2000/08/16 - 2000/08/20
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スタリモストさん
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アンコールワット遺跡群には以前より行きたいと思っていて、3年前の1997年夏には、ビザを取り旅行代金も振り込み、出発の日を楽しみにしていた。しかし、ラナリットとフンセンとの政権争いが銃撃戦に発展し、内戦以降最悪の状況となり、外務省から渡航中止勧告が出されて、催行がとりやめになった。
この時、被弾した日本人も1人亡くなり、シェムリアップ空港に自衛隊機が飛び日本人観光客を救出するような1コマもあった。
2000年を迎え、3年の経過の中で、危険レベル2ではあったけれど、UNTAC監視下による選挙が行われ、フンセンが首相となって政情は一定安定していたので、行くことにした。
※この旅行では、「新日本トラベル」の4泊5日ツアーを利用した。費用は113800円だった。
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■1日目(8/16)
関空発JL727便は定刻19:25にバンコクにむけて出発。ティクオフの間、強いGを感じながら、1ヶ月程前に墜落したコンコルドの事が頭をよぎって手足に力が入った。
※超音速旅客機コンコルド墜落事件・・・2000年7月25日、パリのシャルル・ド・ゴール空港から、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に向けて離陸したエール・フランス4590便は、離陸から2分後の16時45分に墜落し、乗員乗客109名全員が死亡した。コンコルドは、パリーニューヨーク間を、通常8時間かかりるところ、3時間半で飛行した。
その後、高度16000m、時速920㎞を維持しながら、滑らかなフライトを続けた。快晴の夜空に月が浮かび、海がそれを鈍く反射して浮かび上がせた。
21時半頃、台北の真上にさしかかると、街の明かりの上に、花火の輪が開いた。
ドンムアン空港に23時に到着し、「ロイヤルリバーホテル」にむかった。チャオプラヤー川のクルントン橋のたもとにあるホテルまでは、1時間ほどかかった。シャワーを浴びてベットに入ったのは午前2時頃・・密林の中の石造りの巨大建造物を思い描きながら夢枕・・。 -
■2日目(8/17)
空港で両替をした。1万円で3633Bが戻ってきた。※1B=2.8円。空港使用税500Bを納付。
PG930便(バンコックエアーウェーズ・双発のプロペラ機)は、朝8時、シェムリアップ空港にむけて出発した。
窓の外は、アスファルトの灰色や人工の色が途絶え、どこまでも田園と湿地帯の青と緑のグラデーションが続く。
1時間ほど飛行し、シェムリアップ空港に近づくと、巨大な人造湖、西バライ湖が見えた。 -
空港に降り立ったのは9時。空港ビルに向かう。
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ビザの発給を受けていたので、イミグレは問題なく通過し、空港の外に出た。
ホテルやタクシーの客引きや案内人でごった返していて、警察が整理をしていた。 -
現地ツアー会社の「KMグリーン」のマイクロバスで、宿泊先の「バンティアイスレイホテル」に向かった。当時ランクがナンバー3のホテルで、日本人ツアー客がほとんどをしめていた。電気事情が悪いのか、工事現場にあるような大きな発電器からも電力を供給していた。
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部屋で少し休憩した後、観光に出発した。
「ワット・アトヴィア」に立ち寄った。規模は小さいが、アンコール・ワットと同じ12Cに創建された由緒ある寺院だ。
若い僧侶がたばこを吸い、唾をはき耳垢を掃除していた。
牛が草をはむ横で、丸裸の子どもたちが遊んでいた。
のどかな昼前のひとときだった。 -
ランチはレストラン「CHAOPRAYA」でバイキング料理だった。
香草とトゥックトレイ(魚醤)、プラホック(魚ペースト)が味のベースとなっていて、ほのかな川魚の生臭さを感じた。料理には当地のビール「アンコール」がよく合った。 -
昼食のあと、オールドマーケットに1時間程いた。
市場には発酵食品のすえた匂いが漂っていた。バリ島でも味わった懐かしい匂いだ。 -
トレンサップ湖で獲れた魚の干物
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市場の一軒のお土産屋で、クロマーを$札で買った。
この旅行の時には、現地通貨に両替をした記憶がない。所持していたドルやタイバーツで事足りた。(事前に銀行で1$札を1万円分両替して89枚も用意していた。1$=112.15円。ちなみに1000リエル(KHR)=28円)
カンボジアの物価はどんなものだろうか。・・ガイドによると、「1人あたり月に80$の生活費がいるけれど、公務員の給料は月40$、警察官35$なので、他に稼ぎがないと暮らせない。」と・・。ちなみにガイド本人は150$もらっていると言っていた。 -
市場の周辺には、沢山の物乞いがいた。
盲目の夫の肩に手を置きながら、子どもを連れた妻が、空き缶を差し出してくる。地雷の爆破のためだろうか、片足をなくした男が、通りすがりに帽子をのばしてくる。警察官が警察バッチを売りつけてくる。・・
※シエムレアプ市内 -
内戦の犠牲者の骸骨を納めた寺院に寄った。
クメールルージュ・ポルポト派による殺戮は、カンボジア全土で猛威をふるったが、当地でも、たくさんの人命が奪われている。 -
キリングフィールド=「殺戮の荒野」と言われる場所がシェムリアップにも存在し、今だに、掘り返されていない白骨化した遺体が随所にあると言う。
ガイドは自分の父親もクメールルージュに殺されているだけに、内戦について語っていた時は、真剣そのものだった。 -
子どものための病院。治療費は無料。日本の団体も建設に協力した。
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アンコール・ワット遺跡群への入場の前に料金所へ。1日チケットは20$(※2017年2月より37$~)。当地の物価と比べると高いけれど、遺跡を修復費用を捻出したり、外貨をかせぐドル箱でもあるから、致し方ない料金設定だとは思った。
ガイドによると、この料金所の係員はベトナム人が雇用されているという。いきさつについても話してくれたが、忘れてしまった。
カンボジア人のベトナム人への反感は根強くあるようで、ガイドの顔にも憤りが浮かんでいた。
アンコール・ワットが見え、堀にかかる橋のたもとでバスから降りた。 思い描いていた以上の壮大な建造物が眼前にあった。 -
橋を渡り西塔門をくぐると建物の全体が見えて来た。ずっと、「この目で見てみたい」・・と思い続けていたものだから・・感動!!。
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池には蓮の花が咲く。
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回廊のレリーフ群をじっくり解説を聞きながら見て歩いた。すぐ近くの僧院から祈りの時間を告げる太鼓の音が響いていた。
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西塔門に刻まれたデバターも、私たちを歓迎してくれているようだった。
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急勾配の階段から尖塔内部に登る。
※現在は木製階段が設置されている。 -
僧の袈裟の色と遺跡がよく合う。
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中央祠堂
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祠堂の下の回廊のそこかしこに、ヴィシュヌ神が祀られている。
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仏像も鎮座している。
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■3日目(8/18)
朝、朝焼けのアンコールワットを見るために、ホテルを5時に出たが、かなわなかった。しかし、1人静かにその時を待つ時間は、壮麗な姿と向き合い、心地よい時間だった。 -
ホテルに戻り、朝食をすませて、観光に出発。
アンコール・トム南大門手前。
神々とアシュラがナーガを引きあう。 -
アンコール・トム南大門。
1辺3㎞の城壁に囲まれたいにしえの町・アンコール・トムは、この門の内側だ。 -
中心寺院のバイヨン寺。
バイヨン寺は、ジャヤバルマン2世下の12世紀末ごろから造成に着手された、ヒンドゥー・仏教混交の寺院だ。 -
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巨大な観世音菩薩が四面に刻まれていて、一種異様な景観を呈していた。
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インパクトの強い姿を、後ほど何枚かの絵にした。
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この寺院の回廊にも、当時の庶民の生活を物語るレリーフが刻まれていた。
アンコールワットのものよりも稚拙な感じをうけたが、そのナイーブさが魅力だ。 -
修復工事がそこかしこで進められていた。
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象のテラス
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修復工事が続けられていた「ブラサート・スーブラット寺院」
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次に向かったのは、「バンティアイ・スレイ」だ。
バイヨンから36㎞先にあるが、未舗装の赤茶けた道路が20㎞ほど続いて、雨が降ったあとだったので、マイクロバスは轍にタイヤをとられて、ロディオの牛のように波打った。
のどかな田園風景が続いていた。
質素な高床式の民家が道路わきに並び、裸同然の子どもたちが幼子を抱いてたたずんでいた。1台のテレビをたくさんの住人が囲んで見ている。貧しさがしみじみと伝わってきた。
バンティアイ・スレイには1時間程かかった。ここでも、ちびっ子の物売りがたくさんいて、私たちを取り囲んだ。 -
バンテアイ・スレイは967年、アンコール王朝の摂政ヤジャニャヴァラーハの菩提寺として建立された。
周囲400mほどで、アンコールワットと比べると小さな寺院だが、赤色砂岩・ラテライトの色が美しく、中の彫刻も含め宝石箱のような寺院だ。 -
さあ、中に入る。
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ゲートの上の、破風装飾も素晴らしい。
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彫刻は精緻を極め、そして優雅だ。破風の彫刻群、デバーター、植物文様。一つ一つがとても美しい。丁寧に時間をかけて鑑賞した。
ここのデバター像は東洋のモナリザと称され、肉感的ですらある。
アンドレ・マルローが、小説「王道」にもとりあげた寺院だが、彼はここのデバター像に魅せられ盗掘を試みて逮捕された。 -
ランチはレストラン「BAYON」で。
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アモック(中身をくりぬいたココナッツの実を器にして、魚とココナッツミルク、ピーナッツ、野菜類が煮込んである)やカエルの唐揚げ、春巻きなどが出された。どれもが美味しかった。
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ホテルで休憩後、「タ・プローム」に向かった。
※ゲート内側より -
タ・プロームは、ジャワバルマン7世下の1186年に建立された仏教寺院だが、長い年月の中で、ジャングルに飲み込まれ、ガジュマルが建物に根をおろし、ここにしかない独特の景観を形成した。
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樹上のオウムが、高い鳴き声を発している。その鳥たちがガジュマルの種を遺跡の石の間に落としたのだろうか。
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ジャングルが牙をむき建造物の崩壊を招いたのかも知れないが、内戦のさなかにあっては、繁茂した樹々が遺跡を隠して守ったとも言えなくもない。
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美しいデバター・・。
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修復が手つかずの場所にも、立ち入ることができた。
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シェムリアプのラストの時間は、標高60mの丘にあるプノンバケンへ。
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丘の上から、遺跡群の夕陽を眺めるお決まりのコースで、周りには観光客がたくさんつめかけていた。
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美しい夕焼けをみることはかなわなかったけれど、心地よい風を体に受けて、ここでの2日間を振り返った。
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■4日目(8/19)
PG931便は定刻の9:30にシェムリアップを離陸し、1時間後にバンコクに着いた。
アユタヤでは、「ワットプラシーサンペット」「ワットプラモンコンポピット」「ワットヤイチャイモンコン」などを回った。
シェムリアップの前にここを訪れていれば、仏塔の形や涅槃佛に興味をもっただろうが、アンコール遺跡群を見た後では、色あせて見える。
※「ワットヤイチャイモンコン」の仏 -
「ワットヤイチャイモンコン」の仏
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バンコクの夕暮れ。
バンコク市内では、タイシルクや宝石の高級店に立ち寄らされ、伊勢丹でフィニッシュ。 -
伊勢丹の前には、たくさんの屋台が並んでいて、イカ焼き(20B)を食べたが、これがとても美味しく、旅行最後の食べ物としては最高だった。
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バスが渋滞に巻き込まれ、空港に着くのがとても遅くなり、搭乗予定のJL622はオーバーブッキングしていた。
結局、アップグレードとなり、エグゼクティブクラスで帰国することになった。
シャンパンからスタートした食事に期待したものの、全くの外れで美味しくなった。しかし、大きななシートはありがたかった。5時間の飛行時間の内4時間ほどはしっかり熟睡した。
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この旅行記へのコメント (4)
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- mistralさん 2019/02/02 12:46:12
- 流石のスケッチ。
- スタリモストさん
お久しぶりです。
すでに2月となってしまいましたが、今年もよろしくお願い致します。
古い旅を記録として残されている旅行記、ずっと楽しませていただいて
おります。
2000年に旅されたアンコールワット、拝見していて景色が同じ、と思った
ものですから、私の旅の記憶を辿ってみましたところ2002年の旅でした。
その折は私もツアーを利用したものですから、コースはほとんど同じ
ようなものでした。
尖塔へ登る石段、急勾配で降りる際には足が先に進まず、本当に怖い
思いをしました。
象さんに乗って山道を揺られながら夕陽を見にいったことなど、
拝見しつついろいろなこと、思い出しました。
多分水?にやられてしまい、最後になって空港のトイレで友人が倒れてしまい
アナウンスで呼び出されビックリしたこと、その折には現地のガイドとは
別れた後でしたから、空港の医務室から車椅子で運ばれる友人と共に
特別ルートで飛行機に乗り込んだことなどなど、懐かしい思い出です。
それにしましても仏様のスケッチ、さすがです!!
時々、作品類を載せていただけますと嬉しいです。
mistral
- スタリモストさん からの返信 2019/02/02 13:11:06
- RE: 流石のスケッチ。
- mistralさん
こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
新鮮味のない、昔を振り返る旅リポに立ち寄っていただいて、ありがとうございます。
アンコールワットには、その後も妻と一緒しましたが、2000年の頃は、遺跡の管理が緩くて、今では立ち入り禁止区域になっている所にも入れましたよね。
タ・プロームやバイヨンの姿は、どこにもない異様な景観でしたから、とてもインパクトがありました。その刺激が、ああしたスケッチにつながったのかな???と思っています。
お褒めいただいたので、また、旅行のおりや、帰国後に描いたのをアップしたくなりました。
スタリモスト
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- スイカさん 2019/01/29 20:21:46
- カンボジア
- こんばんは、スタリモストさん、お久しぶりです、スイカです。
最近の過去編、いろいろ見させてもらっています。
今回はアンコール遺跡、これは私も昨年行ったので、感慨深いです。
私はアンコール遺跡、その広さ、大きさ、繊細重厚さにとても驚きました。
子供の頃からアンコールワットって名前は教科書とかにも載っていて馴染みがありましたし。
遺跡はやっぱり変わっていませんね。
旅行記の中に、カンボジア人はベトナム人が嫌いとありました。
ベトナム人は中国人が嫌いなようです。
日本は陸続きの国境を肌身で理解できませんよね。
それだからか、私は陸路国境超えにとても感動があります。
中国ーベトナムの国境。両サイドにはほとんど同じ姿の少数民族が住んでいます。
呼び名は違うでしょうが、元は一緒でしょうね。
国境とか、そもそも国とかの領域ってどうやって決めたんでしょうかね。
国と国との戦争は遺憾を残しますよね。でも、エリアとエリアの戦いはそうでもない。
私は、相方(中国人)と話します。
「国と国の戦争と三国(三国志)の戦いと何が違う? 日本の武将(領土王)同士の戦いと国家間の戦争は何が違う?」
顔だってほとんど同じだし。。
どうやって国ってできたんですかね。
西遊記を読んでるけど。。。わからない(^_^)
スイカ
- スタリモストさん からの返信 2019/01/29 20:59:42
- RE: カンボジア
- スイカさん
お久しぶりです。
書き込みありがとうございます。
昔の旅を振り返る作業にはまってしまいました(^^;)。
歳を重ねてくると、「自分史」などをお書きになる人がいますが、そんなノリなのかもわかりません。この際、フィルムカメラで撮った写真のデジタル化も出来るので、これは良いなあ・・と。
フランスがカンボジアを統治した19世紀、フランスはベトナム人を使って間接支配したようで、そのことがカンボジア人のベトナム人憎悪につながっているようですね。
2000年当時、アンコールワットのチケット発券所の職員が、なぜベトナム人だったのかはガイドから聞けませんでした。今にして思えば、聞いておけば良かった・・。
旅の日々の中で、国と国の争い、あるいは内戦の傷跡を目の当たりにする度に、どうして、人間というのは、同じ過ちを繰り返すのだろうと・と悲しくなりますね。昨年はバルカン半島を1ヶ月かけてめぐりましたので、そのことを強く感じました。
私たちの旅は、ちょっと中国から遠ざかっていますので、スイカさんの投稿に接すると、行きたくてムズムズしてきます。中国の朝ご飯が懐かしいです。
スタリモスト
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