2019/09/09 - 2019/09/09
25位(同エリア336件中)
ローマ人さん
9月8日夜半から9月9日の早朝にかけて台風15号が関東地方を襲い、9月9日の午前中はJRを始めほとんどの私鉄が運転見合わせになっていました。
この日、私はどうしても11:00までに「霞が関」まで行かなければならない用事があり、半ば諦めかけていたものの、電車の運行状況を細かくチェックしていたところ、自宅最寄りの小田急線が9:30に運転再開するとのことでしたので、運転再開時間に合わせて「霞が関」に向かうことにしました。
駅では、運転再開を待つ乗客の長蛇の列ができていて、それでも何とか乗車した電車でもみくちゃにされながらも、何とか時間までに「霞が関」に到着できました。
台風15号が通過した後の「霞が関」周辺の風景をご案内します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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東京メトロ千代田線社内の案内表示です。
日比谷線、丸ノ内線は、全線でダイヤが乱れています。 -
千代田線「霞ヶ関駅」から地上に出ると、台風による強風で木の枝や木の葉が道路に散乱していました。
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裁判所入口付近です。
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裁判所の門前には、7月には無くなっていた「批判文」の立て看板(自動車に立てかけられていますが・・・)が、再び出ていました。
執念を感じます。 -
「桜田門」方面です。
左奥の建物が警視庁です。 -
「霞が関」の中央官庁の案内板です。
地図の中央部分が中央官庁街、左下が国会議事堂、左上が皇居、右上が日比谷公園、右下が虎ノ門です。 -
「虎ノ門」方面です。
手前の建物が「財務省」で、奥の高いツインビルが「文部科学省」です。
写真左側に進みます。 -
この建物は「農林水産省」です。
正面入り口は、「桜田通り」沿いの写真右側の先にあります。 -
「農林水産省」に沿って、この道を進んで行くと「日比谷公園」に突き当たります。
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振り返ると「裁判所」の建物の裏側が見えます。
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「農林水産省」と道を挟んだ反対側にある「弁護士会館」です。
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この案内板が在るのは「裁判所」と「弁護士会館」との間(案内図の左側中央の赤く塗られた箇所)です。
道を挟んで反対側は「農林水産省」北別館です。 -
「農林水産省」北別館入口です。
この入口から入ると直ぐに「農林水産省」の食堂があります。
「イワシ鯨ステーキ膳」などの定食やカフェテリア方式で好みの料理を選んで食べることができる「和食・カフェテリア 咲くら」と「そば・うどん日豊庵」の2カ所あります。
職員でなくても外部の方も自由に利用できます。
日本の食糧自給率向上のPRのため、こだわりの国産食材を使って、安くておいしいと評判です。 -
ちょうどお昼の時間ですので、久しぶりにこの食堂で昼食をとることにします。
「和食・カフェテリア 咲くら」は、準備中だったので麺をいただくことにします。
写真は「天ざるそば」600円です。
11:00から11:40までは、サービスで「温泉卵」が付きます。
本格的な天ぷらと茹でたての蕎麦でとても美味しかったです。 -
食事を終えて、「日比谷公園」に行ってみます。
その途中にある「弁護士会館」に立ち寄ってみましょう。
建物正面入口は「祝田通り」に面しています。 -
入口前には「弁護士会」の表示があります。
流石に立派な建物ですね。 -
「弁護士会館」の向かって左側の植え込み部分に説明書きがあります。
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ここには、かつて「大岡裁き」として名高い(テレビでも俳優の加藤剛さんが演じてシリーズで放映されていました)「江戸町奉行 大岡越前守忠相(えちぜんのかみただすけ)」の屋敷があったのだそうです。
「裁判所」と「弁護士会館」がある場所だけに「裁き」繋がりなのかもしれませんね。 -
「霞が関」中央官庁街から「祝田通り」を挟んで向こう側は「日比谷公園」です。
この入口は、「霞門」といいます。 -
「日比谷公園」に向かって右側の風景。
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「祝田通り」を横断する途中に、「虎ノ門ヒルズ」、その奥には「東京タワー」が見えました。
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左側には、手前から「弁護士会館」、「家庭裁判所」、「公正取引委員会」、「検察庁」の建物が順に並んでいます。
道路の奥が皇居「祝田橋」です。 -
「祝田通り」を渡ってから振り返って見る風景。
中央の建物は「弁護士会館」です。
建物の前に立っている2本の木の辺りが、先ほど立ち寄った「大岡越前守忠相」の屋敷跡です。 -
「弁護士会館」と道路を挟んだ反対側にあるのが「環境省」と「厚生労働省」が入った「中央合同庁舎5号館」です。
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それでは「日比谷公園」の中に入ります。
「日比谷公園」は、1903年(明治36年)に開園された、約161,600㎡(東京ドームの約12個分)の広大な面積を持つ公園です。
現在は都立公園となっていて、霞が関、有楽町、内幸町と隣接して銀座にも近い、東京都心部に位置した公園として、四季折々の花と緑で都市生活者や観光客の目を楽しませています。日比谷公園 公園・植物園
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門の正面に「日比谷公園案内図」があります。
園内の主要な施設として、「市政会館」および「日比谷公会堂」、大小の野外音楽堂、「日比谷図書文化館」、「緑と水の市民カレッジ」、貸切結婚式場「フェリーチェガーデン日比谷」、テニスコート、「松本楼」、売店などがあります。 -
「霞門」は、案内図の下部中央右寄りの位置です。
この公園がある場所には、江戸時代には江戸城日比谷御門のすぐ外に位置し、当時の錚々たる大藩の上屋敷が置かれていたのだそうです。 -
門を入って左側の風景。
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門を入って右側の風景。
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向かって右側に進んでみます。
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進行方向右側に見えるのが「緑と水の市民カレッジ」です。
後ろに見える建物は、「中央合同庁舎5号館」です。 -
通路から左に入ったところに「雲形池」があります。
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「雲形池」の中央には、鶴が天を仰いだ形をした「鶴の噴水」があります。
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口からは勢いよく水が噴き出しています。
この噴水は、1905年(明治38年)頃に東京美術学校(現:東京芸大)の津田信夫、岡崎雪声両氏が製作したもので、公園などでの装飾用噴水としては、日本で3番目に古いものだそうです。
「鶴の像」は銅製で、台座は石造だそうです。 -
「雲形池」越しに見る「霞が関」中央官庁街です。
池の水は、あまり綺麗ではありません。 -
正面からみた「鶴の噴水」です。
厳冬期には、水面に薄氷が張り「鶴の像」につららが下がる景色が見られ、「日比谷公園」の冬の風物詩となっているそうです。 -
池のほとりには木製のベンチが据えられていて、憩いの場になっていました。
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日比谷方面の風景。
左が「帝国ホテル」、右が「日比谷U1ビル」です。 -
更に公園の南西部(内幸町方面)に進むと「日比谷公会堂」があります。
1929年(昭和4年)市政会館に併設する公会堂として建てられました。
鉄筋コンクリート造4階建、 定員2,074名ですが、現在は休館中です。
昔の音楽ファンの「殿堂」でした。日比谷公会堂 名所・史跡
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「第二花壇」にある「ソーラー時計」です。
奥には「大噴水」があります。 -
公園の木々の向こうにビル群が見えます。
向かって右が「帝国ホテル」、左の高い建物が「東京ミッドタウン日比谷」です。 -
小さくてきれいな花が咲いていました。
台風の影響がなかったかのようです。 -
園内を巡ります。
途中に「はにわ」がありました。 -
素朴で味わいがあります。
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この「はにわ」は、1956年(昭和40年)に宮崎県の「平和台公園」と姉妹公園となった際の記念に、宮崎県からから贈られたものだそうです。
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「はにわ」の直ぐ奥にある、この建物は「松本楼」です。
日比谷公園の開園時に、当時としては珍しい洋風レストランとして営業を開始した老舗のレストランです。
最初の建物は、1923年(大正12年)の関東大震災で焼失、2代目建物も1971年(昭和46年)沖縄返還協定反対デモが日比谷公園内で激化し(日比谷暴動事件)、その中で中核派の投げた火炎瓶の直撃を受け焼失の憂き目にあっています。この3代目松本楼は、1973年(昭和48年)にオープンし、これを機に「10円カレー」を始めました。
「10円カレー」は、松本楼が火災からの復興支援に感謝の意を示す記念行事として始めたもので、普段は1,000円位するビーフカレーを毎年9月25日に限り、先着1500名に10円で振る舞われていて、毎年この日には大勢の来客があり、度々ニュースでも取り上げられています。
今年も「10円カレーチャリティ」として9月25日(水)に実施される予定で、当日は、「松本楼」の入り口に募金箱が設置され、集まった売上及び寄付金は全額、ユニセフなどを通じて自然災害で被災した子どもたちとその家族への支援活動に寄付されるのだそうです。 -
「松本楼」のテラス席です。
都会にありながら自然を満喫しながら食事ができるので、もう少し気温が下がってくれば最高でしょう。 -
1階は洋食レストラン「グリル&ガーデンテラス」です。
3階はコース料理が主の仏蘭西料理レストラン「ボア・ド・ブローニュ」で、2階と3階は個室・宴会場として営業しているそうです。日比谷松本楼 グルメ・レストラン
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入口脇には、美味しそうな料理のサンプルが飾られていました。
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「松本楼」の傍らに立つ大木「首かけのイチョウ」です。
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1899年(明治32年)頃、日比谷交差点付近にあったこの大イチョウを、道路拡張のために伐採することになったところ、日比谷公園の生みの親の本多静六博士がの進言でこの場所に移植されたのだそうです。
移植不可能とされていたものを、博士が「首をかけてでも移植する」と言って移植したものなのでこの呼び名になったとのことです。 -
そろそろ、入園した「霞門」に戻りましょう。
途中に、趣のある「石橋」が架かっていました。
この「石橋」は、「増上寺」旧霊廟の「旧御成門」前の桜川に架けてあった橋だそうです。 -
更に進むと、「雲形池」の畔に出てきました。
写真には写っていませんが、右側に「東屋」があります。 -
側面から見る「鶴の噴水」です。
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台座の彫刻は、中国四神の内の「青龍」でしょうか。
台座は、製作当初は「鶴の像」と同じく銅製でしたが、太平洋戦争中の「金属供出(戦争に使用する金属が不足したために国策として行った接収)」により失われてしまい、戦後に石造で再製作したのだそうです。 -
石灯籠越しに見る「鶴の噴水」も良いですね。
この池は、太平洋戦争中は埋め立てられて、首都の防空のための高射砲陣地として使われていたそうです。
この池の姿を見るにつけ、戦争なんか絶対にやってはいけないのだと改めて思った次第です。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
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