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親戚の七回忌法要が加古川の郊外の南宋寺でありました。御参りした後で、石の宝殿を訪ねました。

親戚の七回忌法要で加古川南宋寺へ そして帰りに石の宝殿へ

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2019/03/24 - 2019/03/25

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tono202

tono202さん

親戚の七回忌法要が加古川の郊外の南宋寺でありました。御参りした後で、石の宝殿を訪ねました。

交通手段
自家用車
  • 七回忌法要にやって来たのは加古川の郊外の田園地帯<br />遙かには中国地方のなだらかな山々が見え、周りには田起こしをした田圃が広がります。

    七回忌法要にやって来たのは加古川の郊外の田園地帯
    遙かには中国地方のなだらかな山々が見え、周りには田起こしをした田圃が広がります。

  • その中に人家が密集して集落を形成しています。<br />本道から集落には車一台が通れる狭い道が続いています。<br />普通ならこの道へよそ者が入っていく機会はないのでしょうが・・・

    その中に人家が密集して集落を形成しています。
    本道から集落には車一台が通れる狭い道が続いています。
    普通ならこの道へよそ者が入っていく機会はないのでしょうが・・・

  • 今日は七回忌。<br />知らない集落の中の浄土真宗本願寺派のお寺さんを訪れます。<br />浄土真宗(一向宗)には、それまでの旧仏教にはない特徴がいくつかあります。<br />例えば、村への伝播では「毛坊主」が「講」を通じて布教を行ったといいます。<br />

    今日は七回忌。
    知らない集落の中の浄土真宗本願寺派のお寺さんを訪れます。
    浄土真宗(一向宗)には、それまでの旧仏教にはない特徴がいくつかあります。
    例えば、村への伝播では「毛坊主」が「講」を通じて布教を行ったといいます。

  • 農民達の生活に寄り添い、農作業や農業土木・医療活動などから生活向上などさまざまな相談に応え、援助を行っていきます。そういう意味ではカトリックのイエズス会の修道士と同じように、民衆の生活を支える中で信頼を得て、信者を獲得する方法がとられたようです。

    農民達の生活に寄り添い、農作業や農業土木・医療活動などから生活向上などさまざまな相談に応え、援助を行っていきます。そういう意味ではカトリックのイエズス会の修道士と同じように、民衆の生活を支える中で信頼を得て、信者を獲得する方法がとられたようです。

  • このお寺も江戸時代に信者によって建てられた本堂を修繕しながら現在に至っているようです。木戸の開き方が古いまま残されています。<br /><br />信者達は「講」を開いて農作業などについても情報交換を行い、夜遅くまでいろいろなことが話し合われました。それが信者間の団結力を高め、戦国時代には一向一揆へのエネルギーともなったようです。<br />「講」の最後は「正信偈(しょうしんげ)」があげられ「南無阿弥陀仏(なむだむだぶつ 略なんまいだ」が唱えられました。

    このお寺も江戸時代に信者によって建てられた本堂を修繕しながら現在に至っているようです。木戸の開き方が古いまま残されています。

    信者達は「講」を開いて農作業などについても情報交換を行い、夜遅くまでいろいろなことが話し合われました。それが信者間の団結力を高め、戦国時代には一向一揆へのエネルギーともなったようです。
    「講」の最後は「正信偈(しょうしんげ)」があげられ「南無阿弥陀仏(なむだむだぶつ 略なんまいだ」が唱えられました。

  • 今も仏さんの前には赤い正信偈の教本が置かれています。<br />そして信者達は、先達(住職)に唱和します。<br /><br />ちなみに田舎のわが家の周りは、お寺は違えど全て浄土真宗の門徒です。<br />そのため古くから月に1回の集落の「常会(会合)」の折には、正信偈があげられ「あなかしこ」でお開きとなっていました。<br />近頃、それも止めようという動きが「若い衆」から出されています。

    今も仏さんの前には赤い正信偈の教本が置かれています。
    そして信者達は、先達(住職)に唱和します。

    ちなみに田舎のわが家の周りは、お寺は違えど全て浄土真宗の門徒です。
    そのため古くから月に1回の集落の「常会(会合)」の折には、正信偈があげられ「あなかしこ」でお開きとなっていました。
    近頃、それも止めようという動きが「若い衆」から出されています。

  • このお寺さんには、真宗のお寺さんとしては少し変わった点がありました。<br />本堂の右手と左手に畳の間が設けられていて、天井が各格子の絵入です。これは格式が高いお寺であることを示します。<br />本山の西本願寺などからの僧侶が定期的にやってきたのかもしれません。<br />

    このお寺さんには、真宗のお寺さんとしては少し変わった点がありました。
    本堂の右手と左手に畳の間が設けられていて、天井が各格子の絵入です。これは格式が高いお寺であることを示します。
    本山の西本願寺などからの僧侶が定期的にやってきたのかもしれません。

  • 浄土三部経です。<br />わが家も浄土真宗ですが、その分派の興正寺派になります。田舎ですので今でも法要では、院住さんはこれを全部あげます。これを全部あげると二時間少々かかります。<br />間に二回ほどの休息を取って、法要は進みます。そのため法要の開始は10時、終了が12時過ぎになります。その後、料理の準備と会食、全ての終了は16時頃になります。それでも昔に比べると早くなりました。

    浄土三部経です。
    わが家も浄土真宗ですが、その分派の興正寺派になります。田舎ですので今でも法要では、院住さんはこれを全部あげます。これを全部あげると二時間少々かかります。
    間に二回ほどの休息を取って、法要は進みます。そのため法要の開始は10時、終了が12時過ぎになります。その後、料理の準備と会食、全ての終了は16時頃になります。それでも昔に比べると早くなりました。

  • さて、三部経の一部が住職さんによってあげられて、今度は正信偈です。<br />田舎に住む年配の方は、当たり前のように住職さんに唱和します。<br />若い人たちは、無言のままに正信偈の文字を目で追っています。

    さて、三部経の一部が住職さんによってあげられて、今度は正信偈です。
    田舎に住む年配の方は、当たり前のように住職さんに唱和します。
    若い人たちは、無言のままに正信偈の文字を目で追っています。

  • 法要後は、場所を代えて会食となります。<br /><br />田舎では昔は、自分の家の仏壇の前で法要を営み、そこで会食というのが多かったのですが、いまでは田舎でもホテルや料亭で会食という所も増えました。<br /><br />その後、私が向かったのは・・・・

    法要後は、場所を代えて会食となります。

    田舎では昔は、自分の家の仏壇の前で法要を営み、そこで会食というのが多かったのですが、いまでは田舎でもホテルや料亭で会食という所も増えました。

    その後、私が向かったのは・・・・

  • 石の宝殿です。<br />駐車場に車を置いて

    石の宝殿です。
    駐車場に車を置いて

  • 鳥居に迎えられて

    鳥居に迎えられて

  • 身を清めて

    身を清めて

  • 周囲を見渡すと・・・<br />大きな石切場が周辺には続きます。<br />この通称「竜山」は、良質の石を産出する石切場として古代から有名だったようです。「竜山石」とよばれる流紋岩質の凝灰岩が、古代から現在まで連綿として切り出されいます。そのため、今ではこのようにその山の姿をとどめないまでになっています。<br />古墳時代には、この竜山石製の石棺は、100例ちかくが東は滋賀県、西は山口県まで運ばれているようです。ここは当時は最大の石棺製造地帯だったようです。<br />また、それらの石棺には割竹形や舟形はなく、長持形石棺から製作がはじまっているようです。長持形石棺は畿内大王家などの有力な首長墓に採用されていますから、この石切場が畿内勢力の手で開発されたと考えられています。<br /><br />その「製造途中の石棺」を御神体としているのがこの神社なのです。<br />行って見ましょう。<br />

    周囲を見渡すと・・・
    大きな石切場が周辺には続きます。
    この通称「竜山」は、良質の石を産出する石切場として古代から有名だったようです。「竜山石」とよばれる流紋岩質の凝灰岩が、古代から現在まで連綿として切り出されいます。そのため、今ではこのようにその山の姿をとどめないまでになっています。
    古墳時代には、この竜山石製の石棺は、100例ちかくが東は滋賀県、西は山口県まで運ばれているようです。ここは当時は最大の石棺製造地帯だったようです。
    また、それらの石棺には割竹形や舟形はなく、長持形石棺から製作がはじまっているようです。長持形石棺は畿内大王家などの有力な首長墓に採用されていますから、この石切場が畿内勢力の手で開発されたと考えられています。

    その「製造途中の石棺」を御神体としているのがこの神社なのです。
    行って見ましょう。

  • 拝殿正面の間を抜けると「協力金」として百円を収める箱があります。

    拝殿正面の間を抜けると「協力金」として百円を収める箱があります。

  • その奥にどーんとそそり立つ巨石が「塗り壁」のように遮ります。<br />巨石には注連縄がかけられ御神体であることを示しています。<br />『播磨国風土記』の「印南の郡」の条には<br />「原の南に作石あり。形、屋の如し。長さ二丈、廣さ一丈五尺、高さもかくの如し。名琥を大石といふ。傅へていへらく、聖徳の王の御世、弓削の大連の造れる石なり」とあり、石の宝殿に関する記述といわれています。<br /><br />周りを一周できるようです。<br /><br /><br />

    その奥にどーんとそそり立つ巨石が「塗り壁」のように遮ります。
    巨石には注連縄がかけられ御神体であることを示しています。
    『播磨国風土記』の「印南の郡」の条には
    「原の南に作石あり。形、屋の如し。長さ二丈、廣さ一丈五尺、高さもかくの如し。名琥を大石といふ。傅へていへらく、聖徳の王の御世、弓削の大連の造れる石なり」とあり、石の宝殿に関する記述といわれています。

    周りを一周できるようです。


  • 左手から廻ってみます。<br />説明版には<br /> 「石の宝殿」は生石神社の御神体で、一辺六メートル以上もある立方体の横の一面に屋根形の突出部がみられ、他の四面には溝状のへこみ部分がある。岩山を掘りくぼめながら造り出されたもので、底部は大部分がえぐられ、芯の部分だけでつながっている。」とあります。<br />確かに溝状のへこみ部分があります。 <br />

    左手から廻ってみます。
    説明版には
     「石の宝殿」は生石神社の御神体で、一辺六メートル以上もある立方体の横の一面に屋根形の突出部がみられ、他の四面には溝状のへこみ部分がある。岩山を掘りくぼめながら造り出されたもので、底部は大部分がえぐられ、芯の部分だけでつながっている。」とあります。
    確かに溝状のへこみ部分があります。 

  • 裏側です。<br />これが「立方体の横の一面に屋根形の突出部」なのでしょう。<br /><br />

    裏側です。
    これが「立方体の横の一面に屋根形の突出部」なのでしょう。

  • この石造物が何のためにつくられたかについては諸説があるようです。<br />地元の加古川出身の江戸時代の町人学者で、『夢の代』を著した山片桃二は「石棺の未製品」説を出しました。今では「火葬の骨藏器を置いた概要施設」や「供養堂的な新形式の石造物」という説も出されていますが古墳時代末期の石棺というのが一般的です。明日香村の謎の石造物と関連があるのではという説もあるようです。<br /><br />上から見てみましょう。<br />

    この石造物が何のためにつくられたかについては諸説があるようです。
    地元の加古川出身の江戸時代の町人学者で、『夢の代』を著した山片桃二は「石棺の未製品」説を出しました。今では「火葬の骨藏器を置いた概要施設」や「供養堂的な新形式の石造物」という説も出されていますが古墳時代末期の石棺というのが一般的です。明日香村の謎の石造物と関連があるのではという説もあるようです。

    上から見てみましょう。

  • 周囲の岩盤から切り離され、根元だけでつながっています。<br />根元も切り離せば「製品原材として出荷」できる状態です。

    周囲の岩盤から切り離され、根元だけでつながっています。
    根元も切り離せば「製品原材として出荷」できる状態です。

  • その向こうには加古川の平野が広がります。

    その向こうには加古川の平野が広がります。

  • 山全体が岩山で木が根を広げることが出来ないためか、大きな木がありません。<br />上に向かって磐を削った階段が続いています。<br />これに導かれて登ってみます。

    山全体が岩山で木が根を広げることが出来ないためか、大きな木がありません。
    上に向かって磐を削った階段が続いています。
    これに導かれて登ってみます。

  • 頂上には近年建てられた大正天皇の記念碑がありました。

    頂上には近年建てられた大正天皇の記念碑がありました。

  • そして、削り取られつづけた石切場

    そして、削り取られつづけた石切場

  • その向こうには淡路の山脈も見えました。<br />ここは当時の最先端を技術をもつ「石棺製造地帯」<br />それは半島からの渡来人にしか持ち得なかった技術・知識だったでしょう。<br />播磨風土記にも渡来系の人々の記述が数多く見られます。<br /><br />

    その向こうには淡路の山脈も見えました。
    ここは当時の最先端を技術をもつ「石棺製造地帯」
    それは半島からの渡来人にしか持ち得なかった技術・知識だったでしょう。
    播磨風土記にも渡来系の人々の記述が数多く見られます。

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