2017/02/04 - 2017/02/04
402位(同エリア525件中)
ガッサンさん
この旅行記のスケジュール
2017/02/04
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徒歩での移動
橿原神宮参道入口発8:40⇒橿原神宮神門着9:05
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橿原神宮神門
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徒歩での移動
橿原神宮神門発9:05⇒橿原神宮外拝殿着9:09
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橿原神宮外拝殿
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徒歩での移動
橿原神宮外拝殿発9:09⇒畝傍山登山口着9:20
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徒歩での移動
畝傍山登山口発9:20⇒畝傍山山頂(198.8m)着9:50⇒神武天皇陵入口着10:39
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徒歩での移動
神武天皇陵入口発10:39⇒神武天皇陵10:45着
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神武天皇陵
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バスでの移動
神武天皇陵発10:45⇒耳成山山麓着11:07
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徒歩での移動
耳成山山麓発11:07⇒耳成山山頂着11:25
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耳成山山頂(139.6m)
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徒歩での移動
耳成山山頂発11:25⇒耳成山公園着11:42
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徒歩での移動
耳成山公園発11:42⇒藤原京跡着12:11
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徒歩での移動
<藤原京跡で昼食> 藤原京跡発12:50⇒天香山神社着13:12
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天香山神社
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徒歩での移動
天香山神社発13:12⇒香具山山頂着13:58
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徒歩での移動
香具山山頂13:29⇒山麓13:58
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香具山山麓
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この旅行記スケジュールを元に
大和三山(やまとさんざん)は、奈良県の飛鳥周辺にそびえる・天香久山(あめのかぐやま、152m)・畝傍山(うねびやま、199m)・耳成山(みみなしやま、140m)3体の山々の総称です。歴史的風土特別保存地区に指定された国の名勝地です。
「香具山は 畝火おおしと 耳梨と 相あらそいき 神代より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬を あらそうらしき」 中大兄皇子
大和三山が神代に恋争いをしたという伝説に、額田王をめぐる天智天皇(中大兄皇子)と弟の天武天皇(大海人皇子)との三角関係を想像する説もあり、万葉浪漫に溢れ人気が絶えない大和三山です。
<巡ったコース>
■橿原神宮 ⇒ 畝傍山 ⇒ 神武天皇陵 ⇒ 耳成山 ⇒ 藤原京跡 ⇒ 天香具山
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
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イチオシ
午前8:45、橿原神宮に到着しました。表参道の最初の鳥居「第一鳥居」です。雲一つない晴天、正に日本のはじまり橿原神宮ならではの「日本晴れ」です。縁あって三年連続で橿原神宮を参拝します。
橿原神宮 寺・神社・教会
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橿原神宮の・祭神・由緒・社殿・神苑・祭典などが記されてあります。
簡単に説明すると、初代神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすすずひめ)を祭神とする橿原神宮は、記紀の記述に基づき大和三山である畝傍山の東南の麓に、京都御所の賢所を移築し、明治23年に創建されました。昭和15年(紀元2600年)に記念事業として神域が拡張整備され、50万m?におよぶ現在の広大な神域となった。
元旦祭・紀元祭・春季大祭(神武祭)・秋季大祭・安全祈願・結婚式・菊花展・七五三参りなど1年を通じて多くの人が訪れます。橿原神宮 寺・神社・教会
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祈祷殿前の第二鳥居です。手前に写る橋は「神橋」と言います。
橿原神宮 寺・神社・教会
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橿原神宮 南手水舎です。重厚な建物です。
橿原神宮 寺・神社・教会
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橿原神宮南神門です。表参道を進み南神門から橿原神宮に入りました。
橿原神宮 寺・神社・教会
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橿原神宮外拝殿です。外拝殿の背後にある山が大和三山・畝傍山です。標高198.8m、大和三山の中で最も高い山です。
橿原神宮 寺・神社・教会
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イチオシ
外拝殿を入り、内拝殿を撮影しました。今日は2月4日立春です。1週間後は2月11日、建国記念日です。日本のはじまり橿原神宮にとって、最も大切な「紀元祭」を催します。内拝殿前ではテントを張り、紀元祭の準備に余念がなかった。
橿原神宮 寺・神社・教会
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橿原神宮内拝殿前で進むテント張り、広大なスペースです。建国記念日、日本のはじまりと言うことで日本全国から多くの人々が集まるのでしょう。
橿原神宮 寺・神社・教会
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外拝殿から内拝殿へ行く廻廊です。
橿原神宮 寺・神社・教会
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橿原神宮の「さざれ石」は外拝殿向かって右手前、参拝客の目に留まりやすい場所に鎮まっています。さざれ石の向こう側に、絵馬が掲げられていました。
橿原神宮 寺・神社・教会
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橿原神宮「土間殿」です。造りを見ると能、狂言を演じる舞台のような気がします。
橿原神宮 寺・神社・教会
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橿原神宮から神武天皇陵方面へ歩いて行くと途中に「畝傍山登山口」の道標があります。そこを入り、畝傍山頂上を目指します。
大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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畝傍山登山道から辺りを撮影しました。下山する老若男女とよく合いました。挨拶を交わし、短い会話をすると「ここは散歩コース」と返って来た。「毎日、畝傍山に登っている」と聞いた。橿原市民にとって、畝傍山は憩いの山かもしれません。
大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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[畝傍山国有林]
「ここは歴史的にも有名な大和三山の一つで、標高199.2m、面積41ヘクタールの死火山です。東部裾野に神武天皇陵、北西部に綏靖塚(すいせいづか)、南西部に安寧天皇陵(あんねい)、南部に懿徳天皇陵(いとく)、南東部に橿原神宮があります。」と記してあった。設置したのは奈良森林管理事務所で観光案内のようでした。大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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林野庁が立てた道標です。辺りは雑木林です。畝傍山の登山道は山頂を巻くようにある為、なだらかです。
大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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畝傍山の山頂付近の「玉垣と樫の木」です。
大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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山頂に立つ「畝傍山口神社社殿跡」の石碑。山頂は平坦で意外に広かった。
大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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畝傍山の山頂から「二上山」を撮影しました。
大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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畝傍山の山頂から「金剛山と葛城山」方面を撮影しました。
大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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畝傍山の山頂から「金剛山地」方面を撮影しました。
大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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畝傍山の山頂に立つ「三角点」です。
大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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畝傍山の山頂から耳成山方面を撮影しました。木立の中央に見える小さな山が耳成山(標高139.6m)です。
大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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「香具山は 畝火おおしと 耳梨と 相あらそいき 神代より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬を あらそうらしき」 中大兄皇子
万葉集に歌われている中大兄皇子の歌です。この歌は万葉浪漫を感じる歌として有名です。様々な解釈があります「香具山は畝火山を男らしい者として古い恋仲の耳梨山と争った。神代から、こうであるらしい。昔もそうだからこそ、現実にも、愛する者を争うらしい」と訳す人もいます。
香具山と耳成山がこの畝傍山をめぐって争う有名な歌ですが、畝傍山を男性の比喩とみるか、女性とみるか説が分かれています。大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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畝傍山の頂上から見る風景です。木立が多く、登山道は木陰になる為、涼しく登り易い山だと思いました。
大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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イチオシ
頂上に「名勝 大和三山 畝傍山」の木碑が立っていました。名勝には平成十七年七月十四日に文部科学省から指定を受けた、とありました。
大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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頂上に「名勝 大和三山 畝傍山」の簡単な説明があります。大和三山(畝傍山・耳成山・香具山)にまつわる有力氏族の説明、畝傍山を詠んだ柿本人麻呂の
和歌があります。
柿本人麻呂は、いうまでもなく万葉の時代を代表する歌人です。
「玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひしりの御代よ 生(あ)れましし・・・・」大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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畝傍山の東登山口付近を歩いていると「東大谷日女命神社」の鳥居がありました。
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鳥居の脇に「鎮守之宮 東大谷日女命神」との社標があります。
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畝傍山を下山後、神武天皇陵へ向かいました。入口には「神武天皇御陵」の石標が立っていました。
神武天皇陵 名所・史跡
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初代天皇だけに広大な天皇陵です。玉砂利の参道を進みます。
神武天皇陵 名所・史跡
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宮内庁の案内には「神武天皇 畝傍山東北陵」と記されてあった。神武天皇陵の正式名称は、畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)と言います。
神武天皇陵 名所・史跡
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イチオシ
神武天皇陵です。雲一つない晴天、初代天皇に相応しく、広大な天皇陵です。
神武天皇陵 名所・史跡
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鳥居横の瑞垣(みずがき)を進みました。
神武天皇陵 名所・史跡
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旧家の住宅のような建物がありました。玄関の脇に「宮内庁書陵部 畝傍陵墓監区事務所」の看板が掛かっていました。
神武天皇陵 名所・史跡
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畝傍陵墓監区事務所(奈良県橿原市、神武天皇陵内)は 奈良県、三重県、岐阜県、愛知県、静岡県内の陵墓も管理しているそうです。建物はそれなりに大きかった。
神武天皇陵 名所・史跡
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建物は「宮内庁書陵部 畝傍陵墓監区事務所」の全景です。畝傍陵墓監区事務所は陵印の保管場所になっています。畝傍陵墓監区事務所が管理する陵墓の陵印を押すことが出来ます。参拝者自らスタンプを押して参拝記念とします。
神武天皇陵 名所・史跡
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宮内庁書陵部 畝傍陵墓監区事務所の前には手入れの行き届いた庭が広がっていました。
神武天皇陵 名所・史跡
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「宮内庁書陵部 畝傍陵墓監区事務所」の看板が立っていました。
神武天皇陵 名所・史跡
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イチオシ
正面の山は標高139.6mの耳成山です。三山のうち最も低いが、廻りには丘や山がなく、たおやかな山容はひときわ目立ちます。中腹に耳成山口神社があり、南麓に桜の美しい耳成山公園があります。
耳成山 自然・景勝地
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耳成山の登山口に「名勝大和三山 耳成山」の木碑が立っていました。木碑の隣には案内板もあります。
耳成山 自然・景勝地
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「名勝大和三山 耳成山」の案内板の説明は畝傍山の物と代わり映えしなかった。最後に万葉集の和歌があったが、畝傍山と同じ中大兄皇子のものであった。
耳成山 自然・景勝地
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下方に見えるのは「耳成山公園」です。 大和三山のひとつ耳成山の南西麓にある古池を活かした親水公園です。桜の名所として毎年多くの花見客で賑わっている、と現地ボランティアガイドが言っていました。
耳成山 自然・景勝地
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耳成山口神社(みみなしやまぐちじんじゃ)の鳥居です。山の八合目ぐらいの所にありました。
耳成山 自然・景勝地
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背後に写る社は耳成山口神社です。耳成山口神社は大和国の山口社六社(飛鳥・石村・畝火・忍坂・長谷・耳成)のうちの1社で、皇室の舎殿用材を切り出す山の神として祀られていた。
耳成山 自然・景勝地
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「耳成山国有林」の案内板がありました。案内は耳成山の紹介と耳成山と名が付いた謂れです。最後に古今和歌集の歌が載っていました。
「耳成の 山のくちなし 得てしがな おもひの色の したぞめにせむ」
古今和歌集よみ人しらず、とあった。耳成山 自然・景勝地
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頂上付近に「明治百年記念」と刻まれた碑が立っていました。
耳成山 自然・景勝地
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碑には「明治四十一年十一月十一日」と刻まれてあった。
耳成山 自然・景勝地
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頂上近くのある木に「ななめの木」という名札が掛かっていました。よく見ると「モチノキ科」とあり「もちの木のような赤い実を枝の先端に一粒づつ付ける」と記されてあった。
耳成山 自然・景勝地
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耳成山頂上に立つ「三角点」です。麓から山頂まで約15分くらいでした。低く感じた山でした。
耳成山 自然・景勝地
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耳成山山頂のある木に「耳成山140m」の名札が掛かっていました。耳成山では行き交う人はいませんでした。
耳成山 自然・景勝地
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耳成山から「耳成山公園」に下って来ました。古池(耳成公園池)の傍に歌碑が立っていました。碑により読み難い為か、脇に読み易いように案内板が立っています。
耳成山公園 公園・植物園
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「耳成の池し恨めし我妹子が来つつ潜かば水は涸れなむ」作者不詳とありました。耳成池が恨めしい、あの子がさまよって来て水にはいったら、水がかれて死ねないようにしてくれればよかったのに、という意味です。とあった。
昔も今も変わらない浪漫に溢れた歌です。
耳成山公園 公園・植物園
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古池(耳成公園池)の左側を走る高架線は近鉄大阪線です。
耳成山公園 公園・植物園
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橿原ボランティアガイドの案内で「耳成山」から「藤原宮跡」を通り「香具山」へと歩きます。
途中に案内板がありました。
「醍醐町史蹟 傳藤原宮海犬養門跡(あめのいぬかいもん)」
最初の部分、さわりを書きます。
「藤原宮都の建設は壬申の乱の後、天武天皇の時代から計画推進されていたが、宮殿の完成をまって遷都が行われたのは、今から千三百年前の持統天皇八年(六九四年)十二月のことである。」 -
この管轄地が傳藤原宮海犬養門跡(あめのいぬかいもん)と説明を受けました。
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耳成山から醍醐池まで来ました。
池の畔に万葉歌碑があります。あの有名な「衣乾すてふ天香具山」の歌です。
「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの
衣干したり 天香具山 (持統天皇)」 -
橿原市醍醐町にある「鴨公神社跡」です。奈良時代以降、平安、鎌倉と鴨氏はこの辺りで暮らしていたと言う。
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藤原京跡に到着しました。時間は12:00を少し廻りました。昼食の弁当を頂きます。
藤原宮跡 名所・史跡
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イチオシ
藤原宮跡へ来るのは3回めです。
藤原宮は一辺約1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがありました。藤原京は16年間の短い都でした。藤原宮跡 名所・史跡
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「朝堂院東門」の案内板がありました。
藤原宮跡 名所・史跡
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藤原宮跡には原野が広がり、大極殿跡には基壇が残っています。藤原宮跡からは東に天香具山、西に畝傍山、北に耳成山を望めます。
藤原宮跡 名所・史跡
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藤原京跡から香具山を目指し歩きました。
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どこにでもあるような風景です。ここに日本の首都があった、とは考えられない懐かしい光景ばかりです。建っている家はどの家も風格があり立派な造りです。
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池の湖畔に「天香山埴安傳稱地道」と刻まれた石碑が立っていました。これは当時の道標だったそうです。
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小さな祠がありました。祠の廻りは掃き清められ、花も供えられていた。
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小さな集落を通り抜けます。建っている家はどの家も風格があり立派な造りです。歴史の重みを感じます。
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天香山神社の拝殿です。入口の頭上には「天香山坐櫛眞命神社」の表札が掛かっていました。
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ライトグリーンのユニフォームを着た人は「橿原ボランティアガイド」の人です。歴史的背景や由来などを分かり易く説明してくれました。
天香久山は、古事記、日本書紀、万葉集など多くの文献に、神々や日本国創始との関わりが多く記されている、という。 -
「天香山神社」の本殿に当ります。
天香久山は、我が国の始まり、すなわち大和朝廷発祥に関わる聖地「物実(ものざね)」だという。日本最大のパワースポットに当たるかもしれません。 -
拝殿から本殿を見ています。頭上には「天香山神社」の表札がありました。
天香久山は、八百万の神々と結ばれた神山、我が国の国体と認識され今に至っている、説明した。 -
小さな鳥居の前に「明治天皇遥拝所」の石碑があります。
明治天皇がここで遥拝されたそうです。遥拝とは、遠く隔たった所から拝むことです。近くから拝むのは畏れ多いということです。天皇ですらそれだけ敬意を払っていました。明治時代は相当重要視されていた場所だったに違いない。 -
「天之波波迦(あまのははか)」の石碑が細い縄で囲ってありました。
天香山神社境内にある朱桜という古名で知られる「波々架の木」です。古代の占い・太占に用いられたと言う。ハハカは油分が多くよく燃えるらしいです。
「波々架の木」の案内板があり、下記のように記されてありました。
「 いばら科の木で朱桜(にはざくら) 別名うはみずざくら、こんごうざくら、かばざくら、等の別名があります。
古事記によれば、この木の皮で香具山の雄鹿の骨を焼いて吉凶を占ったそうです。
平成二年の大嘗祭関連の諸儀で「斉田点定の儀」の亀占に用いるため、波々迦を宮内庁の御下命により奉納致しました。奈良県橿原市南浦町 天香山神社」 -
イチオシ
路傍に万葉歌碑がありました。
「ひさかたの 天の香具山このゆふべ 霞たなひく春立つらしも」と記されてあります。石碑の隣に案内板があります。 -
ひさかたの 天の香具山このゆふべ 霞たなひく春立つらしも
柿本朝臣人麻歌集
「天の香具山に、今日この夕方、霞がたなびいている。ああ春になったらしい。」という意味です。
と書かれた格調高い案内板がありました。 -
イチオシ
持統天皇御製の万葉歌碑がありました。
「春すぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山」
現代風に言い換えれば
「春が過ぎて 夏が来たらしい 真っ白な 衣が干してある 天の香久山に」 -
天香山神社の案内板です。造りは宮内庁のものと同じように見えました。
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天香山神社の一の鳥居です。大阪から来たという一団に合いました。御手洗場所を何人かに尋ねられました。
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天香山神社の「手水舎」です。タオルが掛かっている所に奥ゆかしさを感じました。
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香具山山中にある道標です。
香具山 自然・景勝地
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大変分かり易い道標もありました。
香具山 自然・景勝地
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「國常立神社(くにとこたち)」の案内板がありました。
祭神は國常立命(天地開闢とともに現れた国土形成の神)
俗に雨の竜王と称され、境内社として高?神(竜王神)を祀る。向かって右側神殿の前に壺が埋められており、古来干天の時この神に雨乞いして壺の水をかえたが、まだ降雨のない節はこの社の灯明の火で松明をつくり、村中を火振りして歩いたという。と記されあった。以下は略します。香具山 自然・景勝地
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天香山の山頂に2座があります。向かって右側に「國常立神社」の名札が掛かっていました。左側は高?神社です。
香具山 自然・景勝地
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万葉歌碑のような気がします。字は崩し過ぎてハッキリ判読できません。所々分かる程度でした。
香具山 自然・景勝地
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「名勝 大和三山 香具山」の案内板です。案内板は畝傍山・耳成山の各山に設けてありました。
香具山 自然・景勝地
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香具山の上り口にある舒明天皇の万葉歌碑です。隣に歌碑の案内板がありました。
香具山 自然・景勝地
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イチオシ
「大和には群山(むらやま)あれどとりよろふ 天の香具山登り立ち国見をすれば 國原は煙立ち立つ海原は鷗(かまめ)立ち立つ うまし國そ蜻蛉島(あきづ しま) 大和の国は」 巻1-2 舒明天皇
大和にはたくさんの山々があるけれど、天の香具山に登り大和の国を見下ろすと、平野部には煙が立ち上り、水面には水鳥が盛んに飛び交じっている。大和の国は本当に良い国だという意味です。 とありました。香具山 自然・景勝地
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イチオシ
香具山の上り口に「名勝 大和三山 香具山」の碑が立っています。
香具山 自然・景勝地
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「天香山白埴聖地」の石碑が立っています。これは当時の道標だったという。
香具山 自然・景勝地
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ここにも石碑があります。達筆過ぎて判読できません。万葉歌碑なのか案内なのか。
香具山 自然・景勝地
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竹林の向こうに見える、小さい山は畝傍山です。
香具山 自然・景勝地
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春を感じさせる香具山の里です。
香具山 自然・景勝地
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香久山の西から天理市付近の石上山まで斉明天皇が造ったとされる運河「狂心の渠(みぞ)」の跡、とガイドさんは言った。
地元ガイドさんは、天皇は工事を好み、工夫に命じて渠(みぞ)を掘らせた。その渠は、香具山の西から石上山まで。舟200隻に石上山の石を積み、流れに沿って運び、宮の東の山に石を重ねて垣とした。当時の人はこれを揶揄して、「狂心の渠の工事に無駄に費やされた人夫は約三万、垣を造る工事は約七万ともいう」と話しをした。香具山 自然・景勝地
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斉明天皇が造ったとされ「狂心の渠(みぞ)」の話を聞き、写真を撮りました。ガイドさんに話を聞かなければ、ただの小川だったでしょう。古都奈良にはいにしえの話が沢山ありました。
香具山 自然・景勝地
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