内モンゴル自治区旅行記(ブログ) 一覧に戻る
東のパールハーバー、南のガダルカナル、西のインパールへ、昨年までに行ったので、今回は北のノモンハンを目指しました。<br />ちょうど、ユーラシア旅行社が、パッケージツアーを企画していました。<br />私独自で現地チャーターなどを見積もったところ、同社の費用とそれほど変わらないので、同社のツアーを利用することにしました。数年前に、私も大連で、中国空軍に拘束されたことがあるので、安全を考えるとパッケージツアーが安心です。<br /><br />今回は、以下のコースです。<br />1.成田から航空機で、ハルピンへ<br />2.ハルピンから中国新幹線で、チチハルへ<br />3.チチハルから寝台列車で、大興安嶺山脈を越え、ハイラルへ<br />4.ハイラルから車で、ノモンハンへ<br /><br />表紙写真は、ノモンハンのソ連BT7戦車です。<br />慰霊用の日本酒を持参しました。<br /><br />そもそも、日本から遠いノモンハン、現在の中国とモンゴル国の国境で、日本軍とソ連軍がなんで戦ったのか?<br />当時(1939年)、日本は中国東北部に、溥儀を皇帝とする満州国を設立しました。そして満州国の国防を日本の関東軍が請け負いました。<br />駐留費用は、満州国の負担として、さらに関東軍は満州国の政治にも介入しました。満州国には、満州国軍と言う国軍もありましたが、関東軍の指揮下にありました。<br />それで、満州国の国境戦争は、日本の関東軍と、モンゴル国を支援するソ連軍が戦ったわけです。<br />

ノモンハンへ、寝台列車と車の旅

16いいね!

2019/07/07 - 2019/07/10

18位(同エリア206件中)

jun

junさん

東のパールハーバー、南のガダルカナル、西のインパールへ、昨年までに行ったので、今回は北のノモンハンを目指しました。
ちょうど、ユーラシア旅行社が、パッケージツアーを企画していました。
私独自で現地チャーターなどを見積もったところ、同社の費用とそれほど変わらないので、同社のツアーを利用することにしました。数年前に、私も大連で、中国空軍に拘束されたことがあるので、安全を考えるとパッケージツアーが安心です。

今回は、以下のコースです。
1.成田から航空機で、ハルピンへ
2.ハルピンから中国新幹線で、チチハルへ
3.チチハルから寝台列車で、大興安嶺山脈を越え、ハイラルへ
4.ハイラルから車で、ノモンハンへ

表紙写真は、ノモンハンのソ連BT7戦車です。
慰霊用の日本酒を持参しました。

そもそも、日本から遠いノモンハン、現在の中国とモンゴル国の国境で、日本軍とソ連軍がなんで戦ったのか?
当時(1939年)、日本は中国東北部に、溥儀を皇帝とする満州国を設立しました。そして満州国の国防を日本の関東軍が請け負いました。
駐留費用は、満州国の負担として、さらに関東軍は満州国の政治にも介入しました。満州国には、満州国軍と言う国軍もありましたが、関東軍の指揮下にありました。
それで、満州国の国境戦争は、日本の関東軍と、モンゴル国を支援するソ連軍が戦ったわけです。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
5.0
同行者
その他
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
鉄道 観光バス タクシー 徒歩 飛行機
航空会社
中国南方航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
ユーラシア旅行社

PR

  • 中国南方航空で、成田空港から出発です。

    中国南方航空で、成田空港から出発です。

  • ハルピン空港に着きました。

    ハルピン空港に着きました。

  • ハルピン空港です。

    ハルピン空港です。

  • 道里菜市場で、地元の野菜、肉などのお店を見学しました。

    道里菜市場で、地元の野菜、肉などのお店を見学しました。

  • ハルピンのシンボル、聖ソフィア大聖堂です。<br />前回は入場しましたが、今回は修復中で入場できません。

    ハルピンのシンボル、聖ソフィア大聖堂です。
    前回は入場しましたが、今回は修復中で入場できません。

  • ハルピンの宿泊は、金谷大厦ホテルです。

    ハルピンの宿泊は、金谷大厦ホテルです。

    ハービン ジング ホテル ホテル

    中央大街に面した散策に便利なホテル by junさん
  • ホテルから松花江が見えます。

    ホテルから松花江が見えます。

  • ホテルの朝食は美味しいです。

    ホテルの朝食は美味しいです。

  • 今回は、ハルピンで時間はありません。<br />731部隊跡、旧大和ホテル、安重根記念館や、松花江を散策したかったのですが、<br />ホテル前のこの中央大街を散策する程度でした。

    今回は、ハルピンで時間はありません。
    731部隊跡、旧大和ホテル、安重根記念館や、松花江を散策したかったのですが、
    ホテル前のこの中央大街を散策する程度でした。

  • 早朝にハルピン駅に着きます。

    早朝にハルピン駅に着きます。

  • 中国新幹線で、チチハルへ向かいます。<br />ハルピンの古いホームでは、1909年に、伊藤博文が安重根に殺害されています。

    中国新幹線で、チチハルへ向かいます。
    ハルピンの古いホームでは、1909年に、伊藤博文が安重根に殺害されています。

  • チチハル駅に到着です。<br />左の駅舎は、満鉄時代の1936年に、安田講堂をモデルに建てられました。

    チチハル駅に到着です。
    左の駅舎は、満鉄時代の1936年に、安田講堂をモデルに建てられました。

  • 明月島へ移築された黒竜江省将軍府を見学します。

    明月島へ移築された黒竜江省将軍府を見学します。

  • 午後は、扎龍自然保護区の鶴の餌付けを見学します。

    午後は、扎龍自然保護区の鶴の餌付けを見学します。

  • 旧日本軍住居跡が、カフェバーになっています。<br />元軍医の住居とのこと。<br />できれば、このバーでゆっくりしたい気持ちです。<br />

    旧日本軍住居跡が、カフェバーになっています。
    元軍医の住居とのこと。
    できれば、このバーでゆっくりしたい気持ちです。

  • チチハル22:31発、満州里行きの寝台列車に乗車します。

    チチハル22:31発、満州里行きの寝台列車に乗車します。

  • 当初、軟座寝台(上下2段)の予定でしたが、予約が取れずに硬座寝台(上下3段)に変更になりました。<br />6人寝台分を買い取り、3人で利用しました。<br />途中、地元中国人が入ってきましたが、申し訳ないが断りました。

    当初、軟座寝台(上下2段)の予定でしたが、予約が取れずに硬座寝台(上下3段)に変更になりました。
    6人寝台分を買い取り、3人で利用しました。
    途中、地元中国人が入ってきましたが、申し訳ないが断りました。

  • カーテンもなく、男性は上半身裸で、女性も普通に寝ていました。<br />座っていた中国人の少年とスマフォ片手に、しばらく話をしました。<br />北京から両親と一緒に、ハイラル手前の博克図の祖父母の家に行くとのことでした。<br />外国人(日本人)に、興味を持っていました。

    カーテンもなく、男性は上半身裸で、女性も普通に寝ていました。
    座っていた中国人の少年とスマフォ片手に、しばらく話をしました。
    北京から両親と一緒に、ハイラル手前の博克図の祖父母の家に行くとのことでした。
    外国人(日本人)に、興味を持っていました。

  • ハイラル駅に到着です。

    ハイラル駅に到着です。

  • ハイラルの宿泊は貝爾(バイル)大酒店です。

    ハイラルの宿泊は貝爾(バイル)大酒店です。

  • 外国人(日本人)は、一人づつ写真を撮られました。<br />ハルピン、満州里でも撮られなかったので、驚きです。

    外国人(日本人)は、一人づつ写真を撮られました。
    ハルピン、満州里でも撮られなかったので、驚きです。

  • 3日目は、ハイラル北部の金帳汗(きぷちゃくはん)蒙古部落へ行きます。

    3日目は、ハイラル北部の金帳汗(きぷちゃくはん)蒙古部落へ行きます。

  • 草原に羊の放牧です。

    草原に羊の放牧です。

  • 4日目にやっとノモンハンに向かいます。<br />ハイラルからノモンハンまで、草原の中を、途中昼食などを取りながら3時間超走ります。普通に馬(野生ではないです)が、道路を横切ります。

    4日目にやっとノモンハンに向かいます。
    ハイラルからノモンハンまで、草原の中を、途中昼食などを取りながら3時間超走ります。普通に馬(野生ではないです)が、道路を横切ります。

  • 途中、遊牧民の民家を訪問しました。

    途中、遊牧民の民家を訪問しました。

  • 昼食後に、ノモンハン(看板の簡体字はノモンハンの意味です)に着きました。

    昼食後に、ノモンハン(看板の簡体字はノモンハンの意味です)に着きました。

  • ノモンハン戦役遺跡陳列館の入り口です。<br />

    ノモンハン戦役遺跡陳列館の入り口です。

  • 陳列館は改修中で入れません。<br />陳列館と右の白い建物の間に、日本軍のトーチカがあります。<br />トーチカがあるので、どうもこのあたりは、ノモンハンの日本軍第6軍司令部があった将軍廟の近くでは、と推察します。<br />実際の戦場は、これより大分、西の中国・モンゴル国国境を越えたハルハ河岸です。<br />日本軍は負けて追い出されたので、戦場はモンゴル国サイドに、ほとんどあるわけです。<br />

    陳列館は改修中で入れません。
    陳列館と右の白い建物の間に、日本軍のトーチカがあります。
    トーチカがあるので、どうもこのあたりは、ノモンハンの日本軍第6軍司令部があった将軍廟の近くでは、と推察します。
    実際の戦場は、これより大分、西の中国・モンゴル国国境を越えたハルハ河岸です。
    日本軍は負けて追い出されたので、戦場はモンゴル国サイドに、ほとんどあるわけです。

  • 陳列館の周辺も、草原で、馬が平和に放牧されています。

    陳列館の周辺も、草原で、馬が平和に放牧されています。

  • 私は高校時代からノモンハン戦を調べていて、50年越しの目的地ですが、<br />訪問地が、戦線後方のこの博物館だけとはちょっと拍子抜けでした。<br />しかも、閉館中でした。<br />事件は、1939年のことなので、やむなしです。<br />

    私は高校時代からノモンハン戦を調べていて、50年越しの目的地ですが、
    訪問地が、戦線後方のこの博物館だけとはちょっと拍子抜けでした。
    しかも、閉館中でした。
    事件は、1939年のことなので、やむなしです。

  • ノモンハン戦場の北西にある、古く大きなお寺のカンジュル廟です。<br />日本軍の司令部?(後方補給基地)や、近くに飛行場が設けられました。<br />僧侶達は追い出されて、日本軍が廟内にトーチカ、弾薬庫を作りました。

    ノモンハン戦場の北西にある、古く大きなお寺のカンジュル廟です。
    日本軍の司令部?(後方補給基地)や、近くに飛行場が設けられました。
    僧侶達は追い出されて、日本軍が廟内にトーチカ、弾薬庫を作りました。

  • 当時のトーチカを破壊せずに残してくれて、歴史の証拠になっています。<br />ノモンハン編はこれで終了。ハイラル編に続きます。

    当時のトーチカを破壊せずに残してくれて、歴史の証拠になっています。
    ノモンハン編はこれで終了。ハイラル編に続きます。

16いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったホテル

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

中国で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
中国最安 283円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

中国の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP