2018/11/23 - 2018/11/27
94位(同エリア845件中)
尖椒土豆絲さん
- 尖椒土豆絲さんTOP
- 旅行記30冊
- クチコミ0件
- Q&A回答6件
- 71,606アクセス
- フォロワー18人
会社から、“薬と健康の週間“での休日出勤代休取得を促され、ならばと11月の勤労感謝の日を含む3連休に代休2日を絡めて5連休を取得、さてさて、冬場の中国、何処のエリアを暢游しようか・・・
以前、2008年に中国四大古城の平遥古城を暢游した時から、ず~っと、ず~~っと気になっていた同じ四大古城の蜀国将軍張飛終焉の地“閬中古城”や、その張飛と馬超の一騎打ちの地“広元昭化古城”をネットで調べてみます。
す・る・と・・・昨年、新たに全線開通した蘭渝鉄路で簡単にアスセス可能だと分かり、早速、成田ー重慶線LCCチケットを購入~、我家の中国モード MAXです!!!
という訳で、様々な先人達の旅行記等を参考にしながら、毎度々の古城・史跡巡りに突撃、何とか無事に暢游を終えて帰国しました。
魅力たっぷりの四川省の様々な史跡群、私たちと一緒に旅をしましょう。
それでは、北馬南舟の歴史を鑑みながら、いざ出発!!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
またまた我家の中国暢游旅行の始まりです。
高揚する気持ちを楽しみながら (*^_^*) 、成田空港第3ターミナルのLCC春秋航空カウンターに並びます。
過去4回搭乗した武漢便では無く、今回は初めての重慶便です。 -
重慶迄の所要時間は、5時間15分です。
乗客の大半は中国人訪日客のようで、中国語が飛び交っています。
多分お土産話に花が咲いていることでしょう ~ 機内は大騒ぎです。
アテンダントさんの話では、日本人乗客は15名とのことです。
まあまあ乗ってるじゃん!!! -
爆睡から目覚めると、そこは重慶です。
!!!遂に来たぞ~~!!!
ここ重慶市は中国の直轄都市で、3,000万人を超える人口を抱える世界最大の都市です。
その重慶の顔となる重慶江北国際空港ですが、最近、新しいターミナル3が竣工し、以前に比べて格段に綺麗で便利になったようです。
ん~~なんて大きなターミナルなのだろう・・・ -
入国審査の混雑は皆無で快適です。
さあ、今日は閬中まで行かなければなりません。
先を急ぎましょう!!!
1階の重慶西火車站行きリムジンバス乗場を探します。
重慶西火車站行きのリムジンバスは、事前調査によると30分から1時間毎に運行され、所要時間は45分です。 -
重慶西火車站までノンストップ(20元)です。
待つこと約20分、目的のリムジンバスが到着です。
アレ?? 既に何人かの乗客がいます。
始発じゃないんだぁ~~~!!! -
このリムジンバス、重慶江北国際空港から重慶西火車站迄、全線高速道路を走行します。
-
高速道路では、何ヶ所も工事渋滞・自然渋滞に遭遇、約1時間かけて西火車站に到着です。
所要時間の予測がし辛く、建設中の地下鉄の早期開通が待たれますね。 -
重慶西火車站は、蘭渝鉄路が全線開通した際に新しく設置されました。
いつも同じく思うことは、とにかく站舎が巨大です!
大きいことはいいことだ~~~!!!
という某ハム会社のCMを思い出します。
アララ・・・歳がバレますね~!(^。^)! -
閬中迄の切符(90元)です。
今回も事前にネット予約しました。
当日購入は売切れになることが多く、お勧め出来ません。
明日以降に乗車予定の2路線の切符も受け取り、準備万端です。 -
昆明南発西安北行きのG2851号が入線です。
短い8両編成です。
立席の方が沢山います。
二等車と同じ料金を支払いながら座れないなんて・・・
やはり、事前NET予約は必須ですね。 -
車内の指定席に行くと、“日本の方ですか?”と隣席の女性から片言の日本語で話しかけられました。
この方、王静さんといって、以前、奈良県の企業に3年間ほど勤めたことが有り、その時に日本語を学んだそうです。
この時期の四川省や陝西省は、蜜柑が特産で、非常に美味しいと言いながら、私達に食べて!!と分けてくれました。
手元の紙に“去西安找我帯爾們”と書き込み、私達を歓迎してくれます。
身知らずの旅人に対し、何て優しいのだろう・・・(*^_^*)
閬中迄の約2時間、色々な会話に花が咲きました~
何時でも何処でも日中友好の草の根交流は欠かせませんね!!! -
乗車1時間59分で、閬中站に到着です。
站舎は既に日没後の暗闇の中です。
フフフ、我家がとっても楽しみにしている古城夜景散策が待ち受けますよ。 -
站前で10路バスに乗ろうと待機していると、“□◆×◎▽▲●”と客引きに遭遇です。
何人もの客引きに声をかけられますが、我家は動じません!!!
暢游の楽しみは、公共交通機関を自力で乗りこなすことでもあります。
それが我家の暢游スタイルです。 -
待つこと約15分、目的の10路バスが到着です。
いよいよ待ちに待った古城暢游が始まります。
ここ閬中ですが、かつては保寧と呼ばれていました。 -
僅か10分程で一橋古城入口站(2元)に到着、早速、古城散策開始です。
下沙河街を西に暢游します。
いいなあ~厳粛で幻想的な古城の街並みって!!!
ライトアップされた夜の古城散策を楽しみます ( ^ω^ )。
閬中古城は、雲南省の麗江古城・山西省の平遥古城・安徽省の歙県古城とともに中国4大古城の一つに数えられています。 -
嘉陵江対岸の南津関が光り輝いています。
明日は、古城側から渡し船で訪れる予定です(^○^)。 -
事前予約した双柵子街の本源堂私人度暇庭院(ツイン・朝食付 326元)に無事にチェックイン。
古城内には他にも沢山の客桟が営業していますね。 -
四合院を活用したホテルの部屋です。
部屋自体が観光ポイントです。
小休止後、再び夜の古城暢游に出発です。 -
ん~???写真は青紫に浮かび上がる中天楼ですが、な・ん・と・・・数秒毎に、赤・緑・黄等と色彩が移り行きます。
何故、こんなド派手なライトアップになってしまうのか・・・日本人感覚では理解不能です (≧∇≦)! -
色鮮やかと言えば聞こえは良いのですが・・・
緑色に浮かび上がる中天楼・・・何だかなぁ~(*_*) -
古城のお土産屋さんで遭遇した止咳找我と書かれた謎の商品です。
この天然止咳王なる商品は、天然飲品・養身健体にして咳止め効果が有るらしい・・・
しかし、決して買いません。
我家愛用の龍角散ののどすっきり飴が勝ると信じていますから!!!
ゴホンといえば龍角散!(o^^o)! -
いいなあ~古城の夜景って!!!
しかし、11月末です。
夜は深々と冷え込んできますね。 -
北街の麻辣湯という看板を挙げた店で晩餐です。
様々な具材と一緒に麻辣湯鍋を注文、楽堡ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
花椒が効いて、シビれながら、汗だくになりながら、ハオツー 好吃!好吃!
暢游初日の11月23日が終わろうとしています(晩安)。。。。 -
早上好!!!暢游2日目、11月24日が始まりました。
私達が宿泊した本源堂私人度暇庭院は、古民家を改装した四合院構造のホテルです。
至る所に棚があり、沢山の本で埋め尽くされています。
なるほど・・このホテル自体が立派な暢游地ですね。 -
閬中古城地図です。
私達は西城門から暢游を開始です。
その西城門前の鎮水石犀広場には観光用埠頭が有ります。
嘉陵江南岸の南津関鎮への渡し船運行路線が描かれていますが、周遊遊覧船のみで、渡し船は“没有”です。
ん~~紛らわしいなぁ~(怒) -
古城は嘉陵江が大きくU字型に蛇行した天然の護河に囲まれた構造になっています。
その西城門前の犀牛広場は遊覧船の発着場になっています。 -
古城西門の澄清門です。
どうやら最近、再建された城門のようで、歴史的価値は低いと思われます。
しかし、やはり古城に城壁・城門は必要不可欠です。
いいなあ~新しい??ピカピカ??のNEW古城門!(*^_^*)! -
澄清門楼からの城外の眺めです。
城壁の外には天然の護河の嘉陵江が雄大に流れています。
さあ、古城に切り込みます。 -
澄清門を潜り古城内の西街を暢游すると、漢桓候祠張飛廟に到着です。
ここ漢桓候祠は、蜀国将軍の張飛が葬られている祠(=先人を祀る廟)です。
桓侯は張飛の諡号(=おくりな・貴人の死後に贈られる名)で、漢桓侯祠は中国が重点的に保護する文化遺産“全国重点文物保護単位”にも指定されています。
さあ、通票を購入して暢游しましょう。 -
閬中古城の通票(110元)です。
古城内の様々な暢游地点巡りが出来ます。 -
神になった金色の張飛です。
建安24年(220年)、蜀国将軍関羽が呉国との戦いに敗れ、斬首されました。
章武元年(221年)、蜀国皇帝に即位した劉備玄徳は、張飛を車騎将軍兼司隷校尉に任命します。
劉備・張飛は、関羽の仇を打つべく呉国への出兵を決断、張飛は1万もの兵を率いて閬中を出陣することになりました。
しかし・・・ -
出陣準備の最中、日頃から部下に厳しく理不尽な仕打ちが多かった張飛に対し恨みを抱いていた部下の張達・范彊は、このままでは何れ自らの命が危ないと考え、張飛をこの地で殺害してしまいます。
何と、大酒で寝込んでいた張飛の寝首を掻いたのです。 -
張飛の首を持って呉国に逃亡していた張達と范彊の像です。
2人は共に蜀に送り返されて処刑されます。
張飛が生きていれば、この後の夷陵の戦いで劉備が大敗することも無かったでしょうかね~??? -
墓亭に張飛像が鎮座しています。
ここが張飛墓になり蜀漢時代に建立され、清代に再建されました。 -
張飛廟は蜀漢末期に創建され、数回の修復経て、既に1700年余りの長い歴史を持っています。
現在でも三国志で躍動する登場人物は私達を魅了します。
張飛もその一人です。
ゆっくりと眠り続けて下さいね。 -
桃園結義の三傑です。
これ無くして、三国志蜀国は語れません。
三国志の物語は、蜀国の英雄の一人である張飛(221年没)と、劉備玄徳(223年没)と、関羽(220年没)が、桃園の誓いで義兄弟となった話から始まります。
張飛は、巴西太守として、閬中に7年間(214~221年)駐在します。 -
閬中古城は徒歩でも充分に楽しめますが、古城内を走る電気カートを利用することも可能です。
1日20元で何回でも乗ったり降りたり出来る仕組みになっていました。 -
古城内を暢游していると、“○●×▽□”と、何やら黄色い掛け声を発しながら、仮装した女性達の行進に遭遇です。
何と言っているのだろう???
中国語が分からない我家には理解不能です。
何処かで演舞の路上演出でも有るのかな? -
中天楼が見えてきました。
四本の太い柱で支えられています。
歴史は古く、唐代に創建され、清代には詩人 金玉麟が“十丈欄干三折上、万家灯火四囲中”と読んだ楼閣でした。
残念ながら、中華民国初年に一旦は撤去されてしまい、現在の建物は2006年に再建された楼閣です。 -
中天楼に差し掛かったところで、戦車(人力車)に乗った張飛を核とした武者行進にも遭遇です。
戦車(人力車)に張飛が仁王立ちです。
終日、古城暢游を楽しんだのですが、この様な仮装行進に、何度も遭遇しましたよ。
雰囲気を盛り上げる良い演出・企画だと思いますね。 -
さあ、通票で中天楼に上がりましょう。
2階に上がってみると、丸い窓から黒い瓦の古城の街並みが目に飛び込んで来ます。
絵を切り取ったような見せ方・演出に感嘆です。 -
3階に上がり、古城全域を俯瞰・見降ろします。
黒い瓦の四合院の家々が連なり、とっても風情が有ります。
写真は私達が宿泊していた本源堂私人度暇庭院方向の双柵子街です。 -
古城内は美観地区に指定され、建築制限が敷かれています。
高い建物も無く、中天楼から四方八方に歴史的建築物が連なります。
今回の暢游旅行の目的の一つは、まさに、楼閣から眺める黒瓦の景色でした。
ん~~満足・満足・大満足!(o^^o)!! -
1階に降りる途中、階下で何やら仮装行進が見えました。
先程の行進といい、古城内では、様々な仮装行列が行われています。 -
中天楼を北街から、もう一度見上げます。
この界隈は古城内で最も賑わうエリアですね。 -
彼方此方で肉塊を茹でてます。
これも名物料理かな?
古城暢游に食べ歩きも楽し楽し!!! -
北街を北上し、旧北城門が有ったであろう場所に、古城名産の張飛牛肉と老酢を販売する老舗らしきお土産屋さんが有りました。
城内の至る所で、この酢が売られ、独特の香りが漂います。
そう、ここ閬中は、山西老陳酢・鎮江香酢・福建永春老酢と同様にに中国4大酢の産地なのです。 -
古城といえば、古楼・鐘楼や城門周辺に市場が発達しています。
やはり旧北城門の城外に、露天市場が拡がります。
この火薬局街の露店市場って面白いなぁ~~
何だかウキウキしちゃう(o^^o)!! -
昨日、高鉄で同席になった西安の王静さんが言っていた蜜柑です。
あちらこちらの露店で、大量に売られています。
地元の皆さん、晩秋から初冬にかけ、甘く実った蜜柑を爆買いです。 -
野菜屋さんの軒先・・・
日本では見かけない、萬笋(ウオースン)という野菜が並んでいます。
歯応えが有って美味しい野菜なのですが、何故か日本では普及しませんねぇ~。 -
肉屋さんの軒先・・・
御臨終の豚さんの肉塊が並んでいます。
中国の豚肉って熟成して甘くて美味しいですよね。 -
香辛料・乾物屋さんの軒先・・・
ツーンとしたエキゾチックな香りが漂います。
流石は四川省!辛いの本場ですね。 -
古城内暢游を続けます。
北街途中に文廟の入口が有ります。
ここも通票で入場します。 -
中国各地にある文廟、つまり孔子廟です。
ここの文廟は、残念乍ら古い建築は残っていません。
現在の建物は2013年に再建されたピッカピカの最新建築です。 -
文廟は孔廟とも呼ばれます。
儒教の孔子を祀る廟で閬中には元々は保寧府文廟と県文廟がありました。
県文廟は元々県城の北に建てられていましたが、明の崇禎年間に東門の外へ移され、清の咸豊元年(1850年)に現在の場所に移築されています。 -
孔子様に遭遇!
今度、本場の山東省曲阜に行かなきゃ!!
へっへっへ!!!実は既に計画中です(^▽^)/ -
北街から武廟街を東に曲がると、川北道署です。
通票で入場します。 -
ここは日本でいえば奉行所のようなところです。
中国では北宋の名臣包拯が有名ですね。
裁きは常に清廉潔白・公正明白でなければなりません。
この石碑坊は戒石坊といい、官吏の心得が刻まれています。 -
罪人3人を一緒に拘束する道具、拷問用なのか?何本もの尖った釘が打たれた板などが展示されていました。
何処の国にも悪人・罪人は居ます。
“罪を憎んで人を憎まず”・・・改心して、世の為人の為に生きて下さいネ。 -
閬中古城の古地図が陳列されています。
嘉陵江のU字型の流れに併せ、円形の変わった古城です。 -
続いて貢院です。
ここも通票で入場です。
隋・唐の時代から行われてきた、中国の独特の官僚登用試験制度に科挙なる仕組が有ります。
その試験会場を貢院と言います。 -
中国の歴史を見ると、科挙を突破し官僚になると、様々な許認可権が与えられます。
その権利に人々が群がり賄賂が横行、やがて、官僚が腐敗し徐々に国家が機能しなくなり、人民が立ち上がる・・・。
そうしたパターンで亡国と興国が繰り返されるのです。 -
カンニングペーパーです。
いつの時代でも不正入試は見受けられます。
受験生と監督官の騙し合いですね。 -
カンニングペーパーならぬ、カンニングウェアです。
厳しい科挙試験に合格する為、悪知恵も巡らせたことでしょう・・・
それにしても、このカンニングウェア、傑作・力索・狡策ですネ~~(o^^o)?? -
受験生は、このような外から丸見えの室内で、3日間にも及ぶ試験を受けます。
自分の地位・名声・権力を手に入れる為には、科挙は非常に重要だった訳です。
野望と志を抱いた官僚志望の男達が、猛勉強をして、科挙試験に挑んだ場所なのです。
現存しているのは江南貢院・北京貢院・定州貢院、そしてここ川北道貢院です。
さあ、貢院を出ますかね。 -
貢院前の閬中博物館(免費)です。
パスポートを示して入館します。
歴史的な遺物が数多く陳列されています。
流石は5,000年の歴史を有する国ですね。 -
ここでも古城図が陳列されています。
堅固な城壁が円形に連なっています。
現在は、西城門(澄清門)と南城門(錦屏門)が再建されて残っています。 -
博物館を後にします。
あらあら、古城内には通票で暢游出来ない場所も有るようです。
胡家院は別途10元必要です。
沢山の四合院作りの古民家を見たことだし、我家は入場せずに先に進みます。 -
天主堂です。
閉門されており見学出来ません。
古城内は建築物の高さ制限が設けられています。
この天主堂は、そんな規制エリア内では、中天楼・華光楼以外では最も高い建築物なのかな? -
それにしても古城内暢游って、何て風情が有って楽しいのだろう・・・
あたかも観光用に作った古城では無く、本当に歴史的建築物が残る古城だからでしょうかね。
ん~~いいなあ・・・
古城大好き我家は大満足です!!! -
閬中は蜀国に属していました。
後世の清代初期には20年間四川省の省都でもありました。
街中は古都の風情満点です。
“蜀”の文字が古風な街並みの中、そよ風で揺れています。 -
彼方此方で保寧酢を量り売りする店を見かけます。
味見も可能です。
沢山の種類があるようで、皆さん、お気に入りの味の酢を見つけてから購入しています。 -
彼方此方で保寧酢を使った足マッサージ(醋泡脚)を施してくれる店が営業しています。
酢の種類やマッサージ時間の長さにより、料金体系が分かれます。
まだまだ体力満点・疲労無縁の我家は寄道無しです。 -
何か臭う・・・と感じたら、やはり臭豆腐を油で揚げていました。
強烈な匂い(臭い)が、辺り一帯に漂います。
9月に訪れた長沙では、長沙臭豆腐の本場だけ有って、沢山の屋台が出ていましたね。 -
坊元状と書かれた碑坊を抜け、景区外に出てみると、高さ制限も無いらしく、現代版ビル群が現れます。
いきなり現在にタイムスリップです。 -
すると、中国工商銀行(ICBC)に遭遇、ATMにて軍資金を補充します。
重慶江北国際空港内での軍資金調達が出来ていなかっただけに、財布の厚みが増して安堵・安心・安泰です。
現金所持は、Wechat Pay 等の電子マネー決済機能を持たない我家にとって、中国暢游に欠かせない必須条件です。
因みに今日のSMBC信託銀行為替レートは、1元=16.78円でした。 -
古城内に戻り、大東街を南下、暢游を続けていると、中国風水館に遭遇です。
通票に記載は有りませんが、通票を見せると入館可能でした。
主に風水に関する展示館です。 -
古城の模型が有りました。
ん~~他の展示内容は・・・
まあ、免費なので、許しますかね o(`ω´ )o -
(//∇//)・・・悲しい現実です。
中天楼同様に、華光楼に登り、黒瓦の波を眺める予定でしたが、何と何と、絶賛大工事中です。
歴史的建築物保護・維持の為には致し方ないことです。
今回、私達は運が悪かったようです (≧∇≦)。 -
華光楼入場を試みましたが、作業員達から“●×△□■◎□▼”と怒鳴られて退散です。
ん~~~残念・無念・何でやねん!!!
華光楼は南楼とも言い、創建は唐代にまで遡ります。
火災等による被害を受け、現在の楼閣は清同治6年(1867年)に再建されたものです。
楼の高さは25.5m、三層構造建築となっています。
別称“閬中苑第一楼”と呼ばれています。 -
気を取り直して、嘉陵江沿いの露天食事処で昼食です。
嘉陵江の流れを楽しむには少し寒く、露天はビニールテントに覆われています。
食卓の足元には炭が焚かれています。
水槽の中を泳いでいた魚を選び、重量を量ります。
香辣焼魚を注文、雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
あれれ・・・目の前の華光楼碼頭が無くなっているみたい・・・ -
華光楼碼頭から対岸の南津関古鎮への渡し船が有るはずなのですが、発着埠頭が撤去されて見当たりません。
何と何と、渡し船が無くなり更地になっていました。
路線バスでは無く、渡し船で火車站に戻るという今回の暢游行程を変更しなきゃ!! -
さあ、後半戦暢游再開です。
古城内の巷には、事前に調べ尽くせなかった暢游地点が隠れています。
票局展覧館?何だろう?? -
彼方此方に、古城名物の張飛牛肉の旗が吊られています。
いわゆる燻製肉です。 -
火巷子には、閬中古城南門にあたる錦屏門が有ります。
城外から見上げます。 -
門洞を潜り、古城内に入り、振り返ります。
明洪武4年(1371年)に錦屏門が建築された際、この門は古城の南側に位置していた為、南門とも呼ばれています。
その後、明成化年間に城楼が築かれ、清乾隆34年(1767年)に修築されました。
現在の城門は2010年に再建されています。 -
免費で古城壁を暢游します。
そして、いつもの城壁大好き我家の決めポーズです。
閬中古城にイエ~イ!((o(^∇^)o))
ん~? 真っ赤な衣装を纏ったカップルが、記念撮影をしていますよ。 -
見ている私達が照れてしまいます。
アツアツカップルに降参ですm(__)m!
何と何と、この後、接吻(KISS)しちゃいました~
参りました~~~!!! -
城壁から錦屏門の楼閣に上がり、古城全体を眺めます。
黒瓦の街並みの中に、先程登った中天楼が見えています。
その後方には山々が連なります。
甍の波と山の波が重なり奏でるノスタルジックな景色ですね。 -
屏江街に建つ火神廟は、古城の櫓に相当します。
入場免費です。
ア~チィチィ、登れるんだろうか~?
GOLD FINGER 2018 です。
この意味、分かるかな~( ^ω^ )??? -
楼閣に上がって街の通りを見下ろします。
赤提灯が風情を醸し出し、何とも言い難い雰囲気を演出していますね。
いいなあ~~~古城って!!! -
候家大家です。
歴史的建築物が客桟として活用されています。
外国人が宿泊出来るか否かは不明ですが、至る所で沢山の客桟が営業しています。
やはり、不安な方は、事前にTrip.com 日本語版で予約するに限りますね。 -
清真寺です。
免費です。
丁度、御祈りの時間なのかな?
コーランが聴こえてきました。 -
さあ、古城散策は終了です。
後ろ髪を引かれる思いで移動します。
昨夜、降車した一橋古城入口站から閬中火車站に向かいます。 -
待つこと5分、10路バス(2元)が到着です。
-
日没直前の閬中火車站に戻って来ました。
以前は鉄路が無く、長距離バスでしか訪れることが出来なかった頃からすれば、蘭渝鉄路の全線開通は格段なアクセス向上でしょう。 -
18:33発のD1711列車が入線です。
写真を撮っていたら、服務員に“●×△□■◎□▼”と乗車を促されました~!!!
“謝々~“、”不客気~”と会話をして乗車です。 -
広元まで39.5元の切符です。
時間に余裕が有ったので、1本前の列車に変更してもらいました。 -
乗車後、僅か59分で広元火車站に到着です。
本当に便利ですね。 -
かつて、ここ広元にも古城が有りました。
今は城壁や城門など、何も残っていないようですが、その地名に名残が見受けられます。
さあ、路線バスで古城中心部の建設路站に移動します。 -
広元6路バス(2元)に乗車、約10分後、建設路站で降車します。
ここは、旧広元古城の北東角附近に当たります。 -
バス停付近から広元古城東側の鳳凰山方面を見上げると、ライトアップされた広元鳳凰楼が輝いています。
鳳凰をイメージした高さ42mの塔で、広元のランドマークになっています。
・・・変な形!!! -
旧広元古城中心部の北街歩行街です
この先の十字路で、東街・西街・南街・北街が交差します。
近くのビルを眺めると、古楼という字が目立ちます。
きっと、この辺りが古城の中心部だった場所でしょう。 -
広元古城南城門外の広元天成大酒店(ツイン・朝食付 374元)に到着、無事にチェックインです。
五ツ星ホテルで高級&高層です。 -
部屋は高層階の23階でした。
窓から遊園地、その向こう側に嘉陵江が見えます。
さてさて、晩餐に行き、火鍋を食さなきゃ!!! -
かつての広元古城南門近くの海濠街に並ぶ食事処を散策、そんな中、大勢の客で賑わう火鍋店を選んで入店します。
早速、重慶火鍋を注文、汗だくになりながら雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
火鍋のつけダレは、酢+ごま油をベースに、塩・砂糖・醤油・大蒜などで好みの味に仕立てて頂きます。
へぇ~面白いなぁ~
暢游2日目の11月24日が終わろうとしています(晩安)。。。。 -
早上好!!!暢游3日目、11月25日が始まりました。
窓の外に目を向けると、嘉陵江(右側)と南河(左側)の合流地点が見降ろせます。
あれれ・・・夜明けと共に、霧が発生しています。
広元は、盆地で河川が多く、寒暖の差が激しい為、霧が発生しやすい環境のようです。 -
流石に5ツ星ホテルです。
目の前で様々な麺を調理してくれます。
麻辣牛肉麺を頼みました~!
さあ、お腹を満たしたら出発だぁ~(o^^o) -
天成大橋で南河を渡り、広元南河汽車站まで徒歩約10分で到着です。
ここから、様々な方面行きのバスが出ています。 -
窓口で剣門関と書いた紙を見せ、8:40発のバスを予約しました。
そのまま乗場に行くよう促されましたが、指定された場所に停車しているバスは普安行きです。
途中降車する必要が有りそうですね。 -
剣門関迄の切符(20.5元)です。
-
高速道路経由で乗車約1時間、無事に剣門関に到着です。
普安行きのバスから途中降車したのは私達だけでした。
剣門関といえば三国志蜀国将軍姜維を語らずにはいられません。
さあ、姜維に会いに行きましょう。 -
降車した場所は、剣門関の南口鎮です。
剣門関南口鎮には、綺麗な街並みが整備され、至る所に剣門関豆腐の旗が掲がっています。
この剣門関豆腐は、蜀国軍が剣門閣に陣取っている時、村人が姜維に献上したと言われる美味しい豆腐です。
周辺の72峰の湧き水で作られた剣門関豆腐は、1800年近く前の三国時代から食べられています。
エヘヘ!(^^)!昼食が楽しみです。 -
剣門関景区全図です。
私達は、地図右側の景剣門関南口鎮から、地図左側の剣門関北口鎮まで、歩いて関楼(関所)を越える予定です。
さあ!出発だぁ~!!! -
通票(105元)です。
地図が載っており便利物ですね。 -
仮装(武装)し、蜀国の旗を持った兵士一団が出発しました。
何処かで三国志の演出・演舞(演武)が有るのかな? -
景区内の関楼迄、電気カートが運行されています。
歩くのが苦手な方は、どうぞ御利用下さいませ (*^_^*)! -
“天下の雄関”と讃えられる剣門関は、剣門蜀道景勝地の重点観光区として1982年に国家級観光地、1992年に国家級森林公園に認定されています。
蜀国にとって、ここ剣門関は要害の地で、“剣門関を得れば四川を得る”といわれるほどです。
剣門関は、2000年以上の歴史の中で100回を超える戦さが勃発した要所なのです。 -
剣閣平襄侯祠は姜維祠とも呼ばれています。
蜀国の都(成都)を守る天然の要塞である剣門閣・・・
劉備や孔明が使い、姜維が守り抜いたこの地には三国志の歴史が詰まっています。
そうなのです!!ここ、剣門閣は蜀国を支えた名軍師 諸葛孔明亡き後を担った姜維が、宿敵の魏国と最後の最后の最期まで戦った天然の要塞なのです。 -
奥に進むと、短いながらも神道が有りました。
姜維の墳丘が見えます。
眠っている姜維に向かって合掌!!! -
五丈原で諸葛亮が死する前に、姜維に兵法書を授けたシーンを再現しています。
頼んだぞ!姜維!! -
姜維は、蜀国を再興するために魏国軍の鐘会に偽りの投降をします。
鐘会を利用している姜維に対し、副将の寥化が、その偽りを見抜きながらも、“偽りと言えども潔し”と言って素知らぬ顔をしています。
結局、この陰謀が魏軍兵にバレてしまい、姜維・鐘会ともに処刑されてしまいました。
姜維の遺体は斬り刻まれ、妻も処刑されました。
享年62歳でした。 -
関楼に向かって歩きます。
姜維神像観景点に着いたのですが・・・
ここから姜維神像が見えるはずなのですが・・・
残念ながら、霧に視界を阻まれています。
地元の人々は姜維神像・武士神像と称しています。
ん~残念・無念・仕方無いねん!!! -
明治時代に作詞・作曲された“箱根八里”という日本の唱歌が有ります。
日本人なら “箱根の山は天下の剣、函谷関も物ならず・・・” と思わず口ずさんでしまいますね。
この唱歌に歌われた“一夫関に当たるや万夫も開くなし”(一人の兵が関所の守りにつくや、一万の軍勢が攻めても開くことはできない)という歌詞は、この剣門関のことを指しています。
道中に設置された説明看板にも“一夫当関、万夫莫開”と記されています。
まさしく天下の剣ですね。 -
263年8月、魏国は全軍で蜀国に侵攻しました。
蜀国将軍姜維は、沓中から退いて剣閣(剣門関)に立てこもり、魏国将軍鐘会に抵抗しました。
兵数10万を誇る鐘会軍でしたが、どうしても剣門関を攻め落とせず、姜維軍に向かって投降を呼びかけますが、姜維は頑に抵抗を続けました。
しかし、登艾が別ルートの綿竹関を突破して成都に攻め入ると、何と劉禅は魏国に降伏してしまいます。
広漢に退いていた姜維は、劉禅の“降伏せよ”との命令を受け、鐘会軍に投降しました。
蜀国の武将達は、その知らせを聞き、剣刀で石を斬りつけ、その無念さを表したといいます。 -
劉備は、蜀国の成都を都と定めた後、217年に剣門関が属する剣閣県を設立します。
帝位に就く前、劉備は4度程、ここ剣門関を訪れています。
劉備と一緒に愛馬の的盧も石像になっています。 -
剣門関を命名した三国時代の蜀の軍師 諸葛孔明像です。
赤壁の戦いで諸葛孔明が描いた“天下三分の計”が、この地で終わったのだなあ~と、もの寂しく、しんみりとした気分になりました。 -
関楼が見えてきました。
ここで姜維達の蜀国軍は、魏国軍10万の大軍勢に対し、3ヶ月間も関所を守り続けたのです。 -
長い歴史の中で、関楼は何度も再建・崩壊・修復されてきています。
2008年5月12日の四川省大地震で全壊し、2009年に再建されています。
この看板、災害に備える意味も有るのでしょうかね。
登った楼閣には、“火災無情 防火先行”と書かれています。
まさに震災の教訓ですね。 -
城楼門洞を潜り抜け、北側を見降ろします。
南口鎮から関楼迄、あんなにゆったりした道程なのに、関楼から北口鎮へのそれは、一気に傾斜を降りるかの如しです。
当時は写真のような階段も整備されていなかったでしょう。
蜀国軍にとって護り易く、魏国軍にとって攻め難い地形だったことが良く分かります。
まさしく天然の要害、凄いところに関所を構えたものですね。 -
関楼を越え、一気に階段を降ります。
魏国軍に睨みを効かすかの如く、とっても威圧的な関所ですね。 -
雷鳴橋を渡り、嘆関台詩詞走廊を越えると、一変して上り坂になります。
この橋の名前ですが、洪水等が起きた時に、まるで雷鳴の如し音が響くということから命名されました。 -
上り坂の途中、道端でお婆さんが笹で蛙を編んでました。
1匹10元ですが、その熟練した手捌きに、観光客は足を止めて購入していきます。
お婆さんのお小遣い稼ぎ、大繁盛です。
しかし、ここは景区内だよね・・・?
何処から来たのだろう? -
天梯峡南歩道を進みます。
辺りは断崖絶壁で、剣の様な山々が対峙して、まるで門のようになっていることから剣門閣と呼ばれるようになりました。 -
う~ん、こんな坂道を登らなきゃならないんだよね!!!
絶壁に作られた道、こりゃ大変だぁ~(*_*) -
絶壁に作られた胸突き八丁的な急坂の天梯峡桟道を登りながら耳を澄ますと、何やら霧の中で絶叫が轟いています。
キャ~~~ウォ~~~
はてはて?何だろう・・・
やがて理由が判明です (≧∇≦)。 -
峡谷を跨ぐように1本のワイヤーが張られています。
この高空滑索という一人用滑車に乗った(ぶら下がった)暢游客が、霧の中に消えて行きます。
これは恐ろし乗物だ~と我家は感じるのに対し、中国人チャレンジャー達には、スリル満点のアトラクションと映っているようです。 -
霧が立ち込めます。
一寸先は闇ならぬ、一寸先は真っ白です。
何も見えません。
ん~霧の中から、こちらに向かって来る人影が見えてきました。
チャレンジャーだなぁ~
当然、落下防止ネットは有りません。
我家は無理・無理・絶対無理!! -
梁山亭という休憩場所から、断崖絶壁に貼り付くように作られた歩道を一気に降ります。
手すりが無ければ、とっても恐ろしい道です。
マジ真面!怖いよ!! -
すると、霧の中から石筍峰が現れました。
-
その石筍峰の根元の隙間を散策路が抜けていきます。
-
人ひとりが通れる隙間です。
圧迫感満点です。
一銭天を、どんどん降ります。 -
先程、越えた関楼が遠くに見えます。
魏国軍は、この坂道を攻め上がらなくてはならなかったのです。
そりゃ、難攻不落と言われるはずですね。 -
絶壁廊から眺める岩・岩・岩・・・
まさしく屏風岩の如し!!!
こんな岩壁を降りて来たんだ~ -
絶壁廊散策路を降りきったところに電動カートの発着場が有りました。
観光車票務服務案内板を見ると、電動カートで、第2索道(第2ロープウェイ)乗場近く迄、15元と書かれています。
でもね~今日のこの霧だと、ロープウェイに乗っても何も見えませんよネ~(*_*) -
第2索道(第2ロープウェイ)乗場まで行くことが出来る電動カートが待ち受けています。
-
晴れていれば写真の様な絶壁に架かるロープウェイが見渡せます。
こんな絶壁、どうやって攻めるのかな?
登艾は、この岩崖を登ったり降りたり・・・有り得ない!!!
魏国軍の苦労が忍ばれます。 -
散策路を降りて行くと、またまた何かの乗り物が有ります。
滑道いわゆる滑り台です。
歩いて降りるのは時間を要します。
それなら一気に滑り台で急降下という選択肢も有ります。 -
ここから滑り降りる勇気が必要です。
早いぞ! 凄いぞ!! 一気だそ!!!
但し、1回20元と有償です。
急ぐ方、お金が有る方は、ど・う・ぞ・・ -
唐代の詩人李白や杜甫像をやり過ごし・・・一気に降ります。
-
第1索道(第1ロープウェイ)の案内が有ります。
南口鎮から景区に入場した場合、最初にこの第1索道を利用するのが得策と思います。
なるほど・・・霧が晴れれば、こんな景色が広がっているんだぁ~!!
さあ、剣門関景区を出ますよ! -
剣門関暢游を終えて、北口鎮で昼食を摂らなきゃ!!!
バス停の位置や路線バス情報を熱心に教えて頂いた小母さんの経営する食事処で昼餐します。
露天で食べたい我家の為に、暖房の炭を準備して頂きました~~感謝・感謝。
剣門関豆腐・麻婆豆腐・白飯を注文、雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
ん~豆腐料理って最高ですね! -
露天食卓から目の前の国道108号線を走る路線バスの運行間隔を計ります。
おおよそ20分に1本の割合で、7路バスがやって来ます。
時間を見計らって、バス停で待つこと数分、目的の7路バス(3元)が到着です。 -
7路バスは、京昆高速のインター入口の剣門関客運站で停車、多くの乗客が降車しました。
站舎内の窓口で昭化古城行きの路線バスが有るのか無いのか?
“●▼□×◎▲◆×”と言われ理解不能・・・
服務員に指さされたバスに向かいます。 -
服務員が指さしたバスは、高速道路経由では無く、一般国道108号線を走る広元行きの小型バスでした。
広元に行く途中に宝輪鎮を通る為、そこで降車(6元)するという訳ですね。
多分・おそらく・・きっと・・・ -
乗車約30分後、宝輪鎮の道路沿いで、“●▼□×◎▲◆×”と運転手さんに降車を促されました。
降車すると・・向こう側を指さします。
素直に従って、その方向に歩いて行くと、宝輪汽車站に辿り着きました。
これで、昭化古城に行ける・・・
多分・おそらく・きっと・・・ -
集票処で昭化古城と紙に書いて見せ、切符を購入です。
私達は老昭化行きのバスに乗ります。
窓口の隣に路線別価格表が有りました。
様々な方面行きのバスが有るようです。 -
老昭化行きの切符(3元)です。
-
昭化古城迄の路線バスです。
満員になるまで待っているのか?なかなか発車しません。
やがて、乗客数が増えたなぁ~と感じたかと思いきや、いきなり発車しました。 -
乗車約20分後、昭化古城景区入口に到着です。
あんなに沢山の乗客がいたのに、終点まで乗車して来たのは私達を含め僅かでした。
それにしても、立派な景区入口です。
古城全体を有償化する目的で建てたのでしょうかね~? -
古城に向かって歩いていくと、剣門蜀道遺跡 昭化古城の石碑に遭遇、古城モードにスイッチが入ります (o^^o)!!!
昭化古城は、かつて葭萌関と呼ばれた中国の重点風景名勝です。 -
古城図です。
明日、全ての暢游地点を訪れます。 -
日没が迫ります。
暗闇に覆われます。
さあ、先を急がなきゃ!!!
昭化古城東門の瞻鳳門を潜り、古城内に潜入です。
夕闇前の静寂さが漂う荘厳な雰囲気が、我家の向上心を煽ります。 -
昭化漢寿客桟(ツイン・朝食無 146元)にチェックイン後、古城の夜景観賞です。
地元民も観光客も消えて、ライトアップが始まりました。
静粛な空気が古城を包み込みます。
写真は古城西城門の臨清門です。 -
昭化古城の赤い灯が幻想的な雰囲気を醸し出します。
世界遺産で無くても、こんなに素晴らしい観光地が残されていたのですね~!
中国って、奥が深いですね。 -
先程、昭化古城に入城した時に潜った東城門つまり瞻鳳門です。
明日、この楼閣に上る予定です。 -
お土産屋さんや食事処の店じまいが始まりました。
観光地で有りながら、地元民の生活の場でも有ります。
作られた観光地では無い、本物の歴史遺産にシビれっぱなしです。
いいなぁ~古城って・・・ -
さあ、今日の締め括りの晩餐会を開かなきゃ!!
県衙街の火鍋という看板を上げた店に突入、そのまま火鍋を注文、雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
珍しい日本から珍客に、店の方々がビックリしています。
筆談に花が咲き、楽しい交流です。
我是日本人、日中の架け橋になりたいのです (*^_^*)。
暢游3日目の11月25日が終わろうとしています(晩安)。。。。 -
早上好!!!暢游4日目、11月26日が始まりました。
宿泊した昭化漢寿客桟には朝食提供の仕組みが有りません。
古城内の早餐の看板が上がる店で、朝食を摂ります。 -
旧南城門付近の明代古城壁です。
昭化古城は嘉陵江・白水江・清江の3本の長江支流が交差する辺りに位置する老城で、約4000年の歴史を持つと言われています。 -
剣刀覇君臣園です。
入場には単票と通票が有ります。
私達は迷わず通票を購入します。 -
通票(58元)です。
片面に古城図が載っていて便利です。
各入場口ではアナログ式パンチで通票に穴を開けられます。 -
剣刀覇君臣園は三国志のテーマパークでした。
園内竹林に、劉備や昭化に関わる蜀国の重臣たちの石像が並びます。
姜偉・黄忠・張飛・馬超・霍峻・魏延などが勢揃いです。
三国志ファンお勧めの場所ですよ。 -
昨夜も訪れた東城門に当たる瞻鳳門です。
いい具合な古めかしさです。 -
通票で城壁に上がります。
無風状態で、はためく旗とはいきません。 -
瞻鳳門城楼から城内つまり西側を俯瞰します。
石畳が私達を中国の長い歴史の世界へと誘います。 -
瞻鳳門城楼から城外つまり東側を俯瞰します。
黒瓦が私達を昔の日本の光景へと誘います。 -
瞻鳳門外の石碑坊です。
蜀道三国重鎮 天下第一太極と石に記してあります。
昨日の夕方、昭化古城入城時、最初に潜った石碑坊です。 -
古城内に戻ります。
今度は昭化古城北城門つまり拱極門近くの県衙街に建つ石碑坊です。 -
城内から拱極門を眺めます。
残念ながら城楼は残っていません。 -
古城暢游を楽しみます。
今、中国では古城ブームなんだそうです。
歴史的史蹟や旧跡を上手く保存して後世に残して欲しいものです。 -
巷を彷徨います。
尖椒土豆絲のぶらり旅です。
狭い路地から張飛が現れないかなぁ~!
いや~張飛さん、何処に隠れているのですか~? -
路地の奥の昭化県署に到着、通票で入場します。
昭化県署とは、ここ昭化の行政府です。
唐代に昭化県署が置かれた後も、戦乱で何度も破壊されるも、明の洪武8年と清の道光3年に再建されています。
しかし、再び文化大革命で破壊されるという道を辿って来ています。 -
続いて考棚に到着です。
通票で入場します。
考棚は科挙の試験場のことを示します。
一昨日に暢游した閬中古城の貢院のような場所ですね。
清の同治年間に建てられました。 -
続いて隣の文廟を見物します。
ここも通票です。
本殿の大成殿以外は2008年に再建されています。 -
その大成殿が唯一古い建物で、清代の嘉慶22年に建てられました。
-
文廟を出て、古城暢游再開です。
写真は古城中心部の葭萌亭です。
かつて、昭化古城は葭萌関と呼ばれていました。 -
葭萌亭から眺めた景色です。
大守街に赤い提灯が連なります。
中国的景色に、マッタリと浸かります(o^^o)! -
次は城隍廟です。
城隍廟には閻魔様や鬼達が亡者に罰を与える様が、何枚もの壁絵で描かれています。
その壁絵10枚を参拝する人々に見せ、あの世の様を教えています。
地獄って怖いよ・辛いよ・痛いよ~ -
張飛が植えたと伝わる樹齢1500年の古柏木です。
昭化古城の様々な歴史を見て来たことでしょうネ。 -
城隍廟前の楽楼です。
観劇に使う舞台や観客席の建物が残されているらしいのですが、残念ながら閉門されていて暢游出来ません。 -
北京五輪開催前の2008年5月12日に発生した四川地震の記憶を後世に残すべく、5.12抗災重建記念館が整備されています。
-
大きな被害の様子が、復興過程の写真と共に、分かり易く陳列されています。
亡くなられた多くの方々に合掌 m(_ _)m -
古城外から城壁を眺めます。
連なる堅固な城壁が、我家の古城モードを盛り上げます(●^o^●)。 -
昨夜、夜景観賞した臨清門つまり葭萌関が見えて来ました。
-
臨清門を城外から眺めます。
歴史を刻んだ重厚な城門と楼閣が、城壁大好き我家の気持ちを向上させます。
ん~~~シビれます (o^^o)! -
臨清門前の広場は、戦勝覇といいます。
蜀の英雄 張飛と馬超が一騎打ちし、一昼夜経っても勝負がつかない為、松明を灯して夜まで戦ったというあの場所です。
馬超の勇姿・勇猛さを惜しんだ劉備の仲立ちが有り、馬超は蜀の五虎将軍(趙雲・関羽・張飛・馬超・黄忠)になったのです。 -
戦勝覇から城外を西に進むと、諸葛孔明亡き後の蜀国を担った費偉を祀っている敬侯祠に到着です。
-
ここ昭化古城の敬侯祠は、蜀国大将軍・録尚書事で四相の1人である費偉の陵墓です。
中へ入ると卓識堂というお堂が有り、費偉像と対面です。 -
立派な墓陵です。
早速、神道を歩きます。 -
費偉墓を示す“大将軍・録尚書事費偉之墓神”という石碑が建てられています。
蜀国の偉人に合掌!!! -
臨清門前の戦勝覇脇に、何やら演舞場というか観光施設が有ります。
三国志の猛者のテーマパークです。
この戦勝覇脇にある観光施設で“張飛戦馬超”や“三英戦呂布”というアトラクションが演じられるようですが・・・ -
あらあら、騎馬武者の戦場は無くなり、長閑かな牧場になっています。
騎馬と案内板が立てられていますが、どう見ても乗馬ですネ ((o(^∇^)o))!!
アトラクションは乗馬になっていました~! -
さあ、昭化古城臨清門から城壁に上がります。
ここも通票です。 -
臨清門から昭化古城外を俯瞰します。
張飛と馬超が一騎打ちした戦勝覇を見降ろします。 -
臨清門から昭化古城城内を俯瞰します。
閬中古城同様に、黒瓦の歴史建築が軒を連ねます。 -
昭化古城壁の南西角です。
城壁が直角に曲がります。 -
三国志とは無縁ですが、城外に向けて、大砲が睨みを効かせています。
いつの時代も外敵に対する堅固な守衛は必要不可欠です。 -
相府街から臨清門を振り返ります。
いいなあ~この雰囲気(^▽^)/!!! -
龍門書院は昭化博物館として利用されています。
入館しようとして初めて気付きました。
今日は月曜日、公共施設の定休日です。
古代墓が有るらしいのですが見られません。
や・ら・れ・た・・・ -
宿泊した昭化漢寿客桟隣の吐費街に建つ石碑坊です。
このような石碑坊ですが、昭化古城内外に3基残されています。 -
剣刀巷の八卦井です。
今は使われていない様です。
どうやら、この井戸の水は甘いらしいです。 -
さてさて暢游前半戦を終え、昼食時間です。
調理された料理を選んで個々のお皿に盛る方式の食事処が散見されます。
何だか京都の“おばんざい”みたいです。
他のお客さんを見ていると、炒飯類はおかわり自由のようです。 -
その中の露天昼餐が出来る一軒を選びます。
あまり寒くないので、毎度々の露天食卓を確保し、豆腐高菜煮込・東坡肉・高菜炒飯を注文、雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
四川の味付けって、我家の嗜好に合っていますネ。 -
古城暢游を終え、広元に戻ります。
景区から出ると、“●×△▼□■◆◎”と客引きの声が響きます。
どうやら、広元行きバスと宝輪行きバスが待機しており、満席にするべく、声を張り上げているようです。
私達は、一般国道経由の広元行きバス(9元)に乗り込みます。 -
8人乗りの小型バスは私達2人が乗り込むと満席になり、一路広元に向けて走り出しました。
高速道路インター入口で、途中乗車で待つ人達が5名もいましたが、既に満席で乗れません。
運転手が携帯電話で、昭化古城景区入口に停車していたもう一台のバスに対し、“■◆◎●×△▼□”と出発させるよう指示しているようです・・・多分・おそらく・きっと・・・そう言っている・・・
高速道路は使わず、一般国道108号線バイパス(浜江西路)を快走、約40分で広元南河汽車站に到着です。 -
広元河南汽車站から歩き開始です。
古城対岸の嘉陵江沿いを北に向かって歩いていくと、古城西門らしき城楼が鎮座しています。
今は地名でしか広元古城の名残は確認できませんが、西街の嘉陵江側に、西城門を再建したようです。
2日前の夜、広元北街歩行街を暢游した時、この西城門まで足を運べば良かったなぁ~! ちょっと後悔です。
ん~?? その後方山頂にに広元鳳凰楼が見えてますね。 -
広元南河汽車站から徒歩約30分、皇澤寺に到着、磨崖石刻を訪ねます。
皇澤寺は中国歴史上唯一の女性皇帝 則天武后の廟です。 -
門票(50元)です。
則天武后に会いに行きましょう)^o^( -
皇澤寺は寺院なのですが、実は僧侶は居ません・・・エエ~(>人<;)
何と、皇澤寺は博物館として運営されているのです。
確かに広い敷地で、僧侶は全く見かけませんでした。
広い敷地内には、世界中の女皇を紹介する女皇文化陳列館なる博物館が有ります。 -
女皇文化陳列館入口で則天武后がお出迎えです。
中国の長い歴史の中で“三大悪女”と称される女皇ですね。 -
館内には、ここ皇澤寺の歴史を語る様々な遺跡物が並んでいます。
長い歴史の中、磨崖仏は所々が破壊され、首の無い石像も見受けられます。 -
博物館の展望台から嘉陵江上流を俯瞰します。
広元古城の天然の要害 護河堀の役目を果たしています。
あらあら、広元火車站も見えていますね。 -
皇澤寺の歴史は北魏に始まります。
元の頃の名称は烏奴寺です。
則天武后の即位後に皇澤寺と改名されています。
北魏から明清までの間に彫られた石窟=皇澤寺摩崖造像が数多く残っており、特に唐代の大仏窟が有名ですね。 -
1500年以上の歴史のある皇澤寺は、二聖殿・武氏家廟・武後真容殿・大仏楼・五仏亭・角楼等の建築から構成されています。
寺院背後の岸壁には、北魏から唐代までの石刻・摩崖・石像が残され、国務院によって発表された初の全国重点文物保護施設に属します。 -
敷地内には現存する石窟・摩崖仏が34箇所あます。
石窟は、中心柱窟・大仏楼石窟・五仏亭石龕・則天殿石龕から構成されています。 -
今まで洛陽龍門石窟や大同雲崗石窟を暢游したことが有ります。
これら石窟同様、精巧な技術と重厚な歴史に感嘆しっぱなしです!!
凄いぞ中国(^▽^)/ -
さあ、今日は重慶まで戻らなければなりません。
先ずは高鉄広元火車站に向かいます。
来るバスは全て上西火車站つまり広元火車站に向かいます。
28番路線バス(2元)が到着です。
迷わす乗り込みます。 -
乗車約10分で広元火車站到着です。
西安と昆明を結ぶ京昆鉄路と、蘭州と貴陽を結ぶ蘭渝鉄路が交差する交通の要でもあります。 -
17:15発D1986列車が入線です。
今から重慶に戻ります。 -
広元站から重慶北站までの切符(127.5元)です。
-
乗車2時間40分後、重慶北火車站に到着です。
重慶北站は既に2本の地下鉄が乗り入れており、重慶西站と違って、大変便利なターミナル站です。 -
今夜は重慶の夜景観賞を楽しみます。
重慶は、上海と並ぶ東洋のマンハッタンとの異名があります。
その信憑性は自分の目で見ないとネ。
先ずは、地下鉄10号線と6号線を乗り継ぎます。 -
あちらこちらで重慶地下鉄の路線図を見かけます。
しかし、皆さん!注意して下さい!!!
工事中の未開通区間も全て載っています。
あたかも全線開通していると誤解・錯覚してしまいます。
未完路線まで載せるって、何か、中国あるある事情ですかね・・・(o^^o) -
地下鉄6号線大劇院站は地上站でした。
千厮門大橋の1階部分を地下鉄6号線が走行します。
岸辺から嘉陵江を挟んだ旧重慶古城があった重慶半島を俯瞰します。
今から夜景観賞がてら千厮門大橋の2階部分を歩いて渡ります。
あ~何て綺麗な夜景なのだろう・・・ -
洪崖洞を拡大して撮影しました。
旧重慶古城には、九開八閉と呼ばれた17個の城門が有ったようです。
その中に洪崖門という閉門(通常は閉められて使われない城門)が有りました。
明代末期には洪崖門の上に大砲が設置され、砲台街とも呼ばれていました。
しかし、洪崖門の下に洞窟が有ったことから、その後、この地は現在の地名である洪崖洞と呼ばれるようになったようです。 -
千厮門大橋を歩いて渡って来ました。
光煌めく洪崖洞を見降ろします。
洪崖洞の外観は、吊脚楼という木造建築を模した伝統建築物風で、2005年に再開発された近代商業施設です。 -
その商業施設から、先程、徒歩で渡橋を楽しんだ千厮門大橋のライトアップを振り返ります。
展望デッキは若いカップルで埋め尽くされています。
皆さん LOVE LOVEだね。 -
商業施設の内部ですが、主に1階~3階は土産物屋さん、4階以上は食事処や酒店等が配置されています。
ん~このオブジェの意味するところは何かな? -
それにしても凄い人です。
エレベーターは長蛇の列で断念、私達は階段を使って移動します。 -
ここ、洪崖洞は、中国にてSNSを通じて話題になり、年々暢游客が増え続けている人気スポットです。
中国国内でも人気が高い洪崖洞は、日本の宮崎アニメの“千と千尋の神隠し”に出てくるあの”湯屋”にソックリだと言われています。
洪崖洞の夜景は、とってもロマンチックで、地元のカップルにも人気があります。
私達もLOVE・LOVEしなきゃ!!! -
洪崖洞を離れ、民族路歩行街に移動です。
何やら高層ビルの合間に解放碑という石塔が現れました。
この解放碑は、1947年に、中華民国国民政府によって建てられました。
当初は“抗日戦争勝利記功碑”と称されていましたが、1949年に重慶市が中国共産党の直轄下に入り、重慶人民解放記念碑と名称を変えています。 -
解放碑前の揚子島酒店(ツイン・朝食付376元)に無事にチェックイン、今から晩餐会場を探します。
ホテル入口のベルボーイが指さした方面に、屋台街が有りました~ (o^^o)!
こんな大都市でも屋台街は存在し得たのですね!! -
どうやら美食街の雰囲気を残すような再開発が行われたようで、露天飲食が可能な歩行者天国の魅力ある通りになっています。
さあ~てと!何を食べよっかなぁ~( ^ω^ ) -
八一広場と瑞富賜物中心の間の路地は、まさに火鍋街の様相です。
店頭に設置されたテーブルや椅子で、多くの人々が晩餐を楽しんでいます。
雨避けテントや庇が設けられ、露天と言えども寒くありません。
我家も負けじと突進です。 -
連日、火鍋を食べたことも有り、今夜は別メニューにしましょう。
巫山草魚紙包蒜香味と重慶ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
熱々ニンニク汁と白飯の相性が良すぎて食べ過ぎました~
暢游4日目の11月26日が終わろうとしています(晩安)。。。。 -
早上好!!!暢游5日目最終日、11月27日が始まりました。
揚子島酒店は、四ツ星ホテルです。
アツアツを目の前で調理してもらい、フーフーしながらホクホク麺を食します。
湯気って、何だか幸せを感じるんですよね~(^○^) -
昨夜の屋台街の隣の磁器街の戦争遺跡から暢游開始です。
重慶大轟炸惨案遺跡(六・五遂道惨案旧跡)は近代的なビル群に埋もれるように残されています。
私達の場合、重慶大爆撃という言葉のみ知ってはいました。
しかし、日中戦争(中国呼称:抗日戦争)当時、ここ重慶で何が起こったのか? 私達日本人は余りにも無知なのかなと感じざるを得ません。 -
旧日本軍は、1938年2月から1944年12月まで、重慶市および周辺都市の軍事施設だけでなく、一般市民居住区に対しも、大規模爆撃を行っています。
この重慶大爆撃によって、約4万人もの死傷者が出たと言われています。
私達日本人は、第二次世界大戦で連合軍(アメリカ軍)が行った東京大空襲や広島・長崎への原爆投下については詳しく学び、教え込まれてきました。
一方、私達の先人達が、中国大陸で何をしたのか? 日本の教育では殆ど触れられていません。 -
多くの人が亡くなった防空壕の入口です。
内部は見ることが出来ませんが、壕は当時のまま保存されているようです。
多くの方々が、ここで命を散らしたのですね・・・
全ての御霊に黙祷!そして合掌!!! -
2004年7月、ここ重慶で開催されたサッカーアジアカップ国際試合:日本 VS 中国戦で、日本代表チームに対して、中国人観客から激しいブーイングが有り、勝利して引き揚げる日本代表チームのバスが襲撃されるという事件が起きました。
今回、ここ重慶を初めて訪れ、日本人が知らない重慶大爆撃に対する中国人民の感情を僅かながら知り得たと思いました。
当時の日本のマスコミは、中国政府が重慶を反日教育の拠点にしていると報道して非難する論調が目立ちましたが、先ずは、その現場に足を運び、歴史や真実を直視することが大切ですね。 -
さあ、暢游を続けます。
昨夜、ライトアップされていた解放碑が見えて来ました。
今では小さく見えるこの塔ですが、以前は周りの高僧ビルは皆無で、このエリアで最も高さを誇っていたそうです。
真実は不確定なのですが、碑の下には、当時、撃墜された旧日本軍機の残骸が埋められていると言われています。 -
民族路歩行街を北上、次の暢游地に向かいます。
ここ羅漢寺は、北宋治平年間(1064年-1067年)に建てられ、当初は治平寺という名称でした。
清の光緒10年(1885年)に、隆法和尚がこの寺院を再建し、更に羅漢堂を建立、500体の阿羅漢の泥彫像を作り、羅漢寺と改名され今日に至っています。 -
門票(10元)です。
ここは漢族の全国重要寺院に指定されています。
まあ、入ってみましょう。 -
高層ビル群の谷間に、所狭しと四大天王像碑・羅漢堂・弥勒閣・大雄宝殿・蔵経楼等が連なります。
ここが都会の真ん中だなんて、信じられませんね。 -
羅漢堂です。
何故か笑ってバンザイ???
修羅の皆さん、表情豊かですね。 -
羅漢寺から次の暢游地の湖広会館に向かいます。
ところが、行き方が分かりません。
迷って彷徨っていたら、湖広会館と書かれた道標に遭遇、写真の様な狭い階段を降ります。
このコースで本当に大丈夫なのかな・・・ -
その狭い坂道の頭上には、長江を挟んだ対岸とを結ぶロープウェイが運航されています。
坂が多い重慶ならではの都市内移動手段ですね。
当時は市民の足でしたが、現在では観光用ロープウェイといった感が強いみたいですね。 -
坂の途中、残された重慶古城の城壁が見えていました。
綺麗に修復・整備され、観光開発される日が待たれますね! -
迷った挙句、やっと湖広会館に到着です。
ここ湖広会館は、長江と嘉陵江が合流する重慶半島の長江畔に建ち、中国に現存する最も大きな会館建築群です。
会館は、広東公所・禹王宮・斉安公所を含む三つの部分からなっています。
正門から入場すると、治水王 禹を祀る廟が私達を出迎えます。 -
門票(30元)です。
窓口の服務員の女性に、地下鉄6号線 小什字站の行き方を教えてもらいました。
しかし“●×△▼□■◆◎”と言われるも意味不明・・・
まあ、何とかなるでしょう。 -
象徴でもある測量器を持つ治水王の禹像と遭遇です。
当時、孔子は、質素な衣服をまとい自分の食事は切り詰めて治水に労力をいとわなかった禹に対して,“禹は間然とすること無し(禹は文句のつけようが無いほど素晴らしい)”と最大の敬意を表しています。
ん~孔子に会いに山東省曲阜にも行かなきゃ!!!
ウフフ!!実は行くつもりです。 -
湖広会館の屋根の向こう側に東水門大橋が架かっています。
ここ湖広会館の規模が大きく有名な訳は,明末清代初期の四川で発生した人口の急減と関係が有ります。
それは“屠蜀”と呼ばれる反乱農民の指導者・張献忠による粛正によって引き起こされた急激な人口減です。
張献忠の常軌を逸した粛正・殺戮により、明代末には300万人以上だった四川の人口が,清代初期には、僅か2万人程にまで激減したと言われています。 -
その急激な人口減を解消するために、湖北・湖南・広東から数百万人が移住という大量の移民政策が実施されました。
この移民政策の結果、四川の固有の言語・方言が薄れ、今でいう標準語に近いそれになったと言われています。 -
ここ湖広会館は、移民達の商売上の情報交換、暢游者の宿泊所、更には交流会場としての機能も持ち合わせていました。
同郷の困窮者にはお金や米の支援が与えられる等、セーフティネット的役割も果たしました。
その様子が蝋人形で再現されています。 -
精巧で豪華絢爛な建物は、大規模な修復工事を経て、現代の姿を保っています。
敷地内の博物館には、当時の建物に使われていた建築部位が陳列されています。
これは梁ですかね? 精巧な彫刻が施されています。
当時の財力が分かりますね。 -
土台となる基盤石です。
石材にも精巧な彫刻が施されています。 -
嘉陵江と長江が合流する重慶半島に建造された重慶古城が分かり易く、古地図として残されています。
一周する城壁・城門や、城門外の埠頭等が見受けられますね。 -
湖広会館を後にして、東水門大橋真下の朝平門に向かうと、かつての城壁&城門が残っています。
重慶古城の城門は、現在では2ヶ所しか残っていないようです。
洞門を潜って城外に出てみましょう。 -
朝平門の門洞を潜り重慶古城城外から振り返ります。
真上に東水門大橋の架橋が架かっています。
千厮門大橋同様に、1階が地下鉄、2階が車道の2階建て構造です。 -
さあ、全ての暢游を終え、重慶江北国際空港に向かいます。
地下鉄6号線の小什字站の入口が分からずに右往左往、様々な人達に、“地鉄”と書いた紙を見せながらルートを探ります。
え??こんな道を進むの??というような港兪広場ビル北側の隙間の坂道を登ります。
それにしても、毎日、こんな石段を登り降りする重慶の人達って、何て逞ましいのだろう! -
朝平門が近いからでしょうか?市場が発達しています。
これぞ、日本では消えてしまったTHE ASIA~ 的な光景ですね。
後で分かったことですが、羅漢寺から湖広会館への移動ルートは、この逆ルートで坂道を降ればよかったようです。 -
親切な重慶市民が“●◎◆×●◎”と言いながら指で示す方向に進むと、あらら・・・(o^^o)・・・無事に小什字站に到着、一安心です。
重慶江北国際空港まで、地下鉄(6元)で移動可能です。
地下鉄移動は、時間が読みやすく安心ですね。 -
地下鉄6号線と10号線を乗り継ぎます。
途中から地上を走行していた地下鉄10号線ですが、重慶江北国際空港を直前に、再び地下に潜ります。 -
重慶北江国際空港に戻って来ました。
ああ~四川暢游、楽しかったなぁ~ -
春秋航空日本の個人カウンターに並びます。
個人と団体、半々ぐらいですかね。
中国の方々の個人旅行、随分と増えた感が有りますね。
今から日本へ行く人達、きっとワクワクでしょうね。
いい国だよ、ニッポン!!! -
出国後、1店舗しか無い食事処で、辣子鶏麺と牛紅牛肺麺を注文です。
し・か・し・・・昼餐しようにも、ビールの販売が有りません。
まだ完成したての第3ターミナルは、殆どのテナントが未入店状態です。
免税店でウイスキーかワインを買って呑もうか・・・しかし、呑みたいのはビールだし・・・
結局、ビール購入は諦め、アルコール無しで、昼餐ならぬ昼食を楽しみます。 -
東京成田行きIJ1022便の搭乗が始まりました。
我家の中国暢游が終わろうとしています。
初めての四川省、見どころ満載で魅力的なエリアでした。
後ろ髪を引かれますネ。 -
春秋航空日本は、東京成田と重慶を、週4往復しています。
旅行日程が組みやすいフライトスケジュールですね。
また、乗るだろうなぁ~(o^^o) -
四川省史跡巡りの旅・・・・如何でしたか?
過ぎてしまえば、あっという間の5日間の旅でした。
機内でアサヒスーパードライ350ml(500円)を購入し乾杯していると、早速睡魔が到来し爆睡です。
さあ!!明日から仕事を頑張って、そして、またまた休暇を取って、中国旅行に行くぞ~!!行くぞ~!!!!!絶対行くぞ~!!!!!!!!
と言う訳で お・し・ま・い (-^〇^-)
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この旅行記へのコメント (1)
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- mimozaさん 2018/12/11 15:34:23
- 古城大好き
- 初めまして。私も古城好きで、麗江古城と平遥古城を訪れたことがあります。数年前の「地球の歩き方」でロウ中古城の巻頭ページを見て以来ずっと憧れていましたが、成都からバスでの女一人移動はキツイかな~と思い躊躇していましたが、今回、尖椒土豆絲さんの旅行記を拝見し俄然行ってみたい気持ちが強まりました。
いつか私も参考にさせていただいて行ってみたいと思います。
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