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2019年5月1日。<br />大連からバスで203高地へ。<br />労働節の祝日と桜の季節が相まって桜花園は大賑わい。<br />帰りは地下鉄12号線で大連へ。

大連から203高地へ

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2019/05/01 - 2019/05/01

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ドがつく無能さん

2019年5月1日。
大連からバスで203高地へ。
労働節の祝日と桜の季節が相まって桜花園は大賑わい。
帰りは地下鉄12号線で大連へ。

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  •  なにも予定のなかった、大連での丸一日。バスに乗って旅順の203高地に足をのばすことにした。<br />

     なにも予定のなかった、大連での丸一日。バスに乗って旅順の203高地に足をのばすことにした。

  •  朝九時半。大連駅北口広場周辺には、国内各地へ向かう高速バスがずらりと並んでいる。広場北側の歩道上に旅順行きの切符を売る小屋を見つけ、7元で購入。乗り場を尋ねて指差された道の向かい側を見ると、すでに長蛇の列ができていた。

     朝九時半。大連駅北口広場周辺には、国内各地へ向かう高速バスがずらりと並んでいる。広場北側の歩道上に旅順行きの切符を売る小屋を見つけ、7元で購入。乗り場を尋ねて指差された道の向かい側を見ると、すでに長蛇の列ができていた。

  •  切符には「开车时间 流水」と書いてある。字のごとく確かにバスは随時やってくるのだが、二台分の先客を見送って乗車したときには十時過ぎになっていた。<br /><br /> この日は五月一日の労働節。しばらく走った星海広場の辺りから、バスは激しい渋滞に巻き込まれた。快晴の日差しが突き刺さる窓際に座ったことが災いし、ろくに風の吹き込まない車内で暑さに苦しむ。二時間以上かかってようやく下車した旅順の「中心広場」は、203高地に向かう5路のバスに乗り換えられるバス停だったが、しばらく休みたくなり、軽めの昼食をとった。<br /><br /><br /> 5路のバスは「石板橋」が終点で、ここが203高地桜花園の最寄になっている。一杯に乗り込んだ5路の乗客たちは途中どこかで降りてゆくのかと思っていたが、終点まで混雑ぶりは変わらなかった。乗客はみんな、桜花園を目指していたのだ。

     切符には「开车时间 流水」と書いてある。字のごとく確かにバスは随時やってくるのだが、二台分の先客を見送って乗車したときには十時過ぎになっていた。

     この日は五月一日の労働節。しばらく走った星海広場の辺りから、バスは激しい渋滞に巻き込まれた。快晴の日差しが突き刺さる窓際に座ったことが災いし、ろくに風の吹き込まない車内で暑さに苦しむ。二時間以上かかってようやく下車した旅順の「中心広場」は、203高地に向かう5路のバスに乗り換えられるバス停だったが、しばらく休みたくなり、軽めの昼食をとった。


     5路のバスは「石板橋」が終点で、ここが203高地桜花園の最寄になっている。一杯に乗り込んだ5路の乗客たちは途中どこかで降りてゆくのかと思っていたが、終点まで混雑ぶりは変わらなかった。乗客はみんな、桜花園を目指していたのだ。

  •  バスを降りた客たちはぞろぞろと坂をのぼってゆく。沿道には、造花の髪飾りや飲み物を売る出店が並ぶ。地元の人が貸す臨時駐車場もある。なるほどここは戦跡地であるよりも景勝地になっているのだ。10分ほど歩いて広大な駐車場にたどり着き、隙なく停められた車を眺めながらそこを抜けると、入場ゲートがあらわれた。

     バスを降りた客たちはぞろぞろと坂をのぼってゆく。沿道には、造花の髪飾りや飲み物を売る出店が並ぶ。地元の人が貸す臨時駐車場もある。なるほどここは戦跡地であるよりも景勝地になっているのだ。10分ほど歩いて広大な駐車場にたどり着き、隙なく停められた車を眺めながらそこを抜けると、入場ゲートがあらわれた。

  •  30元を払って「二〇三樱花园」の切符を買う。ゲートを抜けたところから満開の八重桜に包まれて、入場客はさっそく花に顔を寄せて写真を撮る。いくら緯度の高い旅順でも、五月に桜はないだろうと思っていたが、八重桜には最高のシーズンだったのだ。桜の下にシートを広げなにか飲み食いしている家族もいるが、日本の花見のように酔って騒ぐ風ではない。一様に笑顔の人たちが溢れるのを見ていると、私も愉しくなってくる。

     30元を払って「二〇三樱花园」の切符を買う。ゲートを抜けたところから満開の八重桜に包まれて、入場客はさっそく花に顔を寄せて写真を撮る。いくら緯度の高い旅順でも、五月に桜はないだろうと思っていたが、八重桜には最高のシーズンだったのだ。桜の下にシートを広げなにか飲み食いしている家族もいるが、日本の花見のように酔って騒ぐ風ではない。一様に笑顔の人たちが溢れるのを見ていると、私も愉しくなってくる。

  • (右側は既に散ったソメイヨシノ)

    (右側は既に散ったソメイヨシノ)

  •  山の中腹で振り返ると、一面ピンク色が広がっていた。ここから頂上に向かう道には桜は植えられておらず、歩く人も一気に少なくなる。この時期の入場者の大半は桜だけを見に来ているのだろう。

     山の中腹で振り返ると、一面ピンク色が広がっていた。ここから頂上に向かう道には桜は植えられておらず、歩く人も一気に少なくなる。この時期の入場者の大半は桜だけを見に来ているのだろう。

  •  少し歩くと、公衆トイレや電動カートの乗降場になっている広場があり、戦跡としての203高地の案内図と解説が書かれた大きな看板が建っていた。中英日の三言語で記された解説文は、乃木希典が山頂に建てた慰霊塔について「日本軍の亡霊を供養するために(中略)記念タワーを作り上げ、日本の国民を騙している」と書かれた一文で終わっていた。居合わせた欧米系の旅行者たちの一人は「なぜロシアと日本が中国で戦ったのか?」と同行者に訊ねているようだった。

     少し歩くと、公衆トイレや電動カートの乗降場になっている広場があり、戦跡としての203高地の案内図と解説が書かれた大きな看板が建っていた。中英日の三言語で記された解説文は、乃木希典が山頂に建てた慰霊塔について「日本軍の亡霊を供養するために(中略)記念タワーを作り上げ、日本の国民を騙している」と書かれた一文で終わっていた。居合わせた欧米系の旅行者たちの一人は「なぜロシアと日本が中国で戦ったのか?」と同行者に訊ねているようだった。

  •  これまでよりずっと急な坂道を登ると、頂上付近で道が分かれる。左に行くと、旧日本軍が203高地奪取後、旅順港攻撃に使用した重砲兵観測所があった。そこに置かれた旧日本軍の大砲は思いのほか遠い旅順港の方を向いていた。観測所手前の建物には、パンダのぬいぐるみが吊るされた露店がでており、女性と軍服を着た男性が、ジュースやしゃぼん玉を売っていた。

     これまでよりずっと急な坂道を登ると、頂上付近で道が分かれる。左に行くと、旧日本軍が203高地奪取後、旅順港攻撃に使用した重砲兵観測所があった。そこに置かれた旧日本軍の大砲は思いのほか遠い旅順港の方を向いていた。観測所手前の建物には、パンダのぬいぐるみが吊るされた露店がでており、女性と軍服を着た男性が、ジュースやしゃぼん玉を売っていた。

  •  少し道を戻り、分かれ道を反対側に行くと、「爾霊山」と刻まれた、件の慰霊塔が建っていた。傍にはまた新たな解説文があり「この爾霊三はすでに日本軍国主義による対外侵略の罪の証拠と恥の柱となった」と記されていた。

     少し道を戻り、分かれ道を反対側に行くと、「爾霊山」と刻まれた、件の慰霊塔が建っていた。傍にはまた新たな解説文があり「この爾霊三はすでに日本軍国主義による対外侵略の罪の証拠と恥の柱となった」と記されていた。

  •  十五時をまわり日も傾きつつあったが、山を登ってゆく人も多くすれ違ったし、桜の広がる山裾はまだ沢山の人で賑わっていた。来たときには素通りしていたが、桜花園のゲート近くには「中日友好樱花林」と書かれた記念碑が建てられていた。ライオンズクラブなどが主導して、中日友好のために整備されたのがこの桜花園らしい。

     十五時をまわり日も傾きつつあったが、山を登ってゆく人も多くすれ違ったし、桜の広がる山裾はまだ沢山の人で賑わっていた。来たときには素通りしていたが、桜花園のゲート近くには「中日友好樱花林」と書かれた記念碑が建てられていた。ライオンズクラブなどが主導して、中日友好のために整備されたのがこの桜花園らしい。

  •  中国のこの地が日本とロシアの激戦地であったことと、100年以上経った今の、中国人の家族連れで賑わう桜花園の姿に、言いがたい断絶を感じて落ち着かなかった私は、この碑に少し救われたような気がした。この山に眠る歴史はどうしようもなく悲惨で哀れで、とりかえしがつくものでも忘れられるべきものでもない。それでも、山の表層を覆う桜がいま多くの中国人を笑顔にさせているのは、まず良いことのように思われた。昭和も平成も終わり「日中友好」という言葉も今の日本では古くさく、そもそも表層的なものに過ぎなかったようにすら感じられるけれど、それでも私たちは歴史の地層の上にある表層でしか、会えないのだから。

     中国のこの地が日本とロシアの激戦地であったことと、100年以上経った今の、中国人の家族連れで賑わう桜花園の姿に、言いがたい断絶を感じて落ち着かなかった私は、この碑に少し救われたような気がした。この山に眠る歴史はどうしようもなく悲惨で哀れで、とりかえしがつくものでも忘れられるべきものでもない。それでも、山の表層を覆う桜がいま多くの中国人を笑顔にさせているのは、まず良いことのように思われた。昭和も平成も終わり「日中友好」という言葉も今の日本では古くさく、そもそも表層的なものに過ぎなかったようにすら感じられるけれど、それでも私たちは歴史の地層の上にある表層でしか、会えないのだから。

  • <br /><br /><br /><br /><br /> 桜花園のゲートを出ると街の中心部に向かう臨時らしいバスの乗り場があった。その行列を横目にしてぶらぶらと坂道を下り、石板橋のバス停まで来たが、やはり5路のバスは満員だった。大連から来たときの渋滞を思い返し、バスの車窓から見えた歴史ある旅順駅から鉄道で帰ることも検討したが、時間が合わずあきらめた。<br /><br /> 大連地下鉄12号線の旅順駅に向かうことにして、乗り継ぎのため中心広場でバスを降りると道端にこのあたりではあまり見かけない貸自転車のmobikeが一台だけ転がっていた。高低差のある旅順の地形を思い知らされながら20分ばかり自転車を漕ぎ、地下鉄の駅に着いた。<br /> 地下鉄で大連市街中心部までは、意外にも一時間ほどだった。






     桜花園のゲートを出ると街の中心部に向かう臨時らしいバスの乗り場があった。その行列を横目にしてぶらぶらと坂道を下り、石板橋のバス停まで来たが、やはり5路のバスは満員だった。大連から来たときの渋滞を思い返し、バスの車窓から見えた歴史ある旅順駅から鉄道で帰ることも検討したが、時間が合わずあきらめた。

     大連地下鉄12号線の旅順駅に向かうことにして、乗り継ぎのため中心広場でバスを降りると道端にこのあたりではあまり見かけない貸自転車のmobikeが一台だけ転がっていた。高低差のある旅順の地形を思い知らされながら20分ばかり自転車を漕ぎ、地下鉄の駅に着いた。
     地下鉄で大連市街中心部までは、意外にも一時間ほどだった。

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この旅行記へのコメント (1)

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  • Weiwojingさん 2019/05/06 08:07:40
    203高地には私も行lっこたことがあります。
    ドがつく無能さん、初めまして。

    私も203高地に行ったことがあります。しかも2回あります。1回目は10年以上前で、その時はまだ外国人には未開放でした。2回目はその後大連に住んでいた時です。ここは日露戦争の舞台となったところでですが、歴史的にいろいろな戦跡が残されていますね。

    大連は冬が寒くて厳しいですが、5月になるとアカシアの花が一斉に咲きだし、素晴らしいです。また見てみたいですね。私の大連・203高地に関する旅行記がありますので、ご覧いただけると嬉しいです。

    今後の投稿を楽しみにしています。

    Tamegai

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