2018/09/19 - 2018/09/21
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ソウルの旅人さん
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御柱祭のような不思議な行事が現在も続く諏訪地方に関心を持っている。偶々、友人が茅野市に別荘を持っているので、そこをキャンプにして諏訪各地を訪れ、どのような歴史を持っているのかを探訪してきた。一般観光旅行とは少し異なる。諏訪に興味を持っている方には面白い部分があるかもしれない。
タイトル写真は茅野市にある「神長官守矢資料館」。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
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大阪府堺市から長野県諏訪地方までの高速道路ルート。
阪和道⇒近畿道⇒名神⇒中央道
高速でスムースの走れば6時間で到着するとはいえ、近い距離ではない。
休憩した中央道の神坂(みさか)パーキング。すぐ横に馬籠宿がある。 -
パーキングの正面に見える恵那山。
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最初の目的地は分杭峠。
中央高速駒ヶ根インターで降り、県道49号線にて南アルプス山麓の細い山道を苦労して走り、国道152号線に出て、分杭峠行きシャトルバス乗り場に着く。
パワースポットとして有名になっているが、中央構造線(フォッサマグナ)の中心部、即ち日本最深部とはどんな【ところ】かを知りたかった。 -
分杭峠は駐車禁止。車では行けない。シャトルバス乗り場に車を駐めて、バスで往復する。料金600円。時刻表はなく、一定の客が集まれば出発する。平日の午後2時頃であったが、10人位の乗客があって、すぐ分杭峠に向かった。
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地図参照の通り、場所は日本の中央のど真中である。本州を二つに分断する中央構造帯の中の心臓部といえるか。何か特別な場所のような感じがする。
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国道152号は静岡県浜松市から長野県上田市までを繋ぐ長距離国道であるが、ほぼ中央構造線の真上を走っている。破砕帯上にあってトンネル掘削が困難で、途中に通行不通区間がある。この峠も冬季閉鎖である。
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分杭峠の解説板があった。
中央構造線の丁寧な説明である。 -
どこにもパワースポット的なオカルト風説明箇所はなく、科学的に説明してある。
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懇切丁寧かつ正確な表示板である。
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分杭峠でバスを降り、矢印に従ってゼロ磁場に向かう。(気場)の表示はいかにもパワースポット的である。
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山道をほんの2~3分歩くとゼロ磁場に着く。
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ここである。
10人前後が坐っていたが、誰も一言も発しない。じっとしている。
静寂の中、せせらぎの音と小鳥の囀りが聞こえる。 -
ゼロ磁場とはいえ特に変わった空気であったり、震動しているわけではない。普通の谷間である。特別の感慨も湧かないが、予想通りで残念感もない。
ここは”ここに来たこと”に価値がある。 -
分杭峠から北方を見た中央構造線。
この先に諏訪がある。諏訪も日本を二つに分断する大断層の上にある。 -
分杭峠よりシャトルバスで駐車場に戻る。自分の車に乗り換えて、152号線を北へ向かう。高遠を過ぎ、諏訪に入る杖突峠の少し手前にこの神社がある。
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辺りは森閑としている。
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丁度、犬をつれた地元の方が灯明を点けていた。
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平凡な村の鎮守様にみえたのだが、同行の友人が「この建屋の裏に何かがある」と言うので裏に回ってみた。
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前の神社に隠されるように、その後ろに長い階段があり、その上の祠があった。
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粗末ではあるが、何となく気になる佇まいの祠である。
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横からの写真。
建屋の造りは飛鳥時代かそれ以前の感じがするが、木材の質からみて、最近のものである。 -
内部の様子。
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内部正面
それほど古くはない。この中には何がはいっているのだろう。御神体は何か? -
入口の鳥居に懸っている額は物部守屋神社となっている。
飛鳥時代に蘇我氏(聖徳太子もその一員であったことになっている)に滅ぼされた物部氏の氏長である。この神社の祭神は当然守屋である。何故に守屋を祀る神社がこんな諏訪に近い山奥にあるのか。
この神社の後ろの山は守屋山である。 -
大阪の四天王寺。太子殿の中にある守屋社。
太子殿は中に入れないので、塀越しに遠くから写しているのではっきり判らないが、物部守屋を祀る社である。守屋を滅ぼした聖徳太子が作った四天王寺になぜ守屋が祀られているのか。(9月26日撮影) -
大阪、八尾市にある渋川神社。
守屋の屋敷跡。戦闘が行われ、ここで守屋は戦死した。神社はあるが、守屋伝承の表示はない。何も無い。長野県の山奥の神社がはるかに守屋を悼んでいるように見える。(9月26日撮影) -
19日は茅野市にある友人の別荘に泊まった。名前は茅野市であるが、諏訪地方の歴史の中心は諏訪市より茅野市にあるように見える。市内には市営温泉があり、銭湯感覚で素晴らしい温泉につかってきた。市内にこんな施設があるのも、この地が中央構造線上にある故であろう。
20日に最初に行ったのはここである。入口に向かう道だけ見ても、ここが由緒ある場所であることがわかる。 -
神長官「守矢資料館」
資料集には「神長官守矢家は古代から明治まで、諏訪上社の神長官という役職を勤めてきた家である。大祝諏訪氏は現人神であり、実際の神事は神長官が取り仕切った。」と記載されている。守矢家には大量の古文書が残され、その敷地内にも古来よりの施設や神々が祀られており、それを元に茅野市が守矢氏の旧居跡に作った資料館である。諏訪の歴史の重要部分はここにある。 -
入口の門を入った景観。右の山が守屋山。
順番に見ていこう。 -
岐(ちまた)神社
このように分厚い生け垣に囲まれた内部にある。重要な社に見えたが、岐社とは道祖神と同じであり、通常は路上に置く社であって、屋敷内に置く社ではない。 -
岐社。
分厚い生け垣に入ってすぐ横に石だけで4~5段に積み上げてある祠状のものがあったが、それは写真に撮らなかった。それが守矢家先祖代々の廟社であった。分厚い生け垣はこの廟社の為であった。資料館で買い求めた資料集を見て知った。家に帰ってから見たので後の祭り。肝心な箇所を見落としている。 -
御左口神社。
入って正面の高台にあるので、中心に位置する。「みしゃくじしゃ」と読み仮名がふってある。信濃・甲斐・秩父一帯に縄文時代から祀られているとされるミシャグチ神と名前は同一である。守矢資料では祭神は御左口神であるとするだけで、その説明はない。 -
御左口神社。
諏訪大社の祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)であるが、神長官の居宅内中央に鎮座する神はミシャグチ神である。神長官は建御名方命ではなく、ミシャグチ神を祀っていた。それを隠しているようにもみえない。繰り返すがその理由説明は書かれていない。 -
何が祀ってあるのかも判らない。石か鏡かその他のものか。
資料集内の守矢早苗署名記事
「諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝に降りてくる精霊を中心に営まれます。その祭祀権を持っていたのが神長であり、ミシャグチ上げやミシャグチ降ろしの技法を駆使して祭祀を取り仕切った。」
この後、諏訪大社上社へも行くが、諏訪大社自身はこんな神を認めていない。上社の栞にはミシャグチ神の名前は一切登場しない。 -
御左口神社の横にある2社。
天神社と稲荷社となっている。一般神社らしい後世の勧請である。
この小さな祠にも御柱が4本立てられている。 -
大祝諏訪氏の墓地
諏訪氏は諏訪地方の支配者であり、大社(上社)の生き神として、君臨していたはずである。 -
はっきりした記載がなく正しいのか不明であるが、大祝に就任するのは8歳前後の諏訪家の童子であり、神社関係の実際の権能は神長官が握っていた様子の記事もある。
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墓の裏側の畑の中にある異様な構造物『空とぶ泥舟』。
この資料館を設計した個人の趣向にて作られたそうで、茶室とのこと。
設計者は守矢家の関係者のようである。 -
茶室の横にもう一点不思議な建造物がある。
『高過庵』と記載されている。雑草がはえている広場に建っているが、一見すれば、崩壊寸前に見える。 -
奇をてらう新進建築設計者らしい個人趣味の建物であるが、後ほど見る資料館本体の建物との整合性はある。
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入場は出来ない。見るだけであるが、実際に茶室として利用でき、茶会を開いたことがあるとのことであった。
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諏訪氏墓所近辺から見える八ヶ岳。
高台になっているので、東方に連なる八ヶ岳が見事に望まれる。天気が悪いので明瞭ではないが、この辺りからの景色は素晴らしい。 -
神長官守矢資料館の入口を入るとすぐ右側にこの異様な建物がある。さきほどの泥舟の設計者と同一人が設計したと即断できる形態である。この資料館内の展示品を見るのが今回の主目的である。
守矢神長官の歴史の一断面を展示している。 -
守矢神長官家の概略説明。資料館入り口の壁面に貼ってある。
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展示の内容説明
諏訪大社前宮にて江戸時代にどのような神事が催されていたかを再現していることが記されている。
若干、酷い写真もある。閲覧注意と云うほどではないが(フォートラベルにて何度か紹介されている)、見るのが不快という人はとばしてください。なお、ここは内部展示品の一部を写真撮影許可にしている。素晴らしい。 -
御頭祭の復元展示
諏訪大社前宮にて守矢神長官が司祭して行われた御頭祭とよばれる祭事に、供物としてお供えされた品々を復元展示してある。
普通は供物といえば米・稲・栗・塩など植物であるが、この祭事では串刺しの兎他の動物が供えられた。 -
猪・鹿・兎などの五臓・脳和など。
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耳裂鹿。耳が裂けた鹿の頭部が必ず一つ供えられた。
「みみさけしか」⇒「みじゃけしか」⇒「みじゃぐちしか」⇒「ミシャグチ」
ミシャグチ神に供える意味が判るように耳裂鹿が供えられたと云われているようだが・・・・。 -
75頭の鹿・猪の頭部が供えられた。
血が滴った頭部だけではなく、料理された肉が提供され、列席者が飲酒・会食し、神前にて饗宴が催された。 -
御贄柱・祭事に使われた刀・弓矢など
解説してくださる担当者がいらっしゃり、御頭祭について詳細を説明してくださった。我々の常識的神社祭祀とは全く異なる。 -
右側に袋に入れて吊されているのは鉄鐸。銅鐸は承知しているが、鉄鐸は初めてみた。内容は大社本宮訪問時に詳報。
すくなくとも江戸時代までは、こんな祭事が行われていた。そして、現在でも毎年4月15日に行われている。但し、剥製で代用されており、かなり薄めているそうである。来年は見に行きたい。
ところで、この御贄柱は何の贄を象徴しているのか。解説者に質問したが、明確な返事はなかった。守矢資料館のしおりには記載されている。 -
守矢資料館にて購入した資料
左:守矢資料館(周辺ガイドブック) 800円
右:神長官守矢資料館のしおり 200円
一般書には記載されていない記事が多く、充実した内容で大変面白い。 -
帰る前に再度正面入口からの守矢資料館。
後ろの山が守屋山。昨日行った物部守屋神社はこの山の裏側である。諏訪大社の神長官が守屋と同音の守矢であるのは偶然の一致ではあるまい。また、同じく神長官が祭神を無視して縄文を思わせる祭祀を主宰していることがどうにも理解不能である。この二つの疑問を繋ぐことは余程難しそうだ。
これから今見てきた御頭祭が行われた諏訪大社前宮に行く。守矢館から車で五分もかからない。すぐ隣である。 -
諏訪大社前宮
行政区画では茅野市にある。
前宮は空間的に本宮の前にあると言うことではなく、時間的な前と考えられている。本宮より古い元宮であることを意味している。 -
十間廊
鳥居をくぐって直ぐ左にある。守矢資料館でみた御頭祭が行われる建屋である。その話は後にして、先に本殿に向かう。 -
本殿
前宮も丘陵地にある。鳥居からはずっと上りで、そこそこ歩いて辿り着く。 -
説明板
諏訪神社の発祥地。立派に立て替えられているが、昭和初期の写真をみると寂れた廃屋のようであった。 -
正面から左回りで一周する。
一之御柱。 -
一之御柱の正面。
ツルツルした綺麗な木肌である。 -
一之御柱の裏面。
ガサガサの荒れた木肌である。実は2年前の御柱祭の時、この前宮一之御柱を追いかけて見てきた。この柱の御柱祭時の様子を見て貰いたい。 -
2016年4月2・3日の写真である。
御柱は八ヶ岳山麓から御柱街道を通って前宮まで十数キロ運ばれる。
綱を引張って人力だけで引き摺って運ぶ。台車に乗せていない。 -
路面に直接接触する部分があるのだろう。
御柱を運んだ後に道路に出来ていた引き摺り跡。 -
御柱にはこのように搬送者が跨がっている。
神聖な御柱に跨がって乗っているのが不思議であった。 -
坂落とし
引き摺り廻すだけではなく、崖から突き落とす。乗ってる人間は危険であり、そのスリルは絵になるが、突き落とされる御柱に同情している雰囲気はこれっぽっちもなかった。 -
砂煙をあげて御柱が坂下の落ちると、大歓声があがった。乗りこなした人々への賞賛であるが、御柱は傷だらけである。
-
坂から突き落としたあと、最後には川に投入れられる。
禊ぎと説明してあるが、最後の最後まで虐待しているように見えた。
「御柱」と敬意をつけた呼び名になっているが、以上見てきたようにそれとは正反対であり、御柱に対して敬意の欠片もないのが祭を見た後の実感である。以上が2年前のこの前宮一乃御柱である。 -
前宮の裏側
本殿となっているが、大祝が就任する前に籠もって精進する「精進屋」であったと云われる。 -
前宮三乃御柱と渓流
本殿のすぐ横を流れていた。 -
前宮本殿からの茅野市内を望む
特に珍しい景観ではないが、せせらぎが爽やかな心鎮まる場所である。 -
本殿は清掃中であった。中に入ってもよいかと聞いたが、とんでもないと云う感じで拒否された。写真だけは撮れたが、内部はよくわからない。御神体が何かを確認したかったのだが、叶わなかった。石か鏡かその他なのか?
-
前宮にある重要な「社」
鶏冠社
大祝の職位(就任すること)する儀式が行われた場所。
「鶏冠社前で『かなつぼ石』とよばれる石の上に並べられた道具で化粧し、髪を結い・・・」と記され、その化粧道具の写真が載せられている。大祝が化粧すること、その道具が残っていることは驚くべきことだろう。 -
その説明板である。風雨による損傷が激しいが、なんとか読める。
職位に使用された石(磐座)が行方不明になっているそうだが、その石が本殿に祀られているのではないかと云われており、本殿を覗いて見たかった。 -
鶏冠社
御柱が建てられている。 -
前宮にある重要な「社」
御室社
資料集には重要社と記載されている。
冬季に「大穴を掘って其内に柱を立て、棟を高くして萱を葺きて・・・」と書かれているように、冬は大祝がここに籠もり神事を行っていた。
それは『冬期に竪穴の御室の中で行われる神事の秘法』であるが、詳細は伝わっていないと記されている。 -
その説明板
秘事だと云われるとより知りたくなる。 -
御室社
本当に小さな祠である。
歴史のかなたに消え去り、決して甦らない世界であるのか! -
前宮にある重要な「社」
十間廊
鳥居をくぐってすぐに見えたが、一旦保留したのは、この建屋で行われる「御頭祭」が諏訪の行事を代表しているからである。
守矢資料館で見た通り、この祭りは神社の行事として尋常ではない。 -
十間廊の説明板
平安時代になって神社は極端に「血と死」の穢れを厭う様になる。よって、神にお供えするのは基本的には植物であり、動物は殆ど無い。十間廊では神に供物をお供えするのではなく、神に「贄」を奉っていると表現するのが正しいであろう。贄として犠牲になるのは大きい動物でなければならない。 -
十間廊
以上を簡単に纏める。
諏訪大社の実権者である守矢家は祭神の建御名方意命を祀っていない。
正体不明のミシャグチ神を信奉している。
神への供物も鹿の生首75頭他通常の神社では考えられない異常さである。
諏訪大社前宮には祭神の姿が見えない。
前宮にある鶏冠社他に伝承される行事も極めて異質である。
御柱祭の御柱も一般の神木のように大事にされていない。むしろ虐待されている。
神長官の氏名は守矢(もりや)である。物部守屋と同一なのは何故。
以上、今まで見てきたことを前提にこれから諏訪大社上社本宮、下社秋宮、下社春宮、尖石縄文考古館を廻って、諏訪の歴史を探訪したい。最後に野麦峠に寄って、絶品のチーズを売ってる牧場を紹介するが、ここだけは旅行記らしい。
「諏訪の歴史への旅 その2」に続く。
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