2018/09/20 - 2018/09/20
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chiaki-kさん
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コロッセオは、長径188m、短径156m、高さ48mの楕円形の建物で、ローマ帝政期に造られ、5万人を収容できた円形闘技場。69年、ネロ帝自殺後の混乱を収拾したヴェスパシアヌス帝は、緊縮政策を取りながら、市民を懐柔するための娯楽施設の目玉として円形闘技場の建設を決定する。そこでネロの記憶を抹消する意味も込めてネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)の庭園にあった人工池の跡地に建設することとした。工事は70年に始まり、10年後、ヴェスパシアヌスの息子であるティトゥス帝の時代に完成した。使用開始に当たっては、100日間に渡りイベントが行われ、模擬海戦が行われると共に、剣闘士試合で様々な猛獣5000頭が殺され、数百人の剣闘士が命を落としている。
なお、続くドミティアヌス帝の治世中にも施設の拡張工事が続けられ、一般市民や女性が座る観客席の最上層部と天幕が完成している。ローマ帝国が滅亡してからは、コロッセオは建築材料の切り出し場となったが、時のローマ教皇より、ここは大勢のキリスト教徒が命を落とした聖地ということで、外壁が半分壊されたところで破壊はストップされ、なんとか消滅は免れた。
写真はコロッセオの内部。舞台の下は猛獣や剣闘士の控え室となっていた。
2024/03/09 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
9/20
ホテルの窓から眺めたカブール通りは朝から雨・・・ -
6:30に朝飯。毎朝ほぼ同じメニュー。
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朝食後、ホテルの周りをブラブラ。ダイハツ・コペン発見。左ハンドルが不思議なので、 Wikiで調べてみたら2005年から数年間、1.3Lの左ハンドル輸出モデルがあったらしい。知らなかった~。
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ボルジア階段も雨に濡れていた。
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さて、今日から街歩き開始。TDさんより配給されたローマパスは48時間もの。最初の見所一カ所入場無料で、後は一定の割引となる。そして公共交通は48時間無料というすぐれもので、料金は28E(ユーロ:今後Eと表記)。そして現地ガイドは内山さんという日本人ガイドさん。なお、内山さんの名前、及び顔出しはOKです。
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8:30にホテルを徒歩で出発。最初の見学はコロッセオ。せっかく綺麗にした外壁も雨で黒ずんでいる。
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ローマパス所有者の入り口はこちら。
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内山さんの好判断でオープンの30分後に並んだが、15分ほどで入場できた。911同時多発テロの後設けられ、一旦は廃止されたが、パリなどでテロが発生した為、再登場した金属探知機をくぐる。ただ、チェックは空港よりゆるい感じ。
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建物内部の柱は真っ黒のまま。なお、この辺にトイレ、売店、本屋などがあります。
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改修されたと思われる少々キツい階段を登ると・・・
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イチオシ
コロッセオの舞台及び観客席の遺構が現れた。なお、右側(北側)は外壁が残っているが、左側(南側)は壊されてしまっている。理由は↑の通り。
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パノラマでどうぞ。
座席だが一番下から元老院階級、騎士階級、裕福な市民、一般市民、そして一番上は女性や奴隷などの席となっていた。 -
皇帝の特別席が右手に再現されているようだが、実際の場所では無いらしい。
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座席があったであろう場所はかなり朽ちてしまっている。
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機能的に配置された、この急な階段が観客の移動をスムーズにしていたという。
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材料は主に凝灰岩と煉瓦とローマンコンクリートで造られており、強度と軽量化をバランスする為ふんだんにアーチ構造がつかわれている。
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上階に行くほど壁や柱は薄く、小さくなっている。これは現代のビルも同じ。さらには軽量化のため窓も大きく取られている。
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内山さんの話では、ここでは主に戦争などで捕虜になった奴隷を剣闘士に育て、剣闘士どおしや剣闘士と猛獣を闘わせたのは事実だが、剣闘士も大事な商品なので、そうやたらは殺さなかったそうだ。それとキリスト教徒の迫害だが、後世のローマに批判的な歴史家や想像力豊かな宗教家の創作がほとんどとのこと。
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かろうじて残された座席跡には崩れるのを防止するためネットがかぶせてある。
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反対側に廻ってきた。
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剣闘士の試合が行われたのは向こう側に一部再現されている木造の楕円舞台の上で、下にある構造体はショーで使用する猛獣などを飼っていたスペース。なお、舞台の上には砂がまかれ、剣闘士が流れ出た血で滑るのを防いでいた。ちなみにこの砂のことをアレーナと呼ぶが、現代の”アリーナ”はここからきているらしい。
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再現された舞台装置にはこんな”せり”もある。暗闇に閉じ込めておいた猛獣をこの”せり”を使って地上に突然登場させたらしい。また、剣闘士用に手動式エレベーターまであったようだ。
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別料金で下も見るツアーがあるらしいが、この舞台下の構造物のさらに下にはキチンと排水設備も整えられていたそうだ。
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2000年前のてすりにタッチしているのは私の左手。こんな血生臭い時代に生まれてこなくてよかった。
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フォロロマーノが呼んでいるので、そろそろ移動しよう。
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コロッセオとフォロロマーノの間の広場にはローマ兵の格好をしてチップをせびる輩がいるのが有名だが、今日はいない。内山さんに尋ねると最近取り締まりが厳しいのを嫌って他へいっているのだろうとのこと。
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「コロッセオが滅びるときローマが滅びる、ローマが滅びるとき世界が滅びる」という有名なことわざがあるが、破壊がここでストップしたおかげで、まだコロッセオもローマも世界も一応健在である。
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コンスタンティヌスの凱旋門は315年、西の副帝であったコンスタンティヌスが、ミルヴィオ橋の戦いで正帝マクセンティウスに勝利し、西ローマの唯一の皇帝となった事を記念し建てられた。 ただし、装飾は古い建築物からの転用材で、南北面の円形浮き彫りはハドリアヌス帝の時代の建築物から、最上層の8枚のパネルはマルクス・アウレリウス・アントニヌスの凱旋門からはぎ取られたものである。やはり最上層にある8体の彫像と南北面のパネル、中央の門の両側にあるパネルは、トラヤヌス帝が建設したトラヤヌスのフォロからの転用材である。8本の黄色大理石の円柱も、由来不明だが、どこかの建物からもたらされたものと考えられている。
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聖なる道を進むと料金所及びセキュリティがある。チケットはコロッセオと共通なので新たに購入する必要は無い。写真はセキュリティを抜けたところだが、前方にティトス凱旋門が見える。戦に勝ったローマ軍はここを行進したのだろう。
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ティトス凱旋門は、81年にヴェスパシアヌスと息子ティトスがエルサレムで勝利(70年)したことを記念してティトス帝が建てたもの。
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ここにも SPQR (SENATVS POPVLVS QVE ROMANVS)の文字が読み取れる。そして下の方にはヴェスパシアヌスとティトスの文字も。
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かつてのユダ王国の都、エルサレムでは66年からローマの支配に抵抗するユダヤ戦争が勃発、70年にエルサレムはヴェスパシアヌスとティトス率いるローマ軍の手に落ちた。その後エルサレムにはローマ軍が駐留するようになりユダヤ人の居住は禁止された。さらにハドリアヌスの治世になるとユダヤ神殿の跡にユピテルの神殿を築き、都市名をアエリア・カピトリナと改名することを知ったユダヤ人は激怒し、132年に反乱を起こしたが鎮圧された。その結果、ユダヤ人はエルサレムを追われ、世界を彷徨うことになる。
ティトゥスの凱旋門には、エルサレムの破壊の際にエルサレム神殿からローマ兵がメノーラーと呼ばれる聖なる金の燭台など多数の戦利品を運び出す画面が浮き彫りで描かれている。この後、メノーラーは受難の象徴となり、後にはイスラエルの国章にも採用されている。 -
日程表ではこのままフォロロマーノへ入るようになっていたが、コロッセオがすんなり入場できて時間が生まれたこともあり、何とパラティーノの丘へ登ってくれた。内山さん、感謝です。写真はドミティアヌス帝の宮殿跡。公邸(ドムス・フラヴィア)と私邸(ドムス・アウグスターナ)に分かれ、約360年の間、代々の皇帝に利用された。
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ここで、なんと、うさ子ちゃん発見!
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ここパラティーノの丘に何匹か生息するウサギだそうだが、内山さんも滅多に見たことが無いそうだ。ラッキー。
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ドムス・フラヴィアは、ドミティアヌス帝が建てた大宮殿で、公邸(ドムス・フラヴィア)、私邸(ドムス・アウグスターナ)に分かれ、約360年の間、代々の皇帝に利用されてきた。
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中央噴水の跡。こんな丘の上まで水道を引いたローマの技術に驚く。
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ドムス・アウグスターナの向こう側の壁にサン・ピエトロ寺院のクーポラが見える。
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ほらね。
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アウグストゥスの家が見えてきた。
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ただし、絶賛発掘中。
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遺跡保存のため掛けられた大屋根の下で発掘作業は続いている。
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ティベリオ神の神殿跡の先からはローマの西側半分が眺められる。
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サン・ピエトロ寺院方面
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ジャニコロの丘。明後日行くコロンナ宮殿の広間にある砲弾はここからフランス軍に打ち込まれたもの。なお、ジャニコロの下がトランス・テベレ地区。入りにくい居酒屋などがある下町。
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見えにくいが手前のアウグストゥスの家発掘現場の向こう側に、チルコマッシモをはさんでアベンティーノの丘がある。アベンティーノには歴史的に貧しい平民が居住し、パラティーノの住民とは対立関係が何百年も続いたそうだ。
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フォロロマーノ、パラティーノの丘、コロッセオのMAP。一番下にある横長の土地がベンハーの戦車競争で有名なチルコマッシモ。その上がパラティーノの丘で一番面積が大きい。
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バラの花が残る公園を抜けると前方が開けた場所に出る。これがテラスと呼ばれる展望台。
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フォロロマーノが一望。
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イチオシ
フォロロマーノ1
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フォロロマーノ2
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フォロロマーノ3
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フォロロマーノ4
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パノラマでも全部は入らない。では、主な遺跡などをピックアップしてみよう。
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タブラリウム(公文書館)と呼ばれる建物。一番下がローマ時代、その上が中世、さらにその上が近世に建てられた建物でローマ市庁舎となっている。なお、左下にある12本の小さめの列柱は神々の柱廊と呼ばれる12神殿跡。
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左側の列柱はローマの財宝を納めたサトゥルヌス神殿の柱廊で、右側の3本の列柱はドミティアヌス帝によりヴェスパシアヌス帝に捧げられた神殿にあった柱。
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セヴェルスの凱旋門。203年にパルティアと闘ったセヴェルス帝を記念して建てられた凱旋門。
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フォカスの記念柱。608年に東ローマ帝国の皇帝フォカスがパンテオンを時のローマ法王に寄進したことを記念して建てられたフォロロマーノで最も新しい遺跡。
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ローマを建国したロムルスの墓だといわれるフォロロマーノ最古の遺跡ニジェール・ラピスは発掘中。
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カストルとボルボックスという双子神の神殿跡にたつ3本の列柱。
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カエサルの神殿(写真中央)。BC44にブルータスら共和制派に暗殺されたガイウス・ユリウス・カエサルが火葬にされた場所に建てられた神殿。その手前にある丸い列柱はヴェスタの神殿。6人の巫女が聖なる火を守っていた。
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ヴェスタの巫女の家跡。後で行ってみよう。
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奥にある大きな建物はマクセンティウスのバジリカ。次ぎに行ってみよう。
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パラティーノの丘を降りてマクセンティウスのバジリカに到着。306年にマクセンティウス帝が建て始め、コンスタンティヌス帝の時代に完成した大会堂。
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アントニヌスとファスティーナの家。後世には教会に改造されたが、手前の列柱を引き倒そうとして出来なかったので柱の上のほうにそのときのワイヤーの跡が残っている。
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これからフォロロマーノの心臓部へ入る。
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これは先ほどまでいたパラティーノの丘のテラス。内山さんの話によると急階段もあるそうだが、ここでその話を切り出すと、誰も行かないのでさっきのルートで行ったとのこと。
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ヴェスタの神殿(の一部)。神殿は円形で20本のコリント式の柱で囲まれ、中央には「聖なる火」が焚かれていた。巫女の任期は30年で、フリーセックスに近いローマ社会の中で、純潔を守ることを強いられ、純潔を汚すようなことがあると生き埋めの刑に処せられたらしい。
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首の無い巫女像。クラウディアという名の巫女らしいが、キリスト教に改宗したためと言われている。
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ヴェスタの巫女の家。手前は中庭か。
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カストルとボルボックスの神殿跡。かつてローマを勝利に導いた双子神に捧げられた神殿。
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カエサルの神殿。カエサルの遺体が荼毘に賦され、アントニウスが有名な演説をした場所にBC29にアウグストゥスが建てた神殿。かつて6本の柱を持つ神殿だったが、自分達の世界だったゲルマニアをカエサルに荒らされたゲルマン人達の恨みのせいか、見事に破壊されてしまった。
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聖なる道を進む。
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左手にある遺跡はユリウスのバジリカ。カエサルが建てた会堂で、おもに司法、行政に使われ、4つの裁判所もあった。法律の好きなローマ人達で毎日賑やかだったことだろう。
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フォカスの記念柱。608年に東ローマ帝国の皇帝フォカスがパンテオンを時のローマ法王に寄進したことを記念して建てられたフォロロマーノで最も新しい遺跡。(再掲)後ろに見えるきれいな建物はクーリアと呼ばれる元老院で、BC29にアウグストゥスが完成させたが、その後教会等になり、20世紀になって復元された建物。2003年にここへ来ているが、てっきりここでカエサルが暗殺されたと思い込んでいた。
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フォカスの記念柱とクーリアの間に見える壁のようなものはロストリと呼ばれる演壇。演説者はここから広場に集まった市民達に演説をぶち上げたのだ。
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サトルゥヌスの神殿は古代ローマでは最も神聖な神殿で、国家の財宝がここに納められていた。なお、観光客が歩いている歩道の敷石で滑って転んだことは国家機密とする。
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セヴェルスの凱旋門を横から撮影するが、少し前までこの後ろには車の通る道路があり、映画「ローマの休日」で宮殿を逃げ出したアン王女が、新聞記者のジョーに拾われるシーンはここで撮影された。
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ユリウスのバジリカをぐるっと回り込んで・・・
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ひょんな場所からフォロロマーノを出る。何カ所かある秘密の出口の一つ。そういえば、2003年のときはここから入場した。ちなみに当時は入場無料だった。
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イチオシ
内山さんお勧めの場所からフォロロマーノを撮影。う~ん、楽しかった。
長くなりましたので、この辺で「2018年 ローマ旅行記3:コロッセオ&パラティーノ」は終了です。最後まで、ご覧頂きありがとうございます。
2024/03/09 一部修正
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この旅行記へのコメント (2)
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- kummingさん 2019/10/06 22:37:47
- はじめまして~
- こんばんは、はじめまして♪
コメント投稿は清水の舞台から飛び降りる勇気を奮いたたせ~
Chia ki-kさんの、ローマ編シリーズ、初めて拝見した時から、もう、たまらんな~^o^と惚れ惚れ~
しておりました。ご挨拶が今、というのもなんですが…。
のっけから、ドムスアウレリア、ドミネ クオヴァデイス、ビッラ ハドリアヌス(°_°)、ツアーにご参加と掲示されていたような?でも、殆どご自分たちの脚で廻られているような?
訪問された場所もさる事ながら、掲載されている写真とそこに添付されている説明文と言ったら!
例えば、フォローロマーノのあの遺跡、どれが何か、どうしてお判りになるのですか?バカな質問をして、ひんしゅくものかもしれませんが…。背景、歴史にもお詳しい。
私、まだ初心者で、右も左も分からぬまま、ローマの街を彷徨って、帰国後に、塩野七生さんの著作に出会いました。それで、何も知らずにただ歩き廻っただけのローマ、いつか再訪しなくちゃね!とか思っておりましたが、Chiaki-kさんの一連のブログのおかげで、恐らく自分で再訪する以上の、豊かな旅を再現、経験させて頂きました♪
大変長くなり、失礼致しましたm(._.)m
この度は、私の方へもご訪問&いいね、ありがとうございました^ ^
- chiaki-kさん からの返信 2019/10/07 21:57:48
- RE: はじめまして
- ・
Kummingさん、はじめまして。こちらこそローマ旅行記に、たくさんの
”いいね”を、そしてコメントまで、いただき、ありがとうございます。
>ツアーにご参加と掲示されていたような?・・・
今回申し込んだのはクラブツーリズムの主催する「古代ローマからバロッ
クへ ローマ街角探訪7日間」というタイトルのパックツアーで、1日目は
観光バス利用、2、3日目はメトロ&定期バス利用、4日目は終日フリーと
いう内容でした。
このツアーを選んだ理由はローマに30年近く住んでおられる内山さんと
いう現地のベテラン日本人ガイドが3日間ついて廻っていただけることで、
ガイドブックには載っていない話も聞けて、とても良かったです。
> 例えば、フォローロマーノのあの遺跡、どれが何か、どうしてお判りに
なるのですか?
ガイドブックやNETの情報による予習、そして内山さんの丁寧な説明、
そして旅行記作成中の復習により、かなり理解できました。
>帰国後に、塩野七生さんの著作に出会いました。
「ローマ人の物語」は、歴史の大好きな私のバイブルとも言える著書で、
2011年に全巻読破しています。そして、「ローマの休日」も大好きな
映画で、旅行前に何回か鑑賞しました。
>Chiaki-kさんの一連のブログのおかげで、恐らく自分で再訪する以上の、
豊かな旅を再現、経験させて頂きました♪
お褒めの言葉をいただき、恐縮です。今後ともよろしく、お願いします。
chiaki-k
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