2019/03/22 - 2019/03/24
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manmaさん
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義母の7回忌のお参りのついでに京都巡り。
運良くお花見ができたらいいなぁと思っていたのに、まだまだ京都は寒かった。
1日目は北野天満宮、銀閣寺、龍安寺、仁和寺。
2日目は伏見地区の維新の跡を廻りました。
3日目は法事の後、京都洛東迎賓館で会食。霊山歴史館、清水寺を回って帰途につきました。
旅行記は殆どが伏見です。後日3日目の旅行記も書ければと思っています。
京都バス、地下鉄2日券をフルに利用した旅行となりました。
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JR東海ツアーズで予約。
東京、京都間往復新幹線とホテル2泊分で1人分28,800円。往復の新幹線代プラス2,000円程でホテルに2泊できます。(乗車する時間帯によっては追加料金が発生します。)
1日目は北野天満宮→平野神社→金閣寺→龍安寺→仁和寺と廻りました。
→部分は歩ける距離ですが、全て市営バスを利用しました。 -
京都駅到着時に中央口にある観光案内所で地下鉄・バス2日券1,700円を購入しました。
地下鉄烏山線、地下鉄東西線、市営バス、京都バス、京阪バスが乗り降り自由です。
事前にNAVITIMEのバスナビもスマホにダウンロードしておきました。
このNAVITIMEバスナビと2日券の組み合わせは物凄い威力を発揮しました。
観光スポットが多いのでバスは縦横無尽に走っています。
バスナビは無料利用もできますが、無料だと利用制限が多すぎて、あまり使えません。1ヶ月のお試し利用ができます。
昔はレンタサイクルで京都観光をしましたが、昨今の京都は混みすぎで、自転車で走るには危険な気がします。それに駐輪場所や走行禁止区域など、色々決まりごとも増えましたから。
1日目の交通費を都度払うと合計で1,930円になるので元は充分に取りました。 -
この日の京都は寒すぎました。
というか、日本全国が寒気の中にスッポリと入ってしまって3月下旬だというのに10℃を切る寒さ。
観光は切り上げて夕食にします。
ホテルに帰る途中、賑わう四条高倉でバスを降り、大丸前の路地の入り口のラーメン屋さんで味噌ラーメンを注文。
全く期待していなかったのに、思いがけない美味しさ!
麺匠たか松。つけ麺で有名らしいです。 -
今回のホテルはザ・ビーホテル京都三条。地下鉄東西線の京阪三条駅から歩いてすぐです。鴨川を渡れば飲食店もたくさんあります。
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ベットはセミダブル。部屋は狭くはありません。
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クローゼットはありません。
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バスタブは無く、シャワーのみです。シャンプー、リンス、ボディソープ、洗顔と手洗い共用のソープは備え付けられています。
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ホテルからすぐの裏道にはこんな銭湯がありました。懐かしい佇まい。
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2日目は伏見地区の維新ゆかりの地を廻りました。
まずは大黒寺。狭い境内の奥は板橋という保育園になっていました。
ここは薩摩藩の祈願所だったお寺です。西郷隆盛や大久保利通が国事を論じた部屋があるそうです。
西郷隆盛が建てたという寺田屋事件で犠牲となった九烈士のお墓や文殊九助のお墓もあります。 -
文殊九助とは江戸時代、奉行の悪政に一揆を起こし、江戸の奉行所に越訴した人物だそうです。
越訴は認められていなかったため九助は捕らえられ獄中で死にました。
それに引き換え悪徳奉行は職を免じられただけです。
死んでから無罪になったそうですけれど、なんとも理不尽な話です。
それにしても、九助の碑の前に保育園の送迎バス。
死んでからも報われません。 -
奥には寺田屋事件で亡くなった九烈士のお墓。一番手前が壮絶な死を遂げた有馬新七のお墓です。
有馬新七は薩摩藩の倒幕派の武士です。京都所司代を襲撃しようと仲間と寺田屋に集まっていました。
そこへ来たのが同じ薩摩藩の鎮撫使です。島津久光の命を受けて京都所司代襲撃を思い留まるよう説得に来ました。
説得を聞かない倒幕派と鎮撫使は結局 寺田屋で剣を交える事となります。
道島五郎兵衛との激闘の最中に刀が折れてしまった新七は道島を壁に押し付けて「おいごと突け、おいごと斬れ」と叫び、仲間の橋口吉之丞が2人を串刺しにしたそうです。 -
大黒寺の向かいは寺田屋の女将、お登勢さんのお墓がある松林院。
お登勢さんは寺田屋に集まる尊皇派の志士たちの面倒をよく見たそうです。
松林院には入ることができませんでした。 -
松山酒造さんの前には薩摩島津屋敷跡の標石。
先の有馬新七の寺田屋事件から4年後。坂本龍馬は薩長同盟成立の重要人として、これも寺田屋にいたところを襲撃されます。重傷を負いつつ脱出した龍馬は、濠川沿いの材木小屋に潜伏。救出された龍馬が避難したのが、ここです。 -
散策途中、玉乃光酒造さんでは「伏見の清酒 日本酒まつり」が開催されていました。
私達は飲みませんが、飲兵衛さんには堪らないのかも知れません。 -
濠川に架かる大手橋のたもと。
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坂本龍馬が寺田屋で襲撃された時に逃げ込んだ材木小屋があったところです。
気付かずに通り過ぎていく観光客もいます。 -
日本酒イベント開催中の北川本家の前を過ぎて寺田屋に来ました。
寺田屋は濠川沿いに立ち並んでいた船宿の一つです。
濠川は宇治川に繋がる運河です。
宇治川は淀川と合流します。それで、伏見は京都と大阪を結ぶ水運の京都側の玄関口として栄えたのだそうです。 -
受付で2人分800円払います。
いきなり「有馬新七先生が " 俺ごと刺せ " と絶叫していもざしとなったのが、この壁です」と書かれた壁。
ちょっと興奮。 -
「2階から先に見て下さいね」という声に促されて2階へ。
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生々しい弾痕。
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そして刀痕。
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ここが龍馬が滞在していた部屋。
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龍馬が逃げたという裏階段。
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階段を降りるとお風呂場です。
お龍さんがお風呂に入っている時に外の異変に気付き、裸で飛び出して龍馬に危険を知らせたというお風呂です。
私は全く疑っていませんでした。
寺田屋が当時ままに残っているのだと。
最後の部屋に新聞の切り抜きが貼ってありました。
京都市が寺田屋は1868年の鳥羽伏見の戦いで焼失したとして幕末から残る建物ではないとの調査結果を公表した。
えー!
ウソー!
調べてみたらこの発表は2008年のことでした。
この建物は明治に再建されたもののようです。
もっとも、寺田屋側は認めていませんが。
私、幕末の志士たちに想いを馳せて、興奮しちゃったじゃないの。 -
2階から見えた建物の隣の敷地。ここが、当時の寺田屋が建っていた場所のようです。
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寺田屋からすぐのところに伏見口の戦い激戦地跡の標石が建っていました。
伏見長州藩邸跡の前を通り、イベント開催中の黄桜、伏見土佐藩邸跡を通り越して会津藩駐屯地跡です。今は幼稚園になっていました。
鳥羽伏見の戦いで伏見の南半分は焼け野原になったそうです。多くの建物を失ったのでしょう。全て標石のみです。
その中で、寺田屋だけが、しっかり残っているのも考えてみればおかしな話です。 -
江戸時代中期から続く料亭魚三楼。
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鳥羽伏見の戦いの銃 撃の弾痕が表格子に残っています。
寺田屋を見た後だったので、これも偽物?と思いましたが、これは本物だそうです。 -
伏見奉行所の跡地は団地になっていました。
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御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)。
少し高台にあります。
ここに新政府軍が本営を置き、幕府軍が立てこもった伏見奉行所に向けて大砲を連射したため、伏見奉行所は炎上しました。
ここれ来てみると、高台から下へ向けて打ち込んだのだろうと想像できます。
伏見の街は狭い区域に旧跡が集まっています。
寺田屋は本物でないと京都市から烙印を押されましたが、入ってみて悪くはありません。
この地域から現代へ繋がってきた歴史を味わうには楽しい維新のテーマパークでした。
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