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大学1年が終わった春休み、念願のバックパック旅行に行ってきました。<br /><br />小学生の頃から憧れていた旅がついに実現した瞬間でした。<br /><br />あの感動は、20年近くたった今でも忘れられません。<br /><br />船で中国に渡り、陸路でベトナムに入りました。<br /><br />この旅行記から、ベトナム編に入ります。<br /><br />残されたつたない写真で当時を振り返ります。<br /><br /><br /><br />ここまでの旅行記です。↓ ご覧いただけるとうれしいです。<br />初めての海外旅~19歳、中国・ベトナムを放浪~①<br />https://4travel.jp/travelogue/11435768<br />初めての海外旅~19歳、中国・ベトナムを放浪~②<br />https://4travel.jp/travelogue/11436363

初めての海外旅~19歳、中国・ベトナムを放浪~③

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2001/03/29 - 2001/03/31

297位(同エリア389件中)

kokotoriri

kokotoririさん

大学1年が終わった春休み、念願のバックパック旅行に行ってきました。

小学生の頃から憧れていた旅がついに実現した瞬間でした。

あの感動は、20年近くたった今でも忘れられません。

船で中国に渡り、陸路でベトナムに入りました。

この旅行記から、ベトナム編に入ります。

残されたつたない写真で当時を振り返ります。



ここまでの旅行記です。↓ ご覧いただけるとうれしいです。
初めての海外旅~19歳、中国・ベトナムを放浪~①
https://4travel.jp/travelogue/11435768
初めての海外旅~19歳、中国・ベトナムを放浪~②
https://4travel.jp/travelogue/11436363

旅行の満足度
4.0
  • 中国ではそれこそどんな動物でも食べる、ということをご存知だろうか。<br /><br />僕はそれを、広州の市場で実感させられた。<br /><br /><br />この写真、真ん中にうつっているおじさんのカゴの中には、猫がいるの見えるだろうか。<br /><br />ニャーニャーないていた。<br /><br />僕は広州の市場で見た景色を思い出していた。<br /><br />「地球の歩き方」には<br />「広州は4つ足のものは机と椅子以外なんでも食べる。<br /> 飛ぶものは飛行機以外なんでも食べる」という<br /> 趣旨のことが書いてあった。<br /><br />だからこそ「食は広州に在り」なのだ、と。<br /><br />市場には、いろんな動物が売っていた。<br /><br />犬や猫だけでなく、いろんな動物が。<br /><br />これは明らかに食用だよね??<br /><br />ペット用かと思われるきれいな犬もいた。<br /><br />でも、全然きれいじゃない犬もいた。<br /><br />これがペットとはどうしても思えなかった。<br /><br />猫も同様。<br /><br />それ以来、カゴの動物を見るたびに、<br /><br />「ああ…」と思うようになった。<br /><br />ちなみに日本では、池袋北口にある中国人料理店で犬料理を提供している。

    中国ではそれこそどんな動物でも食べる、ということをご存知だろうか。

    僕はそれを、広州の市場で実感させられた。


    この写真、真ん中にうつっているおじさんのカゴの中には、猫がいるの見えるだろうか。

    ニャーニャーないていた。

    僕は広州の市場で見た景色を思い出していた。

    「地球の歩き方」には
    「広州は4つ足のものは机と椅子以外なんでも食べる。
     飛ぶものは飛行機以外なんでも食べる」という
     趣旨のことが書いてあった。

    だからこそ「食は広州に在り」なのだ、と。

    市場には、いろんな動物が売っていた。

    犬や猫だけでなく、いろんな動物が。

    これは明らかに食用だよね??

    ペット用かと思われるきれいな犬もいた。

    でも、全然きれいじゃない犬もいた。

    これがペットとはどうしても思えなかった。

    猫も同様。

    それ以来、カゴの動物を見るたびに、

    「ああ…」と思うようになった。

    ちなみに日本では、池袋北口にある中国人料理店で犬料理を提供している。

  • 散歩していると、中学校でバスケをしている生徒たちを見つけた。<br /><br />彼らの1人が代表して僕に話しかけてきた。<br /><br />英語で。<br /><br />「雲南はとても美しいがあなたはどう思うか?」<br /><br />中学生が勇気を出して聞いてきたのだ。<br /><br />もっと素直に「とてもいいところだね」とだけ言っておけば良かった、と今となっては後悔している。

    散歩していると、中学校でバスケをしている生徒たちを見つけた。

    彼らの1人が代表して僕に話しかけてきた。

    英語で。

    「雲南はとても美しいがあなたはどう思うか?」

    中学生が勇気を出して聞いてきたのだ。

    もっと素直に「とてもいいところだね」とだけ言っておけば良かった、と今となっては後悔している。

  • この後3ON3に混ぜてもらった。<br /><br />パスをくれと合図をすると、彼らは素直にパスをくれた。<br /><br />しかし、3回シュートを外すと、誰も僕にパスをくれなくなった。<br /><br /><br />僕は「谷沢」になった。<br /><br />「安西先生、ここでは誰もパスをくれません」…

    この後3ON3に混ぜてもらった。

    パスをくれと合図をすると、彼らは素直にパスをくれた。

    しかし、3回シュートを外すと、誰も僕にパスをくれなくなった。


    僕は「谷沢」になった。

    「安西先生、ここでは誰もパスをくれません」…

  • 昆明からさらにバスで1日。<br /><br />国境の町「河口」に到着した。<br /><br />この写真は、中国側から国境に向かって撮影した。<br /><br /><br />長距離バス3回目。僕はすっかり慣れて油断していた。<br /><br />最初の警戒心が強いほど、油断したときのスキも大きくなるのか。<br /><br />僕はなぜか、自分のリュックと昆明で買ったお茶などを、誰もいない座席に放り投げていた。<br /><br />リュックこそ無事だったが、サイドポケットに入れていたウイスキーやお茶が入ったビニール袋などはなくなっていた。<br /><br />油断すれば盗まれる。<br /><br />僕はこの後、何度も同じ体験をすることになる。<br /><br /><br /><br />ここ、河口の記憶は何もない。<br /><br />バス移動は、疲弊する。<br /><br />バスを降りると、すぐに国境を越えることにした。<br /><br />河口には、たくさんのベトナム人がいた。<br /><br />おばちゃんが多かったと思う。<br /><br /><br />中国の国境はすんなりと通過することができた。<br /><br />ベトナム側の入管まで、ほんのちょっと歩いた。<br /><br />確か、橋を渡ったようなきがする。<br /><br />国境が見えた。<br /><br />一歩でまたいだ。<br /><br />なんてことなかった。<br /><br />ただの1本線でしかなかった。<br /><br />なのに、国境をまたいだ途端、言葉が全く違うものに変わった。<br /><br />人々も、浅黒い肌に変わり、鼻が少し横に広い感じに変わった。<br /><br />ただの1本線またいだだけなのに、こうもガラリと変わるものなのか。<br /><br />国境とは人が後から引いたものなのだと感心させられる。<br /><br /><br />さあ、ベトナム・ラオカイの入管だ。<br /><br />別に法に触れるようなものを持っているわけでもないし、やったこともない。<br /><br />恐れることはない。<br /><br />と思っていた。<br /><br />しかし。<br /><br />味気のない小さい建物に入り、入国手続きをとると<br /><br />パスポートを預けたまま「待っていなさい」ということになった。<br /><br />浅黒いベトナム人のおばちゃんたちが列をなしていたが、彼女たちはどんどんといなくなっていった。<br /><br />その列がなくなっても、僕が呼ばれることはなかった。<br /><br />ただ、取り残されたのは、僕だけでなかった。<br /><br />もう1人、西洋人がいた。<br /><br />カナダから来たという。<br /><br />体格のいい、気のいい兄ちゃんだった。<br /><br />初めは外国人同士の気安さもあって、会話もはずんだ。<br /><br />彼は<br />「雲南省の大学で半年間、中国語を学んだ」と教えてくれた。<br /><br />学費は確か、数万円と驚きの安さだった。<br /><br />僕が驚くと、彼は「そうだろう!?」と満足そうに答えた。<br /><br />そして彼は<br />「これから、サパという場所に行くのだ」と言った。<br /><br />僕はベトナムでは「ディエンビエンフーに行く」ことしか決めていなかった。<br />ガイドブックも持っていなかった。<br /><br />「一緒に行っていいか?」と聞くと彼は<br /><br />「もちろん」と歓迎してくれた。<br /><br />一通り話終えても、僕らは待たされたままだった。<br /><br />すでに2時間が経過していた。<br /><br />僕らは無言になっていた。<br /><br />辺境での国境トラブルが、ときたま発生することはよく知られたことだった。<br /><br />「さらに何時間も待たされることになるんじゃない?」と僕が聞くと<br /><br />「I think so, too.」という、ますます不安になる答えが返ってきた。<br /><br />僕たち2人の間に沈黙が流れた。<br /><br />それでも彼と僕は、不安に身を固めながら待つしかなかった。<br /><br />静まり返った2人には、国境の職員たちの会話だけが聞こえて来る。<br /><br />職員たちの表情は、厳格だ。<br /><br />もちろん一言も聞き取れない。<br /><br />それからさらに1時間。<br /><br />僕は尋問を覚悟した。<br /><br />僕らは呼ばれた。<br /><br />さらに身を硬くして窓口に向かった。<br /><br />彼らは僕らのパスポートを持ってきた。<br /><br />どうするつもりか?<br /><br />彼らは厳格な表情だった。<br /><br />そして、厳格な表情のままハンコを押した。<br /><br />なんだよ~!!<br /><br />よかった~!!<br /><br />解放!!<br /><br />この待機時間はなんだったのか?<br /><br />僕らが問題のない人間か、どこかに照会していたのだろうか。<br /><br />当時19歳の僕は、全く意味がわからなかったけど、とりあえず彼と笑顔で入管を出た。<br /><br /><br />さあどうしよう。<br /><br />出ると、バイクにリアカーをつけた男たちがたむろしていた。<br /><br />カナダ人が彼に「サパに行く」と告げると、値段交渉が始まった。<br /><br />土地勘もなければ距離感も全くない。相場観も全くわからなかった。<br /><br />確か、交渉は20ドルから始まった。<br /><br />数回のやり取りの末、7ドルで動かなくなった。<br /><br />僕とカナダ人の彼は、お互い自信のない目で小さく頷きあった。<br /><br />7ドルで妥結するか。<br /><br />中国ですっかり鍛えられいた我々は、まだ頑張れるような気もしていた。<br /><br />でも、入管で閉じ込められて不安な気持ちになっていたし、早く宿で落ち着いた気持ちになりたかった。<br /><br />僕はその料金を折半した。<br /><br />(移動時間がどれくらいだったかは覚えていないけど、それでもものすごいボリようだったことは、後から想像できた)。<br /><br /><br />運転手が連れて行ったのは、一つの宿の前だった。<br /><br />到着とともに、50がらみのおばちゃんが出てきた。<br /><br />運転手とは親しい様子だった。<br /><br />そして彼女は、ベトナム語でまくしたてた。<br /><br />するとカナダ人が英語で答えた。<br /><br />あれ?英語か!<br /><br />彼女はひたすら部屋の条件と値段について、英語で話していることに気づいた。<br /><br />ひどいベトナム訛りだ。<br /><br />ここでもひとしきり値段交渉が行われたが、このおばちゃんはなかなかのツワモノで、あまり安くしてくれなかった(値段は覚えていない。1泊数百円だったがそれでも高いと感じた)。<br /><br />我々が早く休みたがっているのを見透かしているようだった。<br /><br />部屋は3階だった。<br /><br />部屋は小綺麗で、お湯も出た。<br /><br />安く済ませるため、カナディアンとの相部屋にした。

    昆明からさらにバスで1日。

    国境の町「河口」に到着した。

    この写真は、中国側から国境に向かって撮影した。


    長距離バス3回目。僕はすっかり慣れて油断していた。

    最初の警戒心が強いほど、油断したときのスキも大きくなるのか。

    僕はなぜか、自分のリュックと昆明で買ったお茶などを、誰もいない座席に放り投げていた。

    リュックこそ無事だったが、サイドポケットに入れていたウイスキーやお茶が入ったビニール袋などはなくなっていた。

    油断すれば盗まれる。

    僕はこの後、何度も同じ体験をすることになる。



    ここ、河口の記憶は何もない。

    バス移動は、疲弊する。

    バスを降りると、すぐに国境を越えることにした。

    河口には、たくさんのベトナム人がいた。

    おばちゃんが多かったと思う。


    中国の国境はすんなりと通過することができた。

    ベトナム側の入管まで、ほんのちょっと歩いた。

    確か、橋を渡ったようなきがする。

    国境が見えた。

    一歩でまたいだ。

    なんてことなかった。

    ただの1本線でしかなかった。

    なのに、国境をまたいだ途端、言葉が全く違うものに変わった。

    人々も、浅黒い肌に変わり、鼻が少し横に広い感じに変わった。

    ただの1本線またいだだけなのに、こうもガラリと変わるものなのか。

    国境とは人が後から引いたものなのだと感心させられる。


    さあ、ベトナム・ラオカイの入管だ。

    別に法に触れるようなものを持っているわけでもないし、やったこともない。

    恐れることはない。

    と思っていた。

    しかし。

    味気のない小さい建物に入り、入国手続きをとると

    パスポートを預けたまま「待っていなさい」ということになった。

    浅黒いベトナム人のおばちゃんたちが列をなしていたが、彼女たちはどんどんといなくなっていった。

    その列がなくなっても、僕が呼ばれることはなかった。

    ただ、取り残されたのは、僕だけでなかった。

    もう1人、西洋人がいた。

    カナダから来たという。

    体格のいい、気のいい兄ちゃんだった。

    初めは外国人同士の気安さもあって、会話もはずんだ。

    彼は
    「雲南省の大学で半年間、中国語を学んだ」と教えてくれた。

    学費は確か、数万円と驚きの安さだった。

    僕が驚くと、彼は「そうだろう!?」と満足そうに答えた。

    そして彼は
    「これから、サパという場所に行くのだ」と言った。

    僕はベトナムでは「ディエンビエンフーに行く」ことしか決めていなかった。
    ガイドブックも持っていなかった。

    「一緒に行っていいか?」と聞くと彼は

    「もちろん」と歓迎してくれた。

    一通り話終えても、僕らは待たされたままだった。

    すでに2時間が経過していた。

    僕らは無言になっていた。

    辺境での国境トラブルが、ときたま発生することはよく知られたことだった。

    「さらに何時間も待たされることになるんじゃない?」と僕が聞くと

    「I think so, too.」という、ますます不安になる答えが返ってきた。

    僕たち2人の間に沈黙が流れた。

    それでも彼と僕は、不安に身を固めながら待つしかなかった。

    静まり返った2人には、国境の職員たちの会話だけが聞こえて来る。

    職員たちの表情は、厳格だ。

    もちろん一言も聞き取れない。

    それからさらに1時間。

    僕は尋問を覚悟した。

    僕らは呼ばれた。

    さらに身を硬くして窓口に向かった。

    彼らは僕らのパスポートを持ってきた。

    どうするつもりか?

    彼らは厳格な表情だった。

    そして、厳格な表情のままハンコを押した。

    なんだよ~!!

    よかった~!!

    解放!!

    この待機時間はなんだったのか?

    僕らが問題のない人間か、どこかに照会していたのだろうか。

    当時19歳の僕は、全く意味がわからなかったけど、とりあえず彼と笑顔で入管を出た。


    さあどうしよう。

    出ると、バイクにリアカーをつけた男たちがたむろしていた。

    カナダ人が彼に「サパに行く」と告げると、値段交渉が始まった。

    土地勘もなければ距離感も全くない。相場観も全くわからなかった。

    確か、交渉は20ドルから始まった。

    数回のやり取りの末、7ドルで動かなくなった。

    僕とカナダ人の彼は、お互い自信のない目で小さく頷きあった。

    7ドルで妥結するか。

    中国ですっかり鍛えられいた我々は、まだ頑張れるような気もしていた。

    でも、入管で閉じ込められて不安な気持ちになっていたし、早く宿で落ち着いた気持ちになりたかった。

    僕はその料金を折半した。

    (移動時間がどれくらいだったかは覚えていないけど、それでもものすごいボリようだったことは、後から想像できた)。


    運転手が連れて行ったのは、一つの宿の前だった。

    到着とともに、50がらみのおばちゃんが出てきた。

    運転手とは親しい様子だった。

    そして彼女は、ベトナム語でまくしたてた。

    するとカナダ人が英語で答えた。

    あれ?英語か!

    彼女はひたすら部屋の条件と値段について、英語で話していることに気づいた。

    ひどいベトナム訛りだ。

    ここでもひとしきり値段交渉が行われたが、このおばちゃんはなかなかのツワモノで、あまり安くしてくれなかった(値段は覚えていない。1泊数百円だったがそれでも高いと感じた)。

    我々が早く休みたがっているのを見透かしているようだった。

    部屋は3階だった。

    部屋は小綺麗で、お湯も出た。

    安く済ませるため、カナディアンとの相部屋にした。

  • 彼がそのカナディアン。<br /><br />「実家の隣は、柔道の金メダリストだ」と言った。<br /><br />決勝の相手が日本人だったので、僕もその選手を映像で見たことがあり、2人は大いに盛り上がった。<br /><br />はて、その選手が誰だったか?<br /><br />世紀の誤審の犠牲となった篠原信一だった気がしたが、篠原の相手はフランス人。違うみたいだな…<br /><br /><br />我々は相部屋だったが、鍵は一つしかなかった。<br /><br />我々はまず、一緒に遅い昼食に行こうか、ということになった。<br /><br />宿におすすめの店を聞いた。<br /><br />赤ん坊を抱いた、若い女性だった。20代前半だろう。<br /><br />あのおばちゃんとはどんな関係だろう?<br /><br />娘だろうか。<br /><br />浅黒く、鼻が少し上を向いた、ベトナム人らしい顔をした女性だった。<br /><br />そのママさんは<br />「歩いて行けるのは2つだが、1つはおすすめで、もう1つは行かない方がいい」<br />と、あけすけに教えてくれた。<br /><br />我々は素直にそのアドバイスに従って、20メートルほどしか離れていない、「おすすめの店」に入った。<br /><br />彼は<br />「食べたいものがあるか?」と聞いた。<br /><br />ベトナムについては「ディエンビエンフーに行こう」としか決めていなかった僕は<br />「何もわからない。もしよかったら決めてくれないか?」と頼んだ。<br /><br />ロンリープラネットを片手に持っていた彼は、僕の頼みを二つ返事で聞いてくれた。<br /><br />そして、「生春巻き」や何やを3品頼んだ。どれもベトナム特有の料理らしかった。<br /><br />どれも、食べたことがないけれど、とてもおしかった。<br /><br />「ベリーデリシャス!」と絶賛すると<br /><br />彼は満足そうに頷いた。<br /><br />この3倍は食べられる、と思った。<br /><br />しかし、ドルで示された価格を見ると、遠慮なくオーダーできる額ではなかった。<br /><br />後に知ったことだが、ベトナム料理は、世界の3大料理のうちの2つ、中華料理、フランス料理の影響を受けているから、とてもうまいのだ、ということになっているらしい。<br /><br />この後2週間ほどベトナムに滞在したが、この辺境にあるお店が、一番おいしかったと記憶している。<br /><br /><br />僕らは大満足で宿に戻った。<br /><br />宿の女性が<br />「どうだった?」と聞くので<br /><br />「とてもうまかった」と2人して答えると、彼女はとても満足そうだった。<br /><br />まるで自分が作ったみたいに誇らしげだった。<br /><br /><br />その後僕は、1人で散歩に出かけた。<br /><br />といっても、小さな町なので、数分で見て歩くことができた。<br /><br />途中、小さな子供2人がやっている焼き芋屋を見つけた。<br /><br />焼き芋屋と言っても、机はなく、焼いている周りにプラスチックの小さな椅子があるだけだった。<br /><br />焼いているのは、小学2年生ぐらいの女の子で、そのそばに幼稚園ぐらいの男の子がいた。<br /><br />空は暗くなりかけていて、子供は家に戻る時間のはずだった。<br /><br /><br />焼き芋は熱々でおいしかった。<br /><br />先客が2人いた。<br /><br />30ぐらいの男女だった。<br /><br />最初は保護者かと思ったが、違った。<br /><br />ではカップルか?と思ったっが、それも違った。<br /><br />彼らは「同僚だ」と言った。<br /><br />ハノイから来たらしい。仕事らしかった。<br /><br />「あすバイクタクシーを借りて、一緒にこの辺りを回りませんか?」<br /><br />二つ返事でOKした。<br /><br />明日の朝、この場所に集合することになった。<br /><br />芋を焼いている女の子は英語は話せなかったが、「もう一つどうですか?」という笑顔を向けてきた。<br /><br />美しく可愛らしい笑顔だった。しかし、感情は全く読み取れない類の笑顔だった。<br /><br />まぎれもない商売人の笑顔だ、と思った。<br /><br />僕はその笑顔に一気に居心地が悪くなってしまった。<br /><br /><br />どんな理由かはもはや覚えていないが、僕は、そこにいた女性と2人でご飯を食べに行くことになった。<br /><br />僕の宿のすぐ近くにあるバーだった。<br /><br />屋上にこしらえたそのバーに客は誰もいなかった。<br /><br />何を食べたのか全く覚えていないが、西洋のビールを瓶のまま飲んだことだけ記憶している。<br /><br /><br /><br />彼女はアン、と名乗った。28歳で独身らしかった。<br /><br />アンとは、いろんなことを話したと思う。<br /><br />僕はここで<br />「英語で会話できる現地人=インテリ」ということがわかった。<br /><br />19歳の狭い世界で生きていた僕と長時間話しができるなんて、今思えばなかなかできないことではないだろうか。<br /><br />アンは<br />「なぜ旅しているのか?」を尋ねてきた。<br /><br />僕は<br />「世界中の人を比較することで、人間とは何かが見えるのではないかと思っている」と<br />まじめに話した。<br /><br />よくもまあ…<br /><br /><br />アンは僕に<br />「日本の高齢者の収入源」について質問した。<br />「ベトナムでは、子供が親の面倒を見る。<br /> 日本はどうなの?」<br /><br />僕は「年金制度」について、僕が知っている限りの事を答えた。<br /><br />するとアンは<br />「親は面倒を見ろと言わないのか?」と尋ねた。<br /><br />「言わないと思う。親のために使おうとすれば、自分のために使いなさいと言うと思う」と答えた。<br /><br />アンは<br />「ベトナムでは、年老いた親を子供が面倒みることになっているの。親もそうすることを期待しているわ」。<br />「それが当たり前なの。私だってそうするつもりよ」<br /><br />僕は驚いた。「親が子供をアテにする」?<br /><br />図々しい、と思った。まっぴらごめんだった。<br /><br />親との関係が希薄な僕には、恐ろしい話だった。

    彼がそのカナディアン。

    「実家の隣は、柔道の金メダリストだ」と言った。

    決勝の相手が日本人だったので、僕もその選手を映像で見たことがあり、2人は大いに盛り上がった。

    はて、その選手が誰だったか?

    世紀の誤審の犠牲となった篠原信一だった気がしたが、篠原の相手はフランス人。違うみたいだな…


    我々は相部屋だったが、鍵は一つしかなかった。

    我々はまず、一緒に遅い昼食に行こうか、ということになった。

    宿におすすめの店を聞いた。

    赤ん坊を抱いた、若い女性だった。20代前半だろう。

    あのおばちゃんとはどんな関係だろう?

    娘だろうか。

    浅黒く、鼻が少し上を向いた、ベトナム人らしい顔をした女性だった。

    そのママさんは
    「歩いて行けるのは2つだが、1つはおすすめで、もう1つは行かない方がいい」
    と、あけすけに教えてくれた。

    我々は素直にそのアドバイスに従って、20メートルほどしか離れていない、「おすすめの店」に入った。

    彼は
    「食べたいものがあるか?」と聞いた。

    ベトナムについては「ディエンビエンフーに行こう」としか決めていなかった僕は
    「何もわからない。もしよかったら決めてくれないか?」と頼んだ。

    ロンリープラネットを片手に持っていた彼は、僕の頼みを二つ返事で聞いてくれた。

    そして、「生春巻き」や何やを3品頼んだ。どれもベトナム特有の料理らしかった。

    どれも、食べたことがないけれど、とてもおしかった。

    「ベリーデリシャス!」と絶賛すると

    彼は満足そうに頷いた。

    この3倍は食べられる、と思った。

    しかし、ドルで示された価格を見ると、遠慮なくオーダーできる額ではなかった。

    後に知ったことだが、ベトナム料理は、世界の3大料理のうちの2つ、中華料理、フランス料理の影響を受けているから、とてもうまいのだ、ということになっているらしい。

    この後2週間ほどベトナムに滞在したが、この辺境にあるお店が、一番おいしかったと記憶している。


    僕らは大満足で宿に戻った。

    宿の女性が
    「どうだった?」と聞くので

    「とてもうまかった」と2人して答えると、彼女はとても満足そうだった。

    まるで自分が作ったみたいに誇らしげだった。


    その後僕は、1人で散歩に出かけた。

    といっても、小さな町なので、数分で見て歩くことができた。

    途中、小さな子供2人がやっている焼き芋屋を見つけた。

    焼き芋屋と言っても、机はなく、焼いている周りにプラスチックの小さな椅子があるだけだった。

    焼いているのは、小学2年生ぐらいの女の子で、そのそばに幼稚園ぐらいの男の子がいた。

    空は暗くなりかけていて、子供は家に戻る時間のはずだった。


    焼き芋は熱々でおいしかった。

    先客が2人いた。

    30ぐらいの男女だった。

    最初は保護者かと思ったが、違った。

    ではカップルか?と思ったっが、それも違った。

    彼らは「同僚だ」と言った。

    ハノイから来たらしい。仕事らしかった。

    「あすバイクタクシーを借りて、一緒にこの辺りを回りませんか?」

    二つ返事でOKした。

    明日の朝、この場所に集合することになった。

    芋を焼いている女の子は英語は話せなかったが、「もう一つどうですか?」という笑顔を向けてきた。

    美しく可愛らしい笑顔だった。しかし、感情は全く読み取れない類の笑顔だった。

    まぎれもない商売人の笑顔だ、と思った。

    僕はその笑顔に一気に居心地が悪くなってしまった。


    どんな理由かはもはや覚えていないが、僕は、そこにいた女性と2人でご飯を食べに行くことになった。

    僕の宿のすぐ近くにあるバーだった。

    屋上にこしらえたそのバーに客は誰もいなかった。

    何を食べたのか全く覚えていないが、西洋のビールを瓶のまま飲んだことだけ記憶している。



    彼女はアン、と名乗った。28歳で独身らしかった。

    アンとは、いろんなことを話したと思う。

    僕はここで
    「英語で会話できる現地人=インテリ」ということがわかった。

    19歳の狭い世界で生きていた僕と長時間話しができるなんて、今思えばなかなかできないことではないだろうか。

    アンは
    「なぜ旅しているのか?」を尋ねてきた。

    僕は
    「世界中の人を比較することで、人間とは何かが見えるのではないかと思っている」と
    まじめに話した。

    よくもまあ…


    アンは僕に
    「日本の高齢者の収入源」について質問した。
    「ベトナムでは、子供が親の面倒を見る。
     日本はどうなの?」

    僕は「年金制度」について、僕が知っている限りの事を答えた。

    するとアンは
    「親は面倒を見ろと言わないのか?」と尋ねた。

    「言わないと思う。親のために使おうとすれば、自分のために使いなさいと言うと思う」と答えた。

    アンは
    「ベトナムでは、年老いた親を子供が面倒みることになっているの。親もそうすることを期待しているわ」。
    「それが当たり前なの。私だってそうするつもりよ」

    僕は驚いた。「親が子供をアテにする」?

    図々しい、と思った。まっぴらごめんだった。

    親との関係が希薄な僕には、恐ろしい話だった。

  • 翌日、僕は約束した午前7時に遅れそうになり、走って集合時間に向かった。<br /><br />確か、10分ほどの遅刻だったと思う。<br /><br />すると、途中でアンとすれ違った。<br /><br />アンは僕を迎えに来たようだった。<br /><br />アンは僕を見つけると、<br />「何をそんなに焦っているんだ?」と鷹揚にきいた。<br /><br />しばらくした後に<br />「学校に遅刻しそうな少年みたいだったわ~。ああいうの久しぶりに見た」<br />と、思い出しながらクスクス笑った。<br /><br />笑われるたびに、苦々しい思いになった。<br /><br />僕は自分が日本人であることを強く実感した。<br /><br />外国にいると自分が日本人である異常さを実感することがたびたびある。<br /><br /><br />アンは、バイクタクシーを雇い、僕に「乗れ」と指示した。<br /><br />運転手の後ろに僕が乗り、その後ろにアンが乗った。<br /><br />どこか山に登ったと記憶している。<br /><br />田舎に住む僕にとっては、全く新鮮味のない景色ばかりだった。<br /><br />都会に住んでいる、というアンは<br />「ビューティフル」を連発し、僕は生返事を繰り返した。<br /><br />

    翌日、僕は約束した午前7時に遅れそうになり、走って集合時間に向かった。

    確か、10分ほどの遅刻だったと思う。

    すると、途中でアンとすれ違った。

    アンは僕を迎えに来たようだった。

    アンは僕を見つけると、
    「何をそんなに焦っているんだ?」と鷹揚にきいた。

    しばらくした後に
    「学校に遅刻しそうな少年みたいだったわ~。ああいうの久しぶりに見た」
    と、思い出しながらクスクス笑った。

    笑われるたびに、苦々しい思いになった。

    僕は自分が日本人であることを強く実感した。

    外国にいると自分が日本人である異常さを実感することがたびたびある。


    アンは、バイクタクシーを雇い、僕に「乗れ」と指示した。

    運転手の後ろに僕が乗り、その後ろにアンが乗った。

    どこか山に登ったと記憶している。

    田舎に住む僕にとっては、全く新鮮味のない景色ばかりだった。

    都会に住んでいる、というアンは
    「ビューティフル」を連発し、僕は生返事を繰り返した。

  • 写真を撮る時は<br />「後から必ず送ろう」と思っている。<br /><br />絶対に送ろう。<br /><br />しかし、日本に戻れば、日本の日常が僕をせっつく。<br /><br />この写真も、アンの手元に届くことはなかった。<br /><br />彼女の連絡先も、もはやどこにあるのかわからない。

    写真を撮る時は
    「後から必ず送ろう」と思っている。

    絶対に送ろう。

    しかし、日本に戻れば、日本の日常が僕をせっつく。

    この写真も、アンの手元に届くことはなかった。

    彼女の連絡先も、もはやどこにあるのかわからない。

  • この旅の写真は、ここで終わっている。<br /><br />ここからもさらに、抱えきれないほどの刺激的な出来事が続いたのだが。<br /><br />実家に戻って、フィルムがないか探してみようと思う。<br /><br />この旅の続きは、また別にアップします。

    この旅の写真は、ここで終わっている。

    ここからもさらに、抱えきれないほどの刺激的な出来事が続いたのだが。

    実家に戻って、フィルムがないか探してみようと思う。

    この旅の続きは、また別にアップします。

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