2018/12/01 - 2018/12/01
22位(同エリア171件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記736冊
- クチコミ35280件
- Q&A回答420件
- 5,363,574アクセス
- フォロワー666人
今回の二日間の旅のメインは、明日の花祭り。そうすると一日目はどこを回ろうかと考えて。思いついたのが名古屋から犬山の間の江南・岩倉エリア。ちょっとディープな尾張を探索してみることにしてみました。ただ、それだけではもったいないので、犬山紅葉の名所、寂光院も組み合せれば、これなら立派な内容。例によって、押せ押せの一日となりましたが、意外な見どころにも巡り会って、愛知県を理解するまた新たな分野が開けたような気がします。
始めの寂光院は、犬山周辺だけではなく愛知県でも指折りの紅葉の名所。犬山遊園駅から川沿いの道を20分ほど歩いて訪ねました。
白雉5年(654年)に孝徳天皇の勅願により建立されたという古刹ですが、参道の石段はまだ新しさも残る感じ。きちんと整備されていて、これなら安心です。その石段に覆いかぶさるように枝を伸ばした紅葉が見事。途中途中で立ち止まりながら、その美しさを楽しみます。枝は高い場所で交差していて、参道の空間は紅葉に包まれたような独特の感覚がありました。また、七福神や赤い帽子やよだれ掛けをした石仏が迎えてくれるもの一興です。
その後は、江南・岩倉エリア。蜂須賀小六、堀尾吉晴、山之内一豊といった名だたる戦国大名を輩出した地域なので、もう少し有名になってもいいような気もしますが、なんといっても、愛知県は織田信長に秀吉、徳川家康の三人の圧倒的な天下人を出した県。やっぱり影が薄くなってもやむを得ないかもしれません。
PR
-
犬山遊園駅に到着して、うかいも行われる木曽川沿いの道へ。
-
ここからしばらく歩いた先が寂光院です。
-
20分くらい歩いたところで、ここが入口ですか。
-
山の方へ上って行くアスファルト道。
道の両側はそれなりにもう紅葉の林です。 -
さて、ここが本当の入口。やっと到着しましたね。
-
参道は、ここからの石段。
-
しかし、この石段は
-
お金をかけた精巧なもの。大きさなものではありませんが、そこらの寺の石段とはわけが違います。
-
少し上ると。
ほー。 -
左手に石仏があって、正面は。。
-
参道の両側から天を覆うように枝を伸ばすモミジの木立。
-
錦秋のグラデーションと合わせて、なかなかの雰囲気がありますよ~
-
曇っているので、写真としての美しさはイマイチなんですが、このアングル最高ですねえ。石段の傾斜とモミジの枝振りは計算していたかもしれませんが、最後は、やっぱり自然の営みというか偶然の産物。
-
しっかりハマった景色は、どこかの寺がすぐに真似しようと思っても簡単にできるものではないでしょう。
さすが、モミジの名所と言われるだけのことはありますね。 -
階段を上りきると随求堂。
-
で、その脇を抜けると本堂の前に出ます。
-
本堂は、秘仏の千手観世音菩薩を祀りますが、そのままスルーして。
-
先ほどの随求堂へ。
-
内部を覗くと天井画と西国三十三観音。
なるほど、これが見どころでしたか。 -
鐘楼から
-
これは筆弘法大師像。
-
裏手が展望所です。
-
ただ、今の時期はやっぱり境内の真っ赤な紅葉が一番の見どころ。
-
もう終盤の紅葉だと思いますが、見事な色づきです。
-
弁天堂から不動堂あたりもいい感じ。
-
日が差すと美しさが違うんですが、そこは仕方がありませんね。
-
階段を降りて、入口にあった「つがお茶屋」へ。
名物のあゆはずしをいただきました。 -
イチオシ
あゆはずしは、鮎の甘露煮と大葉を巻いたお寿司。甘露煮でも思ったほどの濃厚さはなくて、比較的あっさり系かなと思います。
-
せっかくなので、ここから桃太郎神社を目指しますが、
-
その道すがらがまたまた見事な紅葉ですよ~
-
イチオシ
なんだか日も差してきて、これは予想外。
-
やっぱり日が差すと紅葉の輝きは違いますからねえ。
-
イチオシ
思わぬ撮影タイムが現れて、
-
イチオシ
これは嬉しい。
-
しっかり盛りの紅葉を
-
記録することができました。
ありがたや、ありがたや。 -
イチオシ
山茶花も確認して、たびたびさん元気いっぱいです。
-
しばらく歩いて。。
レストラン桃太郎は、桃太郎神社の向かい側。 -
こちらでは、名物の木の芽でんがくをいただきます。
-
イチオシ
とろんとした舌触りのいい豆腐に木の芽の香りがしっかりした味噌がのって、少し焦げた感じも香ばしいですね。これは想像以上にうまい。
それに、ここはこうして朝から食べれるのもいいところ。ありがたいお店です。 -
さて、これが桃太郎神社です。
-
桃太郎と言えば、岡山県かと思ったら、犬山市にも桃太郎伝説があるようですね。
-
イチオシ
一の鳥居の脇には、猿、雉、犬。
-
二の鳥居の前には桃から生まれた桃太郎の像。
-
ここでも見上げると、見事な紅葉。こおkもまさに見頃の感じです。
-
そして、石段を登ると、改めて、家来を従えた桃太郎。
-
桃太郎のテーマパークとまでは言いませんが、像があちこちあって、しつこくアピール。
-
最後に本殿を覗いて、おしまいです。
-
桃太郎神社の境内から続いての周辺は桃太郎公園というちょっとした公園となっています。この日は、かかし祭り。紅葉の季節でもあり、のどかな眺め。園内には茶店もあって、遊び疲れた親子連れもそこでしばし休憩したり。小さな公園でも、まあまあ楽しめます。
-
その公園の一角にあるのがすずやというお茶屋さん。
-
青空のもとにテーブルがいくつか並んで、天気のいい日にはとっても気持ちがいいですね。
-
五平餅をいただきまして、これが濃厚なタレとしっかりしたボリューム感。これぞ老舗の味といった存在感のある五平餅でした。
-
ここで犬山はおしまい。犬山公園駅から、江南駅まで移動します。
これは名鉄広見線。犬山駅から可児市の新可児駅を経て、御嵩町の御嵩駅までを結ぶ線。名古屋方面から犬山遊園駅に向かう場合は、犬山駅からそのまま名鉄広見線に入ることになります。川を越えたり、川沿いを走る路線というイメージもあるように思います。 -
江南駅に到着。
まずは江南駅から歩いてすぐの北野天神。 -
毎年1月に行われるという筆祭りに先だって、境内には赤や紺の幟が立っていました。さらに、鳥居の横には赤い柄の立派な筆のモニュメント。
-
奥の石灯籠の周辺にもこんな風に石の筆のモニュメントがあって、けっこう筆にこだわっています。
-
江南市歴史民俗資料館は、江南市にあってはかなり立派な施設。
-
江南の文化財としては
-
鎌倉幕府を倒し、建武の新政を実現した、あの後醍醐天皇の命により創建されたという
-
イチオシの曼陀羅寺の紹介から始まって、
-
戦国時代に活躍した生駒氏、
-
前野氏、蜂須賀氏などの説明も。信長や秀吉、家康といった天下人に仕え、したたかに生き延びて行った地ばえの武将たちの歴史が生々しく説明されていました。
江南市は昭和の大合併で生まれた市だし、江南という名前も木曽川の南にあるということで新たに考案された名前。歴史があるものではないのですが、いずれにしてもこれで江南市のおおよそのイメージはつかめたと思います。 -
ほか、レトロな昭和の生活用品はよくある展示です。
-
ここから、前野家屋敷を目指しますが、その途中。
武蔵屋では、江南名物という蜂須賀餅をいただきました。 -
足軽がマンガチックに書かれた包みもかわいらしいんですが、きな粉をまぶした求肥のお餅のおいしさ。これはなかなかですね。餅は少し甘さが強いんですが、黒豆の欠片が入っていて、それでちょうど調和がとれている。なかなかの名物です。
-
さて、前野家屋敷跡に到着。江南駅から歩いたことになりますが、なかなか遠いですねえ。
日当たりのいい通り沿いの一角に蔵と -
なまこ塀の長屋門があって、
-
蔵の前には前野氏一族発祥の地碑がありました。ちなみに、前野一族は信長、秀吉、家康に仕えた一族。江戸時代に入ってからは、この地で庄屋として生き延び現在にまで至るという説明がありました。
-
ここから、今度は蜂須賀家屋敷跡を目指します。
-
これは、途中の宮後八幡社。
-
もともとは、尾張守護土岐氏の家臣であった安井弥兵衛が宮後城を築き、その鎮護として創建した神社ですが、その後、蜂須賀小六の息子、蜂須賀家政によって再建されたことがわかっています。
宮後城、蜂須賀家にゆかりのある神社です。 -
蜂須賀屋敷跡は、国道沿い。途中に道案内があったんですが、ここに近づいてからの肝心なエリアで道案内が途切れていて、ここを探し出すのにけっこう苦労しました。
申し訳程度の石垣で囲まれた平地が残っているだけですが、ここは宮後城跡でもあり、その宮後城は守護土岐氏の配下にあった安井氏が居住していた城。 -
その安井氏の娘が蜂須賀家の蜂須賀小六に嫁ぎ、ここで息子、後には徳川藩の藩祖となる蜂須賀家政を産んでいます。
ただ、そういう経緯なので蜂須賀屋敷というより、安井氏の屋敷といった方が実態にはあっているかもしれません。 -
ここから、江南の市街地の方に戻ります。
パティスリーデゼルは、国道沿いのかわいらしいお店。 -
入口入ってすぐのケースに「はゆくんのおやつ」という卵の黄色が輝くようなお菓子があって、思わずそれをいただきました。これって、大きく言えばマーラーカオのような味わい。それに生クリームを仕込んで洋風のテイストにしあげています。ただ、この黄色。とにかくビジュアルが素晴らしいです。
-
八雲堂は、江南駅の方にまあまあ戻ってきたところ。おばあちゃんが一人で店番をする小さな和菓子屋さんです。
-
いただいたのは茶筅最中。
-
注文すると「ちょっと待ってね」といって餡子を詰めてくれます。
-
最中の形は見事な茶筅。パリパリの最中に、少し水分多めの餡子も素直な甘さの組み合わせもとってもいい。銘菓と言ってもいいかもしれません。
-
さらに江南駅の方まで戻って、これはシャルドン洋菓子店。人気店のようで、この日も店内は大勢の常連さんで賑わっていました。
-
いただいたのは、ボンムーン。見た目は洋風の焼き菓子なのに食べると白餡が仕込んであって、これはむしろ純粋な和風のテイスト。そのギャップが意表を突いています。
-
同じく江南駅すぐ近くのお菓子屋さんは、嫁見餅総本家。名前が変わっているし、いかにも老舗といった感じ。
-
名前を訪ねると曼陀羅寺の関係で、嫁見餅は江南の名物なんだそうです。しかし、ちょっと大きいので、
-
イチオシ
こちらの鬼まんじゅうの方をいただきました。「うちはどれも手作りでおいしいですよ」女将さんの言葉通り、素朴だけど優しい味わいが染みてくるような感じ。やっぱり名店だということがよく分かりました。いいお店です。
-
最後にもう一度江南市の地図を確認。ここで本来なら曼荼羅寺にも行きたいところなんですが、まだ先が詰まっている。今回はスルーするしかないでしょう。
-
布袋駅までひと駅移動して、今度は堀尾跡公園を目指します。
大口町五条川並木は、堀尾跡公園と一体となった感じ。と言っても、けっこうな長さがあって、並木道に入って並木がだらだら続く。しばらく歩くと堀尾跡公園が見えてきて、そこでやっと目的地に到着です。
一方で、桜の木は大木ではありませんが、それなりに古びていて風情はあり。辺りには視界を遮るものもないので、落ち着いた眺めとなっています。 -
さて、この堀尾跡公園は、地元の名家、堀尾一族の屋敷があったところ。
-
見どころは、再建された裁断橋。天正18年(1590年)の小田原征伐で死去した堀尾金助の菩提を弔うべく、その母親が33回忌に息子を最後に見送った橋の架け替えを行たというもの。
-
近くの敷石に彫られた物語を読むと
-
息子を思う母の熱い思いが切々と伝わってきます。
-
堀尾跡公園にほとんど隣接する八剣社は、堀尾吉晴邸跡。
-
ところで、堀尾吉晴は、岩倉織田家に仕え、山内一豊とは同僚の関係。しかし、同じ一族の織田信長に圧迫され、岩倉織田家は滅亡。いったん、浪人の身となりますが、その後、尾張を統一した織田信長に仕え、秀吉の配下に加えられます。
-
豊臣政権では三中老の1人と重きをなしますが、秀吉の死後は家康に接近、関ヶ原の戦いでは次男忠氏が東軍として参陣。その功を認められて、出雲国富田24万石に加増移封。ちなみに、松江城はそれまで尼子氏の居城でもあった富田城を移したもので、堀尾吉晴が築城したもの。ただし、吉晴が後見役となっていた孫の忠晴には嗣子が無く、堀尾氏嫡系は3代で改易となっています。
-
そして、先ほどの堀尾金助は、堀尾吉晴の従兄弟。
母子の像もありました。 -
少し離れた場所に桂林寺。
-
かなり立派な寺ですが、
-
本堂の裏手の
-
共同墓地の一角に堀尾金助とその母の供養塔。
先ほど触れたとおり、堀尾金助は堀尾一族として小田原征伐に参戦しましたが、陣中で死去。母は供養のために、息子を見送った橋を架け替えます。その橋の擬宝珠に彫られた「息子の供養のためにこの書き付けを見る人は念仏を唱えてほしい」という文は日本女性三名文と言われるもので、熱田裁断橋物語として知られます。 -
ここから布袋の大仏を目指しますが、その途中。
パティスリープティノアは、国道沿いの洋菓子屋さん。商品は少し少なめですが、店内のスペースを有効利用して喫茶コーナーなんかもある気持ちの良さも特徴でしょう。 -
いただいたのは、シュークリーム。カスタードクリームと生クリームがダブルで詰まっていて、ちょっと工夫。まあまあかなと思います。
-
さて、これが布袋の大仏。この大仏は、戦後間もなく、名古屋市できゅう師を営んでいた前田秀信という人物が夢のお告げにより建立した大仏。高さは18mで、コンクリート製。独特の白い色と腫れぼったい目がありがたい雰囲気。ただ、敷地内は少し荒れているし、像の傷みもなくはないかなと思います。
-
ここから布袋の市街に入って。
大口屋は、この名古屋の北部エリアにいくつか支店があるのですが 布袋本店を訪ねてみました。古い旧家のような店構え。 -
イチオシ
店内も老舗の重厚感が漂います。
-
なお、看板商品は三喜羅という麩饅頭。プルンとした食感に少し甘さを抑えた餡子。しっかりボリューム感もあるので、お得な感じもすると思います。
-
イチオシ
同じく布袋の市街に建つ生駒屋敷中門。亀の子型のなまこ塀が律儀なデザイン。よく見ると棟木から屋根の造りも金がかかっていそうな感じ。
というのも、生駒氏は岩倉街道の要衝にあって、馬借として財を成した一族。そして、生駒氏の娘、吉乃が織田信長の側室となり、長男、信忠、次男、信雄、長女、徳姫(五徳)を生みますが、いずれもこの生駒屋敷で生んでいます。
一方、案内板には広間家の門とありましたが、つまり、広間家は生駒家の医者。廃藩置県の際、生駒家からこの門を貰い受けたのだそうです。 -
近くの仏蘭西菓子工房 ベルジュールは、ケーキ屋さんが作ったアンパン、あんパンまんじゅうというのがあって、それをいただきました。
-
見た目はあんパンなんですが、確かにこれはアンパンではない。まんじゅうですね。生地がまんじゅうのきめの細かなしっとり感。ただ、それがうまいかとなるとちょっと微妙かもしれません。
-
ここから岩倉駅に移動して。岩倉は、岩倉街道の要衝であり、尾張上四郡を支配していた岩倉織田家の居城、岩倉城があった地。江南市も小さな歴史がたくさんありましたが、こちらも負けていないはずですよね。
日が暮れかかってきていて、ちょっと焦ります。。
興道寺は、岩倉駅から歩いて15分くらい。近くに名鉄線も走るエリアです。
明治12年に建立された日蓮正宗の寺なので、歴史はそこまでではないですね。厳めしい山門と境内には参道横に砂利を敷いた枯山水の庭があって、見どころはそれくらいかなと思います。 -
続いては、龍潭寺。これも名鉄線沿いにある曹洞宗の寺です。
山門の辺りが奮っていて、釈迦の涅槃像に -
布袋像と憤怒の猛々しい仁王像がコンパクトに並んでいます。仁王像がここにあるのは分かりますが、涅槃像とか境内じゃなくて外側ってちょっと違和感あり。
-
しかし、もっと気軽に見てほしいという気持ちの表れなのかもしれません。
-
新溝神社の境内を進んで、
-
本殿は小山の上にあると思ったら、これは新溝古墳という古墳の上なんですね。そして、この古墳の石室の巨石が磐座信仰の磐座とされ、岩倉市の名の由来となっているんだとか。古墳の周囲は後で作られた石垣があったり、古墳の保存としてはメチャクチャですが、神社となっているので仕方ないかもしれません。
-
岩倉の老舗菓子店、かめや。岩倉街道沿いにあって、夕方も煌々と明かりがついていました。
いただいたのは、「岩倉豆腐」という豆乳が入ったお菓子。包みを広げるとまさに見た目は豆腐のような真っ白い姿。しかし、それをつまむと今度はサンドイッチみたいに黒ゴマの餡子が挟んであって、とってもスタイリッシュなデザイン。スポンジケーキのしっとり感も光っているし、なんとも技の凄さを感じました。 -
神明大一社は、通りに面した鳥居から入ると馬場みたいな直線の広い参道が境内につながっていて、ちょっとしたスケール感。辺りは清々しい雰囲気がありました。
-
平安時代後期、永久年間(1113年-1118年)に、伊勢神宮を勧請したことが始まり。社格は県社ですから、なかなかです。
-
ちょっと移動して。
神明生田神社は、山内一豊の誕生地。 -
ちなみに、山内一豊は、岩倉城の家老、山内但馬守盛豊の二男として誕生。父を5歳の時に亡くしますが、その後、信長に仕え、秀吉が亡くなると家康に近づき、最後は土佐一国の国持大名へ。この流れは堀尾吉晴とほとんどダブル感じですね。
-
境内はもう暗くなっていましたが、子供たちが元気に遊んでいる。地元では身近な遊び場となっていることが感じられました。
境内片隅に山内一豊出生の案内板としめ縄で飾られた立派な石碑が建っていました。 -
明日の朝飯は、岩倉駅そばの人気のパン屋さんステファン・ペペで調達。夕方訪ねたらもう商品はほとんどないですよ~。それでも残り物の中からフランスパン系のパンをいただきました。
しかし、これがなかなかのうまさ。しっかりしたパンを噛みしめるとうまさがじわっとくる感じ。なるほど。人気の理由はよく分かります。 -
そして、晩飯は桃園という江南駅からほど近い中華料理屋さん。
-
リーズナブルな大衆食堂で、近所の人が気軽に利用する感じでしょう。
一方で、中華丼をいただきましたが、しっかりした海老がごろんと入っていたり、なんか良心的。安いけどうまいのお店です。 -
この日の宿はビジネスホテル岩倉。岩倉駅から歩いて15分強と少し距離はありますが、道は分かりやすいです。建物は正直ちょっとオンボロ。しかし、和室なので、私にはありがたかったかな。常連さんがポツポツいる感じ。女将さんも気さくで癒されました。
-
ここからは翌朝早く。
稲荷社は、「村社稲荷社」と書いた石柱に、小さな神社かと思っていましたが、境内は割と広くて悠々。 -
おまけに、まだ新しく建ったばかりのような拝殿まで備えていました。明治になってから濃尾大震災で被害を受けたが、末社も含めて復元されたと案内がありました。
-
広福寺は、浄土宗のお寺です。
-
山門を入って多くに進むとすぐに本堂なんですが、現在は工事中でした。山門の屋根に立った龍の飾り瓦。これはちょっと変わっていますが、それ以外は特にどうということはありません。
-
そして、これが岩倉城址。岩倉市街のなんでもない大通り沿いに少しの石垣があって、その上の平たい場所にいくつかの石碑が並んでいるというだけで城跡としてはかなり寂しいのは否めません。
-
一方で、説明板があって、縄張りの絵図がありましたが、お堀が二重だし、中央には本丸、二の丸などそれなりの建物があったよう。
-
ちなみに、城は織田伊勢守家の織田敏広が築城。織田伊勢守家はここを拠点に尾張上四郡を支配し、織田信長の織田大和守家は清洲城を拠点として尾張下四郡を支配したという構図。最後は信長が落としていますが、想像以上に重要な城であったことにちょっと驚きました。
-
誓願寺は、岩倉駅の南側にあって、お寺が多いエリアです。
浄土宗の寺ですが、 -
ここには織田伊勢守家、織田信安夫妻の墓。山門がいかにも立派ですし、今では岩倉城主で尾張上四郡を支配した織田伊勢守家の菩提寺という位置付けだと思います。
ちなみに、織田信安は信長と敵対関係となって没落。実質的には織田伊勢守家の最後の当主となりました。 -
吉祥寺も岩倉駅の南側。
こちらは曹洞宗の寺。 -
通りから山門にかけての参道もまあまあ立派です。境内に入ると植え込みの中に「ねむり亀」という庭石があって、それがちょっと目に留まりました。
以上で、江南・岩倉は終了。予定していたチェックポイントは回れました。
このまま、豊橋に向かって。そこからいよいよ今回の旅のメイン、花祭りに出発です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
たびたびさんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
もっと見る
岩倉・江南(愛知) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
134