2019/01/11 - 2019/01/15
2位(同エリア54件中)
尖椒土豆絲さん
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春秋航空日本から届いた“999 SALE”の案内メールに誘われてHPを覗いてみると・・・何と何と、成田ー天津便が3,999円の時限タイムセール中では有~りませんか!!!
年始の業務スケジュールを眺め、代休取得が出来そうなことを確認し、即座に航空券を購入~~~早速、百度地図を眺めて思案・黙考です。
さてさて、真冬の中国、何処を暢游しようか・・・
そうだ!!!この時季は暢游客が少ないことを前提に、以前から気になっていた世界遺産 孔子・孟子に会う旅をしなきゃ!!!
という訳で、早速、様々な先人達の旅行記等を参考にしながら、暢游日程を組み立て、毎度々の旧跡・史跡巡りに突撃、何とか無事に暢游を終えて帰国しました。
魅力たっぷりの山東省の様々な史跡群、私たちと一緒に旅をしましょう。
それでは、北馬南舟の歴史を鑑みながら、いざ出発!!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
年明け早々、またまた懲りずに我家の中国暢游の始動です。
高揚する気持ちを噛みしめながら、成田空港第3ターミナルのLCC春秋航空日本の受付カウンターに並びます (*^_^*) 。
過去に搭乗した武漢・重慶便では無く、今回は初めての天津便です。
この天津へは過去2回、日本航空の羽田ー中部ー天津便で訪れたことが有ります。
懐かしいなぁ~o(^o^)o -
天津濱海国際空港迄の所要時間は、4時間15分です。
この春秋航空日本の成田ー天津便、毎日1往復のフライトで大変便利です。
機内はビジネス客や観光客で埋め尽くされています。
アテンダントさんの話では、搭乗率は80%で日本人乗客数は10名とのことです。
へえ~!日本人も、そこそこ乗ってるじゃ~ん!!! -
入国後、先ずは軍資金調達です。
ターミナル2内の中国銀行ATMを発見、早速、財布を満たします。
因みに今日のSMBC信託レートは、1元=16.446円でした。 -
さあ、今日は山東省の曲阜まで高鉄で移動しなければなりません。
ここ天津濱海国際空港には地下鉄2号線が乗り入れしており、市内各ターミナルへのアクセスは大変便利です。
早速、天津西火車站までの切符(4元)を購入します。 -
地下鉄2号と1号を乗り継ぎ、約60分で天津西火車站に到着です。
天津には、他にも天津站・天津北站・天津南站が有り、目的地や日時・運行ダイヤにより利用する站舎が変わります。
皆さん、気をつけて下さいね!(≧∀≦)! -
集票処に向かい希望列車番号を書いた紙とパスポートを渡します。
すると、今日の曲阜東站に停車する高鉄二等席・一等席共に全て満席と判明、服務員の“没有”との言葉が虚しく響き渡ります。
あ~~~~何てこったい !!(>_<)!!
日本を出国前は、T-tripのHP上では沢山の空席が残っていたのに・・・
楽観主義に陥り、事前ネット決済手数料をケチったことが裏目にでました。
参ったなあ~ (@_@) -
曲阜迄の空席列車が予約できず、“没有”の一言で狼狽えている中、窓口の服務員の女性に“有商務席”と紙に書かれ、暫く思案!思考!!思策中!!!
なるほど・・・高い席なら空いているんだぁ~
ええ~い!!京都清水寺の舞台から飛び降りる思いでビジネス席券を購入です。
写真は、天津西ー曲阜東間G1231号の切符(624元)です。
何と高価で贅沢な・・・(≧∀≦) -
私達が利用したG1231号は、天津西站と曲阜東站間を2時間11分で結ぶ、遼寧省丹東発上海虹橋行きの長距離高鉄列車です。
何と12時間以上も走りっぱなし・・・
流石に大陸は規模が違いますね。 -
ビジネス席(商務席)はカプセルシートになっていました。
ミネラルウォーターと御菓子がサービスされ、まさにVIP扱いです (^_^)。
高額な出費に意気消沈気味だった我家も、青島缶ビール片手にご機嫌・ご満悦です。 -
カプセルシートに揺られ、あっという間に曲阜東站に到着です。
新しく直線的に敷かれた京滬高速鉄道は、曲阜市の東側郊外に位置します。
旧市街・古城エリア迄、路線バスで移動です。
エヘヘ (^^)! どんな夜景が待ち受けているのかな?
集票処で明日以降の乗車切符を買い求め、イザ!!曲阜出陣です。 -
曲阜の路線バスは、站舎前ロータリーの北側に位置する曲阜汽車站内から発着しています。
我家は曲阜行きK01路バスを待ちます。 -
K01路バスの運行路線が記されています。
あらあら、19時以降は、30分に1本の運行のようです。
諦めてタクシー乗場に向かう沢山の人民を横目に、我家は行列に並びます。
我家の暢游スタイルは、あくまでも公共交通機関を乗りこなすことを基本にしています (o^^o)。
ゴメンね、タクシーの運転手さん!!! -
待つこと約20分、K01路(2元)が入線です。
曲阜東火車站から孔廟南門站まで乗車します。
始発なので座れます (^_^)。
ヤッタネ~!!!!!! -
孔廟南門站で降車し、曲阜古城の中軸線:新道路を歩きます。
すると、微かにライトアップされた孔廟南門つまり曲阜古城の迎聖門瓮城に突き当たります。
事前予約した闕里賓舎は、古城エリアに位置し、洞門を潜り入城する必要が有ります。
しかし、南門は閉じられて入れません。
さてさて・・・ -
城内に入れる洞門を探して、曲阜古城に沿って東に暢游開始です。
-
す・る・と・・・やがて崇信門に到着です。
車も通り抜け出来るよう、大きな洞門を備えた再建門のようです。
さあ、崇信門を潜って古城エリアに入りましょう!(^_^)! -
古城エリアに入り、そのまま鼓楼南路を北上すると、曲阜古城の鼓楼に到着です。
鼓楼もライトアップされ、幻想的かつ荘厳・厳粛な雰囲気を醸し出しています。
いいなあ、ライトアップされた古城って!!!
しかし、流石に1月の山東省です。
氷点下極寒の洗礼を受け、一旦、夕食前にホテルチェックインを済ませるという選択肢を選びました。
とにかく寒い・痛い・辛い!!! -
鼓楼隣で孔廟・孔府に隣接、一体化するように建てられた闕里賓舎(ツイン・朝食付346元)にチェックインです。
ホテル内には様々な国賓が訪れた時の写真が飾られていました。
あらあら、親中派の福田元首相も来訪されたようですね。 -
さあ、夕食を食べなきゃ!と思い、ホテルを出ます。
お腹は空いているのに大半の店は閉店しています (>_<)。
そんな訳でホテル傍の鼓楼脇で唯一営業していた家常菜の食事処に入り、“什公是特色菜?”と紙に書くと、孔府豆腐と書かれました。
ならばと孔府豆腐・楊州炒飯・尖椒土豆絲を注文、三孔超干ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!
久々の尖椒土豆絲、美味しいな~ハオツー (*^。^*) -
部屋に戻り、CCTV13chを見ていると、天気予報が始まりました。
大霧橙色預警・・・嫌な予感です。
どうやら明日の山東省は濃霧のようです。
これって、ひょっとして、PM2.5警報のことなのかな?
ううん・・・大気汚染のことは忘れましょう!!
見なかったことにして寝ることにしましょう!!
暢游初日の1月15日が終わろうとしています(晩安)。。。。 -
早上好!!!暢游2日目、1月12日が始まりました。
闕里賓舎は、四つ星ホテルです。
朝食会場に行くと、熱々麺を料理してくれます。
何をどう注文するのか分からず、笑いながら“麺”と伝え、指で2個という意味のピースをします。
上手く伝わったようで、何らしかの熱々麺が出て来ましたよ !(^^)!
但し、調理された麺の名称は分かりません。 -
闕里賓舎は2階建てのホテルです。
これは、孔一族の住宅である孔府より高い建物を造るのは礼に欠けるという配慮からのようです。 -
さあ、暢游開始です。
闕里賓舎をチェックアウトし、曲阜古城の鼓楼に向かいます。
昨夜、綺麗にライトアップされていた鼓楼ですが、残念ながら登楼出来ません。
東西から鼓楼を眺め、先に進みます。 -
城外から崇信門を振り返ります。
昨夜は綺麗にライトアップされていましたね。
う~ん!!ここも残念ながら登楼出来ません。
我家の暢游目的の一つは城壁散歩ですが、その目的は叶えられそうに有りません。
涙・泪・涕・・・(//∇//) -
仕方が有りません!
城壁上の散策は諦めて、城壁沿いを散策します。
重厚な建築物である城壁って、我家城壁フェチには、とっても魅力的なのです。
あ~~楽しいなぁ!!!(^_^)!!! -
さあ、曲阜古城の迎聖門瓮城から孔廟に向かいましょう。
孔子一族の子孫が暮らした曲阜ですが、現在では、その子孫は全国に200万人もいると言われています!
そして、ここ曲阜には、孔という苗字を持つ10万人の人民が暮らしています。
何と何と・・・曲阜の総人口の6人に1人は孔子の子孫なのです。 -
迎聖門瓮城に掲げてある“萬仞宮牆”という文字ですが、孔子の牆(思想)が萬仞(常深)という意味です。
ここ曲阜ですが、孔子の印象が強い都市ですが、春秋戦国時代には、魯国の都として約800年に渡り栄えています。
そんな歴史も鑑みながら門洞を潜りましょう!! -
通票(140元)です。
これ1枚で、孔廟・孔府・孔林に入場可能です。 -
洞門を潜り、古城内から崇信門を見上げます。
以前は開放されていたらしいのですが・・・城壁には上がれません。
残念・無念・何でやねん!!!
諦めて先に進みましょう!!! -
さあ、幾つもの門と語らいながら、孔廟を奥へと進みます。
写真は明朝時代の建築で金声玉振坊といいます。
朝天吼という蓮花宝座に吼える獅子の彫刻が彫られた4本の石柱で支えられています。
金声とは智の働きで音楽の始めに鳴らす鐘の音を指します。
玉振とは磬(玉または石で作った楽器)を打って音楽終わらせること、つまり徳の働きを指します。
孔子の思想は、一貫してこの智と徳とを兼ね備えた集大成なのです。 -
櫺星門です。
この文字は、清朝時代の乾隆帝の直筆で、1415年に建てられました。
櫺星とは天上の星で、古代の帝王を祀る時、この星に対し儀式を行いました。
この門の存在は、孔子と帝王が同格扱いであると示しています。
孔子様は偉いのです!!! -
聖時門です。
現在では孔廟第2門にあたります。 -
孔廟第3門の弘道門です。
“人能く道を弘む”という意味です。
日本では徳川御三家の水戸徳川藩が弘道館を建てて人材を育てました。
それらの逸材が幕末から明治維新に躍動しています。
歴史は弘道の教えの大切さを物語っていますね。 -
孔廟第4門の大中門、第5門の同文門、第6門の奎文閣、そして第7門の大成門を潜ると孔子が植えた檜に遭遇です。
孔子は苦労・苦学の末に、20歳で会計士となり、50歳で司寇(法務大臣)に昇進します。
しかし、自らの政治見解が受入れられずに辞任し、弟子達を連れて、自らの思想を説いて諸国を廻ります。
晩年は子弟の教育に人生を捧げ、73歳で亡くなっています。 -
十三碑亭とは、中国の各々の時代、孔廟修復作業についての記録を刻んだ53もの石碑を保存する為に建てられました。
13の碑亭は元代のものが2つ、金代が2つ、清代が9つです。 -
その中の一つの石碑です。
亀ではありません、贔屓(ひいき)の背中に立てられています。
因みに贔屓は龍の子の一つです。
龍には九つの子があり、その順位1位が贔屓です。
贔屓するという言葉の意味が分かりますね。
へへへ! 御主人様、御贔屓に!<^!^>! -
大成殿です。
宮殿様式で、黄色い瑠璃瓦が輝く二層の屋根を持つ大殿堂です。
日本人も知ってのとおり、日本にも孔廟が有りますよね!!
その代表は、東京神田明神前の湯島聖堂ですね。
江戸時代、徳川幕府は儒教を学問の中心と位置付けました。
従って朱子学を講義した幕府や各藩校では、孔子を祀る廟が建てられ崇敬されたのです。
何も徳川幕府は鎖国政策一辺倒では無かった訳ですね。 -
大成殿の正面の10本の柱には、それぞれ2体の龍が力強く彫られています。
これは1500年(明の弘治13年)徽州の職人により彫られたものです。
文化財保護の観点から、柵に覆われていますが、皆さん、柵に手を差し伸べてお触りしていますよ (=_=)! -
孔子像に御対面です。
ここ曲阜の三孔ですが、日中戦争(中国呼称:抗日戦争)当時、“日本軍は曲阜では孔家に狼藉を働かず、略奪もせず、むしろ、孔子に対して親しみと尊敬の念を寄せていた”と言われています。
当時の悲しい両国の歴史の中、戦禍を免れたのは、日本人にも浸透していた孔子の教えが有ったからでしょうか。
そんな孔子様に合掌!!! -
あらあら、11:00になり、赤装束の一団が出て来ました。
そして8人8列の孔子祭典楽舞が始まりました。
太鼓に合わせて、様々な型の舞踏が続きます。
進行役の男性がマイクを握って、“●◯◎×◇■◯×▲”と説明をしていますが、日本語しか分からない我家には理解不能です。
ん~何を語っているのだろう・・・ -
孔廟の一角に魯壁という場所があります。
秦の始皇帝より焚書の厳命いわゆる焚書坑儒が発せられました。
法律・歴書・農書・医学書など日常の実用書以外、全て書物を所持してはならないという命令です。
何と儒家の経典を所持しているだけで処刑されました。
そこで、当時の孔家の当主9代目の子孫孔鮒は、書物を密かに壁の中に塗り込めて隠したのです。
やがて秦朝が滅び前漢王朝が成立、孔安国という学者が壁の中に隠されていた古書群を発見しました。
この壁は、そんな歴史の番人なのです。 -
孔廟東門から退場し、鐘楼を通り、闕里街を北上、今度は孔府に向かいます。
闕里街はお線香を売る露店が連なり、独特の香りが漂っています。 -
次の暢游地点の孔府です。
通票で入場します。 -
入場すると、直ぐに重光門が現れます。
この門は儀礼的な門で、重要な儀式の時だけ13発の礼砲とともに開門され、貴人しか通ることが許されませんでした。
左右に続く塀が無く、変な門ですね。 -
重光門の次の内宅門を潜ると貪照壁が現れます。
この“貪照壁”には不思議な動物が描かれています。
この動物ですが、頭は龍、背中は麒麟、足は牛、尻尾があり、手足に宝物をたくさん持っていて、口先に描かれた太陽までも手に入れたがっていて、“貪婪之獣”と呼ばれています。
これは、代々、役人になる孔家一族の子孫への戒めの為に描かせたものです。
欲に埋もれれば必ず罰が下されると厳しく教え込む為に、ここに描かせたそうですよ。
皆さん!私利私欲にまみれずに生きましょうね (*_*) -
“六代含飴”と書かれた扁額が見えます。
これは乾隆帝によって書かれたものです。
乾隆帝の子女が孔家に嫁入りした際、孔家の厳しい家訓に耐え切れず、実家に辛さを訴えました。
それを聞いた乾隆帝は、孔家六代が仲睦まじく暮らせるようにと“六代含飴”という言葉を書いた扁額を渡しました。
しかし、六代って、皆さん、早婚・早産の連続ですかね (^'^) -
“寿”の掛け軸です。
よく見ると、寿という漢字、横一本多いのが分かりますか? -
孔府の北門から後作街に出ると、観光用馬車に遭遇です。
曲阜古城南門 崇信門と北門 延恩門を結んでいます。
体力に自信が無い方、時間に余裕がある方、のんびり&ゆったり馬車の旅は如何ですか?(o^^o)? -
さあ、次は後作街を挟んだ顔廟を暢游しましょう。
ちょっとマイナーですが、顔廟(50元)は孔子の一番弟子の顔回を祀った廟です。 -
顔回は、紀元前400年代前半の逸材で、孔門十哲(孔子の弟子で最も優れた10人)の筆頭です。
その顏回は、決して名誉栄達には見向きもせず、常に孔子の教えを理解し実践することを究めました。
その優秀さにも関わらず、とても質素な生活をし、41歳という若さで逝ってしまいました。
そんな顔回の生涯に手を合わせて合掌!! -
顔廟暢游を終えて、曲阜古城北門の延恩門に向かいます。
さあ、洞門を潜って曲阜古城の城外に出ますよ !(^^)! -
城外に出て、堅固な瓮城構造の延恩門を振り返ります。
いいなあ~~瓮城を伴う城門って!! -
孔林まで、中軸線を歩きます。
曲阜古城延恩門から孔林迄は、全長1,266メートルの1本道で繋がっており、この中軸線は“神道”と呼ばれています。 -
石牌坊を潜り孔林に向かいます。
孔林とは、孔子と孔一族が眠る中国最古でかつ最大の氏族墓地です。
1997年にユネスコ世界遺産に登録されました。 -
石牌坊周辺に、お土産店や食事処が並んでいます。
その中、熱心に声をかけて来た小母さんの店に入りました。
昨夜同様に、“什公是特色菜?”と紙に書くと、四喜丸子と書かれました。
なれば、四喜丸子・尖椒土豆絲・水餃を注文、三孔超干ビールで ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!
あ~昼餐は楽しいなぁ~ (^'^) -
昼食後、後半戦の暢游開始です。
中軸線を更に北上すると、孔林大門の至聖林です。
ここで通票チェックを受けて入場します。 -
孔林地図です。
広い敷地の何処を暢游しようかな?
因みに"林"とは墓の地位を示す名称で、皇帝の"陵"に次ぐ地位にある聖人の墓を示します。
全国に関帝廟は点在しますが、関林廟は洛陽にしか無いのと同じ理屈ですね。 -
広大な孔林故に、電動カートを利用することも可能です。
但し、有料ですよ(当たり前か・・)。
当然、我家は自力歩行を選択します。 -
やがて、氏族墓地入口の二林門を潜ります。
砦のような建物で、観楼とも呼ばれています。 -
沫水橋から奥へ行くと、寧門があります。
-
神道を奥へ進んで行くと・・・
石像生が黙して並びます。 -
子貢お手植えの楷の木です。
現在は枯れてしまっていますが、その枯れ木がそのまま保存されていました。
楷の木はその後、科挙の合格祈願の木とされ、学問の木とも言われるようになりました。
子貢の孔子に対する尊敬の念は厚く、孔子が亡くなると3年間もの間、孔子の墓の側で喪に服したそうです。 -
孔子の孫の子思の墓陵には、“沂国述聖公”という戒名が付けられています。
“沂”とは当時の魯国の呼び名です。
“述”とは述べるという意味です。
“聖”は孔子を表します。
つまり、孔子の教えを述べた沂国の偉人ということです。 -
孔子の1人息子・孔鯉のお墓を通り過ぎます。
親不孝なのか、父孔子よりも先に50歳で逝ってしまいました。
孔鯉・子思ともに、孔子のお墓の東前方に配置されています。
“携子抱孫”(孫を抱きかかえる)という陵慕の配置様式が特徴と言われています。 -
遂に孔子の陵墓に到着です。
“大成至聖文宣王墓”と彫られています。
通常の目線からだと“王”の文字が歪んで、二番目の横線までしか見えません・・・変な間延びした漢字だこと!! -
この理由は、皇帝が墓陵を訪れた際に、孔子が“王”を名乗っていることを怒ったら大変だ!という子孫の心配による視覚的な工夫なのです!
皇帝には見えないようにしたのです。
何と涙ぐましいのだろう・・・
写真は上から目線で覗き込んで写しました。
この角度だと“王”という漢字が全て見えますね !(^^)! -
至るところに墳丘が見えます。
10万人の孔一族の方々が埋葬されていると言われています。
此方も
彼方も
何方も
全て孔さんです。 -
明朝時代の孔一族の墓地エリアにも暢游しました。
時間が足らなくて行けなかったのですが、清朝時代の墓地エリアも有りますよ。
皆さん、時間に余裕を持って訪れて下さいね (*^。^*) -
さあ、孔林観光を終えます。
移動前にトイレに行ってアレ?アレ?アレ?
???なトイレの便器ブランドです。
イタリアには、COCOという陶器メーカーが有るのかな?
ちょっと笑えますね (=(^.^)=) -
さあ、今日は鄒城まで移動しなければなりません。
孔林西側の環衛処站で曲阜汽車站行きの路線バスを待ちます。 -
すると・・・
路線バスではないのか?
中距離バスなのか?
汽車站と書かれたボードを付けたバス(1元)がやって来ました。
一緒にバス停に並んでいた人民の方々が手を挙げてバスを止め、サッサと乗り込みます。
我家も続けと乗り込みます。
このバス、汽車站に行くよね??? -
途中、バスの車窓から、曲阜古城西門が見えて来ました。
この西門は宗魯門と呼ばれています。
どうやら楼閣は残っていませんね。 -
途中、旧曲阜汽車站を経由して、終着の曲阜汽車站まで乗車します。
さあ!鄒城行きのバスを探さなきゃ!! -
集票処で切符を買おうとすると、服務員から“●△◇×●◇◎”と叫ばれ、指差す方向にある流水方式のバス乗場に並びます。
やがて、鄒城と記された真ん中の行列が一斉に動き出します。
どうやら鄒城行きの路線バスが到着したようです。 -
鄒城行きC609路(3元)です。
始発のため、座れます (^_^)。
ラッキー!lucky!!很幸運!!! -
乗車約50分後、鄒城市内の文化広場站で降車、事前予約している鄒城油龍大厦(ツイン・朝食付き188元)は目の前です。
陽が落ちると、急速に気温が下がって来ます。
早くホテルの部屋に逃げ込まなきゃ!!! -
一休みしてから、夜の鄒城の街に繰り出します。
街中の通り名・路地名を見ていると、ここ鄒城も城郭都市だったことが分かります。
そんな鄒城古城の北門里大街に建つ重興塔に行ってみると、何と何と、絶賛ライトアップ中です。
いやはやアイヤ~綺麗ですね~。 -
重興塔近くの食事処で鱒火鍋・地鍋鶏を注文、無名干ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
広い中国では、一言で火鍋と言っても千差万別です。
ん~美味しいなぁ~(o^^o) -
部屋に戻り、今夜もCCTV13chを見ていると、大霧橙色預警に関するニュースが始まりました。
天津が大変なことになっています。
明日の鄒城観光は大丈夫かなぁ~~~
まあ、気にしても仕方がないか!!
暢游2日目の1月12日が終わろうとしています(晩安)。。。。 -
早上好!!!暢游3日目、1月13日が始まりました。
ホテルの窓から外を眺めてみると・・・
白銀の世界のように、辺り一面、真っ白です。
唖然・呆然・愕然です。
マスクが必要かも・・・ -
ホテル前の教育局站から明魯王陵に向かうべく、K210路バスを待つこと約20分、やっと目的のバスが到着です。
今日の天気予報は晴れなのですが、実際は一面濃霧で薄暗い様相です。
う~~ん、この濃霧、洒落になりません。
濃霧・悩夢・No無・・ハァ~ (@_@;) -
K210路バスは、郊外に出た途端に爆走です。
それにしても、この濃霧はPM2.5が起因の大気汚染のようです。
中国で龍角散ダイレクトが神薬と呼ばれていて、とっても人気が有る理由が分かります。
ゴホンといえは龍角散ですね (^_^)。 -
やがて、K210路バスは明魯王陵站で停車、我家の暢游が始まります。
し・か・し・・・その明魯王陵は濃・濃・濃霧に覆われたままです。
ん~負けていられませんし、行くしかありません。 -
門票(20元)です。
-
明魯王陵景区の案内板です。
荒王陵は明の初代皇帝朱元璋の第10子魯王朱檀と王妃戈の陵墓です。
暢游開始しますよヾ(@⌒ー⌒@)ノ -
大紅門を潜り・・・
-
1,200m続く神道を進みます。
神道定番の六角形の石望柱から始まりますね。 -
明魯荒王を守らなきゃ!!!
石像生が黙して並びます。
道の両側に6種類の動物が、跪く(ひざまずく)あるいは蹲る(うずくまる)姿など、合わせて12対24体の石像と、軍人・文官・上級家臣それぞれ2対、合計6対12体の36体の石像が参道の左右に配置されています。 -
濃霧の先に陵門が見えて来ました。
朱檀は、不老不死や不老長寿といったものに夢中になり、自ら薬物の人体実験になり、その結果、何と19歳の若さで亡くなっています。
こんな所業の馬鹿息子ゆえ、明始祖 朱元璋から“荒”の諡を賜ります。 -
明楼まで辿り着きました~(*^。^*)
高さ13mで正方形平台の四面辟門構造です。
歩いて来た中軸線の南延線上に朱山が位置しています。
慕陵構造ですが、北京の明十三陵の定陵に似ていると言われています。
へえ~そうなんだあ~ヽ(^o^)丿 -
明魯王陵の地下宮殿は地下26mにあり最深部に墓室があります。
出土品は山東省博物館に収蔵されています。
今回の暢游スケジュールでは山東省博物館には行けません。
またの機会ですね!!! -
墓室への階段を降りて行くと・・・
-
前室に達します。
俑群が並び,ガラスケースに収められています。
後室の棺を守護する任務は任期無限ですかね。
皇帝を守って何百年てか・・・
因みに、龍角散は日本ののどを守って200年です。
ハハハ、比べる意味無しかな!! -
西隣60m程の場所に朱檀の王妃戈の陵慕が有ります。
ここも地下宮殿が公開されています。
行ってみましょう!!
潜ってみましょう!!
見てみましょう!!! -
後室の棺です。
王妃戈は享年72歳で棺に入りました。
観光客が起こしてしまいましたかね・・・
これからも眠り続けて下さいネ (*^。^*) -
さあ、明魯王陵から鄒城中心部まで、路線バスで戻ります。
待つこと約10分、満員御礼状態のK210路バスが通りかかりました。
大混雑・超混み込みの山手線に突進するかの如くです。
いやはや参りました~ (//∇//)。
帰路のバス運賃ですが、往路よりも1元安い3元でした。
理由は?? 分かりません!!! -
唐王湖バス停で降車し、孟廟・孟府に向かいます。
やがて櫺星門が見えて来ました。
さあ!!入場しますよ o(^_^)o -
孟廟・孟府の通票(30元)です。
-
孟廟は亜聖廟ともいい、孟子が祀られている場所です。
亜聖とは“孔子に次いで2番目の聖人”という意味です。
入口に案内図が有ります。
地図を頭に叩き込んで進みますよ!! -
現存する孟廟は金・元・明・清等の各時代に、数十回もの再築や拡張を経て、現在の規模になっています。
曲阜の孔廟に比べてマイナーですが、山東省で現存する古建築群の一つです。
1988年に全国重点文化財保護単位に指定されています。 -
康煕帝建立の碑です。
-
五通碑です。
師匠でもある孔子の孫 子思を記念した石碑です。
孟子は孔子の孫 子思の門人に弟子入りし、学問を究め,諸国に遊説した後、退いて“孟子”7章を完成させました。 -
“遷地教子”や“三斷機杼”は有名な諺です。
“孟母三遷”や“孟母断機”とも伝えられています。
子供を良い環境で育てるためなら、何回引越ししても構いません。
昨今の熱心な教育ママ達の模範になっていますかね。 -
本殿である亜聖廟です。
北宋の景祐4年(1037年)に建てられ、後に孟子を祭る重要な場所となりました。
そうそう、孟子と言えば人間の本性は善とする性善説です。
その説くところは、孔子と同じく仁義を基礎とし、道徳をもって国を治めるとする王道政治です。 -
続いて隣の孟府です。
孟府とは、孟子の子孫が暮らし、政務を執り仕切った邸宅です。
鄒城には今なお、7~8万人の孟子の子孫が暮らしているそうです。 -
孟子は、姓は孟、名を軻といいます。
紀元前372年に生まれ、3歳の時に父親と死別します。
その後は母親の手で育てられました。 -
孟府の中にある儀門です。
この門は、皇帝の降臨や重大な儀式の時にのみ開けらました。 -
日本ではあまり耳にしませんが、中国では孟子のことを亜聖とも呼びます。
何か少し微妙な呼び方です。
亜という表現は、日本語では亜流という言葉に代表されるように、少々マイナス的な言葉です。
ニュアンスが若干違うのしょうか、中国では堂々と亜聖廟と銘していますね。
ところ変われば!!ってことですね。 -
日時計です。
PM2.5の影響なのか?太陽は顔を出しません。
当然、日時計の影は無く、時間を計れません (*≧∀≦*)
今、何時ですか?
What time is it now? -
習儒館です。
孟子の思想は日本等、周辺国に大きな影響を及ぼしています。
1869年、西園寺公望が京都御所に開設した私塾を“立命館”と命名しました。
その“立命”の二文字は、孟子の修身立命の思想から取ったものです。
こうして尖椒土豆絲の出身母校 立命館大学は開設されたのです。
校名の由来、御存じでしたか?(^'^) -
孟廟・孟府暢游後、近くの廟前路の食事処に入り昼餐開始です。
“●△◇×●◇◎”と言われるも意味不明。
寒さを和らげるべく入口に並んでいた鯉火鍋を指さし注文、無名干ビールで ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!
昼間の酒宴は非現実的で楽しいのなんの!
中国旅行は止められませんネ (*^◯^*)。 -
暢游後半戦は鄒城博物館を攻めます。
中国の各都市の博物館ですが、嬉しいことに、大半は無料開放されています。
ではでは鄒城の歴史を学びに行きましょう(^_^)。 -
博物館に鄒城の年表が設置されています。
今から3000年程前の鄒城は朱国と呼ばれていました。
城壁で囲まれた要塞都市だったようです。 -
当時の城壁は残っていませんが、城壁を伴った鄒城のジオラマが我家を迎えます。
-
紅陶という新石器時代の赤焼土器です。
-
費敏父鼎という春秋時代の青銅器です。
これらが後世になって、日本を始めとする周辺国に伝わって行ったのですね。 -
思想書“孟子”の紹介です。
その書が如何に膨大な量なのかを展示ボード前に積み上げられた竹簡の巻物で表しています。
“孟子”を当時の竹簡で書いた場合、これだけの量が必要なのです。
いやいや~博物館って面白いなあ~~ヽ(^o^)丿 -
さあ、鄒城博物館見学を終え、鄒城火車站に向かいます。
第五中学站で待つこと3分、最初に到着した20路バス(2元)に乗り込みます。 -
鄒城火車站に到着です。
高鉄站と違い、アカ抜けしない昔ながらの站舎です。
列車は地元民の足になり、多くの人民で混雑しています。 -
昔、男優の関口知宏が中国全土をローカル汽車で旅するNHKのTV番組“中国鉄道大紀行”が放映されていました。
地方都市を汽車で移動し、出会う人民の方々との触れ合いを追っていた番組です。
ん~思い出すなぁ~! -
事前購入しておいた鄒城から泰山までの乗車券(16.5元)です。
同区間を結ぶ長途バス料金は30元です。
汽車は安価な上に、所要時間も計りやすくて助かりますよね (^○^)! -
K772列車和諧号が入線です。
和諧(調和のとれた)社会を構築するといった中国の統治理念は、程度の差はあっても、孟子の思想の要素を含んでいると言われています。
その和諧号ですが、高鉄とは違う旅を味わえるかな?? -
2等車は満席です。
危うく座れないところでした。
沢山の立席の人が居ます。
事前予約して正解でした~(^○^)! -
1時間40分後、泰山火車站に到着です。
泰安市の中心駅なのに、何故か泰山站という駅名です。
それ程、泰山が有名なのでしょう (^_^)。 -
泰山站から徒歩10分程の泰安泰山弗爾曼酒店(ツイン・朝食付き312元)にチェックインです。
よっしゃー!、岱廟のライトアップを見に行きますかネ。
ホテルから15分程、東岳大街を東に歩くと岱廟に到着です。
南西角の坤楼が照らされ、綺麗に浮かび上がっています。 -
岱廟南正門の正陽門です。
重厚な作りに圧巻です。
明日、来るからね~ (^_-)-☆ -
岱廟近くを流れる奈河沿いの奈河東路は、夜市街になっています。
我家大好き THE・アジア~的な空間が広がります。 -
しかし、この氷点下の寒空の下、露店を営む方々は大変ですよね~。
ご苦労様です(辛苦了~)!!! -
夜市街に並ぶ食事処の1軒に入り、冷えた体を労わるべく麻辣湯鍋を注文、泰山ビールで ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!
辛くて、痺れて、美味しいな~ (^_^)!
暢游3日目の1月13日が終わろうとしています(晩安)。。。。 -
早上好!!!暢游4日目、1月14日が始まりました。
泰安泰山弗爾曼酒店は、四つ星ホテルです。
アツアツ麺を目の前で調理してもらいます。
何をトッピングしようかなぁ~~~
湯気に包まれ、幸せな瞬間ですよね (^○^) -
あらあらあら・・・\(^o^)/
朝から白酒で一献ですか?
何と太っ腹なサービスなんだこと!!!
遠慮せずに頂きま~す (=^・・^=) -
ホテル前の斉魯銀行站から泰山観光基地の天外村まで、路線バスで移動します。
-
K3路バス(2元)で泰山山麓の天外村に向かいます。
-
薄っすらと天外村から泰山が見えています。
登山家のアルピニストとしての血が騒ぎます。
よっしゃ~登るぞ~!!!観光登山バスで・・・ -
アルピニストの血が騒ぎましたが、天外村から中天門迄は登山観光バス(30元)を利用します。
この観光バス、満員にならないと発車しません。
待つこと約20分、全席が埋まり、発車オーライ!!! -
泰山入山の門票(102元)です。
観光バスやロープウェイを利用しない自力登山の方でも入山料は必要です。 -
観光登山バス降車後、ロープウェイ乗場まで移動します。
途中、沢山のお土産屋さんが並び、“●◯×◎●×◇■”と呼びかけられます。
登山客は今から山頂を目指す時に、お土産は買わないでしょ~!!! -
ロープウェイに乗らずに中天門から南天門まで歩くという選択肢も有ります。
泰山の南天門に続く急な石段を撮った泰山の代表的な写真を使った地図が掲げられていました。
かなり急な石段なのだろう・・・ -
その泰山の代表的な景色です。
遠くに南天門へと続く急な石段が見えています。
山麓の紅門から標高1,545mの泰山山頂まで、9km7,412段あるそうです。
この石段を登りますか???無理・無理!!
我家には時間も体力も根性も有りません・・・
あしからず ((+_+)) -
中天門です。
我家はらくらく登山バス利用ですが、山麓の紅門から徒歩で登って来た場合、この中天門が中間地点に当たります。 -
泰山登山ルートは、山麓の岱廟中軸線上の紅門です。
その紅門から続く登山道の石段を見降ろします。
自力で登って来た方々、御苦労です。
バスで登って来た方々、贅沢者です。
青空を飛んで来た方々、いる訳が無いか・・)^o^( -
登山バスの次はロープウェイ(中天門索道)利用です。
時間的・体力的・気力的にも自力登山は困難です。
文明の利器を活用して、一気に泰山を攻略しましょう。 -
超高のロープウェイ門票(片道100元)です。
-
一気に高度を稼ぎます。
泰安市内と違い、鮮明な青空が広がっています。
やっと晴れ男・晴れ女の本領発揮です(*^。^*) -
岩山に急な石段が見えています。
絶対に登れない・歩けない・有り得ない・・・ -
僅か7分で泰山の南天門站に到着です。
早・速・隼!!! -
ロープウェイ駅から徒歩5分程で、南天門(別名:天門関)に到着です。
先程の中天門から自力登山した場合、直接この南天門に辿り着きます。
この南天門は天国への入口と言われ、洞門を潜ると仙人になれるそうです。
地獄に行くのは嫌ですし、早速、天国に行きましょう。
間違わないで下さい、“逝く”では無く、“行く”ですよ (^○^) -
南天門から参拝道“十八盤”を見降ろします。
何て急な石段なのだろう!
体力的に泰山に自力で登るのは無理ですが、この急な石段を降りるのは、もっともっと大変そうです。
こりゃ無理・無茶・無謀だわ!!! -
ここ泰山ですが、我家が利用した中天門索道以外に、泰山西側に架かる桃花源索道で登るコース等も有るのですね。
流石、広大な泰山風景名勝区ですね。 -
青空に酔いしれていて、ふと気になりました。
下界はスモッグに包まれています。
遠く地平線に目を移せば、青空とスモッグの境目が分かります。
う~ん・・・その線から下には降りたくないなぁ~!(//∇//)! -
さあ、天街門を潜り、泰山山頂を目指します。
行程の大半を登山バスとロープウェイに頼ったこともあり、まだまだ体力温存です。 -
先程通過した南天門です。
天街門から振り返ります。 -
暫く天街の平坦な道を進むと、急な石段が現れます。
ロープウェイを利用したとはいえ、最後は自力で登る必要が有ります。
さあ、深呼吸して、気合を入れて、喝を入れて、突撃だぁ~!!!!!! -
石段を登り切り、山の神様の娘である碧霞を祀る碧霞祠に到着です。
ここ、世界遺産の泰山は、山東省の中央部に位置しています。
祟山(河南省)・華山(陝西省)・恒山(山西省)・衡山(湖南省)と共に、中国伝統宗教の道教最高の聖地として中国五岳の筆頭に君臨しています。 -
更に登ると、唐磨崖碑である大観峰に到着です。
秦の始皇帝は、自らの功績を讃えた文章を石に刻ませて7つの名山に建立しています。
実は、その一つが、ここ泰山刻石です。
その後も刻石は続きますが、最も右側の岩は、唐の玄宗皇帝“封善の儀”の時に彫られた“紀泰山銘碑”です。
金色の文字で刻まれています。
“封善の儀”ですが、山頂の祭壇で天に感謝の気持ちを表すのが“封”、泰山の麓で大地に感謝を捧げるのが“禅”といわれ、この2つを合わせて“封禅の儀”といい、皇帝の地位を盤石なものにする大切な儀式です。
泰山とは皇帝が支配権を握ったことを天に報告する儀式が行われた特別な山なのです。 -
五岳独尊の石刻からの日観峰の景色です。
中国紙幣の5元札の図柄は、ここからの眺めです。 -
5元人民札の図柄です。
実際とは、かなり違うような・・・
ハハハ・・・まあ、細かいことには触れずに次に進みましょうかね!!! -
この石碑は無字碑と呼ばれていて、何も刻まれていません。
漢の武帝が封禅をした時、あまりにも美しい眺望に言葉が出なかったからだと言われています。
確かに泰山からの眺めには感嘆しっぱなしです。 -
遂に泰山玉皇頂に到着です。
泰山は秦の始皇帝以降、72人の皇帝の封善の儀が行われた聖地です。
皇帝は即位したとき、その正当性を示すために天地を祀る“封善の儀”を行うことが定められていました。 -
泰山山頂部を暢游します。
すると、孔子小天下所という文字が刻まれた石碑に遭遇です。
孔子が泰山に登った時に“泰山に登ると天下は何と小さいことか”と歎じたという故事を表しています。 -
暢游は続きます。
変わった寝石が見えて来ました。
拱北石またの名を探海石といいます。
元々は直立した岩石であったものが重力によって倒れて形成されたようです。 -
仙人橋という奇石です。
三つの巨石が橋のように重なっていることからこの名が付きました。
正に自然の芸術ですね。 -
さあ、晴天に恵まれた泰山を後にします。
復路も超高ロープウェイ(100元)を利用し、一気に中天門まで下山します。 -
中天門で観光バスに乗り継ぎます。
紅門まで歩いて下山するか・・・?
少し悩みましたが、時間が足りません。
泰山をじっくりと味わうには、山頂宿泊が必要ですね。 -
中天門から天外村までの下山バス(30元)を降車後、次の暢游地点の岱廟に向かいます。
天外村天地広場站から64路バス(2元)で紅門站を経由して岱廟站まで移動です。 -
岱廟暢游前に昼食タイムです。
北門近くに岱北農貿市場が拡がっていました。
日本では既に消えてしまった懐かしい庶民用市場が、我家をノスタルジーの世界に誘います。 -
そんな市場の中で、餃子を手作りしている家常菜の食事処に遭遇です。
作りたての水餃が食べたくなり、迷わず突進します。
ん~美味しそう!(o^^o)! -
早速、水餃・尖椒土豆絲を注文、泰山ビールで ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!
らくらく登山後のビールは喉に沁みるなぁ~! -
暢游後半戦は岱廟観光です。
泰山を先に観光した関係で、岱廟観光は北門(後宰門)から入って南門(正陽門)に抜ける逆ルートになってしまいました。 -
岱廟の門票(30元)です。
-
入場と同時に登城です。
実は今回、曲阜古城壁散策を断念した時から、中国暢游旅行での城壁散策は諦めていました。
ところが、何と何と、岱廟を囲む城壁は散策が可能になっていました。
嬉しさの余り、城壁大好き我家の決めポーズです (*^◯^*)!
イェーイ!!! -
う~ん、岱廟の城壁、シビれます。
城壁散歩は我家の中国旅行の重要なテーマなのです。 -
岱廟北西角の乾楼もシビれます (*^◯^*)。
-
岱廟西門から城壁を降り、泰山市博物館に入ります。
泰山のジオラマ模型が展示されています。
山麓の写真中央が岱廟中軸線上の紅門です。
泰山山頂まで直線的に伸びる中軸線が印象的です。 -
岱廟泰山廟会文化展エリアの遺跡群です。
何枚もの石碑・碑文や贔屓(亀趺碑)が展示されています。 -
仁安門を潜ると、ここ岱廟の本殿天(貝へんに兄)殿が見えて来ました。
ここ天(貝へんに兄)殿は宋代創建で、北京紫禁城の太和殿、曲阜孔廟の大成殿と並んで中国三大宮殿建築の一つに数えられています。
泰山府君像が祀られています。
別名、天啻殿(てんきょうでん)とも呼ばれています。 -
天(貝へんに兄)殿には貴重な壁画が残されています。
見学は無料なのですが、靴の上にカバーを履かなければなりません。 -
その内側の壁に描かれている壁画です。
泰山神の巡視の様子が描かれていて見応えがありました。 -
秦二世皇帝胡亥刻石です。
彫られているのは、あの悪名高い丞相李斯の書だそうです。
紀元前219年に彫られた文字が現代に伝わっています。
当時は、222文字が刻まれていましたが、現在確認できるものは10文字のみになっています。
う~ん、歴史ファンには計り知れない魅力です! -
漢柏連理です。
連理柏とも言い、漢武帝が植樹しました。
ということは、樹齢は約2100年ということになります。
ねえねえ漢柏さん!長い中国の歴史を見て来たことでしょう? -
いよいよ岱廟暢游も終了です。
岱廟南門の正陽門に登楼、南側の廟外を見降ろします。
中軸線に続く岱廟坊が見えています。 -
岱廟北側の廟内を俯瞰します。
中軸線に続く配天門と、遠くに天(貝へんに兄)殿の屋根が見えています。
さあ、岱廟観光は終了です。 -
岱廟南正門の正陽門から廟外(城外)に出ました。
昨夜の幻想的なライトアップが脳裏に焼き付いていますよ。 -
岱廟坊という石牌坊です。
正陽門前の中軸線に立ちます。
尚、ここは無償エリアです。 -
岱廟南門正面から南に続く中軸線の通天街を暢游します。
北京紫禁城でいう前門にあたります。
霊山大街に出て、高鉄泰安行きの路線バスを待ちます。 -
岱岳区供電局站から38路バス(2元)で高鉄泰安火車站に向かいます。
いよいよ泰山観光も終わりになります。
さ・み・し・い・なあ~ (=_=) -
泰安站に無事に到着です。
高鉄線の駅名は泰安、従来のローカル線の駅名は泰山です。
皆さん、間違わないようにして下さいネ(^O^) -
G146が入線です。
1時間28分で泰安ー天津南站を結びます。 -
泰安站から天津南站迄の切符(159.5元)です。
初日往路の高額ビジネス席に懲りて、降車後の曲阜東站集票処で事前購入していました。
今回は無事に二等席を確保です (^_^)。 -
京滬高速鉄道の天津南站は天津市の西側郊外に位置します。
しかし、郊外に建設された天津南站と天津市中心部は地下鉄で結ばれ、大変便利になっています。。 -
天津地下鉄3号線と2号線を乗り継いで鼓楼站に向かいます(4元)。
鼓楼站から地上に出ると、高層ビル群が現れます。
天津は大都会ですね。 -
天津鼓楼近くの天津雅尚商務酒店(290元・ツイン朝食無)を探しますが、道順が分からず迷子になってしまいました。
最後は百度地図ナビに頼り、無事にチェックインです。
流石、文明の利器です (*^◯^*)。 -
鼓楼南街入口の牌坊です。
時間が遅い為なのか?大半の食事処が閉店しています。
楽しみにしていた鼓楼のライトアップは無し・・・
残念・無念・何でやねん!!! -
美食街で唯一営業していた隆通四海酒楼という食事処に入り、特色津門焼魚を注文、雪花ビールで ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!
大きな魚を一度、油で揚げてから、麻辣味に仕立てた料理で、美味しいですよ(^_^)。
暢游4日目の1月14日が終わろうとしています(晩安)。。。。 -
早上好!!!暢游5日目最終日、1月15日が始まりました。
寒冷前線が通過し、気になっていた濃霧は消え去りましたが、代わりに寒波到来です。
今日の天津は、最低温度は氷点下8℃、最高気温は氷点下2℃と報じられています。
いわゆる真冬日です。
覚悟して、気合いを入れて、暢游しなきゃ!(≧∀≦)! -
朝食を頂こうとフロントに食券を買いに行くと、“没有”との回答です。
どうやら事前ネット予約制で、人数分しか用意が無いようです。
止むを得ず、ホテル近くの食事処で牛肉細麺・牛肉刀削麺・雲呑を食します。 -
さあ、気を取り直して再稼動です。
昨夜訪れた鼓楼南街入口の牌坊から暢游開始です。 -
6年前、天津暢游をした時にスルーした格格府を観光しようと考えていたのですが、閉鎖されています。
残念・・・
断念・・・
無念です (≧∀≦)! -
天津古城中心部に鎮座する天津鼓楼です。
ここは過去に観光したことがあり、今回はスルーします。 -
鼓楼商業街(東門内大街)から鼓楼を振り返ります。
以前に観光した天津広東会館・天津老城博物館・天津文廟博物館はスルーし、天津古文化街に向かいます。 -
その天津古文化街の牌坊です。
古い町並みが整備されています。 -
極寒の平日故か?
人通りが少ないですね。
6年前の労働節に訪れた時は、凄い人・人・人だったことを思い出しました。 -
綺麗な青空が厳しい極寒環境を忘れさせてくれます。
とは言い過ぎかな?
寒いという事実は変わりません (≧∀≦)!
何にせよ、PM2.5が消え去り良かった良かった~。 -
その古文化街の一角に、新たに天津民俗博物館が開館しています。
6年前は無かったですね。
早速訪れてみましょう(免費)!! -
館内には旧天津古城図が展示されています。
もともと、天津は堅固な城壁に囲まれた城郭都市だったのです。 -
将棋盤や駒が展示されています。
今でも街の彼方此方で将棋盤を囲む多くの人民に出会います。
将棋は大切なコミュニケーションツールなのでしょうね! -
広場では旧正月用の様々な装飾品が売られています。
2019年は猪年(亥年)ですが、ここ中国だと豚にしか見えません。
まあ、猪も豚も、同じようなものかな!! -
海河に架かる歩行者専用の金湯橋を渡ります。
背丈の高い船の運航を想定し、橋桁が動く可動式鉄橋だったようです。
近代天津の発展振りが垣間見えますね (^O^)。 -
流石、氷点下です。
海河全体が凍っています。
氷に穴を開けて、釣りをする人もいます。
そりゃ寒いはずだぁ~!!! -
袁世凱旧居です。
絵画の画廊が開催されており、入場料50元でした。
歴史的建築物に興味が有るのですが、画廊に興味の無い我家は退散、見学は見送りです。 -
清末・中華民国の軍人である湯玉麟の旧居(現:天津工商行政管理局)です。
歴史的建築物群の一つですが外観のみ回覧で、内部は公開されていません。 -
今回の暢游の最後を飾る梁啓超祈念館(旧居)です。
ん・・・昨日から休館しています。
祈念館(10元)観光は諦めざるを得ません。
ヤ・ラ・レ・タ・・・!!! -
我家と同じように、休館とは知らずに訪れた観光客が、周りの道路で右往左往しています。
まあ、仕方がありません。
諦めが肝心です (≧∀≦)。
記念写真を撮って退散します。 -
さあ、5日間の暢游スケジュールを消化しました。
地下鉄2号線で天津濱河国際空港へ移動します(4元)。
梁啓超祈念館近くの建国道站から天津濱河国際空港站まで僅か30分です。
便利な空港ですね~(*^_^*) -
天津濱河国際空港に到着です。
第1ターミナルは国内線、第2ターミナルは国際線です。
ほぼ空港大改造は終了しており、新しく増強された国内線ターミナル内は、食事処満載です。 -
あぁ~今回も我家中国暢游の旅、楽しかったなぁ~\(^o^)/
-
国内線ターミナル内の食事処で紅焼牛肉麺套餐と香辣牛肉醤拌麺套餐を注文、青島ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!
何と、僅か315ml入り少量の青島ビールが1本で15元もします。
空港プライス\(◎o◎)/だなあ~! -
時間が無くなって来ました。
春秋航空日本のカウンターに並びます。
あぁ嗚呼~毎回毎回、この瞬間は後ろ髪を引かれますね~ ((+_+)) -
東京成田行きIJ1032便の搭乗アナウンスが始まりました。
我家の中国暢游が終わろうとしています。
山東省、名所満載で魅惑的な地域でした。
楽しかったなぁ~(^-^) -
山東省史跡巡りの旅・・・・如何でしたか?
過ぎてしまえば、あっという間の5日間の旅でした。
3列シートで隣になった焦作市出身の李さんという日本語ペラペラの中国人の方との話に花が咲き、あっという間に時間が過ぎます。
さあ!!明日から仕事を頑張って、そして、またまた休暇を取って、中国旅行に行くぞ~!!行くぞ~!!!!!絶対行くぞ~!!!!!!!!
と言う訳で お・し・ま・い (-^〇^-)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- バカボンさん 2019/01/29 15:49:47
- 懐かしい。
- こんにちは。30年くらい前に山東へ行きました。上海から入国して夜行列車でしはくへ、しはくから済南、泰山、曲阜と回りました。行ったのは2月でとにかく寒かったのを覚えています。曲阜では闕里賓舎に泊まりましたが、開業間もないみたいでピカピカでした。山東料理は北京料理のルーツと言われるだけあって大変美味しかったです。
しはくの漢字が出ません。調べて見て下さい。結構古い町です。
- 尖椒土豆絲さん からの返信 2020/06/21 00:36:13
- Re: 懐かしい。
- いつの日か中国渡航制限が解除される時が来ると信じ、コロナ禍の自粛中、様々な暢游地を調べています。
バカボンさんが言う“緇博”という街も調べてみました。
山東省も見所満載ですね。
早く行けるといいなぁ~(^○^)
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