2019/06/09 - 2019/06/09
22位(同エリア142件中)
Donkyさん
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マスコットキャラクター「くまモン」と「水の都・火の国」熊本の美味を求めて 旅の記録五日目のその1です。
五日目最終日 まずは水前寺公園に行きます。
水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)は熊本県熊本市中央区にある大名庭園です。豊富な阿蘇伏流水が湧出して作った池を中心にした桃山式回遊庭園で、築山や浮石、芝生、松などの植木で東海道五十三次の景勝を模したといわれています。面積は約7万3000平方メートルです。
熊本藩細川氏の初代藩主・細川忠利が1636年(寛永13年)頃から築いた「水前寺御茶屋」が始まりで、細川綱利のときに泉水・築山などが作られ、現在見るような形となりました。陶淵明の詩「帰去来辞」の一節「園日渉以成趣」からとって「成趣園」と名付けられました。通称が水前寺公園です。1776年(安永5年)には東側に馬場が設けられました。
ついで古今伝授の間(こきんでんじゅのま)エリア内の茶店でお抹茶とお菓子を頂きました。大正元年(1912年)に京都から移築された古今伝授の間は、慶長5年(1600年)細川藤孝公(ほそかわふじたかこう)別名幽斎(ゆうさい)が智仁親王(としひとしんのう)に古今和歌集の奥義を伝授された建物といわれています。ここってすごく風情があるんですよ。
ランチタイムは肥後よかモン市場内「牛深丸」でいただきました。牛深で獲れた魚介を、その日のうちに仕入れ、その日のうちに寿司にするため、最高鮮度で、美味しくいただけることはもちろん、そんなこだわりの牛深直送の鮮魚で握るお寿司をリーゾナブルな価格(昼:2,000円前後)で提供されています。
そのあとで熊本城へ あとは小泉八雲旧居などを訪ねました。
注)「水前寺成趣園」および「古今伝授の間」に関してはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋引用したものです。また夏目漱石に関しては熊本文学散歩公式サイトより、「牛深丸」に関しては「牛深丸」公式サイトから抜粋引用しています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「ホテル日航熊本」朝食
フレッシュな野菜を山盛り、阿蘇牛乳の美味しさに感激! -
「ホテル日航熊本」朝食
豊かな熊本の食文化をどうぞ♪ 食材のひとつひとつが滋味に溢れてつくづく実感します。 -
市電で市内散歩開始
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水前寺公園は市のメインストリートである県道沿いにあり、市電の水前寺公園停留場、JRでは水前寺駅が最寄り。
最盛期には年間約180万人もの観光客が訪れていたものの、近年は減少を続け40万人弱になっているのだとか。 -
70メートル先が水前寺公園 通りの中央にくまモンプレートでお出迎え
水前寺公園入口まで連なるお店 -
水前寺公園入り口前のお店
水前寺はいきなりぜんざい? ( ゚д゚)ウム -
水前寺公園入り口前あたりのお店
ここでは「はやし」のいきなり団子? -
水前寺公園入り口前に いきなり LAOX( ゚д゚)ウム?
今時だし門前にあってもちっとも可笑しくないのかも・・・。
ちょっとユニークな門前ストリートが続きます。 -
正門脇に漱石の句碑 ”湧(わく)くからに流るるからに春の水”
熊本を「森の都」と初めて呼んだのは夏目漱石です。明治29年(1896)4月、彼が29歳のとき、四国の松山中学校から第五高等学校(現熊本大学)に赴任しました。上熊本駅(左写真は駅前にある夏目漱石の銅像、当時は池田駅)に降り立ち、京町台地から眺めた熊本の町並みの第一印象が「森の都」だったとのことです。 -
漱石はその後4年3ヶ月にわたって熊本に住みます。その間に、結婚し、長女筆子が生まれています。この間に6回も転居、旧居も6ヶ所あります。第3の旧居「大江の家」は水前寺公園に移築保存。第5番目の内坪井の家は、現在では漱石記念館となっています。
(出典:熊本文学散歩) -
国指定名称及び史跡 水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)
1929年(昭和4年)12月17日に「水前寺成趣園」として、国の名勝および国の史跡に指定されました。熊本県熊本市中央区にある大名庭園です。 -
出水神社神苑水前寺成趣園パンフ
写真上の方に富士を模した土盛りが撮られています。
(写真は「出水神社神苑水前寺成趣園」パンフレットをスキャンしたものです) -
面積は約7万3000平方メートルです。
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豊富な阿蘇伏流水が湧出して作った池を中心にした桃山式回遊庭園で、
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築山や浮石、芝生、松などの植木で東海道五十三次の景勝を模したといわれています。
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水前寺成趣園といえば なぜか池の鯉
池の鯉を見るといつも水前寺清子を必ず思い出すのは私だけ? -
ともあれ立派で広い庭園です。
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東海道五十三次を模したといわれる庭園には、湖に見立てた池が配され、ゆるやかな起伏の築山とともに、庭園美を楽しめます。
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園内には 水の都らしく 「神水 長寿の水」
阿蘇火山系硬水です。 -
宗不旱 歌碑 「ふるさとに なお身を寄する 家ありて 春辺を居れば 鶯の鳴く」宗不旱(そう ふかん、1884年 - 1942年)は、万葉調の歌をよみ、漂泊の歌人と称された。上通町に父嘉次郎の長男として生まれ、熊本県鹿本郡来民町(現山鹿市鹿本町来民)の祖父嘉七の家で育つ。本名は耕一、のち耕一郎と称した。不旱は号。朝鮮半島に渡り、中国、台湾などを10年以上にわたって放浪。放浪中は中国の詩書を学びつつ硯作りの技術を身につけた。1923年(大正12年)に帰国、硯工として生計を立てながら作歌、評論活動を続ける。(出典:ウィキペディア(Wikipedia))
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園の北側には細川家の歴代がまつられる出水神社(いずみじんじゃ)もあります。
まずは出水神社があって、その神苑が成趣園です。
幡の左にある松の木は 昭和天皇御手付きの松です。 -
出水神社
1878年(明治11年)に肥後細川家の歴代藩主を祀る出水神社が園内に創建され、庭園は出水神社の社地として払い下げられました。 -
出水神社にて
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東海道五十三次を模したといわれる庭園には、湖に見立てた池が配され、写真中央奥にゆるやかな起伏の築山 こんもりと「富士」を見立て。
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近世細川家の祖で忠利の祖父・細川藤孝(幽斎)銅像
肥後細川家(豊前小倉藩、肥後熊本藩主家)は細川藤孝(近世細川氏初代、丹後宮津城主)が初代となります。細川元首相は肥後細川家18代目で細川藤孝はその先祖にあたります。細川氏(ほそかわし)は、本姓は源氏、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた武家で清和源氏の名門足利氏の支流です。名字は鎌倉時代に三河国額田郡細川郷(現在の愛知県岡崎市細川町周辺)に土着したことに由来するそうです。
南北朝時代に足利尊氏に従って発展し、嫡流は室町幕府の管領家に列する有力守護大名となりました。江戸時代には、その傍流から肥後熊本藩54万石の藩主家細川藤孝を出しました。 -
1776年(安永5年)には東側に馬場が設けられました。
流鏑馬の馬場についての記述。 -
ここが流鏑馬の馬場です。
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稲荷神社
こちらは京都伏見神社の分霊で肥後細川家8代目当主(細川重賢)により奉斎されました。五穀豊穣、家内安全、交通安全などの守護神です。
いっぽう熊本城稲荷神社は、1588年(天正16年)、加藤清正公が肥後の国主として入国するにあたり勧請した神社です。 -
こちらが熊本城稲荷神社と加藤神社案内。
1588年(天正16年)、稲荷神社は加藤清正公が肥後の国主として入国するにあたり勧請した神社です。清正公は、神使である2匹の狐(霊狐)を連れてきて、居城となる熊本城に守り神として奉りました。この2匹の狐を従えるのが、当神社のご祭神、生活守護神の白髭大明神です。
(写真は熊本城周遊バスしろめぐりんをスキャンしたものです) -
肥後六花 肥後六花(ひごろっか)は、肥後椿(ひごつばき)、肥後芍薬(ひごしゃくやく)、肥後花菖蒲(ひごはなしょうぶ)、肥後朝顔(ひごあさがお)、肥後菊(ひごぎく)、肥後山茶花(ひごさざんか)の6種の花の総称。
江戸時代から明治時代にかけて熊本藩士とその後裔によって育成されてきたものだが、肥後六花という名称自体は古くからあったものではなく、昭和30年代から40年代にかけて自然発生的に生まれ定着したものとみられる。肥後六花の共通の特徴としては、花芯(雄蕊)が見事なこと、花形が一重一文字咲きであること、花色の純粋なことの三点がある。 -
寛永9年(1632年)、肥後細川初代藩主・細川忠利公(ほそかわただとしこう)が御茶屋を置いたところで、その後、三代目藩主網利公(つなとしこう)のときに庭園が完成し、中国・東晋時代の詩人陶淵明(とうえんめい)の詩「帰去来の辞(ききょらいのじ)」に因み、成趣園と名づけられました。
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京都の銀閣寺でも庭園に 似たような砂盛の三角錐を見かけました。
あちらは「向月台」と称される砂盛でしたが銀閣寺の三角錐は先が尖っていない形でしたね。 -
石庭 解説
でもここではユニークみたいで 細川流盆石について詳しく説明。 -
細川流盆石の石庭
奥の石は 実際には手前より小さく遠近感を増すために配置されています。 -
能楽殿 今もなお現役のまま保存されています。
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能楽殿について解説
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能楽殿芝生席の隅にも漱石の句碑 ”鼓うつや 能楽堂の 秋の水”
2017年の暮れ、熊本地震で倒壊した出水神社の鳥居の石を利用して三つの句碑が建てられました。・成趣園正門の脇にあったのが”湧くからに流るるからに春の水”
出水神社手水舎の脇にあるのは”しめ縄や春の水湧く水前寺” -
花菖蒲やあやめの季節でもあって
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園内に鄙びた売店があって
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鄙びた売店ではこんな名物ものが販売されていて・・・。
この看板ってすごーくノスタルジックな感じ -
園内の鄙びた売店にて 初夏の味 これも地元の名産品
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有名な古今伝授の間 発見
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「古今伝授の間」紹介
(写真は「古今伝授の間」案内パンフ(香梅発行)をスキャンしたものです。 -
前述の案内パンフ(香梅発行)
出水神社 能楽殿 長寿の水など主だった名跡を紹介
(写真は「古今伝授の間」案内パンフ(香梅発行)をスキャンしたものです。 -
古今伝授の間は熊本県重要文化財
なおここは「香梅」が管理委託を任されていてお茶やお菓子を出してくれます。
**お菓子の「香梅」は、伝統製法と阿蘇の伏流水で美しい風味の銘菓や和菓子・洋菓子を熊本市内で販売している有名な菓子店です。 -
古今伝授の間(こきんでんじゅのま)でお茶することに
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高田焼
高田焼(こうだやき)は熊本県八代市で焼かれる陶器で、八代焼(やつしろやき)ともいう。焼き物には珍しい象嵌を施すところが特徴。
展示されていた商品価格 抹茶椀 12960円 珈琲椀 19440円 -
古今伝授の間外観と 上品な茶店
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古今伝授の間(こきんでんじゅのま)茶店で お抹茶と手作りの生菓子
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古今伝授の間(こきんでんじゅのま)由来書
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大正元年(1912年)に京都から移築された古今伝授の間(こきんでんじゅのま)は、当初八条宮の本邸にあったが長岡天満宮に移され、桂宮家から1871年(明治4年)に細川家に贈られ、解体し保管されていたものを、1912年(大正元年)、酔月亭の跡地に移築したものです。
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慶長5年(1600年)細川藤孝公(ほそかわふじたかこう)別名幽斎(ゆうさい)が智仁親王(としひとしんのう)に古今和歌集の奥義を伝授された建物といわれています。
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明治天皇 行幸記念碑
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帰路 再び入口左にお土産屋さん・茶店「みはらし」
今回は通過しましたが、水前寺公園は1周ぐるりと回って入口に戻ってくるようになっているので、戻ってきた時にお茶すると丁度良いのかも・・。 -
市電で西区春日にある 肥後よかモン市場へ移動
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熊本県熊本市西区春日3丁目15-30肥後よかモン市場内「牛深丸」
牛深で獲れた魚介を、その日のうちに仕入れ、その日のうちにお寿司にしています。 -
「牛深丸」でのランチ
最高鮮度で、美味しくお召し上がりいただけることはもちろん、そんなこだわりの牛深直送の鮮魚で握るお寿司をリーゾナブルな価格昼:2,000円前後で提供されています。 安心価格で職人が握る、天草・牛深の恵みを心ゆくまで楽しめます。(牛深丸公式HP) -
「牛深丸」でのランチ
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次は熊本城周遊バス「しろめぐりん」どこから乗っても150円で桜の馬場 城彩苑へ向かいます。
このバスは改修中の熊本城を一周できます。(一日券 ¥500)
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