2018/09/18 - 2018/09/18
25位(同エリア6981件中)
chiaki-kさん
- chiaki-kさんTOP
- 旅行記261冊
- クチコミ144件
- Q&A回答139件
- 857,956アクセス
- フォロワー239人
アッピア街道(正しくはアッピア旧街道)はBC312年、共和制ローマの執政官アッピウス・クラウディスによりローマからカプア(ナポリの手前にある街)まで敷設された初期のローマ街道のひとつで、BC264年にアドリア海沿岸のプリンディシまで延長された日本の東海道のような道。
道路の断面は、厚さ1.5mで4層構造になっており、下層路盤が大きな石で、中層路盤が中くらいの大きさの石、上層路盤が粘土と砂利を混ぜた層で、表面には分厚い玄武岩などを隙間無く埋め尽くした舗装道路となっており、このやり方は表面だけをアスファルトやコンクリートに置き換えると、ほぼ現代のものと同様だそうだ。
道路幅は4mと、当時の馬車がすれ違えるサイズで、左右には3m程度の歩道もおかれ、道路を傷める原因となる樹木の植栽は禁止された。表紙の写真はサン・セバスティアーノ聖堂(後述)から徒歩で15分ほどの場所にあるアッピア街道。2300年という時間の経緯により、表面の舗装は凸凹になってしまったが、排水性の良さは生きており結構雨が降った後なのに水たまりなどは全く見られなかった。
なお、「すべての道はローマへ通ず」というのが定説だが、この道を通ってローマ軍は地中海世界を制覇し、ローマの文化や技術、そして帝政末期に国教となったキリスト教を世界に波及させていった経過があるので、筆者はあえて「すべての道はローマから始まる」と表現させてもらった。
今回申し込んだのは○ラブツーリズムの主催する「古代ローマからバロックへ ローマ街角探訪7日間」というタイトルのツアーで、観光はローマのみ(ティボリ含む)。1日目は観光バス利用、2、3日目はメトロ&定期バス利用、4日目は終日フリーという内容。このツアーを選んだ理由はローマに30年近く住んでおられる内山さんという現地のベテラン日本人ガイドが3日間ついて廻っていただけることで、結論から言うと大正解だった。
2024/03/09 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
9/18
今回のキャリアはこれ、成田空港T2・G94に駐機中のフィンランド航空AY74便。機種はエアバスA350-900という新しいモデル。 -
座席は3-3-3。45Hの膝元はこんな感じで、国際便のエコノミー席としては、まあ普通か。
-
モニターは12インチ程度の大きさで操作は全てタッチ画面で行うので快適。映画の数は多いのだが日本ものは少なかった。
-
ほぼ定刻の11:00にゲートを離れるが、お馴染みのランプウェイ渋滞に捕まり、40分ほどタイムロスしてしまう。これが後でちょっと困った事態の原因となるのだが、NAAさん、なんとかしてぇぇぇ。
-
11:40にやっとテイクオフしたAY74便は日本海を真っ直ぐ横切ってロシア上空にてランチタイム。肉じゃがのような煮物、おいしかったです。
-
ヘルシンキまでは約10時間。現在ユージヌィ島付近を飛行中。
-
着陸1時間前に出た夕食? チーズがタップリ乗ったパスタ、これもおいしかったです。
-
着陸20分前に出現した機内オーロラ。フィンランド航空の名物らしい。
-
ヘルシンキ・ヴァンター空港にランディング。トランジット時間はこの時点で、1時間を切っていた。
-
しかも運の悪いことに沖駐め。これで、ますますトランジット時間がタイトになった結果、全員小走りで国際線ゲートからEUゲートへ向かうがEU入境イミグレが大混雑! ついに人生初の乗り継ぎ失敗も覚悟したが、TDのKさんが空港職員に話を付けて、クルー専用のゲートから、なんとか入境させてもらえた。Kさん、良い仕事してます。
-
既に着席していた他の乗客達の冷たい視線を感じながら、なんとかギリで間に合ったキャリアは、フィンランド航空AY1763便。機種はエアバス A321。3-3の中型機。お、窓際席だ。
-
ローマに向かって上昇中。なお、EU圏内は国内線並ということで食事は出ず、ソフトドリンクのみ。
-
バルト三国、ポーランド、チェコ、オーストリア、スロベニア、そしてクロアチアの上空を通過するが、アドリア海沿岸の島々も良く見えた。
-
ローマ・フィウミチーノ空港に到着。ただ今逆噴射中。
-
迎えのバスに乗り、1時間ほどでローマ旧市街ど真ん中にあるFHパラティーノ・ホテルにチェックインする。FHパラティーノ・ホテルはテルミニ駅からメトロで1駅のカブール駅の近くにある古いホテルだが、部屋は改装済みで綺麗だった。周辺に飲食店やミニスーパーもたくさん有り、フォロロマーノやコロッセオまでホテルから徒歩で10分と立地は申し分ない。
写真は翌日撮影したものだが、FHパラティーノ・ホテルのクチコミについては下記を、ご覧ください。
http://4travel.jp/os_hotel_tips_each-13302244.html -
09/19
時差ぼけの為、朝3時頃に目が覚める。古いホテルなので窓を全開してカブール通りを撮影。こちらはテルミニ駅方面。 -
反対側はフォロロマーノ方面。
-
明るくなるとこんな感じ。逆ト交差点付近にカブール駅あり。さらに10時方向へ曲がるとテルミニ駅方面。横断歩道が見えるが渡ってすぐ左側にエリートというミニスーパーあり。実は昨日ホテル到着後にツマミなどを買い出しに行ったが20:50頃から店じまいが始まり21時前に追い出されてしまった。
-
反対側。横断歩道の向かいにボルジア階段という名の石段が見えるが、これを登るとコロッセオ近道。
-
朝食後、9:00出発と余裕があったので1時間ほど散歩に出かける。さっそく、さっきの階段を登ってみる。トンネルのある建物にとりついた蔦がすごい。
-
いきなりドムス・アウレアに遭遇。これはユリウス・クラウディウス朝5代皇帝ネロの「黄金宮殿」遺跡。
AD54年に帝位についたネロはパラティーノの丘とエスクイリーノの丘にまたがる80haもの広大な土地に宮殿や庭園を造らせ帝国の財政を傾けたが、59年に母アグリッピナを、62年に妻オクタヴィアを殺害、加えて64年に発生したローマ大火の犯人としてキリスト教徒を迫害したことから、後世は暴君として知られるようになる。ちなみに初代ローマ教皇ペテロを逆さ十字架で殺害したのもネロである。しかし、多くの元老院議員をも殺害したことなどにより、元老院より「国家の敵」宣告を受け、68年に自殺に追い込まれる。なお、ドムス・アウレアは2018年12/27まで特別公開されており、土日・予約者のみ見学が出来るようになっている(但し英語ツアー)。 -
モンテ・オッピオ公園を横切ると目の前にコロッセオの勇姿が現れる。
-
コロッセオは明日入場するので詳しい説明は次回とするが、ローマを代表する有名な遺跡だ。
-
夾竹桃の花が綺麗。
-
数年続いたクリーニングと補修工事が終わったので黒ずんでいた外壁は白っぽくなっている。
-
コロッセオの手前で行われているのはメトロC線の工事。ちなみに、ここが終点の駅になるそうだ。ローマはアテネと同様、地面を掘れば何か出てくるので、時間がかかっているようだ。
-
出発時間が迫ってきたのでホテルへ戻るが、階段の手前右手にあった教会へ何となく入ってみる。主祭壇の右手に立派な彫刻があったが、後で「歩き方」を読むと何とミケランジェロのモーゼ像だったとはビックリした。ローマ恐るべし。なお、教会の名はサン・ピエトロ・イン・ヴェンコリ教会。
-
これは22日に再度訪れた時に撮影したモーゼ像。1505年に法王ユリウス2世から依頼されて彫り始めた彫刻だが、間もなく計画は中断、しかしミケランジェロは意地で彫り続け、8年後にモーゼの像と2体の奴隷の像(ルーブル美術館蔵)が完成する。
-
エジプトを追われたイスラエルの民を約束の地まで導こうとするモーゼの強い意志が感じられる作品。毎度お馴染みの筋骨隆々だが、モーゼがミケランジェロに見えてくる。
-
9:00 ツアーバスがやってきたので乗り込む。ちなみに今回のお仲間さんは13人と少数精鋭?
-
10分ほど走ってバスから降りたところはカラカラ浴場。写真は外側にある外壁の一部。
-
内山さんの話によると、ここは外壁の一部でお土産などを商う店があった場所で、正規の入り口はこちら側にあったとのこと。
-
Terme di Caracalla は、212年~217年にかけて22代皇帝カラカラによって建てられた浴場で、235年には先ほど見た外壁も完成している。
-
外壁の長さは337m×333m、浴場は225m×185m、高さは38.5mという巨大な施設で、冷水浴場、温水浴場、熱水浴場の他に運動場、マッサージ室、さらには図書館まで備えられた総合レジャー施設だった。キリスト教が国教となるまで、古代ローマでは、性についてはオープンだったこともあり、浴場は男女混浴で、同性愛も認められていた。禁欲的なキリスト教ではこういった施設は悪の巣窟と見られ、さらには6世紀になると水道橋が破壊されたことにより、一気に荒廃が進んだ。
-
カラカラ(188-217)というのはあだ名で、本名はルキウス・セプティミウス・バッシアヌス(皇帝以前)又は カエサル・マルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌス・ピウス・アウグストゥス(死没時)。
父、セプティミウス・セウェルス帝の死後、仲の悪かった弟ゲタと共同統治を計画したが、211年、カラカラは母が用意した和解の場で弟を殺害するという凶行に及んだ。カラカラは歴史に残る有名な暴君のひとりで、東方属州最大の都市であるアレクサンドリアでは、カラカラの悪い噂をしただけで、2万人以上の住民が殺害されたという。 -
最後は近衛兵に殺されてしまったカラカラ唯一の正の遺産がこのカラカラ浴場だが、まずは裏口から入場する。
-
このように床モザイクも綺麗に残っている場所もある。
-
ここは西運動場。変な三角錐は無視してね。
-
浴場の中心へ入ります。
-
北側は冷水浴場
-
南側には熱水浴場。柱のような構造物は崩れ去ったドームを支えていたもの。なお、中央で説明している男の方が内山さん。
-
中央部には温水浴場が造られていた。なお、カラカラ浴場は一度に2000人近く収容できたらしいが、ときには一般市民に紛れて貴族や皇帝までもが訪れたらしい。
-
東浴場出口には海獣を描いたモザイクが残されている。
-
モザイクの残った床が沈んでいる場所は下が空洞で、沈まない所には柱があるとのこと。
-
こんな巨大なものが必要だったのかどうかは疑問だが、カラカラの名前は残った。
-
カラカラ浴場を後に、次ぎにやってきたのはアッピア街道とアウレリアヌスの城壁が交わる場所にあるサン・セバスティアーノ門。本来の起点はカラカラ浴場付近にあったカペーナ門なのだが、そこには何も残っていないので一般的にはここがアッピア街道の起点とされている。
-
門の左右にはアウレリアヌスの城壁が続いている。この城壁は3世紀後半、蛮族の進入に備えてアウレリアヌス帝が建設したものだが、城壁を造る必要が無かった強大なローマ帝国は、この時、すでに弱体化していた。
-
このあたりは交通の激しい場所なので、長くバスを停車させられない為10分ほどで出発。狭いアッピア街道に突入しておよそ100mほど進んだ地点に立っているのは・・・
-
1マイル(1609m)を表すマイル石柱。それにしても渋滞が激しい。
-
さらに500mほど南下すると「主よ、何処へ」で有名なドミネ・クォ・ヴァディス教会。伝説では迫害から逃れるペテロがここでキリストに逢い、「主よ、何処へ」と尋ねたところ、キリストは「汝の捨てしローマへ」と答えた。その瞬間にペテロは全てを悟ってローマへ引き返し殉教した。という話が有名。
-
一瞬で通過する。お宝はキリストの足跡だそうだ。
-
この狭い道にも定期バスが走っている。ギリギリですれ違うがドライバーさんも大変だ。
-
10分ほど移動した後、到着したのはサン・セバスティアーノ聖堂及びカタコンベ。聖ペテロと聖パウロの2人に捧げられた聖堂で、一時期は2人の聖人の遺体はこの地下にあるカタコンベに埋葬されていた。その後ディオクレティアヌス帝の時代に殉教したサン・セバスティアーノが葬られたことで有名になり巡礼者が訪れるようになった。なお、聖堂内部及びカタコンベの写真撮影は禁止なので写真はありません、悪しからず。
-
聖堂はさほど大きなものでは無いが、石切場だった地下に広がる墓地は広大で何層にも重なり迷宮のようになっていた。気温は一年中15℃で、夏はひんやりと、冬は暖かく感じるようだ。遺体や骨は全く見られなかったので、多分どこかの墓地に改葬されたと思われる。
-
サン・セバスティアーノ聖堂の見学を終え、降り出した雨の中、アッピア街道を徒歩で南下する。なお、この辺は改修された道なので幅も広く、敷石も通常の小さな石畳となっている。
-
5分ほど歩いた場所の左手に何か遺跡のようなものが見えてきたが、マクセンティウスのヴィッラとのこと。マクセンティウスは306~312年に在位した皇帝だが、この地に館と競技場を建て始めるが、完成前にコンスタンティヌス帝との戦に敗れ、敗死してしまったので工事はストップ、うち捨てられていた。
-
金網のすきまから撮影。当時はオベリスクもあったそうだ。
-
チェチリア・メテッリの墓。BC1世紀に建てられた古代ローマの霊廊で、カエサル、ポンペイウスと並んで 三頭政治を行ったクラッススの息子の妻を祀ったもの。アッピア街道沿いには沢山の墓があるのが名物だが、この墓が一番大きいらしい。
-
サン・セバスティアーノ聖堂から20分ほど歩くとこんな場所に到着。今までの小さな敷石の道が大きな敷石に変わっていた。
-
VIA APPIA ANTICA のプレートあり。
-
何度か補修はされていると思うが、2300年前に造られた道路が残っていること自体が驚異だ。
-
イントロで説明した通り中央の車道は4m、両側には3mの歩道があったはずだが、時代とともに歩道部分は削られてしまったようだ。(再掲)
-
最初は隙間無く敷き詰められた敷石も今ではこんな状態に。
-
大型車や一般車は通行禁止なのだが、時々住民や関係者と思われる車が通る。しかし振動のすごさに音を上げ、片輪を歩道側に乗せて通過していた。ときおりマウンテンバイクで通過する観光客もいるが、見ていても大変そうだった。
-
アッピア街道をはじめとするローマ街道は、古代ローマ時代に主要都市を結ぶように作られ、イタリア半島のみならず、ガリアやブリタニア、イベリア半島、アフリカ、ギリシャなどローマの属州にも敷設され、117年頃には、主要幹線道路は約8万6千km、全ての道路の総延長は29万kmにも達した。また、当初の目的は軍事用で敷設されてはいるが、軍事に関係のない帝国官吏や巡礼者などの一般市民でも利用することが出来たため、物流などの経済面でも大きな影響があった。
街道を移動する速度は、徒歩で旅する者は1日に20kmから30km、馬車では35kmから40kmであった。政府の急使は馬を休ませる時間を含めても1日に70km進んだという。これは、ローマからアッピア街道の終点ブリンディジまで7日、更に遠くのコンスタンティノポリスまで25日、アンティオキアまで40日、アレクサンドリアまで55日で到達したという。(Wikipedia参照)
10年前に完読した「ローマ人の物語」を執筆した塩野七生さんの説によると、ローマ街道は”高速道路”だそうだが、建設当時のものは風化が進みデコボコ状態である。塩野さんは「どんなに短くても良いから、建設当時のローマ街道を再現してほしい」と望んでいるが、最終編が出版されてから12年経ってもどうやら実現していないようだ。
これで「22018年 ローマ旅行記1:カラカラ浴場&アッピア街道」は終了です。本日も最後まで、ご覧いただきありがとうございます。
2024/03/09 一部修正
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- しにあの旅人さん 2018/09/28 11:20:01
- 参考になりました
- 来年4月にアッピア街道を訪れる予定です。とても参考になりました。靴は履き慣れたしっかりしたモノが良さそうですね。この日は雨のようですが、晴れたら日陰はまったくなしですか。
- chiaki-kさん からの返信 2018/09/28 15:39:08
- 投票、そしてコメントありがとうございます
- ・
シニアの旅人さん、こんにちは。ローマ旅行記に”いいね”、
そしてコメントまでありがとうございます。
> 来年4月にアッピア街道を訪れる予定です。
今回の旅行記にはまだ書き込んでいませんが、今年、イタリアは
異常気象で、9月下旬だというのに晴れればまるで真夏のように暑く
雨が降れば、とても蒸し暑い、おかしな気候でした。
まあ、4月であればそんなことは無いと思いますが、一応暑さ、寒さ
そして降雨に対応できる服装を用意されると良いかなと思います。
>晴れたら日陰はまったくなしですか。
街道の両側には塀、建物、植栽などありますから、真っ昼間で
無ければ、そんなことも無いとは思いますが、帽子は必須です。
それと敷石が続きますから、はき慣れた靴もです。
>とても参考になりました。
そう言っていただけると本当に嬉しいです。旅行記を読んで
いただいた通り、アッピア街道へはツアーバスで直行しました
ので、簡単に行けたのですが、個人で行かれる方は、コロッセオ
あたりから108番の定期バスで行くしか無いので、ちょっと
大変かと思います。
でも、それも旅行の醍醐味のひとつと思って、楽しんできて
ください。
では、また。
chiaki-k
- chiaki-kさん からの返信 2018/09/28 16:16:53
- 訂正です
- ×108番
○118番
失礼しました。
- しにあの旅人さん からの返信 2018/09/28 16:18:47
- RE: 訂正です
- ご丁寧に、ありがとうございます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ローマ(イタリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
65