2019/07/09 - 2019/07/11
68位(同エリア207件中)
junさん
今回、ノモンハンと満州里に行くツアーに参加しましたが、私はこのハイラル(海拉爾)が、メインの目的地でした。
旧満州には、関東軍が14個の国境要塞を設けました。
この海拉爾要塞は、東部国境の東寧要塞とともに、最大の規模でした。
この要塞の守備部隊は、第8国境守備隊といい、多い時は1万名弱の兵員を要していました。
終戦時は、独立混成第80旅団に改組されて、極めて少ない兵力でソ連軍相手に戦いました。
海拉爾要塞は、市内を囲むように五つの丘に、五つの地区陣地を設けています。今回は、最大の第2地区陣地と、第3地区陣地を訪問できました。
さらに、市内の第8国境守備隊(独立混成第80旅団)司令部、海拉爾神社跡、そして破壊された伊敏橋を見ることができました。
表紙写真は、1945年の8/8に日本軍により爆破されたままの伊敏橋越し(左に現在の新しい橋があります)に、東方を眺める日本婦人です。右手に子供、左手にトランクが置かれています。今でも涙を禁じ得ません。
当時は、根こそぎ動員で、現地の日本人男性の多くが徴兵されました。
残った女性と子供達は、ソ連軍の攻撃の中で、日本軍にも見捨てられて、徒歩で東を目指して逃避したと、多くの手記にあります。現在まで残る残留婦人、残留孤児の問題です。
もちろん、被害者は日本人だけでなく、この要塞を作るために、多くの中国人が山東半島などから連れてこられました。そして、第1地区と第2地区陣地の間の沙山という地に、その中国人労工が、苛烈な労働により死亡や病気となった場合の人捨て場(万人坑と言います)がありました。
今回は、その慰霊碑は見つかりませんでしたが、跡地につくられた慰霊施設を見ることができました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
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寝台列車でハイラルに到着した朝の自由時間に、早速市内を周りました。
宿泊の貝爾大酒店から北に、5分ほどのソ連赤軍烈士記念碑です。
中国東北部は、日本から解放したソ連軍に愛着があるようです。 -
ハイラル駅の南側に、第8国境守備隊(独立混成第80旅団)司令部の建物がまだ、ありました。
ホロンバイル市第4人民医院の構内に、病理科の棟として現役利用されています。
ちなみにハイラルは、正式にはホロンバイル市ハイラル区です。
地元の中国人に場所を聞いて行きつきました。
親切に教えてくれて、さらに迷ったら、後から追いかけてきてフォローしてくれました。史跡探訪には、現地の人々の協力がかかせません。 -
市内のエベンキ族博物館、なかなか展示施設が多い施設でした。
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私からガイドさんに強くお願いして、ツアーに追加してもらいました。
今回、最大の収穫でした。
和平公園です。 -
この公園は伊敏橋の左岸にあります。
この日本婦人と子供の像(望郷と言う名前です)を作成したのは誰か?、中国人の友人に聞いて調べても見ましたが、わかりませんでした。
ただ、ハイラル市が公園を整備して、維持してくれているので、感謝です。
ちなみに、爆破された橋は修復できなかったので、そのままで、隣に新しい橋を作ったとのことでした。 -
公園には、2基の高射機関砲がありました。
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ソ連戦車の砲を引っ張るラクダ。
ちょっと意味がわかりません。
公園での滞在時間が短かったので、説明板を確認できませんでした。 -
沙山万人坑のあたりです。
残念ながら、慰霊碑はみつけることはできませんでしたが、大きな慰霊施設がありました。現地日本語ガイドが言うには、慰霊碑は撤去したとのことですが、どうでしょうか?
ちなみに、地元ハイラル市民は、このあたりは怖いので来たがらないとのことです。
タクシーも2回断られて、チップをはずんで3回目にやっと来れました。 -
海拉爾要塞第2地区、現在は、世界反ファシスト戦争ハイラル記念園と言います。
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地上には、ソ連戦車部隊の攻撃が、ジオラマ化して展示されています。
多くの戦車、人形が展示されています。 -
博物館が、地下要塞の上に設置されています。
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忘れるなかれ。1931(満州事変)~1945(ソ連軍による解放)の偽満州国時代。
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後で行く、海拉爾神社と海拉爾忠霊塔の古い写真がありました。
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海拉爾万人坑の労工の白骨です。
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労工の生存者の張さんです。
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海拉爾にも、731部隊の支隊があったようです。
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これには驚きました。日本にも、ないなかなか無い名簿です。
終戦時の蜂起軍により殺された日本人の将校の名簿、28名です。
満州国軍には日本人の将校が参加していました。
日系軍官と言い、上尉(大尉)、少校(少佐)などが、その階級です。
終戦時、満州国軍が、ソ連に寝返る時に、満蒙系将兵が日系将校を殺害したわけです。 -
ノモンハン戦のものです。
ノモンハン博物館が休館中のために、こちらにきているようです。 -
日本軍により爆破された伊敏橋です。
今もそのままで、河岸に「望郷」の日本婦人の銅像があるわけです。 -
海拉爾要塞の地下部分に入ります。
相当深く、夏でも中は、寒いです。
包帯所、医務室です。 -
貯水槽
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兵員室
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右に銃眼があります。
地下に侵入してきた敵を攻撃するものでしょう。 -
五つの要塞陣地が、海拉爾市を囲んでいます。
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第二地区の地下壕の図面です。
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地下壕の主要部分の図面です。
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戦車壕のようです。
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ソ連製の砲が置かれています。
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キャタピラ型のベンチ。
正面の小高い丘が第1地区の要塞陣地です。
その左が、沙山万人坑のあるあたりです。 -
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満州里の帰りに、ハイラルの西山国家森林公園によるというので、どこだろうと思っていたら、なんと海拉爾要塞の第3地区でした。
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緑の標識で、トーチカの説明をしています。
沙松山陣地(第3地区)と言い、1945年にソ連軍、対日宣戦して、この陣地を爆破したとあります。 -
左の樹に弾が当たっています。
1945年にソ連が攻めてきた時のものです。 -
西山森林公園(要塞第3地区)の東の市街の西山広場に、海拉爾神社の手水舎がありました。中国将棋などを地元の人が指していました。
神社本殿や忠霊塔は無いですが、手水舎は使いかってが良いので、残されたのでしょう。
日本時代の駅や役所の建物などは、今も利用されていますが、宗教色の濃い神社は、参拝強制されたこともあり、真っ先に壊されます。 -
文化街小学校です。
旧日本人小学校で、比較的最近まで、校舎は残っていたとのことです。
ハイラルはこれで終わり、満州里へ行きます。
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旅行記グループ 中国東北部(旧満州)ノモンハン
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