2017/10/22 - 2017/10/26
23113位(同エリア49176件中)
akiさん
LCCと民泊、ウーバーを駆使して3泊5日のマレーシア旅行を5万でやってのけた僕ですが、そんな格安旅行はもう懲り懲りでした。
別にお金持ちではないけれど、無理せず楽に、それでもコスパと効率よく旅をする、それが今でもモットーです。
今回はそうやってカンボジアとタイを旅します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 2.5
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- カンボジア・アンコール航空 ANA タイ・エアアジア X
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
長距離路線はFSC、現地移動の短距離線をLCCという使い分けにすることで妥協した僕は、ANAで羽田~バンコクの往復を購入し、バンコク~プノンペン、シェムリアップ~バンコクをエアアジアにしました。
プノンペン~シェムリアップはアンコール航空です。
スワンナプームは、このときプミポン前国王の葬儀週間だったことで黒一色でした。 -
スワンナプームから、LCC国際線が飛ぶドンムアンへ移動しますが、トランジットは10時間以上開けていました。
それというのも、今回のようなFSCとLCCのセットの場合、通しの航空券ではないため、トランジットできなかったときの保証がないからです。
遅延してもいいように、間にはかなり時間を置いて、そこで軽くバンコクを観光します。
ビルの壁面には前国王を偲ぶ広告がありました。 -
蟹を使用したプーパッポンカリー。
美味しかったですが、油でギトギトで、ひどい胸やけ胃もたれをしました。本当にきつかったです。美味しかったんですけどね。
タイ料理は実はあまり好みではありません。 -
週末にしか開かれない、chatuchak(チャトゥチャック)マーケット。
バンコクのマーケットの中でも一際賑わいがあります。 -
人でごった返すマーケット。ちなみにとんでもなく暑いです。
クアラルンプールやプノンペンと違い、インドシナ半島の奥まったところにあるため、熱が籠もるようです。 -
廃墟のような建物の前に所狭しと店が並びます。
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これだけの規模が週末だけとなると、逆に平日はどうなってるんでしょうか。
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エアアジアでバンコクからプノンペンへ。ドンムアンは狭くて汚いです。
プノンペン国際空港からは、PassApp Taxiというアプリでタクシーを配車します。タクシーかトゥクトゥクかを選べて、料金も3ドル前後。
そこから友人の家に泊まりました。 -
地元住民の市場に面しています。
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翌朝、タクシーでチュンエク・ジェノサイドセンター、通称キリングフィールドへ赴きます。
ベトナム戦争末期の1970年、クーデターで西側国家となったカンボジアですが、ベトナム戦争から手を引きたい米国は、1973年にインドシナ半島から撤退。途端に劣勢となったカンボジアの西側政権は、共産主義勢力のクメール・ルージュと北ベトナムに押され、1975年、プノンペンが陥落して共産主義国家となりました。 -
[大量の死体によるガスで陥没した地面]
クメール・ルージュは1976年にポル・ポト政権を樹立させ、反乱の恐れがあるとして医師や教師などを虐殺。強制移住に反対した都市住民や、眼鏡をしているだけの人ですら死刑となりました。
このキリングフィールドはそうした処刑場で最も巨大なもので、3万人が処刑されました。
カンボジア全土では、実に国民の三分の一が処刑されています。 -
キリングフィールドでは、様々な言語による音声案内があります。そのエピソードはどれも事実で、残酷です。多くの人が頭を抱え項垂れていました。
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処刑された人びとの衣服。子供のものでしょうか。
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キリングツリーと呼ばれるこの木は、子供を打ち付けて殺すのに使われました。
以下、画像内に遺骨が出てきます。 -
今でもキリングフィールドでは、雨が降ると遺骨が露出することがあります。ちょうど僕が訪れたときも、スコール直後で骨と衣類が出て来ていました。
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中央には慰霊塔があります。
写真からも分かる通り、ここには西洋の白人ばかりです。日本人はもちろん、東アジアの訪問者は見かけませんでした。
日本の人気観光地の第二位が原爆ドームであることからも分かりますが、欧米の人びとは負の歴史を直視しようとします。歴史認識だとかは色々な意見がありますが、旅行をするときに楽しいことだけしか考えないのではなく、負の歴史も捉えようとするところに、国民の基礎教養レベルが明らかになります。 -
慰霊塔には遺骨が並びます。もちろん、ほんの一部でしかありません。
1978年、クメール・ルージュ内の内紛を発端に、ベトナムへ数十万人が脱出します。カンボジアの極端な政治や中国、ソ連を巡る面倒な国際関係から、ベトナムは難民を組織化してカンボジアへ侵攻しました。このベトナム・カンボジア戦争でポル・ポト政権は崩壊します。 -
20歳以下の子供たちの遺骨が収められています。
ベトナムの侵攻でカンボジアは崩壊、1989年までベトナムの占領下におかれます。ポル・ポトを支援していた中国はもともとベトナムと不仲だったので、西沙諸島などを占領し、今の南シナ海問題に続きます。
カンボジアはその後、1993年にようやくカンボジア王国として現在の国家体制に落ち着くのでした。 -
プノンペンの友人とともに、市内の観光に戻ります。イオンモールは日本のものと大差ありません。
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イオンのフードコートへ。
カンボジアの料理は日本人の舌に合います。タイ料理は苦手でもカンボジアは大丈夫です。 -
マンゴージュース。やっぱり東南アジアのフルーツ系は美味しいです。
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プノンペンのセントラルマーケットへやって来ました。とにかく空気が悪くて顔がベトベトします。
セントラルマーケットはとても安いです。基本的に東南アジア旅行へは、ほぼ服は持って行かず、現地で買って現地で捨てます。
ここで2泊分、3着を11ドルで購入しました。 -
トゥクトゥクで友人の家に戻ります。荷物を回収して、友人と別れ、プノンペン国際空港へ。
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いよいよ顔のベトベトと喉のイガイガした感じが気になります。
バンコクとプノンペンは、どちらも洗顔料と化粧水必須です。 -
プノンペンからシェムリアップへアンコール航空に乗ります。
カンボジアのフラッグキャリアですが、ベトナム航空の参加にあります。占領下にあった頃から、様々な資本が依然としてベトナムの支配下にあるのです。 -
夜中にシェムリアップ国際空港に到着します。
ホテルに事前にトゥクトゥクの配車を依頼していたので、待ち構えていた運転手のトゥクトゥクに乗ってかっ飛ばします。
プノンペンと違って涼しく空気の良いシェムリアップの夜の風がとても心地良かったです。 -
シェムリアップのリゾートホテルに泊まりました。
ウェルカムドリンクは美味しくて、スタッフは皆親切です。 -
このような独立した建物の形式なので、あまり他の客も気になりません。
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快適すぎて観光せずずっとここにいたいね、と友人と話していました。それを実行することになるとは。
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朝、プールサイドでパラソルの下に座り過ごします。この日は、前日までの疲れを考慮して、午後からベンメリア遺跡に行くだけで他には予定を入れていませんでした。
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