留置され、
    最後の一晩を過ごした場所です。

    この写真の奥、山の向こうの方に死海があります。

  • エルサレム 鶏鳴教会<br /><br />内部と天井のステンドグラス。

    エルサレム 鶏鳴教会

    内部と天井のステンドグラス。

  • エルサレム 鶏鳴教会<br /><br />イエスが入れられた地下の牢獄が残っています。

    エルサレム 鶏鳴教会

    イエスが入れられた地下の牢獄が残っています。

  • エルサレム<br /><br />鶏鳴教会のそば 2000年前の家のあと。<br /><br />このあと、専用バスに乗って移動。<br />城壁内の旧市内にある「嘆きの壁」へ。<br /><br />家といえば、不動産について現地ガイドさんが教えてくれました。<br />イスラエルは、74%が国有地。<br />そのため土地の借用書が売買されるのだそうです。<br />建物は個人のものだそうです。

    エルサレム

    鶏鳴教会のそば 2000年前の家のあと。

    このあと、専用バスに乗って移動。
    城壁内の旧市内にある「嘆きの壁」へ。

    家といえば、不動産について現地ガイドさんが教えてくれました。
    イスラエルは、74%が国有地。
    そのため土地の借用書が売買されるのだそうです。
    建物は個人のものだそうです。

  • エルサレム 旧市街 嘆きの壁<br /><br />旧市街の城壁内にバスは入れないので、<br />糞門(昔、この門を通って人々の排泄物を運び出していた)から歩いて嘆きの壁へ。<br /><br />日が当たっているのが嘆きの壁(西の壁)です。<br />写真の中ほどに白いパラソルをすぼめたのが10本立っていますが、<br />その左側が男性専用で人はまばら。<br />右側の女性専用のところは<br />壁に祈る女性がたくさんいて、壁そのものに全然近寄れず。<br /><br />女性専用のところの<br />上の方に橋のようなものが見えますが、<br />これが「岩のドーム」がある「神殿の丘」へ行く入り口です。<br /><br />岩のドームは、ムスリム(イスラム教の信者)以外は、現在入場禁止。<br />そのためか、私たちのツアーでは、<br />岩のドームがある神殿の丘の観光が入っていませんでした。<br />(神殿の丘はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの聖地です。)<br /><br />岩のドームが建っている神殿の丘は、<br />かつてユダヤ教の神殿が建っていたところで、<br />70年にローマ軍が神殿を破壊した時、<br />部分的に残ったのが神殿を囲む西側の外壁=嘆きの壁です。<br /><br />ガイドブックによると、嘆きの壁といわれるのは下記のようなことから。<br />神殿の崩壊後、ユダヤ人は年に一度許可されている来訪のたび、<br />帰郷の夢を抱きつつここで祈るようになった。<br />夜になると石の間にたまった夜露が、<br />壁に生えるヒソプの草を伝って落ちてくる。<br />それが、涙を流すユダヤ人の姿を映しているようであり、<br />いつの頃からか嘆きの壁と呼ばれるようになった。

    エルサレム 旧市街 嘆きの壁

    旧市街の城壁内にバスは入れないので、
    糞門(昔、この門を通って人々の排泄物を運び出していた)から歩いて嘆きの壁へ。

    日が当たっているのが嘆きの壁(西の壁)です。
    写真の中ほどに白いパラソルをすぼめたのが10本立っていますが、
    その左側が男性専用で人はまばら。
    右側の女性専用のところは
    壁に祈る女性がたくさんいて、壁そのものに全然近寄れず。

    女性専用のところの
    上の方に橋のようなものが見えますが、
    これが「岩のドーム」がある「神殿の丘」へ行く入り口です。

    岩のドームは、ムスリム(イスラム教の信者)以外は、現在入場禁止。
    そのためか、私たちのツアーでは、
    岩のドームがある神殿の丘の観光が入っていませんでした。
    (神殿の丘はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの聖地です。)

    岩のドームが建っている神殿の丘は、
    かつてユダヤ教の神殿が建っていたところで、
    70年にローマ軍が神殿を破壊した時、
    部分的に残ったのが神殿を囲む西側の外壁=嘆きの壁です。

    ガイドブックによると、嘆きの壁といわれるのは下記のようなことから。
    神殿の崩壊後、ユダヤ人は年に一度許可されている来訪のたび、
    帰郷の夢を抱きつつここで祈るようになった。
    夜になると石の間にたまった夜露が、
    壁に生えるヒソプの草を伝って落ちてくる。
    それが、涙を流すユダヤ人の姿を映しているようであり、
    いつの頃からか嘆きの壁と呼ばれるようになった。

  • エルサレム 旧市街<br /><br />嘆きの壁<br /><br />壁の石のすき間に願い事を書いた紙を詰めると<br />願い事が成就するといういわれがあるそうで、<br />詰め込むすき間がないくらい、紙が詰まっていました。<br />紙と筆記具が入り口のあたりに置いてありました。<br />誰でも願い事を書いて詰めることができます。

    エルサレム 旧市街

    嘆きの壁

    壁の石のすき間に願い事を書いた紙を詰めると
    願い事が成就するといういわれがあるそうで、
    詰め込むすき間がないくらい、紙が詰まっていました。
    紙と筆記具が入り口のあたりに置いてありました。
    誰でも願い事を書いて詰めることができます。

  • エルサレム 旧市街<br /><br />嘆きの壁のすぐ横にある建物にて<br />トンネルツアーに参加しました。<br /><br />現在、地上で見られる嘆きの壁は、<br />第2神殿時代の地面よりはるか上に位置しています。<br />写真は、地下に埋まっている嘆きの壁の部分。<br />ローマ軍は、壁がでかすぎて、全部を破壊できなかったのだろうと。

    エルサレム 旧市街

    嘆きの壁のすぐ横にある建物にて
    トンネルツアーに参加しました。

    現在、地上で見られる嘆きの壁は、
    第2神殿時代の地面よりはるか上に位置しています。
    写真は、地下に埋まっている嘆きの壁の部分。
    ローマ軍は、壁がでかすぎて、全部を破壊できなかったのだろうと。

  • エルサレム 旧市街<br /><br />トンネルツアー<br /><br />嘆きの壁のそばの地下は発掘途中で、<br />かつての建物や貯水池跡などが見られました。<br />

    エルサレム 旧市街

    トンネルツアー

    嘆きの壁のそばの地下は発掘途中で、
    かつての建物や貯水池跡などが見られました。

  • 7日目(9月20日) <br />エルサレム 郊外の観光<br /><br />イスラエルでの最終日です。<br />午前中は自由行動でしたが、<br />観光組と買物組に分かれて出かけることに。<br /><br />観光組は、現地ガイドさんが専用バスで、郊外の観光に案内してくれました。<br /><br />写真は、洗礼者ヨハネ誕生の教会。<br />イエスに洗礼を施した洗礼者ヨハネが生まれた洞窟の上に建っています。<br /><br />現在の建物は1855年築。ビザンツ、十字軍時代の教会の跡に建てられました。

    7日目(9月20日) 
    エルサレム 郊外の観光

    イスラエルでの最終日です。
    午前中は自由行動でしたが、
    観光組と買物組に分かれて出かけることに。

    観光組は、現地ガイドさんが専用バスで、郊外の観光に案内してくれました。

    写真は、洗礼者ヨハネ誕生の教会。
    イエスに洗礼を施した洗礼者ヨハネが生まれた洞窟の上に建っています。

    現在の建物は1855年築。ビザンツ、十字軍時代の教会の跡に建てられました。

  • エルサレム 郊外<br /><br />洗礼者ヨハネ誕生の教会。 屋内。

    エルサレム 郊外

    洗礼者ヨハネ誕生の教会。 屋内。

  • エルサレム 郊外<br /><br />マリア訪問の教会。<br /><br />洗礼者ヨハネ誕生の教会から徒歩で10分くらい。<br /><br />洗礼者ヨハネの父の別荘地があったところで、<br />聖母マリアが、ヨハネの母エリザベツを訪ねたことを記念して<br />建てられた教会です。<br />十字軍時代の教会跡に1955年築。<br /><br />写真の鉄の門扉もそうですが、<br />1階の建物の周りにお花が飾ってあったりして、<br />今回訪れた中では、おしゃれな雰囲気があり、<br />個人的には一番好きな教会でした。

    エルサレム 郊外

    マリア訪問の教会。

    洗礼者ヨハネ誕生の教会から徒歩で10分くらい。

    洗礼者ヨハネの父の別荘地があったところで、
    聖母マリアが、ヨハネの母エリザベツを訪ねたことを記念して
    建てられた教会です。
    十字軍時代の教会跡に1955年築。

    写真の鉄の門扉もそうですが、
    1階の建物の周りにお花が飾ってあったりして、
    今回訪れた中では、おしゃれな雰囲気があり、
    個人的には一番好きな教会でした。

  • エルサレム 郊外<br /><br />マリア訪問の教会。<br /><br />左の写真は、1階の屋内。<br />右の写真は、2階。ミサが行われていました。<br /><br /><br />

    エルサレム 郊外

    マリア訪問の教会。

    左の写真は、1階の屋内。
    右の写真は、2階。ミサが行われていました。


  • エルサレム<br /><br />イスラエル博物館。<br /><br />専用バスでイスラエル博物館へ。<br />旧市街の西側が新市街ですが、そのまた西側に位置しています。<br /><br />写真は、イスラエル博物館にあったロダンの作品。<br />

    エルサレム

    イスラエル博物館。

    専用バスでイスラエル博物館へ。
    旧市街の西側が新市街ですが、そのまた西側に位置しています。

    写真は、イスラエル博物館にあったロダンの作品。

  • エルサレム <br /><br />イスラエル博物館<br /><br />写真は、死海写本館の屋根の部分です。<br />屋内の温度を一定に保つために、水を流しています。<br />右奥に見えるのが国会議事堂。<br /><br />死海写本館は、<br />クムランでべドウィンの少年が見つけた写本などを展示しています。<br />屋内の写本のコーナーは撮影禁止でした。

    エルサレム 

    イスラエル博物館

    写真は、死海写本館の屋根の部分です。
    屋内の温度を一定に保つために、水を流しています。
    右奥に見えるのが国会議事堂。

    死海写本館は、
    クムランでべドウィンの少年が見つけた写本などを展示しています。
    屋内の写本のコーナーは撮影禁止でした。

  • エルサレム イスラエル博物館<br /><br />2000年前のエルサレムを50分の1にした模型。<br />中央が神殿です。<br />発掘などで新しい発見があると、その都度、その部分を作り直すのだそうです。<br /><br /><br />この後、ホテルに寄って買物組の方達をピックアップして<br />テルアビブの空港へ。帰路につきました。<br /><br /><br />たくさんの写真とコメントに長時間お付き合いくださいまして、<br />本当にありがとうございました。<br /><br />1日にたくさんの場所を観光する旅でしたので、<br />記憶がぐちゃぐちゃ。<br />そこで今回は、写真の整理を兼ねて周遊日記としてアップしました。<br />が、ガイドブック、ネットの情報、自分のメモが<br />時に食い違うことがあり。<br /><br />たとえば。<br />ゴルゴタの丘に聖墳墓教会が建っているわけですが、<br />「園の墓」がゴルゴタの丘ではないかという説もあるそうで。<br />そのように、2000年前のことは誰も真実はわからず、<br />伝説、伝承の上に成り立っているのが<br />イスラエルなのだなあと、<br />今、周遊旅日記を作り終えて思っているところです。<br /><br />イスラエルとパレスチナ。<br />ユダヤ教とキリスト教とイスラム教。<br />とにかく共存し、平和であってほしい。<br />私たちが行って楽しめる地であってほしい。<br />そう、願うばかりです。<br />

    エルサレム イスラエル博物館

    2000年前のエルサレムを50分の1にした模型。
    中央が神殿です。
    発掘などで新しい発見があると、その都度、その部分を作り直すのだそうです。


    この後、ホテルに寄って買物組の方達をピックアップして
    テルアビブの空港へ。帰路につきました。


    たくさんの写真とコメントに長時間お付き合いくださいまして、
    本当にありがとうございました。

    1日にたくさんの場所を観光する旅でしたので、
    記憶がぐちゃぐちゃ。
    そこで今回は、写真の整理を兼ねて周遊日記としてアップしました。
    が、ガイドブック、ネットの情報、自分のメモが
    時に食い違うことがあり。

    たとえば。
    ゴルゴタの丘に聖墳墓教会が建っているわけですが、
    「園の墓」がゴルゴタの丘ではないかという説もあるそうで。
    そのように、2000年前のことは誰も真実はわからず、
    伝説、伝承の上に成り立っているのが
    イスラエルなのだなあと、
    今、周遊旅日記を作り終えて思っているところです。

    イスラエルとパレスチナ。
    ユダヤ教とキリスト教とイスラム教。
    とにかく共存し、平和であってほしい。
    私たちが行って楽しめる地であってほしい。
    そう、願うばかりです。

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