2018/04/08 - 2018/04/08
3282位(同エリア4166件中)
三峯霧美さん
南千住の素盞雄神社から始まった御朱印巡りの後半は、鶯谷からめぐりんバスでワープして隅田川沿いを下流に向かって進みます。
最後は三社様、ランチタイムを移動時間にあてたので、なんとか予定通り進みました。
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入谷鬼子母神から言問通りを鶯谷駅方面に歩いて路地に入ります。
山手線から見えるホテル街に潜入です。 -
居酒屋とホテルが並ぶその先に 元三島神社が見えてきました。
もう、何度も電車から神社の屋根は眺めていますが、お参りするのは初めてです。
先にお参りした下谷の三島神社の神主さんが「本家」に当たるとおっしゃっていました。 -
12:34 元三島神社
河野家の三島神社が浅草小揚町に移転し、根岸の氏子さんが本社三島神社から分霊を勧請し、熊野神社に合祀したそうです。
元の社地に近いので「元三島」となりました。元三島神社 寺・神社・教会
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社地が狭いので、二階建て、神社の拝殿、幣殿、本殿は石段を上がった2階部分。
だから電車に乗っていて、屋根が見えてるんですね。 -
祭神 大山祇命
立派な神明造、お参りしていると駅のホームのアナウンスが聞こえてきます。
神社周辺は雑然とした雰囲気ですが、鳥居を一歩くぐると別世界の清々しさです。
ここからは言問通りを根岸まで戻って、そこから「めぐりんバス」に乗ってワープします。 -
御朱印を頂きました。
下谷七福神の寿老神の御朱印も頂きました。
お節句ごとに限定御朱印があり、墨書きしていただけるので、行列があるらしいですよ・・・並ぶのは苦手だなぁ。
お昼ご飯はお店に入る時間が無いので、コンビニでおにぎりとサンドイッチを買って、めぐりんバスが空いていたので、失礼して車中でひっそり食べました。 -
13:16 玉姫稲荷神社
根岸から清川一丁目までワープして、ワンブロック歩くと鳥居があります。
ここは本当に懐かしい、25年くらい前に友人に連れられて靴まつりに来たことがあって、白いサンダルを買いました。玉姫稲荷神社 寺・神社・教会
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祭神 宇迦之御魂命
社伝によれば創建は760年、京都伏見稲荷大社を勧請したそうです。
1333年、新田義貞が戦勝を祈願し、弘法大師直筆の稲荷大神の像を瑠璃の玉塔に奉納したことが社号の由来だそうです。 -
あしたのジョーのパネルがありました。
漫画の中の丹下ジムが泪橋の近くにあったという設定なのでふるさとなんだそうですよ。
今は川が暗渠になっているので、泪橋は交差点とバス停の名前に残るだけ。 -
新吉原の大火、関東大震災、空襲で焼失再建を繰り返し、現在の社殿は1952年に再建されたもの。
お参りの後に、社務所で御朱印をお願いしたら、拝殿の中のとても綺麗な弁財天像を見せていただきました。
なんでも、太田市から来たとおっしゃる。 -
口入稲荷神社 新吉原にあった口入宿の稲荷社で江戸時代に遷座したそうです。
口入屋は職業斡旋所みたいなもんですね。
最後に口入屋の話を聞いたのは昭和で、代々木のどっかの公園で日雇労働者を集めて工事現場に送り込んでた人達をそう言いました。もちろん、稼ぎは口入屋がピンハネするわけです。 -
口入人形も奉納されていました。今は縁結びの祈願をするんだそう。
東京で見るとは思いませんでした、京都の荒木神社で祈願してきたものかもしれませんね。なんと今は食器メーカーの「たち吉」が作成しているそうです。
「入口」じゃなくて「口入」右側から読みます。
これ夫婦と伴の三体一組で、神社で祈願してもらって家に持ち帰ります。
願い事が叶ったら、置いたままでも、神社に返してもいいんです。 -
頂いた御朱印。武蔵豊島郡山谷鎮座 口入稲荷神社の印も押されています。
ここから北を通る明治通りを東に歩き白鬚橋方面に向かいます。
しかし、明治通り、人が歩いてないよー! -
白鬚橋の手前を川沿いに少し歩くと石浜神社が見えてきます。
公園を過ぎると参道です。
隅田川沿いなので、空が広い!
ここには石浜城があったと伝わります。あまり資料が無いので詳しいことは分からないそうですが、室町時代に武蔵千葉氏が拠点としたそうで、豊臣の小田原征伐で没落し廃城になったそうです。 -
13:41 石浜神社
創建は724年 聖武天皇の勅願により鎮座。
源頼朝の奥州征伐に際し社殿の寄進があるなど、中世は大社として発展し、江戸時代は江戸名所図会に描かれています。石浜神社 寺・神社・教会
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祭神 天照大御神 豊受大御神
拝殿は1988年の造営 白鬚西地区の再開発と護岸工事で少しだけ社地を移転しました。
ここは隅田川が湾曲し真崎という地名でした。
西に富士山、北に筑波山が見える景勝地で、浮世絵にも描かれ、桜の名所だったそうです。 -
拝殿に並んで境内社があります。
右側から 真先稲荷神社 宝徳大黒天 寿老神 妙義八幡神社 北野神社 江戸神社
はす向かいに鎮座していた真崎稲荷神社は、関東大震災後の都市計画で、石浜神社内に遷座しました。 -
招来(おいで)稲荷神社は真先稲荷の奥宮。
白狐祠は招来稲荷にあった狐穴を祀っています。
狐穴の前に餌を置いて「おいでおいで」と呼んで、餌を食べれば願いが叶うとされたそうです。
その隣に富士塚、三猿の庚申塔があります。 -
御朱印を頂きました。
浅草地方橋場町鎮座とあります。たぶん「あさくさじかたはしばちょう」と読むのだと思うのですが・・・。
神社の神官は千葉氏の一族によって世襲されているそうです。
江戸名所七福神 寿老神の御朱印も頂きました。
白鬚橋の袂をつっきり、橋場不動に向かいます。 -
白髭橋
ここは橋場の渡しに近く、大正時代に木製の橋が架けられました。会社が架橋したので、通行料を取っていたそうです。
その橋は関東大震災で焼け落ち、震災復興事業で現在の橋にかけ替えられました。
優美な曲線の美しい橋です。 -
橋のたもとから下流を見ると、スカイツリー。
足元から見えるし、背景に高い建物が無いアングル。
明治にはここに対鴎荘という、三条実美の別邸があったそうです。 -
川沿いの道を少し歩くと、赤い旗が見えてきました。
あそこが橋場不動尊みたいです。
橋場というのは太田道灌が千葉氏を攻めるために橋を架けたからだそうですよ。 -
14:03 橋場不動院 砂尾山 橋場寺 不動院
ここも赤い旗が立ってなければ、見過ごしてしまいそう。
以前はこの辺り、門前町だったそうですよ。橋場不動尊 寺・神社・教会
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創建は760年 奈良東大寺の開山の僧、良弁僧正が大山寺で刻んだ不動尊像をまつります。
そのお不動さんは秘仏で、前立てのお不動さんをお参りします。
なんでも、15世紀半ば、この辺りは千葉氏の家臣の砂尾長者と呼ばれる土豪の領地だったそうで、橋場不動を中興したので、砂尾不動とも言われます。 -
樹齢700年という銀杏の木。江戸時代隅田川の目印だったそうです。
明治まで、先ほどお参りした玉姫稲荷神社の別当を務めていたそうです。
砂尾のお姫様が恋に破れ寺の近くの池に身を投げたので玉姫稲荷神社となったという言い伝えもあります。 -
関東三十六不動尊霊場 23番 差し替えの御朱印を頂きました。
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浅草名所七福神の布袋尊の御朱印も頂きました。
元旦から七草まで福笹に七福神の絵馬を掛けていきます。
お寺の前のバス停から めぐりんバスに乗って 今戸へ向かいます。 -
14:31 今戸神社
めぐりんバス リバーサイドスポーツセンター前で降りてちょっと歩く。
春の交通安全週間のテントも出てますが、それにしても人が多い、女子率が高いなぁ。今戸神社 寺・神社・教会
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招き猫発祥の地と沖田総司終焉の地の看板・・・。う~ん、どっちも合っているようで違うと思うんだけど、まあ、言ったもん勝ちなのかな。
1937年に隣接する白山神社を合祀したので、祭神に伊弉諾尊 伊弉冉尊が加わりました。夫婦の神様なので縁結びの御利益があるんだそうです。
よかったですね、合祀しておいて。
「縁結び」はここ20年くらいの最強の参拝者集客のアイテムですから。 -
祭神 応神天皇 伊弉諾尊 伊弉冉尊 福禄寿
創建は1063年源頼義・義家親子が奥州討伐の際、京都の石清水八幡宮を勧請したと伝わります。この辺りは同じ創建の社伝を持つ神社が多いですね。
関東大震災と空襲で被災して再建を繰り返し、現在の社殿は1971年に再建されたものです。
何度も被災している東京の神社は鉄筋コンクリート造りの再建が多いです。 -
拝殿の脇には、猫グッズがたくさん置いてあります。地元のカフェの庭先のようだ。
浅草の招き猫は1850年頃に近所の貧乏な婆さんの死んだ愛猫が枕元に立ち、自分の人形を売ったら福徳が授かると言ったので、今戸焼で猫人形を作って三社さんで売ったのが評判になったと伝わります。 -
うわ!冗談抜きに白い猫が座ってる。さすがに、手招きはしてない。
そもそも今戸焼の人形は、京都の伏見の人形をモデルとしています。
招き猫は横座りしてこっち向いて手招きポーズで腰に「丸に〆」があるのです。
今戸神社の招き猫は常滑焼のようですね。
とはいえ、神社で生きてる猫ってありなのか?? -
社務所は人だかり、御朱印を預けて番号札を貰うと少し時間がかかりますと告げられますが、待ちますよ!
バブル期まで神社仏閣は参拝者が今ほど多くありませんでした。
バブルがはじけ日本全体が低迷した時に、誰でも思ったのが神仏にお願いすること、その頃から寺社の参拝者が増え始め、人気の寺社がマスコミに取り上げられるなど、寺社の明暗が分かれました。
特に神社は寺のように檀家や墓地がないので、集客のアイテムをどれだけ持っているかで、その後の神社の運命が決まります。 -
頂いた御朱印。
江戸名所七福神の福禄寿の御朱印も頂きました。
ちなみに、沖田総司終焉の地ってのは、結核を患った沖田の医師が当時の今戸神社に住んでいたからで、神社の説によると沖田はそこで療養していて亡くなったそうです。
亡くなった場所は千駄ヶ谷の植木屋だって話がありますね。
歩いて待乳山聖天へ向かいます。 -
今戸神社の隣の本龍寺さんの門前にも、お釈迦様がいらっしゃる。
とても素敵なお堂の中です。甘茶をかけてお参りしました。 -
14:48 待乳山聖天 待乳山(まつちやま)本龍院
浅草寺の子院の一つで、ご本尊は歓喜天、十一面観音
浅草名所七福神の毘沙門天がまつられています。
595年に隅田川の川岸に突如、山が出現して龍が守護したと伝わり、浅草寺の山号の「金龍山」の由来となりました。
その頃のここは湿地で、出現した山は真土だったので「真土(まつち)山」とも書いたそうです。 -
参道にはお供えする大根がありました。大根は体を丈夫にして、良縁を成就、夫婦仲良く、一家の和合を加護するそうです。
あちこちに巾着の絵が描かれていますが、財宝を表し、商売繁盛の意味。 -
堂内は外陣まで入ってお参りできます。
珍しく塗香が置いてあり、両手ですり合わせてお参りしました。いい香りです。
601年に干ばつが起こり、歓喜天と十一面観音が安置されたと伝わります。本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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隅田川側に駐車場があって、小さなケーブルカーが設置されています。
足腰が弱くなっても、お参りできるようにというお寺の配慮。もちろん無料です。 -
作家の池波正太郎の生家は聖天院の近くで、心のふるさとだと書き残しています。
今は対岸にスカイツリーがあるんですよ、池波さん。 -
頂いた御朱印は二つ。
こちらはご本尊。 -
浅草名所七福神の毘沙門天の御朱印です。
次は最近すっかり気合が足らない自分的浅間神社巡りの一つ、浅草富士浅間神社に向かいます。 -
15:16 浅草富士浅間神社
江戸時代に富士山参拝が流行りましたが、交通事情や経済的な理由で、富士に登拝できる人は多くありませんでした。
地域の富士講に参加して、講の代表者が富士山に登るとき、祈願を託していたのです。 -
憧れの富士山の浅間神社を勧請し、近くでお参りができるようになり、富士塚が造られました。
浅草富士浅間神社は当初、蔵前にあったそうですが、幕府が御用地とするので、小さな丘のこの地に遷座したそうです。
昔の富士山の山開きの日にあわせてお祭りが行われ、明治以降は植木を売る店が多くなり植木市が開催されています。 -
祭神 木花咲耶比売命
明治の神仏分離からは浅草神社の兼務社。
ときどき、社務所に人がいるという聞きましたが、今日は無人。
境内には大きな桜の木があって、散った桜のガクがたくさん落ちていました。浅草富士浅間神社 寺・神社・教会
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境内に数年前に造られた富士塚がありました。
かわいい。 -
しっかり登山して、お参りすると・・・たぶん角度から、本物の富士山に向かってお参りしているんだと思われます。
う~む、さぼりすぎてる浅間神社詣り、まだ山梨と静岡に行ってないな~。
さて、ラストは浅草神社、歩いて向かいます。 -
御朱印は浅草神社の社務所で頂きました。
だから500円。・・・なにが「だから」なんだかな。
最近復活した「麦藁蛇」の印が押してありました。
厄除け、水あたり除けの免府で、廃れていたもの再現したんだそうです。 -
15:26 浅草神社 三社様
浅草寺創建時に関わった三人の人物の子孫が平安時代末期から鎌倉時代にかけて祖先を神様として祀ったのが起源だろうと考えられています。
三社権現と称されます。浅草神社(三社さま) 寺・神社・教会
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祭神 土師真名知命 檜前浜成命 檜前武成命
浅草寺創建は628年。隅田川で漁師の檜前浜成・竹成の兄弟の網に何度も同じ人形がかかり、土師真中知に相談するとそれは聖観音菩薩像だと判ります。
土師真中知は自ら僧となり、自宅をお寺にしました。
その三人が祭神です。
明治の神仏分離で浅草寺と離れ三社明神社になり、すぐに浅草神社に改称しました。 -
浅草寺は参拝の機会が多いのですが、三社様はお参りした記憶がありません。毎回端折っちゃってたみたい。
三社祭の御神輿が披露されています。 -
奥に被官稲荷神社があります。
安政元年に新門辰五郎が妻の病気を伏見稲荷に祈願したところ、病気は全快。町の人が伏見稲荷から勧請して創建されたそうです。
被官の名前の由来は不明。 -
官を被るというので、就職や出世にご利益があるとされます。
この社は創建当時のもので、覆屋を大正時代に造り、関東大震災と空襲に焼け残ったものです。 -
頂いた御朱印。
そういえば、隅田川の上流に当たる埼玉では、その昔、洪水で荒川沿いのお堂が流され、そこの観音様が浅草に流れ着いて浅草寺のご本尊になったらしいという話が伝わってます。 -
浅草名所七福神の恵比須様の御朱印も頂きました。
一緒にさっきの富士浅間神社の御朱印も頂いたので、しめて2千円納めさせていただきました。
どうぞ有効にお使いくださいませね。 -
本日のお参り大トリは浅草寺と思ったら・・・すんげぇ人が多い。一気に気力がおちて、遠くから手を合わせてお参りしました。
友人にLINEして、浅草駅前の交差点で待ち合わせ。 -
この辺りはお茶をするのも大変だというので、橋を渡ってアサヒビールのビルのカフェでコーヒーを頂きながら、おしゃべり。
人がたくさん来る場所は、住人の生活には不便だったりするそうです。
幾つ回ったの?と聞かれて、指折り数えたら神社12、お寺4 すごいじゃん。TOKYO隅田川ブルーイング グルメ・レストラン
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松屋のデパ地下で夕食の買い物をして帰路につきました。
御朱印巡りの仕上げのお茶に付き合ってくれた友人に感謝。
とても充実した一日でした。
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