
2018/09/25 - 2018/09/27
497位(同エリア1184件中)
YANAI's HOMEさん
- YANAI's HOMEさんTOP
- 旅行記97冊
- クチコミ3件
- Q&A回答2件
- 75,300アクセス
- フォロワー4人
★ 「大塚国際美術館」・・・山手線の「大塚駅」だと思ったら、四国は徳島、鳴門のうずしおの近く、入り口は道路に面していますが、展示階はすべて、山の地下。
作品数は1,000点以上ありますので、とても1日では回り切れません。所蔵先の美術館と大きく違うのは、写真撮影OK!です。
長いエスカレータを上ったB3にある「システィーナ ホール」、ご存じイタリアはヴァチカンにある「システィーナ礼拝堂」を部屋ごと制作したホールです。
現地ヴァチカンで見学された方、カメラ厳禁で、少しでも小さなカメラを取り出すと、背の高い女性の警備員から、即「注意」、なおかつ いつも満員で・・・・。
大塚国際美術館、フラッシュ、三脚以外の撮影可、「本物の絵画」より、色鮮やかで綺麗です。
※「ポカリ スエット」飲み放題・・・・
・・・・では、ありません!。
【YANAI's HOME 大塚国際美術館】
・ BGMつき
http://yanai.la.coocan.jp/index1809otsuka.htm
PR
-
【大塚国際美術館】
右上の山の中に展示階があります! -
【ミケランジェロ】
・「システィーナ ホール」 -
・イタリア ヴァチカンの礼拝堂が、そのまま引っ越してきたようです。
-
・肉眼では、陶板の接合部は全く見えません。
-
・真ん中がイエス キリスト
-
・ミケランジェロが描くとキリストは・・・「マッチョ」
-
・ 現地の礼拝堂は、ローマ法王が亡くなると、ドアを締め切りにして、次の教皇が決まるまで永遠と選挙が実施されるコンクラーヴェの会場としても使用されている。
-
・ 新しい教皇が決まると、システィーナ礼拝堂の屋根の煙突から「白い煙」が上がるのだそうです。
-
・ローマ教皇ユリウス2世の注文でミケランジェロが1508年から1512年にかけて描いた天井画と、ローマ教皇クレメンス7世が注文し、ローマ教皇パウルス3世が完成を命じた、1535年から1541年にかけて描いた『最後の審判』はミケランジェロの絵画作品の頂点とされているとか。
-
・もともとバチカン宮殿に存在していた古い礼拝堂を1477年から1480年にかけてローマ教皇シクストゥス4世が建て直させた建物で、その教皇名にちなんでシスティーナ礼拝堂と名付けられた。
-
・『アダムの創造』
-
・『デルフォイの巫女』
デルフォイはパルナッソス山の麓にあって、アポロンを祭る神殿があったことで有名で、そこにはアポロンの神託を伝える巫女がいて、ギリシャ全土から人々が集まってきては、巫女の口からアポロンの神託を聞いたという。 -
・陶板による複製画は、オリジナル作品とは違い、2000年以上にわたってそのままの色と姿で残るので、これからの文化財の記録保存のあり方に大いに貢献するといわれている。
-
・ オリジナルの礼拝堂天井画は近年劣化に悩まされており、現在では入場制限も検討されているといわれている。
-
【フェルメール】
・「真珠の耳飾りの少女」(マウリッツハイス美術館 ハーグ/オランダ)
以前、上野に展示されたフェルメールの作品、作品が小さいので、見学者がロープに沿って歩きながら見学していました。
(パンダと同じ?) -
・小さいので接合面はないようです。
-
・フェルメール
「牛乳を注ぐ女」(アムステルダム国立美術館 アムステルダム゙/オランダ) -
【ダ・ヴィンチとヴェロッキオ】
「キリストの洗礼」(ウフィッツィ美術館 フィレンツェ)
イタリア フィレンツェにある「ウフィツィ美術館」にある「キリストの洗礼」
全体はダ・ヴィンチが弟子入りしていたヴェロッキオ工房の親方の作品ですが、左下の子供の天使だけダ・ヴィンチが描いたと言われ、その出来栄えに親方のヴェロッキオが驚き、以後二度と筆は持たなくなった!という逸話あり。 -
・ ウフイツィに展示してあるこの絵と同じ部屋には、同じダ・ヴィンチの「受胎告知」がありましたが、その絵の大天使と、こちらの左の子供の天使がそっくりです。(個人的見解?)
-
【ダ・ヴィンチ】
・左から「モサリザ」「洗礼者ヨハネ」「聖アンナと聖母子」が一緒に展示されています。 -
【ダ・ヴィンチ】
・「聖アンナと聖母子」(ルーブルブル美術館 パリ) -
【ダ・ヴィンチ】
・「聖アンナと聖母子習作」((ナショナルギャラリー ロンドン) -
【ダ・ヴィンチ】
・モナリザ」(ルーブル美術館 パリ) -
同上
-
【ダ・ヴィンチ】
「洗礼者ヨハネ」(ルーブル美術館 パリ) -
【ダ・ヴィンチ】
2枚の「岩窟の聖母」
現在パリとロンドンにある「岩窟の聖母」・・・逸話
1483年ころ、ミラノの教会の礼拝堂を飾る作品として注文され、ダ・ヴィンチが全画面製作したのが、右側の「ルーブル版 岩窟の聖母」
ダ・ヴィンチは、それまでの宗教画とは違い、写実的な手法を用い、聖母マリアや幼児姿の洗礼者ヨハネ、右側に幼児イエスを描いたが神格化の象徴である「光輪」は描かれていなかった。
そのため、依頼主が作品の引き取りを拒否するトラブルになった。
作品の構成や報酬を巡るトラブルを当時ミラノを治めていたフランス王ルイ12世に仲裁してもらい、ダ・ヴィンチは作品をルイ12世に献上してしまった。
そのため、ミラノの教会はさらに祭壇画の制作を催促したため、左側の現在ロンドンにある作品をダ・ヴィンチの弟子?達が制作、最も重要な箇所だけはダ・ヴィンチ本人が描いたとされている。
-
・「岩窟の聖母」(ルーブル美術館 パリ)
ダ・ヴィンチ本人がすべて制作したと言われる。
マリア、ヨハネと右側の幼児イエスの頭上には「光輪」はなく、大天使は人差し指の仕草が見える。 -
【ダ・ヴィンチ】
・「岩窟の聖母」(ナショナルギャラリー ロンドン)
頭上に「光輪」があり、左側の幼児には小さな布と十字架が描かれ、右側の大天使の人差し指は見えない。
改めてミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂へ納められた作品で、より依頼主の要望を「忖度?」した作品となっている。 -
【ダ・ヴィンチ】
「最後の晩餐(修正前)」(サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院 ミラノ)
・ ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院の壁画で修正前の状態 -
【ダ・ヴィンチ】
・ 昔も今もミラノの修道院の食堂の壁画として描かれていたため、現地に行かないと見られません。
-
【ダ・ヴィンチ】
「最後の晩餐(修正後)」現在(サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院 ミラノ)
・現地では、1回の入場者が25人で15分?だけ(数年前)、人間の呼吸するCo2も壁画には悪いらしく、遠くない将来は見学禁止?かも。 -
【ダ・ヴィンチ】
「最後の晩餐(修正後)」現在(サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院 ミラノ)
・ ご存じ「ダ・ヴィンチ コード」にもあった、イエスの左側に見えるヨハネ、拡大しても、どうしても「女性」にしか見えません。
ダ・ヴィンチは「マグダラのマリア」を描いたと思われます。?? -
【ラファエッロ】
・「アテネの学堂」(ヴァチカン宮殿 署名の間 ヴァチカン)
(逸話)
奥に描かれているのはアリストテレスとプラトン、この絵を見たミケランジェロが、手前に自画像を追加した。????? -
【ラファエッロ】
・「アテネの学堂」(ヴァチカン宮殿 署名の間 ヴァチカン)
見学する部屋は狭く、いつでも観光客で満員。 -
【ボッティチェッリ】
・「春(ラ・プリマヴェーラ)」(ウフィッツィ美術館 フィレンツェ) -
【ボッティチェッリ】
・「ヴィーナスの誕生)」(ウフィッツィ美術館 フィレンツェ) -
【ボッティチェッリ】
・「ヴィーナスの誕生)」(ウフィッツィ美術館 フィレンツェ) -
【うずしお】
・鳴門
【YANAI's HOME 大塚国際美術館】
・ BGMつき
http://yanai.la.coocan.jp/index1809otsuka.htm
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
鳴門(徳島) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
38