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北海岸グレートハウスツアーの続き。1時頃、オーチョリオス・ジャークセンター(Ocho Rios Jerk Center)(下の写真1)に到着。ここで昼食を取ったあとは、北沿岸ハイウェイ(Northern Coastal Highway)を東に向かう。T3高速を出てからここまではずっと山道だったが、ここから先は快適な道となる。セントアンからトレローニー(Trelawny)パリッシュ(Parish)を抜け、非常事態宣言中のセントジェームス(St.James)パリッシュに検問を抜けて入り、3時半前、85㎞ほど走って目的地に到着。ツアーワゴンと云うことで、特に検問で止められることもなかった。<br /><br />ローズホールグレートハウス(Rose Hall Great House)は白い魔女伝説のあるグレートハウスで、ジャマイカのグレートハウスの中で一番有名かも知れない。諸説あるが、一番詳しいものでは1746年頃にジョージ・アッシュ(George Ash)が彼の妻ローザ・ケリー(Rosa Kelly)のために建てたもので、それ故にローズホールと名付けられたと云う。1655年のイングランドのジャマイカ侵攻以降、最初にこの土地を所有したのはリチャード・ローレンス(Richard Lawrence)でこの土地はTrue Friendship(真の友情)と名付けられていた。1742年にヘンリー・ファニング(Henry Fanning)が購入し、彼が1746年に結婚したのがローザ・ケリーだった。しかし、彼は結婚後すぐに亡くなり、この土地を引き継いだローザと再婚したのがジョージ・アッシュで、当時のお金で3万ポンド掛けてこの邸宅を建てた。<br /><br />しかし、アッシュも1752年に亡くなり、53年にローザはノーウッド・ウィター(Norwood Witter)と結婚、さらにさらに67年にはジョン・パーマー(John Palmer)と4度目の結婚をしている。その後90年にローザが、夫のジョンが97年に亡くなり、パーマーの息子を経て、1820年には甥の息子のジョン・ローズ・パーマー(John Rose Palmer)に引き継がれ、彼はアン・マリー・パターソン(Anne Mary Patterson)と結婚したが27年に亡くなった。邸宅は1831年にこの辺りで起こったジャマイカ最大の奴隷たちの反乱、クリスマスの反乱(Christmas Uprising)で破壊され、それから1世紀以上廃墟となっていたが、1966年になってアメリカ人の実業家のジョン・ローリンズ(John Rollins)がこの土地を手に入れ、邸宅は私費で復元され、公開されるようになった。ゴルフコース2つも整備され、結婚式場としても使われている。<br /><br />で、この邸宅には伝説がある。1820年にこの島にやって来た白い魔女(White Witch)ことアニー・パーマー(Annie Palmer)の恐怖の物語。なんと彼女はこの邸宅で夫3人と多くの奴隷を殺し、最後は自分も殺されたと。アニーはイングランド人の母とアイルランド人の父を持つハイチ生まれのイギリス人。両親が黄熱病で亡くなったあと、彼女は乳母の養子となりブードゥー教(Voodoo)と黒魔術を教えられたと云う。<br /><br />結婚相手を探してジャマイカに来た18歳のアニーは、このプランテーションの荘園主であったジョン・パーマー(John Palmer)と結婚した。しかし、3年後に夫を毒殺、2人目の夫は結婚1年後に刺殺、そして3人目はわずか半年後に絞殺したと云う。その間、遺体を捨てに行かせた奴隷を口封じのために他の奴隷に命じて殺させたり、愛人にした白人系奴隷を殺したりと好き放題。最後はタコー(Takoo)と云う奴隷が遺体放棄などに使っていた秘密の通路を通って侵入し、殺されたと云う話。<br /><br />1973年にアメリカのカントリー歌手として有名なジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)が「アニー・パーマーのバラード(The Ballad of Annee Palmer)」と云う曲を出している。彼は、近くのシナモンヒルグレートハウス(Cinnamon Hill Great House)のオーナーだった。ただし、07年に調査が行われ、作り話であると結論付けられた。1929年に刊行されたジャマイカ人のジャーナリストであり作家のH・.G・デ・リッサー(Herbert G. de Lisser)の「ローズホールの白魔女(The White Witch of Rosehall)」と云う本のタイトルを元に、4人の夫を持ったローザ・ケリーと組み合わせて作り上げられたらしい。ローザさんの名誉のために付け加えるが、彼女は信じられないくらい高潔な女性だったとのこと。決して夫を殺してはいない。<br /><br />しかし、完全にこの伝説に乗った今のオーナーは、この伝説に基づいてガイドツアーを行っており、この部屋が第1の現場、ここが第2の、という感じだった。また、心霊写真や幽霊の目撃談も多くあり、それを狙った夜のツアーも行われている。商魂逞しいですな。<br /><br />建物はカリブ海を見下ろす丘の中腹に建っている切り石(Cut Stone)と漆喰で造られたジャマイカジョージア様式(Jamaican Georgian style)の邸宅。まずは海側の切り石で造られた左右対称の大階段を上がる。後ろにはカリブ海が煌めいている。建物の内部はマホガニーの床に、シルクの壁紙が復元され、ヨーロッパアンティック調のシャンデリアや家具で満たされている。<br /><br />最初に海側から入る部屋は舞踏室(Ball Room)。かつてはここで優雅な舞踏会などが開かれたのだろう。右手には書斎(Library)。ここで商談が行われたとのこと。反対側は食堂(Dining Room)。舞踏室の内側は玄関ホールで上に上がる階段もある。そう、玄関は海側ではなく、山側だったとのこと。ここには修復前の建物の写真が飾られている。海側からの写真だが、よくここまで直したものだ。また、玄関ホールに架けられている家族の肖像画の女性の視線は、人の動きに連れて視線が動くと云うだまし絵。キングストン(Kingston)のデボンハウス(Devon Hause)にもあったな。階段の奥は家族だけの朝食などに使った簡易ダイニング。また、階段の下のドアはかつては海岸まで続いていた通路に繋がっていたとのこと。その通路を通って、タコーがやって来たと。<br /><br />2階に上がると、内庭を見下ろす広いホールの周りに6部屋。内庭の左右にはかつてはウイングが延びており、女中などの奴隷の部屋などがあったそうだ。6部屋のうち5部屋にベッドが置かれており、それぞれの部屋が最初の夫、2番目の夫、3番目の夫、そして本人の殺人現場と云う。あ、1部屋だけ現場になってない。もう一つは裁縫室で、ここに掛けられている鏡はオリジナルのものだとか。ただ、全てが作り話の上に乗ってるので、どこまで本当やら分からないけどね。<br /><br />下の階に降り、玄関から外に出ると、内庭から地下へ入れる。かつては奴隷の処罰部屋や閉じ込める独房だったとのこと。かなり酷い扱いだったようだ。地下の海側は、かつては繋がってなくて、貯蔵庫だったそうだが、今はちょっとしゃれたイギリス風パブに。最後は陽光煌めく表に出て、建物の左手に進み、アニーの墓。4方向を十字架で封じたのの1ヶ所の十字架が消えてしまい、そこから彼女の霊が抜け出しているそうだ。いやまあ、作り話にどこまでも忠実。なお、夜のツアーはもっとおどろおどろしくて、演劇的で刺激が強いそうだ。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2981921925211145&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br /><br />続く。

セントジェームス ローズホールグレートハウス(Rose Hall Great House, St.James, Jamaica)

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2019/06/29 - 2019/06/29

52位(同エリア63件中)

ちふゆ

ちふゆさん

北海岸グレートハウスツアーの続き。1時頃、オーチョリオス・ジャークセンター(Ocho Rios Jerk Center)(下の写真1)に到着。ここで昼食を取ったあとは、北沿岸ハイウェイ(Northern Coastal Highway)を東に向かう。T3高速を出てからここまではずっと山道だったが、ここから先は快適な道となる。セントアンからトレローニー(Trelawny)パリッシュ(Parish)を抜け、非常事態宣言中のセントジェームス(St.James)パリッシュに検問を抜けて入り、3時半前、85㎞ほど走って目的地に到着。ツアーワゴンと云うことで、特に検問で止められることもなかった。

ローズホールグレートハウス(Rose Hall Great House)は白い魔女伝説のあるグレートハウスで、ジャマイカのグレートハウスの中で一番有名かも知れない。諸説あるが、一番詳しいものでは1746年頃にジョージ・アッシュ(George Ash)が彼の妻ローザ・ケリー(Rosa Kelly)のために建てたもので、それ故にローズホールと名付けられたと云う。1655年のイングランドのジャマイカ侵攻以降、最初にこの土地を所有したのはリチャード・ローレンス(Richard Lawrence)でこの土地はTrue Friendship(真の友情)と名付けられていた。1742年にヘンリー・ファニング(Henry Fanning)が購入し、彼が1746年に結婚したのがローザ・ケリーだった。しかし、彼は結婚後すぐに亡くなり、この土地を引き継いだローザと再婚したのがジョージ・アッシュで、当時のお金で3万ポンド掛けてこの邸宅を建てた。

しかし、アッシュも1752年に亡くなり、53年にローザはノーウッド・ウィター(Norwood Witter)と結婚、さらにさらに67年にはジョン・パーマー(John Palmer)と4度目の結婚をしている。その後90年にローザが、夫のジョンが97年に亡くなり、パーマーの息子を経て、1820年には甥の息子のジョン・ローズ・パーマー(John Rose Palmer)に引き継がれ、彼はアン・マリー・パターソン(Anne Mary Patterson)と結婚したが27年に亡くなった。邸宅は1831年にこの辺りで起こったジャマイカ最大の奴隷たちの反乱、クリスマスの反乱(Christmas Uprising)で破壊され、それから1世紀以上廃墟となっていたが、1966年になってアメリカ人の実業家のジョン・ローリンズ(John Rollins)がこの土地を手に入れ、邸宅は私費で復元され、公開されるようになった。ゴルフコース2つも整備され、結婚式場としても使われている。

で、この邸宅には伝説がある。1820年にこの島にやって来た白い魔女(White Witch)ことアニー・パーマー(Annie Palmer)の恐怖の物語。なんと彼女はこの邸宅で夫3人と多くの奴隷を殺し、最後は自分も殺されたと。アニーはイングランド人の母とアイルランド人の父を持つハイチ生まれのイギリス人。両親が黄熱病で亡くなったあと、彼女は乳母の養子となりブードゥー教(Voodoo)と黒魔術を教えられたと云う。

結婚相手を探してジャマイカに来た18歳のアニーは、このプランテーションの荘園主であったジョン・パーマー(John Palmer)と結婚した。しかし、3年後に夫を毒殺、2人目の夫は結婚1年後に刺殺、そして3人目はわずか半年後に絞殺したと云う。その間、遺体を捨てに行かせた奴隷を口封じのために他の奴隷に命じて殺させたり、愛人にした白人系奴隷を殺したりと好き放題。最後はタコー(Takoo)と云う奴隷が遺体放棄などに使っていた秘密の通路を通って侵入し、殺されたと云う話。

1973年にアメリカのカントリー歌手として有名なジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)が「アニー・パーマーのバラード(The Ballad of Annee Palmer)」と云う曲を出している。彼は、近くのシナモンヒルグレートハウス(Cinnamon Hill Great House)のオーナーだった。ただし、07年に調査が行われ、作り話であると結論付けられた。1929年に刊行されたジャマイカ人のジャーナリストであり作家のH・.G・デ・リッサー(Herbert G. de Lisser)の「ローズホールの白魔女(The White Witch of Rosehall)」と云う本のタイトルを元に、4人の夫を持ったローザ・ケリーと組み合わせて作り上げられたらしい。ローザさんの名誉のために付け加えるが、彼女は信じられないくらい高潔な女性だったとのこと。決して夫を殺してはいない。

しかし、完全にこの伝説に乗った今のオーナーは、この伝説に基づいてガイドツアーを行っており、この部屋が第1の現場、ここが第2の、という感じだった。また、心霊写真や幽霊の目撃談も多くあり、それを狙った夜のツアーも行われている。商魂逞しいですな。

建物はカリブ海を見下ろす丘の中腹に建っている切り石(Cut Stone)と漆喰で造られたジャマイカジョージア様式(Jamaican Georgian style)の邸宅。まずは海側の切り石で造られた左右対称の大階段を上がる。後ろにはカリブ海が煌めいている。建物の内部はマホガニーの床に、シルクの壁紙が復元され、ヨーロッパアンティック調のシャンデリアや家具で満たされている。

最初に海側から入る部屋は舞踏室(Ball Room)。かつてはここで優雅な舞踏会などが開かれたのだろう。右手には書斎(Library)。ここで商談が行われたとのこと。反対側は食堂(Dining Room)。舞踏室の内側は玄関ホールで上に上がる階段もある。そう、玄関は海側ではなく、山側だったとのこと。ここには修復前の建物の写真が飾られている。海側からの写真だが、よくここまで直したものだ。また、玄関ホールに架けられている家族の肖像画の女性の視線は、人の動きに連れて視線が動くと云うだまし絵。キングストン(Kingston)のデボンハウス(Devon Hause)にもあったな。階段の奥は家族だけの朝食などに使った簡易ダイニング。また、階段の下のドアはかつては海岸まで続いていた通路に繋がっていたとのこと。その通路を通って、タコーがやって来たと。

2階に上がると、内庭を見下ろす広いホールの周りに6部屋。内庭の左右にはかつてはウイングが延びており、女中などの奴隷の部屋などがあったそうだ。6部屋のうち5部屋にベッドが置かれており、それぞれの部屋が最初の夫、2番目の夫、3番目の夫、そして本人の殺人現場と云う。あ、1部屋だけ現場になってない。もう一つは裁縫室で、ここに掛けられている鏡はオリジナルのものだとか。ただ、全てが作り話の上に乗ってるので、どこまで本当やら分からないけどね。

下の階に降り、玄関から外に出ると、内庭から地下へ入れる。かつては奴隷の処罰部屋や閉じ込める独房だったとのこと。かなり酷い扱いだったようだ。地下の海側は、かつては繋がってなくて、貯蔵庫だったそうだが、今はちょっとしゃれたイギリス風パブに。最後は陽光煌めく表に出て、建物の左手に進み、アニーの墓。4方向を十字架で封じたのの1ヶ所の十字架が消えてしまい、そこから彼女の霊が抜け出しているそうだ。いやまあ、作り話にどこまでも忠実。なお、夜のツアーはもっとおどろおどろしくて、演劇的で刺激が強いそうだ。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2981921925211145&type=1&l=8a89379cb0


続く。

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