2019/07/07 - 2019/07/10
18位(同エリア206件中)
junさん
東のパールハーバー、南のガダルカナル、西のインパールへ、昨年までに行ったので、今回は北のノモンハンを目指しました。
ちょうど、ユーラシア旅行社が、パッケージツアーを企画していました。
私独自で現地チャーターなどを見積もったところ、同社の費用とそれほど変わらないので、同社のツアーを利用することにしました。数年前に、私も大連で、中国空軍に拘束されたことがあるので、安全を考えるとパッケージツアーが安心です。
今回は、以下のコースです。
1.成田から航空機で、ハルピンへ
2.ハルピンから中国新幹線で、チチハルへ
3.チチハルから寝台列車で、大興安嶺山脈を越え、ハイラルへ
4.ハイラルから車で、ノモンハンへ
表紙写真は、ノモンハンのソ連BT7戦車です。
慰霊用の日本酒を持参しました。
そもそも、日本から遠いノモンハン、現在の中国とモンゴル国の国境で、日本軍とソ連軍がなんで戦ったのか?
当時(1939年)、日本は中国東北部に、溥儀を皇帝とする満州国を設立しました。そして満州国の国防を日本の関東軍が請け負いました。
駐留費用は、満州国の負担として、さらに関東軍は満州国の政治にも介入しました。満州国には、満州国軍と言う国軍もありましたが、関東軍の指揮下にありました。
それで、満州国の国境戦争は、日本の関東軍と、モンゴル国を支援するソ連軍が戦ったわけです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 中国南方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
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中国南方航空で、成田空港から出発です。
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ハルピン空港に着きました。
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ハルピン空港です。
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道里菜市場で、地元の野菜、肉などのお店を見学しました。
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ハルピンのシンボル、聖ソフィア大聖堂です。
前回は入場しましたが、今回は修復中で入場できません。 -
ハルピンの宿泊は、金谷大厦ホテルです。
ハービン ジング ホテル ホテル
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ホテルから松花江が見えます。
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ホテルの朝食は美味しいです。
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今回は、ハルピンで時間はありません。
731部隊跡、旧大和ホテル、安重根記念館や、松花江を散策したかったのですが、
ホテル前のこの中央大街を散策する程度でした。 -
早朝にハルピン駅に着きます。
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中国新幹線で、チチハルへ向かいます。
ハルピンの古いホームでは、1909年に、伊藤博文が安重根に殺害されています。 -
チチハル駅に到着です。
左の駅舎は、満鉄時代の1936年に、安田講堂をモデルに建てられました。 -
明月島へ移築された黒竜江省将軍府を見学します。
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午後は、扎龍自然保護区の鶴の餌付けを見学します。
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旧日本軍住居跡が、カフェバーになっています。
元軍医の住居とのこと。
できれば、このバーでゆっくりしたい気持ちです。 -
チチハル22:31発、満州里行きの寝台列車に乗車します。
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当初、軟座寝台(上下2段)の予定でしたが、予約が取れずに硬座寝台(上下3段)に変更になりました。
6人寝台分を買い取り、3人で利用しました。
途中、地元中国人が入ってきましたが、申し訳ないが断りました。 -
カーテンもなく、男性は上半身裸で、女性も普通に寝ていました。
座っていた中国人の少年とスマフォ片手に、しばらく話をしました。
北京から両親と一緒に、ハイラル手前の博克図の祖父母の家に行くとのことでした。
外国人(日本人)に、興味を持っていました。 -
ハイラル駅に到着です。
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ハイラルの宿泊は貝爾(バイル)大酒店です。
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外国人(日本人)は、一人づつ写真を撮られました。
ハルピン、満州里でも撮られなかったので、驚きです。 -
3日目は、ハイラル北部の金帳汗(きぷちゃくはん)蒙古部落へ行きます。
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草原に羊の放牧です。
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4日目にやっとノモンハンに向かいます。
ハイラルからノモンハンまで、草原の中を、途中昼食などを取りながら3時間超走ります。普通に馬(野生ではないです)が、道路を横切ります。 -
途中、遊牧民の民家を訪問しました。
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昼食後に、ノモンハン(看板の簡体字はノモンハンの意味です)に着きました。
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ノモンハン戦役遺跡陳列館の入り口です。
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陳列館は改修中で入れません。
陳列館と右の白い建物の間に、日本軍のトーチカがあります。
トーチカがあるので、どうもこのあたりは、ノモンハンの日本軍第6軍司令部があった将軍廟の近くでは、と推察します。
実際の戦場は、これより大分、西の中国・モンゴル国国境を越えたハルハ河岸です。
日本軍は負けて追い出されたので、戦場はモンゴル国サイドに、ほとんどあるわけです。 -
陳列館の周辺も、草原で、馬が平和に放牧されています。
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私は高校時代からノモンハン戦を調べていて、50年越しの目的地ですが、
訪問地が、戦線後方のこの博物館だけとはちょっと拍子抜けでした。
しかも、閉館中でした。
事件は、1939年のことなので、やむなしです。 -
ノモンハン戦場の北西にある、古く大きなお寺のカンジュル廟です。
日本軍の司令部?(後方補給基地)や、近くに飛行場が設けられました。
僧侶達は追い出されて、日本軍が廟内にトーチカ、弾薬庫を作りました。 -
当時のトーチカを破壊せずに残してくれて、歴史の証拠になっています。
ノモンハン編はこれで終了。ハイラル編に続きます。
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ハービン ジング ホテル
3.22
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旅行記グループ 中国東北部(旧満州)ノモンハン
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