2019/08/31 - 2019/09/08
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fourtraさん
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シルクロードの始点である西安から北側のゴビ砂漠と南側の祁連山脈との間に挟まれた河西回廊を西へ敦煌までを旅しました。行きはバス旅、帰りは列車旅、三蔵法師の通った跡をはるか昔に思いをはせながら歩きました。
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中国甘粛省の河西回廊を旅した。
河西回廊は中国北部とタリム盆地から中央アジアを結び、黄河の北西を走る北部シルクロードの貿易上そして軍事上の重要な拠点であった。
1日目
まず、羽田から上海に行き、そこから、国内線で蘭州の中川空港に向かった。
蘭州は河西回廊の東の入り口にあたり、古くからシルクロードの交通の要衝であった。 -
朝8時にホテルを出発し、バスで涼州の武威市に向かった。
武威市は、河西回廊の入り口にあたる都市で、標高2500mに位置する。 -
まず、昼食に1300年の歴史があるという蘭州ラーメンを食べた後、雷台廟に向かった。
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ここの雷台地区には1969年に農民によって発見された雷台漢墓という後漢時の張将軍の一族の墓地がある。
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廟が立つ土台の地下に大量の銅車馬があり、中でも飛燕を踏む青銅製の奔馬は有名で、中国観光事業のシンボルマークにも使われている。
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雷台廟の後、大雲寺に行った。古い寺院のようだが、1927年の地震で鐘楼を除いて破壊され、他の建物は新しく再建されたものだということだ。
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鐘楼に上って見学した後、孔子廟に向かった。
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中国には約1200の孔子廟がありその内でも3番目に大きいものだそうだ。
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孔子は中国では学問の神様として尊敬されており、この日も多くの学生が合格祈願のために訪れていた。
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これで予定されていた武威市の見学が終わり、250km先の張掖に向かった。途中、明の時代に作られた万里の長城が延々と続いて残っており、丁度良い場所でバスを止めて見学した。
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壁の他に狼煙台があり黄河流域の粘着性の黄土で作られていた。
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ホテルには8時ごろ着いた。近くで名物の人参果という果物を売っていたので一つ買って食べてみたら、かすかに甘く美味しかった。
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3日目
張掖市は以前はオアシスがあったため甘泉と呼ばれており、マルコポーロの東方見聞録にも名前が出てくる街である。 -
朝8時に集合し、ホテル近くの名所見物に出かけた。
まず、張掖大仏を見学した。
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現存する大仏殿は1098年に造られ、内部には室内にある涅槃仏の中で中国最大、体長34.5mの釈迦牟尼の涅槃像が安置されていた。
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続いて大仏寺から歩いて5分程度にある万寿寺木塔です。
万寿寺木塔は582年に創建された高さ33mの木塔。現在は1925年に再建されたものだが、9階建て、8角形の複雑な形をしていた。 -
9時40分に見物を終えて七彩山に向かい50分で到着した。
七彩山は標高1820mの所にあり、2008年発見されたばかりだそうだ。 -
目の前に広がる現実の世界とも思えない美しい世界には感動だった。
中でも特に素晴らしい5箇所をシャトルバスに乗り換えながら見て回った。 -
地殻変動によって造られ山が虹のような赤や黄色、緑、白などの縞模様で彩られ、自然の力には驚くだけだったが、山の上り下りでかなり疲れた。
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見学後、酒仙に向かった。
酒仙には5時15分についた。河西回廊最大の都市ということだけあってデパートやホテルが並び賑やかだった。
ここでは、市の中心部に位置し、四方の壁に方向を示す4字熟語が書かれている鐘鼓楼を周りから眺めただけで嘉峪市に向かった。 -
ホテルには予定より早く6時20分についた。
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4日目
朝九時ごろ嘉峪関に着いた。 -
嘉峪関は甘粛省嘉峪関市に位置する明時代の万里の長城最西部に位置する関。世界遺産になっているだけあって観光客でいっぱいだった。
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約2時間見学して次の目的地敦煌に向かった。
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果てしないゴビ砂漠を走っている間、ラクダや羊が放牧されているのが見えた。
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ゴビ砂漠の中を3時間ほど走り続けたところで楡林窟という仏教石窟に寄った。
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楡林窟は楡林河の両岸にある仏教石窟で、東壁に32窟、西壁に11窟が残っていた。
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窟のうち現地の日本語ガイドの案内で、第12、13、14、16、17、19に入場しながら内部の仏教壁画や仏像を約1時間半かけて見学した。
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敦煌のホテルに着いたのは9時になっていた。
敦煌市は、かつてシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市である。 -
5日目
今日は強行軍ということでホテルを7時40分に出発し、莫高窟に向かった。
ここは入場者上限が6000人と決められているそうた。
15分で着き、まず観光センターで莫高窟の短編映画を二本見てからシャトルバスで莫高窟入り口まで向かった。 -
窟は鍵のついたドアが閉められていて、ガイドが鍵を開け、一緒に中に入って壁画の歴史など詳細を説明してくれた。
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我々は八カ所の窟を見学し、ちょうど12時に終わった。
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莫高窟の見学を終えた後、敦煌博物館を見学した。
続いてバスで20分ほどの白馬塔を見学に行った。 -
白馬塔は9層12mの塔があるだけで他には何もなかった。
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塔は清の時代の170年前に再建されたものだが、もともと1600年前、高僧・鳩摩羅什が過酷な砂漠の中をずっと乗ってきた白馬が敦煌に着いた時に死んだため、馬を埋葬して塔を建てたのが始まりといわれる。
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白馬塔のあとは鳴沙山に向かった。
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鳴沙山は中国砂山で、風が吹くと「砂が鳴く」ような音を出すことで知られている。
ここではラクダ乗りやハンググライダー、サンドバギー体験など様々なアクティビティがあったので、初めてラクダに乗って砂丘の中を歩いてみた。 -
大勢の観光客が参加していたので砂丘の中に長いラクダの列ができていた。
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すぐ近くには月牙泉という砂漠中のオアシスがあった。名前の通り、年月を経て三日月型の池に加工されて観光客で混雑していた。
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夕方敦煌市内に戻って夜市にでかけた。土産物やドライフルーツ、ハーブや工芸品などを売っていた。
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6日目
昨日は主に敦煌の市内を見学したので、今日はバスで郊外に出かけた。まず、敦煌から約90km北西にある玉門関、続いて敦煌の南西70kmにある陽関を訪れた。 -
玉門関は、シルクロードの重要な堅固な関所の1つで、唐代の玉門関遺跡と漢代に建設された万里の長城が残っていて、どのようにして威敵をふせいだかが良くわかった。
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この後、南側のもう1つの関所陽関に行った。陽関も玉門関と同様にかつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つである。陽という漢字は太陽と同時に南という意味もあり、併せて設置された玉門関より南に位置するため「陽関」と呼ばれたそうだ。
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玉門関は世界遺産になっていたが、こちらは残っているものは狼煙台だけであとは復元されたものばかりで世界遺産にはなっていなかった。
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7日目
今日は敦煌から西安まで汽車の旅だった。 -
敦煌駅を午前8時40分に出発、西安駅には翌日の9:27分に到着予定である。24時間の汽車旅だ。
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車窓から見える景色は砂と岩ばかりだった。
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8日目
西安にはほぼ予定通りに到着した。
西安の古称は長安であり、シルクロードの始点の二千数百年の歴史を有する古都であり、秦始皇兵馬俑博物館で有名な都市である。 -
列車を降りてまず陜西歴史博物館にむかった。陝西省歴史博物館には、秦始皇帝陵・唐代の帝王陵にまつわるお墓からの出土品など3700万点以上が展示されている。
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続いて世界遺産にもなっている大雁塔に行った。
大雁塔は、652年に建立された塔で、当初は5層であったが、明の時代に7層に建て替えられたそうだ。各階に経典と仏舎利がおさめられていたが、今では失われて何も残っていなかった。 -
それから秦始皇兵馬俑博物館に向かった。
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「俑」とは副葬品として遺骸とともに埋葬された人形のことを言うそうだ。展示されている戦士や馬車、馬などの俑は1974年に農民によって発見されたということだ。
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墓の発掘された場所だけだが十分に見る価値があった。多くは壊れていたが、考古学者たちは普通の作業時間を使って破片を継ぎ合わせて元の形に復元していっているということだった。そして一つとして同じ顔はないということだった。
9日目
早朝にホテルを出発し、日本に向かった。
Left the hotel early in the morning, and flew to Japan.
中国は、本当に巨大でまだなお開発の余地がある国ということが分かった。
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