2018/11/21 - 2018/11/22
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Donkyさん
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美味しさ求めて九州北部をブラ歩きしてきました。
11月21日 羽田発(12:30)-福岡着(14:35)ANA3847便
その夜は 福岡サンパレスホテル泊
翌22日 太宰府天満宮へ向かいました。
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市宰府(さいふ)にある神社であり、旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は梅紋です。
菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)で初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上、年間にすると850万人以上の参詣者があります。
一昨年訪ねた京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されています。
注)記事中 太宰府天満宮の紹介はフリー百科「ウイキペディア」、各店舗の商品紹介はお店の公式サイトから抜粋引用したものです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通手段
- 高速・路線バス ANAグループ JR特急 JRローカル 私鉄 徒歩
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羽田発(12:30)-福岡行 ANA3847便搭乗
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駅弁ならぬ空弁は 浅草ヨシカミのロースカツサンドと
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穴守 おこわいなりです。
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浅草ヨシカミのロースカツサンド
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ANA3847便で福岡空港着(14:35)
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福岡空港にて 明日は太宰府へ
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マリンメッセにある福岡サンパレスホテル着
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ホテルのある マリンメッセには福岡国際センターもあり大相撲九州場所が
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あの貴景勝が活躍した大相撲九州場所開催中
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大相撲力士の幟が場所の雰囲気を盛り上げ
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そこここに力士が談笑しながら歩いていたりして。
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マリンメッセにある福岡国際会議場
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福岡サンパレスホテルにて
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早速福岡サンパレスレストラン「銀河」で夕食
ホテルと玄界灘へのサンセットを一望できます。 -
ホテルの和食レストラン「銀河」で夕食
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「銀河」で夕食 博多名物水炊き 丸餅付き
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九州場所開催中であることもあってか テーブルの上にはお相撲にちなんだイラストのペーパークロスシートが。
このほかに「番付とは?」「弓取り式」や「立行司が短刀を持つ」理由やら、「土俵に何故塩をまくか」などのいろんなバージョンがあります。 -
「銀河」での夕食
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「銀河」での夕食 締めに右上細うどん(うろん)
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福岡サンパレス レストランで朝食(バイキングスタイル)
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福岡サンパレス レストランで朝食
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朝食後早速太宰府へ向かいました。
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西鉄 太宰府駅
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西鉄 太宰府駅前にて
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西鉄 太宰府駅 外観
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太宰府天満宮門前にて 梅ヶ枝餅(うめがえもち)
梅ヶ枝餅は、主に福岡県太宰府市で販売されている餅菓子の一種です。 小豆餡を薄い餅の生地でくるみ、梅の刻印が入った鉄板で焼く焼餅です。出来上がると中心に軽く梅の刻印が入るようになっています。その名称は太宰府天満宮の祭神である菅原道真の逸話に由来しており、梅の味や香りがする訳ではありません。よく饅頭と勘違いされることがありますが、実際は餡子入りの焼餅です。 -
太宰府天満宮近隣では菅原道真の誕生日である845年6月25日と命日である903年3月25日にちなみ、毎月25日を「天神さまの日」とし、月に一度ヨモギ入りで緑がかった色の梅ヶ枝餅が販売されます。
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また、2015年11月17日からは古代米入りで紫がかった色の梅ヶ枝餅が販売されています。当初は九州国立博物館開館10周年を記念して試験的に販売を行い、その後好評により定例販売が行われるようになりました。
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太宰府梅園菓子処
賢所献上菓子『宝満山』『梅守』『飛梅』、太宰府銘菓『うその餅』『東風梅』など、ひとつひとつ手作りのお菓子は、茶人や文化人、お参り客、地域の幅広い客層など多くの人たちにに永く愛されています。 -
門前商店街にて太宰府名物「うその餅」:そぼろのかかった求肥のお菓子で、その中に「うそ」という鳥をかたどった土人形が入っています。
すなわち太宰府名物といえば「梅ケ枝餅」だけではないのです。
参道のお店の中でもひときわ目立つ御菓子処「梅園」で販売されています。
「うそ」は、「嘘」ではありません。「鷽(うそ)」という小鳥のことです。 -
毎年1月7日の夜、太宰府天満宮では「鷽(うそ)替え」という神事が行われています。この神事は、参加者が「替えましょ、替えましょ」の掛け声もと、神社から出される12個の「金うそ」を求め、暗闇の中で木彫りの鷽を交換するもの。これは、知らず知らずのうちについた一年中の嘘を天神さまの誠心に替え、また、これまでの悪いことを嘘にして今年の吉に取り替えるという意味があるそうです。
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門前商店街にて ミニ木鷽
太宰府名物「鷽の餅」は、「鷽替え神事」にちなんだ縁起物のお菓子で、太宰府の紫蘇も入ったお餅です。 -
太宰府天満宮 門前の商店街を抜けると鳥居が見えてきます。
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太宰府天満宮に到着
所在地 福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
主祭神 菅原道真公
創建 延喜19年(919年) -
太宰府天満宮
例祭 9月25日 主な神事 鷽替え・鬼すべ(1月7日)
太宰府天満宮の象徴『梅紋』 -
太宰府天満宮にも時節柄 境内に開催中の大相撲の幟が。
部屋ごとに宿坊のあるお寺や神社にも寄宿しているようです。 -
太宰府天満宮
さて太宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮を合わせて「三天神」と呼びます。三天神には諸説あり、太宰府と北野天満宮までは共通するものの、あとの一つを大阪天満宮等とする説も存在します。 -
太鼓橋を渡ると別世界にお社があります。
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境内では菊花展
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境内では菊花展も
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楼門(ロウモン): 2階建てで1重目には縁のみを持ち、最上重に屋根を持つものをさします。
楼門は、二階造りの門のことで、二重門も本来は楼門といいいました。2重の屋根のあるものとそうでないものがあるため現在は、楼門と二重門に分類されています。 -
参道を登りつめた先には延寿王院があり、ここは幕末維新の策源地といわれ、三条実美たち公卿5人が3年半余り滞在した所でもあります。土佐脱藩の土方久元や中岡慎太郎も滞在しており、薩摩の西郷隆盛や長州の伊藤博文、肥前の江藤新平、坂本龍馬なども来訪しています。
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飛梅:太宰府天満宮拝殿・右手前にその飛梅が立っています。神木として知られる梅の木の名称です。
大宰府へ赴くため都を発つ道真が庭先に立っている梅に対して「東風ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と歌ったことが歴史に残っていますね。樹齢1000年を超えるとされる白梅で、本殿前の左近(本殿に向かって右側)に植えられており、根本は3株からなります。太宰府天満宮に植えられた梅のなかではいちばん先に咲き始めるとされています。
飛梅は元来、菅原道真の配所(府の南館)跡に建立された榎社の境内にありましたが、太宰府天満宮が造営されると本殿前に移植されたといわれています。
このほか、後代に道真を祭神とする神社に株分けされたものが各地に現存します。 -
本殿(重要文化財) 本殿は五間社流造で屋根檜皮葺。正面に1間の唐破風造の向拝(こうはい)を設けています。また、左右側面には各1間でこれも唐破風造の車寄を付け、廻廊が前方の楼門まで廻らされています。本殿は明治40年(1907年)5月27日に古社寺保存法に基づく特別保護建造物に指定され、昭和25年(1950年)文化財保護法施行に伴い重要文化財とされています。昭和41年(1966年)6月11日付で棟札9枚と板札2枚が重要文化財の附(つけたり)として指定されています。
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さて この神社の主祭神 菅原道真公は、右大臣であった昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、翌々年の延喜3年(903年)に同地で死去しました。ところが、その死後・・・ これからとても長いお話になります。
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道真の死後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山廟赦院安楽寺と号しました。
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一方 都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、さらに6年後の延喜9年(909年)には藤原時平が39歳の壮年で死去しました。これらのできごとを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工しましたが、これが安楽寺天満宮の創祀です。
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それでも「道真の祟り」は収まらず、延喜23年(923年)には皇太子保明親王が21歳で死去。この後も話はどんどん続きます。
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狼狽した朝廷は、延長と改元したうえで、4月に道真の官位を生前の右大臣の官職に復し、正二位の位階を追贈しました。しかしそれでも「祟り」が沈静化することはなく、保明の遺児慶頼王が代わって皇太子となったものの、延長3年(925年)には慶頼もわずか5歳で死去しました。
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そしてついに延長8年(930年)6月、醍醐天皇臨席のもとで会議が開かれていた、まさにその瞬間、貴族が居ならぶ清涼殿に落雷があり、死傷者が出る事態となったのです(清涼殿落雷事件)。
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落雷事件で天皇は助かりましたが、このときの精神的な衝撃がもとで床に伏せ、9月には皇太子寛明親王(朱雀天皇)に譲位し、直後に死去するに至りました。
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承平元年(931年)には道真を側近中の側近として登用しながら、醍醐と時平に機先を制せられその失脚を防げなかった宇多法皇も死去しています。 わずか30年ほどの間に道真「謀反」にかかわったとされた天皇1人・皇太子2人・右大臣1名以下の高級貴族が殺害されたことになります。
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とてつもなく猛威を振るう「怨霊」は鎮まらず、道真には太政大臣追贈などの慰撫の措置が行われ、道真への御霊信仰は頂点に達しました。ついに正暦元年(990年)頃からは本来は天皇・皇族をまつる神社の社号である「天満宮」も併用されるに至ったのです。
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やがて寛和2年(986年)、道真の曾孫菅原輔正によって鬼すべ神事が始められるようになりました。
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文明12年(1480年)に当地を訪れた連歌師の宗祇が『筑紫道記』にこの安楽寺天満宮のことを記していますが、道真の御霊に対する恐れも少なくなってきた中世ごろから、道真が生前優れた学者であったことにより学問の神としても信仰されるようになりました。 中世ごろから道真の御霊は学問の神へと変化していきます。
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明治に入り、近代社格制度のもとで明治4年(1871年)に国幣小社に列格するとともに神社名を太宰府神社に変更しました。これは北野天満宮が近代社格制度のもと「北野神社」に変更したのと同様に、「宮」号が基本的には皇族を祭神とする神社しか使用できなくなったからです。
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明治15年(1882年)には官幣小社に昇格、次いで同28年(1895年)には官幣中社に昇格しました。神社の国家管理を脱した戦後の昭和22年(1947年)に社号を太宰府天満宮に復しました。
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祭神の菅原道真が「学問の神様」であると同時に「文化の神様」としても信仰されていたため、それぞれの時代の人々による和歌・連歌・歌舞伎・書画の奉納を通じて、文芸・芸能・芸術、いわゆるアートと関係が深まっていきました。
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石段のところにも小石で「梅」 ! 遊び心はこんなところにも
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特に奉納絵馬は九州でも指折りの質量となっており、それを掲げた絵馬堂はギャラリーとしての役割を果たしています。
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九州国立博物館への長ーいエスカレーター
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九州国立博物館見事な外観です。
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博物館前の レストラン グリーンハウス (博多ニューオータニ)
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レストラン グリーンハウスの特製ランチ
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レストラン グリーンハウスの新潟「タレカツ」御膳
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レストラン グリーンハウス特製ランチ メインが魚のコース サラダ
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デザート(焼き菓子)とコーヒー
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レストラン グリーンハウス 素晴らしい庭園を見ながらゆっくりくつろげました。
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グリーンハウスの外にも席があります。
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お庭を眺めながら お茶タイム♪
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焼きたての梅が枝餅とお抹茶セットとゆず茶
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路地には若者向けに太宰府バーガーもあります。
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焼きたておかき専門店
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西鉄太宰府から 二日市行 乗車
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西鉄 二日市駅下車し乗り換えます。
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初日と二日目の 美味を求めて福岡県内のブラ歩きが終了です。
翌日は佐賀県呼子朝市を訪ねます。
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