2018/10/17 - 2018/10/17
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ペコちゃんさん
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平安時代に唐から伝来し、その後、武士や庶民にも愛された日本の ” 盆栽 ” は、今や欧米でも ” BONSAI ” ブームになっていますが、 ” 凡才 ” にとって日頃は縁のない文化。
しかし、一度はその神髄に触れてみたいと思い、「大宮盆栽美術館」に仲間6名で出かけました。
その後、大宮で昼食をとり、午後からは7月に新館が完成した「大宮鉄道博物館」へ。
大宮鉄道博物館はJR東日本の創立20周年記念事業として、2007年10月14日の鉄道の日に開館し、今年の5月には入館者が1000万人を突破した人気のスポット。
ここは鉄道の歴史と鉄道の技術と仕組みをテーマにした博物館ですが、36両の実物車両を展示し、日本最大の鉄道模型ジオラマや5種類の運転シミュレータなど魅力的な設備が満載!
子供だけではなく大人でも一度は行ってみたい場所です。
写真は、1階の車両ステーションに展示された『貴婦人』と呼ばれる「C57形蒸気機関車」、その後方には上越線特急「とき」や東北本線特急「ひばり」なども並んでいます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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大宮盆栽美術館へのアクセスは、大宮で宇都宮線に乗り換えて1駅目の「土呂」。
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JR土呂駅の改札口を出ると、目に飛び込んでくる盆栽美術館の大きな案内板。
土呂町の一帯は「盆栽村」として盆栽園や庭園が沢山あり、平成22年に開館した大宮盆栽美術館を中心に、日本の伝統産業・芸術である「盆栽」の魅力を広く発信し続けています。 -
初めて降りた土呂駅・・・駅舎が素敵ですね。
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土呂駅のロータリーに飾られた幼い姉弟の像「やすらぎ」・・・でも、この年頃のお姉ちゃんって、弟にキビシイんですよね。
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土呂の街中を歩くと、電柱に掲げられた「盆栽村」と「盆栽美術館」の案内が目につきます。
かつて、東京・文京区の団子坂周辺には、江戸の大名屋敷などの庭造りをしていた植木職人が多く住んでいましたが、1923年の関東大震災で大きな被害を受け、盆栽業者がこの地へ移り住んで大宮盆栽村が生まれました。 -
これは、歩道に飾られた盆栽のタイル。
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大宮盆栽美術館の入り口。
盆栽美術館は、盆栽の魅力を発信するための観光施設として、2010年に開館しました。 -
美術館では、季節ごとに様々な企画展・特別展などが開催されますが、今回の企画展は地元盆栽家の作品を展示した「第19回 彩(いろどり)展」。
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これは盆栽美術館の見取り図。
中央の盆栽庭園を建物がL字形に囲み、図面上部のコレクションギャラリーでは5席、座敷飾りでは3席の盆栽が週替わりで展示されます。 -
2階の盆栽テラスから見た盆栽庭園。
園内には40~50点の盆栽が展示され、いずれも生命力に満ち溢れた作品で、見応えがあります。
館内と盆栽庭園の作品は撮影禁止ですが、竹垣で仕切られた盆栽庭園の奥(写真の上部)はOKなので、いくつかの名品を紹介します。 -
これは、大きな石板上に根付かせた、五葉松の寄せ植え(推定樹齢:150年)
大小さまざまな木を配置し、厳しい環境の中で身を寄せ合うようにして生きる、自然の姿が再現されています。 -
本州の一部と朝鮮半島に自生する「いわしで」の寄せ植え(推定樹齢:60年)。
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太く逞しい根張りから扇状に広がる山もみじ「紅陵」(推定樹齢:120年)・・・大地を這うように繁った青葉ですが、紅葉の時季の見事さから、紅い丘を意味する「紅陵」という銘が付けられています。
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幹から枝にかけて白色化したシャリ(舎利:幹の一部が枯れたもの)と緑の葉の対比が見事な真柏「寿雲」(推定樹齢:800年)・・・真柏とは、ヒノキ科の常緑樹・ミヤマビャクシンのこと。
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春に鮮やかな紅色の若葉を芽吹き、夏は青葉、秋には紅色に染まるモミジの品種「清玄」(推定樹齢:90年)。
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<左:上> 初夏に淡紫色の花が咲く梅もどき(推定樹齢:160年)
<右:上> 白い花が咲く野梅(推定樹齢:150年)
<左:下> 春に小さな果実が赤く色づく寒ぐみ(推定樹齢:150年)
<右:下> 艶やかな緑の葉と花が楽しめる寒椿(推定樹齢:50年) -
これは何と、推定樹齢:1,000年の蝦夷松「轟」・・・幹は半ば空洞化しており、白いシャリが「轟(雷鳴)」を感じさせる作品です。
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推定樹齢:350年の五葉松・・・根元から力強く盛り上った太い幹が、「輝」という銘に相応しい姿の作品です。
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推定樹齢:250年の黒松・・・高さが125cmの大きなこの作品は、早稲田大学創始者の大隈重信が愛蔵したと伝えられています。
<ジン、シャリ> 歳月を経た松や真柏では、幹や枝の一部が枯れて、そのままの形を残すことがあります。こうした幹は白い肌を見せることで、緑色の葉と美しいコントラストを生み出します。枝先のものを「ジン(神)」、幹の一部が枯れたものを「シャリ(舎利)」と呼びます。 -
岡山県津山で発見された品種の津山檜(推定樹齢:70年)・・・津山檜は葉が短く緑が濃いことから、盆栽に適した品種として好まれています。
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推定樹齢:80年のブナ「白神の里」・・・森を守る巨木のブナも、こんな盆栽になるんですね。
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春には愛らしいピンクの花を開き、夏には青々とした葉を繁らせ、秋には黄色く色づいた果実が楽しめる花梨(かりん)。
<上の写真> 推定樹齢:100年
<下の写真> 推定樹齢:150年のこの作品は、東武鉄道を創業した根津嘉一郎や、佐藤栄作・岸信介らが愛蔵し、「貴重盆栽第1号」に認定されています。 -
推定樹齢:350年の真柏・・・幹の大部分が枯れてシャリと化していますが、真柏に特有の生命力を感じます。
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盆栽は、盆器の中に凝縮された大自然・・・全体の姿だけでなく、根張り・幹の立ち上がり・枝ぶり・葉の個性も見どころのポイント。
そして、青々とした葉や色鮮やかな紅葉など、季節によって全く別の姿を見せるのが盆栽の魅力・・・どれもこれも、素晴らしい作品でした。 -
大宮に戻って昼食の後、鉄道博物館へ。
1983年(昭和58年)に開業した「ニューシャトル」に乗り、1駅先の「鉄道博物館駅」へ。 -
ニューシャトルは、東北・上越新幹線の高架に沿って路線が敷設され、大宮から北足立郡伊奈町・内宿駅を25分で結んでいます。
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これがニューシャトルのゴムタイヤ。
ニューシャトルは側方案内軌条方式の新交通システム (AGT) で、ゴムタイヤのため騒音・振動は少なく、快適。 -
鉄道博物館駅から博物館入口に続くプロムナードの天井には、新幹線のダイヤグラムをイメージした装飾が施されています。
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床面は、東北新幹線・山形新幹線・秋田新幹線の時刻表。
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「鉄道博物館」の入口。
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本館1階の車両ステーションにある車両は全部本物!
1時過ぎに入館しましたが、1日2回(10:15、13:00)のボランティアガイドツアーが丁度始まる時間だったので、ラッキーでした。
我々グループのガイドさんは元車掌だった方で、車両ステーションの展示車両など、博物館のみどころを約1時間半で案内してくれ、鉄博のことがよく分かりました。 -
1.先ずは、入り口を入った所に展示された、日本で最初の鉄道機関車「一号機関車」(150形式蒸気機関車)から案内スタート。
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「一号機関車」は明治4年(1871)のイギリス製で、新橋~横浜間の鉄道開業時に合わせて輸入した蒸気機関車のうちの1両。
その後、島原鉄道に譲渡され九州で活躍しましたが、保存のため昭和5に当時の鉄道省へ返還され、東京駅高架下にあった旧鉄道博物館に展示されていました。
島原鉄道から鉄道省に引き渡される際に、島鉄の創業期に功績のあった機関車への感謝の念を込めて、島鉄の社長・植木元太郎が『惜別感無量』と記した自筆の銘板を車体に装着させて送り出しました。 -
<上の写真> 1号機関車の原形図
<下の写真> 客車を連結するバッファー・リンク式の連結器。 -
ホームに設けられた「新橋」の駅名板。
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2.明治37年(1904)製造の、日本初の電車「ハニフ1形客車」。
東京に登場した、国鉄電車のルーツです。 -
3.「開拓使号」は、北海道初の鉄道・幌内鉄道が明治13年(1880)の開業に際して輸入したアメリカ製の客車。
明治政府は北海道開拓のための役所「開拓使」を設置し、アメリカから多くの技術者を雇い入れて事業を進めました。 -
一般営業には用いられず、開拓使長官や政府高官の専用車両として使用されたため、転換式クロスシートやニッケルメッキの肘掛、装飾入りの革張り天井や側面の飾り窓など、豪華な造りになっています。
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4.「開拓使号」と同じく、明治13年にアメリカから輸入された機関車「弁慶号」・・・牛などの動物と衝突した際に跳ね飛ばすカウキャッチャー(前面のバンパー)、火の粉による火事防止のためのダイヤモンドスタック煙突など、西部劇を思わせるアメリカン・スタイルが特徴。
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車体に取り付けられた「ピッツバーグ 1880」と「辨慶」のプレート。
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5.御殿場線や信越本線などの急勾配区間のためにドイツから輸入した、1912年製造の「9850形蒸気機関車」・・・フランス人のマレーが開発した急勾配に強いマレー式という内部構造が分かるように、各部を切開して、旧鉄道博物館の開館時から展示されています。
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6.大正10年(1921)に製造された国鉄初の電気機関車「ED40形」。
信越本線・横川~軽井沢間の碓氷峠を越える66.7度の急勾配区間で使用するため、「アプト式」を採用した国産の電気機関車です。 -
碓氷峠は10kmほどの短い区間ですが、高低差が500m以上もあります。
機関車の下を見ると、2本のレールの間にラックレールという歯形のついたレールが3本敷かれています。
これに機関車の下部に取り付けられたピニオンギアという歯車を?筋合わせることで、急勾配を確実に走ることが出来ました。 -
7.大正3年(1914)製造の「ナデ6110形電車」。
山手線電化後の利用者増に対応するため、1911年に登場した大型車両。
ロングシートと3つの扉を備え、現在の通勤型電車の原型となった車両です。 -
8.明治9年(1876)製造の「1号御料車」
「御料車」は、天皇・皇后両陛下などのご旅行に使用される専用客車で、その内外装は各時期の美術・工芸の粋を凝らして製造され、芸術性の高い豪華なものになっています。
この1号車は、イギリス風の中に和風を調和させた室内装飾になっています。 -
9.明治24年(1891)製造の「2号御料車」。
九州鉄道会社がドイツから輸入した貴賓客車で、明治35年(1902)に熊本で実施された陸軍特別大演習に明治天皇が行幸する際に、内装を中心に改造されました。 -
10.大正3年(1914)製造の「7号御料車」。
大正天皇の即位礼に際し、天皇・皇后の御乗用として製造されました。
螺鈿や蒔絵細工を多用した豪華で芸術性の高い車両です。 -
11.大正11年(1922)製造の「10号御料車」。
この年のイギリス皇太子来日時に国賓用として製造され、展望室・展望デッキを持ち、展望室は和風の意匠となっています。 -
12.大正13年(1924)製造の「12号御料車」・・・昭和天皇の摂政官時代に製造され、昭和3年(1928)の即位礼に際しては御召列車に使用されました。
内外の意匠は、それまでの和風の重厚なスタイルから洋風に変化しています。 -
13.昭和39年(1964)製造の「ナハネフ22形客車」。
東京⇔博多間の夜行特急「あさかぜ」用に製造された寝台特急用客車で、 “ 走るホテル ” と呼ばれた憧れのブルートレイン。
冷暖房を完備し、個室・開放式の2等寝台、3段式の3等寝台(下の写真)、座席車、食堂車などで編成され、当時としては豪華な設備でした。 -
14.大正9年(1920)製造の「C51形蒸気機関車」。
輸送力増強のため、動輪の直径をそれまでの160cmから170cm、高い性能が評価されました。 -
15.昭和39年(1964)製造の「21形新幹線電車」・・・2013年に引退した懐かしい新幹線です。
世界で初めて時速210kmを実現し、東京⇔新大阪間を3時間10分で結んだ0系新幹線で、丸い団子鼻の中には非常用の連結器が格納されています。 -
現在ピークの時間帯には、1時間に16本も走る東海道新幹線ですが、開業当時は「ひかり」と「こだま」が各1本。
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新幹線の生みの親は、71歳で国鉄総裁に就任した十河信二で、技術面を主導した島秀雄は新幹線の父と言われています。
しかし新幹線建設費は、諸物価・人件費の上昇もあって予定を上回り、それが国鉄当局の赤字をもたらした、との理由で政府が十河を三期目の総裁に再任しなかったため、2人とも新幹線開業の前年に退職しました。 -
16.183ランチトレイン
本館と新館の間の空間には、特急系車両を用いた休憩スペースがあり、弁当を車内で食べることができます。 -
ランチトレインのそばにある駅弁屋。
館内にはこの他に、レストランやカフェもあります。 -
17.昭和43年(1968)製造の「EF66形電気機関車」。
1960年代、トラック輸送の増加に対抗するため、大量の貨物を高速で運ぶ強力な機関車として登場し、デザインは特急電車を連想する流線型。
下の写真は、トラックとの共同一貫輸送のために製造された、コンテナ専用貨車。 -
18.昭和11年(1936)製造の「クモハ40形電車」。
増加する大都市圏の利用者に対応するため、初めて車体の長さを20mにし、定員を増やした車両で、この規格は現在も踏襲しています。
開閉が自動化された片側3ヶ所の乗降扉とロングシートで、スムーズな乗降が出来るようになりました。 -
19.昭和11年(1936)製造の「EF55形電気機関車」・・・流線形のデザインで東海道本線の特急「つばめ」「富士」などを牽引しました。
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20.昭和15年(1940)製造の「C57形蒸気機関車」。
C57形は他のSLに比べてボイラーの径が小さかったため、腰回りの細い服を着る女性になぞらえて『貴婦人』と呼ばれています。
今でもJR磐越西線・山都~喜多方間を走る「SLばんえつ物語」や山口線・新山口~津和野間を走る「SLやまぐち号」で、その優美な姿を見ることが出来ます。 -
21.昭和2年(1927)製造の「オハ31形客車」・・・これまでの旅客車は木製でしたが、安全性向上のため、最初の鋼製客車として製造されました。
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昭和5年に津軽鉄道へ譲渡され、冬は「ストーブ列車」として活躍。
ストーブ列車は、現在も津軽五所川原⇔津軽中里を走っていますが、熱燗とスルメで冬の津軽を楽しみたいですね。 -
22.昭和5年(1930)製造の「マイテ39形客車」。
東海道線の特急列車に連結され、展望室は外国人の利用を見込んで、純和風の『桃山式』と呼ばれる豪華な内装となっています。
このようなハイグレードの車両は現在ありませんが、強いて言えば「グランクラス」レベル? -
明治39年(1906)に主要鉄道が国有化され、明治45年には新橋⇔下関間を25時間で結ぶ特急列車が運行開始されたことにより、下関から関釜フェリーで釜山に渡り、中国・ロシアを経由して15日間かけて1枚の切符でパリまで行くことが出来たそうです。
以上、ボランティアガイドの方から詳しく説明を受けて、明治以降の鉄道の歴史と日本人の優れた技術・情熱がよく分かりました。 -
そのあとは、7月にリニューアルオープンした新館へ。
1階に入ると、東北新幹線で時速320kmの営業運転を行う「E5系新幹線」と、山形新幹線を走る「400系新幹線電車」が展示されています。 -
本館と新館の間のスペースに展示されている、オール2階建ての「E1系新幹線電車」(製造:1995年)・・・新幹線通勤の普及により、輸送力を増強するために製造された車両で、乗車定員は約4割アップ。
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新館の奥にある「てっぱくひろば」・・・鉄道をモチーフとした遊具が揃い、ちびっ子達も楽しそう。
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本館に戻って2階へ。
周囲には車両年表と、その下にそれぞれの時代に活躍した車両のミニチュアが展示されています。 -
先ほどガイドツアーの時に見た「C57型SL」を使って、15時から転車台回転・汽笛吹鳴の実演が始まりました。
大きな汽笛の合図とともに転車台が回転を始め、車両の特徴や、誕生から鉄道博物館に展示されるまでのエピソードなどを係員が解説をします。
現役当時と同じ汽笛の音色に、皆さんビックリ! -
これは、鉄道をモチーフにした、高さ3m×幅10mの巨大なステンドグラス「過ぎゆくもの」。
谷川俊太郎の詩「過ぎゆくもの―SL挽歌」を基調に、鉄道にまつわる書き下ろしエッセイ10篇から得たイメージを作品にしたもので、銅版画家の山本容子さんにより、10点の作品全体が一枚の絵となるように描かれています。 -
最後は、「鉄道ジオラマ」見学。
横幅23m、奥行き10mもある日本最大級のジオラマは、迫力十分! -
風景や線路が間近に見れて、子供たちも大喜び・・・ジオラマの奥をスクリーンにして映像も投影されています。
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線路の総延長は約1,200m、沢山の模型車両が迫力いっぱいに駆けめぐります。
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15j時10分から始まった「鉄道の1日」という解説付きプログラムでしたが、夜景のシーンでは建物や車両に明かりがつき、とってもファンタスティック!
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大人も子供も楽しめる大宮鉄道博物館でした。
運転シミュレーターやキッズプラザもあるので、今度は孫と来てみようかな。
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