2019/01/08 - 2019/01/08
125位(同エリア468件中)
naoさん
三重県伊賀市上野は、関ヶ原の戦い後の慶長13年(1608年)に伊予国から入封した藤堂高虎が、中世以来から続く上野城の城下町を再開発し、近世城下町としてよみがえらせた所です。
元来、豊臣方の大阪城を守るための出城だった上野城でしたが、徳川方に付いた藤堂高虎は逆に豊臣方への備えに重点をおいた城へと改築を進め、白の西方に広大な高い石垣をめぐらし、五層の天守閣を築きます。
しかし、慶長17年(1612年)の暴風雨により天守楼は工事半ばにして倒壊してしまったことから、その後上野は天守閣のない城下町として約300年の時を刻んで明治維新を迎えました。
上野はまた、『月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。』の序文で始まる「奥の細道」において日本文学史に大きな足跡を残した俳人、松尾芭蕉の生地として知られ、生家跡をはじめとして、芭蕉ゆかりの史跡が点在しています。
上野城の城下町として、東海道関宿の西の追分で分岐し、加太峠を越え三重県を抜けて奈良へと続く大和街道を中心として町割りされた上野は、今も本町筋(大和街道)、二之町筋、三之町筋の、東西方向に延びる三筋の通りに沿って風情ある佇まいの伝統的な町家が点在する町並みが展開しており、往時の姿をしのぶことが出来ます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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伊賀上野にやって来ました。
ここは上野の町を東西に横断する大和街道の西端にある「鍵屋の辻」と呼ばれる所で、寛永11年(1634年)、日本三大敵討ちの一つである「鍵屋の辻の決闘」が行われたことで知られています。
「鍵屋の辻の決闘」は、渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟渡辺源太夫の仇である河合又五郎を討ち取った事件で、「伊賀越の仇討ち」とも呼ばれています。 -
「鍵屋の辻」は大和街道と伊勢街道の分岐点にあたることから、『ひだりならへ みぎいせみち』と刻まれた道標が立てられています。
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昼食は、こちらのお店で美味しい木の芽田楽を戴きました。
伊賀上野に来ればこのお店を訪れるのも楽しみのひとつになっています。 -
合併前の旧上野市の排水桝の蓋。
上野城と伊賀忍者をモチーフに、旧上野市の花「ハギ」、市の鳥「シラサギ」があしらわれています。 -
こちらは、伊勢津藩第十代藩主藤堂高兌の時代の文政4年(1821年)に、藩士の子弟を教育する藩校として建てられた「旧崇廣堂」です。
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津にある藩校「有造館」の支校として建てられた「旧崇廣堂」には、創建当時そのままの講堂などが保存されています。
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こちらの木造平屋建ての洋館は、明治21年(1888年)に建てられた「旧上野警察署庁舎」で、三重県内各地の警察署庁舎の範となった建物だといわれています。
元々は上野城内の東大手に建てられていたもので、昭和13年(1938年)に現在地に移築され、現在は住宅として使われています。 -
現伊賀市の汚水桝の蓋。
3人の伊賀忍者をモチーフにしたデザインから、伊賀市に息づく忍者の文化と伝統が伝わって来ます。 -
伊賀上野の町並みです。
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伊賀上野には、昔ながらの手作業で組まれる伝統工芸品「組紐」の技術が継承されています。
奈良時代に大陸から伝わったといわれる組紐は、古くは仏具、神具、武具などに使用するために作られていたもので、近代では茶道具の飾り紐、帯締めなどの和装小物として重宝されています。 -
土蔵造りの町家が連なる町並みです。
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瓜型の虫籠窓のある町家です。
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観光案内所を兼ねた伊賀組紐のお店。
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鍾馗様とともに、看板の上には伊賀忍者の像が置かれています。
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出格子窓に犬矢来をしつらえた町家です。
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では、脇道を抜けて本町筋(大和街道)へ・・・。
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本町筋(大和街道)の町並みです。
ここから東に向かって歩きます。 -
3人の伊賀忍者をモチーフにした現伊賀市の雨水桝の蓋。
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風情ある町家に、現代的な職業の店名が書かれています。
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こちらは、呉服店の空き店舗を改装し、伊賀上野の地域活性化の一環としてイベント会場や展示場として貸し出されている施設です。
アンティークな着物をリメイクした、ここオリジナルの忍者衣装のレンタルもされています。 -
新年を寿ぐ注連飾りのある町家です。
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こちらの町家は、瓜型の虫籠窓以上に、出格子がアクセントになっています。
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名栗加工の駒留をめぐらせた町家です。
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こちらは、古い町家を活用したピザレストランです。
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竹の外格子をしつらえた町家です。
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こちらの土蔵のあるお店は・・・
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砂糖問屋さんです。
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エアコンの室外機に格子の覆いをしておられる町家。
町並みの景観へ配慮されているのが伝わって来ます。 -
本町筋(大和街道)の町並みです。
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こちらのレトロな洋風建物は、この日昼食に木の芽田楽を戴いた「田楽座わかや」さんの娘さんご夫婦が営んでおられるカフェです。
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立派な庵看板を掲げているこちらは、丁稚ようかんのお店です。
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こちらも丁稚ようかんのお店で、同じように立派な庵看板を掲げておられます。
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バリエーションのある格子が見どころの町家です。
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「伊賀まちかど博物館」には、マニア垂涎のクラシックカメラが展示されています。
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重厚な三段卯建を上げた和菓子屋さん。
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新春を迎えるのにふさわしい品々をショウウィンドウに展示している古美術商。
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この辺りが本町筋(大和街道)の東端にあたるので、一本南の二の町筋へ向かいます。
なお、見えている句碑には、旧上野市の名誉市民で、伊賀俳壇の長老として活躍した杉森干柿氏の『粧へる 伊賀の山並み 鉾進む』の句が彫られています。 -
二之町筋へやって来ました。
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こちらは、伊賀特産の玉味噌の醸造場です。
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二之町筋の町並みです。
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こちらも味噌、醤油の醸造場です。
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重厚な入母屋屋根の軒先に、伊賀忍者が佇んでいます。
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忍者姿のマスコットが店先にたたずむのは、季節の餅菓子、生和菓子、赤飯などを製造販売するお店です。
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板戸が入った右側の建物は車庫でしょうか・・・。
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二之町筋の町並みです。
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こちらは、ショウウィンドウをしつらえた古美術商さんです。
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では、二之町筋の町並みを終えて、三之町筋へ向かいます。
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三之町筋へやって来ました。
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格子戸と犬矢来がうまくマッチした町家です。
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長屋門のようなしつらえの町家です。
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こちらの町家は、瓦押さえの白漆喰が目に付きます。
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こちらは、伊賀市の生涯学習施設で、学習・交流・発表の場として活用されています。
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元々料亭として長らく営業されていたとのことで、それらしい雰囲気が感じられます。
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こちらは、伊賀市内にわずかに現存する武家屋敷のひとつ、「入交家住宅」です。
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長屋門越しに見える茅葺屋根の主屋。
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一時、鉄板で屋根が覆われていたそうなんですが、元の茅葺屋根に復元されています。
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こちらは、明治40年(1907年)に創業された老舗の鰻屋さんです。
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こちらも元は料理旅館だったので、お部屋から美しい日本庭園が楽しめるそうです。
では、東西方向の三筋の通りを歩き終えたので、芭蕉ゆかりの「蓑虫庵」へ向かいます。 -
芭蕉ゆかりの「蓑虫庵」に着きました。
芭蕉が伊賀に帰郷した際、生家だけではなく門弟たちの庵も一時の住まいにしていたとのことで、芭蕉五庵と呼ばれる「無名庵(むみょうあん)」、「西麓庵(さいろくあん)」、「東麓庵(とうろくあん)」、「瓢竹庵(ひょうちくあん)」、「蓑虫庵(みのむしあん)」の五つが知られています。 -
その中で唯一現存するのが、門弟服部土芳(どほう)の草庵の「蓑虫庵」で、貞享5年(1688年)の庵開きのお祝いとして芭蕉が贈った『みの虫の 音を聞きにこよ 草の庵』の句にちなんで名づけられました。
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庵内には、『古池や 蛙飛びこび込む 水の音』の句碑古池塚や、土芳の『卒度(そつど)往(ゆき)て わかな摘ばや 鶴の傍』の句碑若菜塚などがあります。
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ここからは、上野愛宕町から上野忍町にかけて南北方向に延びる通りを歩きます。
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ベンガラ塗の格子のある町家です。
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瓜型の虫籠窓のある町家には、竹の外格子がめぐらされています。
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見えている辻を境に、南側が上野愛宕町、北側が上野忍町になります。
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ここから上野忍町の町並みです。
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玄関先に置かれている石のオブジェは何を表しているんでしょうね・・・。
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一枚ガラスの大きな戸は商家である証ですね。
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大きなお屋敷に差し掛かりました。
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お屋敷の脇道側にも浅黄色の土塀がめぐらされています。
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長屋門のあるこちらのお屋敷は、伊賀市内にわずかに現存する武家屋敷のひとつ、「赤井家住宅」です。
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「赤井家住宅」は、市民交流の場や観光客が気軽に立ち寄れる場など、まちなかの新たな拠点として整備、活用されています。
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城下町当時の雰囲気が感じられる佇まいの主屋や庭園などが公開されています。
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こちらの町家は、デザインの異なる外格子を使い分けておられます。
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新しく建てられたこちらの町家は、格子と桝格子をバランスよく配置されています。
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おっと、こんなところに伊賀忍者が・・・。
では、上野忍町の町並みを終えて、少し北側の国道25号線沿いにある「芭蕉の生家」へ向かいます。 -
「芭蕉の生家」に着きました。
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芭蕉は正保元年(1644年)にこの家で生まれ、日本文学史に大きな足跡を記した俳人へと成長しました。
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芭蕉の生家界隈でも、風情ある町並みを見ることが出来ます。
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文字は読み取れませんでしたが、こちらの町家は玄関上に扁額を掲げておられます。
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芭蕉の生家界隈の町並みです。
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では、最後に上野城内にある「俳聖殿」へ向かいます。
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上野城内にやって来ました。
城内の通路に安置された石塔群。 -
この茅葺屋根の門をくぐると「俳聖殿」です。
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「俳聖殿」は、芭蕉生誕300年を記念して昭和17年(1942年)に建てられました。
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八角形の平面形状の1階に、円形の平面形状の2階を載せた独創的な構成の「俳聖殿」は、芭蕉の旅姿をモチーフにしており、丸い屋根は旅笠、扁額が顔、八角形のひさしは蓑と衣姿、堂は脚部、回廊の柱は杖と足を表わしていると言われています。
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等身大の伊賀焼の芭蕉座像が納められた殿内は、毎年芭蕉の命日にあたる10月12日に開催される「芭蕉祭」の日に公開されます。
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では、そろそろ家路につきます。
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