2018/07/13 - 2018/07/13
605位(同エリア3571件中)
玄白さん
甥っ子の結婚式に呼ばれ、猛暑の京都に出かけることになった。式は7月14日だが、ついでに13日から2泊3日の京都観光をすることにした。初日の午前中は宇都宮からの移動なので、まずは午後の半日観光である。折しも祇園祭真っ最中で、有名観光地は激込みが予想される。人込みが苦手な我が夫婦、マイナーなスポットを選んで、数か所巡ることにした。
ホテルで荷物を預かってもらい、出かけたスポットは以下の通り。
1.京都御苑仙洞御所見学 2.楽美術館 3.晴明神社
4.上七軒歌舞練場ビアガーデン 5.千本えんま堂風祭り
2,3,5は、連れ合いの希望に沿ったものである。
今回の旅行プラン作成にあたって、4,5は京都在住の4traveler, koumeさんから教えていただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今宵の宿、近鉄ホテル京都駅に荷物を預けたあと、地下鉄で丸太町駅まで移動し、蛤御門をくぐって京都御苑内、仙洞御所北門の受付でツアーの予約を入れた。
蛤御門は、幕末・明治維新史を語る上で欠かせない歴史遺産である。元治元年(1864年)6月、ここで朝廷を守護していた会津・薩摩藩連合軍と、天皇を強奪し長州に連れ去ろうと画策する長州の尊王攘夷過激派との武力衝突、いわゆる禁門の変(蛤御門の変)があった場所である。門柱には、今でもその時の銃撃戦による銃弾の跡が鮮明に残っている。 -
イチオシ
京都御所、仙洞御所は、以前は限られた時期のみ事前予約しての見学しかできなかったが、2年前から通年参観ができるようになった。予約なしでもOKとなったのである。仙洞御所は庭園が美しいというので、まず仙洞御所へ。
見学は13:30と15:00の2回だけで、ガイドツアーのみ。ツアー参加費はタダというのがうれしい! 桜や紅葉シーズンではないので、当日枠は十分残っているだろうと思っていたが、予想通り参加者は20名ほどだった。申し込みは12時過ぎだったので、ツアー開始まで、蛤御門の向かいの京都ガーデンパレスホテルでランチ。
定刻どおり13:30にツアー開始。宮内庁の女性職員のガイドに従ってツアー開始。まずは、大宮御所へ。御車寄せの唐破風屋根と本殿の2つの切妻屋根の優美な曲線の3層構造が美しい。 -
仙洞御所、大宮御所共通の正門。
この門をくぐれるのは、天皇・皇后両陛下と皇太子夫妻のみである。入洛された際には、今でも大宮御所に宿泊されることになっているという。
仙洞御所というのは、上皇の御所で、古くは一定の場所に造営されていたわけではないが、後水尾上皇の時(1630年)のとき、この場所に定められた。仙洞御所に隣接して皇太后の御所として建てられたのが、大宮御所である。現在、仙洞御所は火災で焼失している。大宮御所は英照皇太后(孝明天皇の后、明治天皇の嫡母)の御所として建てられたが、東京遷都後、御常御殿のみが現存している。
今上天皇が来年退位されて、東宮御所に移られるということだが、その場合、東宮御所は仙洞御所と名を改めるのだろうか? -
大宮御所御常御殿
平安時代の伝統的な寝殿造り風の建物だが、内部は洋風に改築されている。天皇・皇后両陛下や皇太子夫妻の宿泊所として使われている。当然のことながら、内部の見学は無し。
南側に面した庭には、松、竹、梅が植えられていて「松竹梅の庭」とも呼ばれている。 -
池は大宮御所前の北池と仙洞御所側の南池に分かれていたが、今では間が掘削されて繋がっている。池の周囲の木々の奥には青く霞む東山の峰々が借景となっている。現在は樹木が成長して樹高が高くなって少ししか見えないが、造営当時は、よく見えたことだろう。
作庭は小堀遠州によるが、その後かなり大きく改造されたという。 -
アオサギが池の畔に佇んでいる。
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小さな和船が浮かんでいる。今は深緑となっているが、新緑や紅葉の時期は、さぞあでやかな情景になるだろうな。
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北池と南池を分ける鷺の森と紅葉山を繋ぐ紅葉橋。
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南池西側の畔は州浜(すはま)と呼ばれ、大きさが揃った玉石が敷き詰められている。その数11万個余り。小田原藩主の大久保忠真が、石一個を米一升と交換して集めさせたという言い伝えから一升石と呼ばれている。
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紅葉橋を渡ったところから鷺の森の出島の付け根に小さな滝がある。雄滝という。高さ1.8mの小さな人工滝である。どこかに雌滝があるはずだが、見落とした。
滝の右側の平たい石は草紙洗の石と呼ばれている。この石には美人歌人として有名な小野小町にまつわる伝説がある。宮中歌合の前夜、六歌仙の一人、大伴黒伴が小町を貶めるため、小町の家に忍び込み、小町が準備していた歌を盗み見して万葉草紙に書き写し、歌合の日に、小町の歌は万葉の古歌の盗作だと言い募った。不審に思った小町は、万葉草紙を洗うと、書き写した文字が消え、黒伴の策略だと見破った。草紙を洗ったのが、この石の上だというのだが、いかにも作り話っぽい。
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南池の真ん中に2つの中島があり、西岸と中島は御影石の石橋がかけられている。八ツ橋という名前だが、京都土産の菓子の八ツ橋とは関係ないという。橋には、両岸に植えられた上り藤、下り藤を使った見事な藤棚が設えられている。5月初旬には見事な藤の花が見られるだろうが、参観申し込み倍率はすさまじく高く、宝くじにあたるようなものらしい。
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藤の幹の間から紅葉山、紅葉橋、鷺の森を望む。
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イチオシ
2つの中島を経由して南池東側から南池の南方向をみると、もう一つの小さな中島が見える。蓬莱島あるいは葦島と呼ばれている。今はないがかつてはまわりに葦が茂っていたので、つけられた名前である。
奥に見える建物は醒花亭(せいかてい)という茶室である。 -
ここにもアオサギが一羽。
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イチオシ
見学する人に慣れているせいか、逃げようとせず、悠然としている。
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醒花亭(せいかてい)と名のついた柿葺(こけらぶき)の屋根の茶室。
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中には入れないが、東側の部屋の鴨居の上に、醒花亭の由来となった唐の詩人、李白の詩が掲げられているのが見える。右から2行目の真ん中に醒花の文字が見てとれる。
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庭園内の至るところに、よく手入れされたスギゴケが植えられている。園路からはみ出してコケを踏まないよう、しつこく注意された。
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玉石が敷かれた州浜の園路をはさんで反対側には、小さな祠、柿本社が鎮座している。万葉の歌人、柿本人麻呂を祭っている。再三、仙洞御所が火災にあったため、霊元上皇が、鎮火の守り神として建立したという。なぜ、柿本人麻呂??
ツアーガイドの宮内庁職員によると、「柿本人麻呂→火気の元、火、止まろ」という駄洒落が根拠だというが、ホントかな??? -
池を一周し、元の場所に戻って来た。又新亭(ゆうしんてい)という茶室がある。明治17年(1884年)に、近衛家から献上されたもので、そんな古いものではない。
この後、再び大宮御所に戻り、ツアー解散となった。通常一時間の参観コースだというが、この日は50分弱で終了した。猛烈な暑さなので、ツアー参加者の熱中症を恐れて、早めに切り上げたのかもしれない。 -
この後、御所の見学もしようかとも思ったが、だだっ広い御所の砂利道を歩き回るのは連れ合いが辛そうだったので、次の目的地、楽美術館に向かうことにした。
御所を囲む塀は、落書きひとつないきれいな壁が保たれているが、かつて観光客による落書きがひどかったので、補修し壁に沿って赤外線センサーを設置したという。うかつに壁に近づくと、大音量の警告ブザーとともに、”みんなの文化財です。大切にしましょう”というアナウンスが流れ、周囲の観光客や警備の警官の冷たい視線を一身にあびることになるらしい。 -
楽美術館
蛤御門から京都御苑の外に出て、御所に沿って北上し、烏丸中立売交差点で左折し、堀川通り方面に歩いて10分ほどのところにある。桃山時代に千利休の薫陶を受けた初代、長次郎から現代まで450年間連綿と続く楽焼の至宝が、楽家によって保存されてきたが、1978年樂家十四代吉左衞門・覚入によって、楽家の住まい兼窯場の隣に開設された美術館である。
茶道家の連れ合いにとっては、この美術館は、何度見ても見飽きることはないようだ。 -
展示された作品の一部。
左上:第3代道入の作品「笹之絵黒楽茶碗」 楽焼に使う土は豊臣秀吉の居城聚楽第の近くに屋敷があった長次郎がここの土を使い、聚楽第の一角に住んでいた千利休によって世に出された。そのため、聚楽第の一文字を取って楽焼と呼ばれるようになった。
右上:第6代左入の作品「兎之絵赤楽茶碗」江戸期の享保18年(1733年)に制作された。
左下:第9代了入の作品「赤楽平茶碗」背が低い平茶碗は、夏に使われる茶碗である。連れ合いが毎月自宅でやっている茶道研究会でも、今の時期はもっぱら平茶碗を使っている。
右下:第14代覚入の作品「色釉流水文赤楽平茶碗」 1963年(昭和38年)作。
素人の自分が見ても現代的なセンスがうかがえる。 -
抹茶茶碗以外にも茶道用道具がいろいろ展示されている。これも14代覚入による「真砂釉栄螺水指」
楽家の現当主は15代吉左衛門であるが、第2代常慶より、現役当主は吉左衛門を名乗っている。第3代道入以降は、隠居すると〇入という雅号を名乗るようになる。連れ合いは、歴代楽家当主の名前をそらんじている。 -
上段:第11代慶入作「鯛食籠」 中に和菓子を入れて茶席の客に提供するのにつかわれる茶道具の一つ
下段:第14代覚入作「団扇平大皿」富士山、宇治橋、ツバメが描かれている。 -
楽焼に使う窯とふいごが展示されていた。楽焼は一般的な陶器制作のような登り窯での大量生産は行わず、1~4個程度の作品が入る小さな窯に入れ、ふいごで窯の周りに積み上げた炭を燃やして焼成するという手間がかかる技法を採用している。実際にふいごを操作してみたが、けっこう重くて重労働である。
初代長次郎の父親は中国からの渡来人、阿米也という人物で、彼が明の時代、河南省の三彩陶という技法を伝えたらしい。技法は同じでも釉薬は黒や赤のモノトーンに変化させたのは、千利休の侘茶の思想の影響だという。 -
楽美術館でひと時を過ごし、連れ合いの講釈を聞いたあとは、近くの晴明神社へ。
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言うまでもなく、祭神は陰陽師、安倍晴明であり、鳥居には晴明のシンボル「五芒星」が掲げられている。安倍晴明の出自は不確かなことが多いが、陰陽師だったことは確か。陰陽師とは、古代日本の律令制のなかで、陰陽五行説に基づき占いや天文、暦などをつかさどる技術系役人だった。平安時代、天文や暦法は最先端の科学であり、晴明は、それらの豊富な知識で実績を上げ、花山天皇、一条天皇、時の権力者藤原道長から多大な信頼を得ていたという。
そうした実績から晴明が亡くなると、すぐに伝説化され、大鏡、宇治拾遺物語、今昔物語などに登場し、神秘的な力を持つ人物として描かれるようになる。 -
晴明神社は京都のどこにでもあるような小さな神社で、2015年までは知名度はさほど高くない平凡な一神社であった。ところが、2015年を境に、一躍脚光を浴び、有名観光地の一つとなったのである。そのきっかけとは・・・
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夢枕獏原作、滝田洋二郎監督、狂言師野村萬斎主演の映画「陰陽師」のサウンドトラックをもとに編曲した「SEIMEI」をフリープログラムの曲に採用して、2015年NHK杯国際フィギュアスケート大会で初めて200点を超える得点で優勝、2週間後のバルセロナでのグランプリファイナルで219.48と続けさまに世界記録を塗り替えて、フィギュアスケートの歴史を塗り替えた羽生弓弦選手の存在である。
NHK杯の4か月前に、羽生選手はここに戦勝祈願に訪れ、その時奉納された絵馬が飾られている。羽生選手の活躍にあやかろうとしたのか、女子フィギュアのメドヴェージェワ選手も絵馬を奉納している。 -
彼の活躍をきっかけに、大勢の羽生ファンが晴明神社に参拝しに来るようになったのである。ソチ、平昌と2大会連続でオリンピック金メダルを獲得したお礼参りの絵馬が境内にあふれている。中には外国人のファンの絵馬も散見される。
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神社も、こんなメッセージを張り出している。
我が連れ合いも、羽生選手が駆け出しで高橋大輔選手の後塵を拝していたころからの熱烈な羽生ファンのミーハーおばさんなのである。羽生選手に関するグッズはなんとしても手に入れようとし、写真集が出れば買い、SNSは欠かさずチェックするという熱の入れようだ。2014年秋に山形県に紅葉狩り旅行に出かけたときには、わざわざ遠回りして、彼の練習拠点だった仙台市のスケートリンクの見学に立ち寄ったこともある。 -
晴明神社にとっては、羽生選手は神のような存在だろう。お守りやおみくじなどの売り上げは羽生選手の活躍の前の何倍に跳ね上がったのだろうか。巫女さんも大忙しである。
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連れ合いもさっそくお守りを買っている。桔梗の花がシンボルマークの五芒星に似ていることから、境内にはたくさんの桔梗が植えられている。ちょうど満開になっていて、この時期限定の桔梗のお守りである。「限定」という言葉に弱い連れ合いである。
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桔梗のお守り
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参拝する連れ合い。おそらく願い事は、次のシーズンの羽生選手が出場するフィギュアスケート大会のチケットが手に入るようにとのことに違いない。
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推定樹齢300年の御神木の楠
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堀川に架けられた一条戻り橋のミニチュアと式神。式神とは、陰陽師が自分の召使のように使役していた鬼神のこと。晴明の妻が式神を怖がっていたので、普段は晴明は式神を一条戻り橋の下に押し込め、必要なときに呼び出して使役していたという言い伝えがあるそうだ。どこか、西洋の妖精や小人のようなファンタジックで、かわいらしさが感じられる銅像である。
橋を渡った奥の桔梗庵は、お守りなどを売る売店である。 -
晴明が念力で湧出させたという言い伝えがある泉。注ぎ口は、その年の恵方を向いていて、毎年立春の日に向きを変えるという。
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桔梗の花が満開
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厄除け桃。古代中国、陰陽道では、桃は魔除け、厄除けの果物とされている。
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本殿も撮影禁止ではないので、一枚パチリ。仏教寺院と違い、祭神は仏像のように具象化されていないので、撮影しても構わないということなのだろう。
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最後に安倍晴明の銅像を一枚。晴明神社が所有している晴明の肖像画をもとに造られている。袖の下で印を結び天体観測をしている姿を現わしているという。
次に向かうのは上七軒へ。1.6km離れているが、バスの待ち時間を考えると歩く方が早い。 -
しかし、38度を超える猛暑である。途中、愛信堂という和菓子の店にかき氷ののれんが掛かっているのを見つけて、迷わず店に入り、宇治金時のかき氷を注文。しばし、この店で涼むことにした。
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途中、こんな昭和のレトロな雰囲気いっぱいの民家に出くわした。
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上七軒ビアガーデンがオープンするのは5時半。まだ20分ほど時間があるので、隣接する北野天満宮の境内へ。
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イチオシ
北野天満宮といえば、梅と紅葉の時期が参拝にふさわしい。七夕飾りが飾られているが、すでに閉門時間が迫っており、参拝客は見かけない。
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天満宮本殿。いうまでもなく祭神は菅原道真公。いわゆる天神さんである。
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菅原道真が太宰府に流されたことを悲しんだ梅が、一晩で太宰府まで飛び、根付いたという飛梅伝説の飛梅の子孫とされる梅の木が、本殿前に植えられている。樹齢300年と言われているが、PPV(プラムポックスウイルス)の感染が心配されているという。東京都青梅の梅林がPPVで全滅してしまったことは記憶に新しい。
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そろそろ、ビアガーデンがオープンする時間になったので、上七軒歌舞練場へ向かう。上七軒は、京都で最も古い花街で、室町時代に焼失した北野天満宮の再建の際に、余った資材で7軒の茶店を建てたのが起源である。現在、お茶屋10軒、芸妓、舞妓合わせて31名ほどがいるとのこと。
そんな花街なので、夕方になると、日本髪を結った和服のお姉さま方が、ぞくぞく集まってくる。 -
元芸妓の勝ふみさん経営の置屋。いまでは、芸妓、舞妓の衣装、かんざしなどを身に着けて記念写真を撮るなんていう観光客向けの現代的なサービスをやっている。
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上七軒の中心的な存在の歌舞練場の一部を夏の間だけ、ビアガーデンとして開放している。歌舞練場とは、文字通り、芸妓たちが芸を練り、披露するホールである。
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歌舞練場の一部を開放したビアガーデンの楽しみは、何といっても本物の芸妓の女の子たちが、席に来ておしゃべりの相手をしてくれることである。
お座敷遊びは本来「一見さんお断り」のクローズな世界であるが、ここでは、ちょっぴりその片鱗を楽しめることが売りなのである。 -
イチオシ
最初に席に来てくれたのは、源氏名「尚あい」さん。しとやかで、かわいい子である。芸妓になりたくて、高校に進学しないで、中学卒業後、すぐにこの世界に飛び込み3年目だという。
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芸妓であるから、日本舞踊、三味線、謡曲などは当然だが、茶道や生け花などの習い事も必須だという。舞踊は花柳流、茶道は西芳寺で習っているという。
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茶道の稽古が一番厳しくてつらいなんて話から、茶道をやっている連れ合いと話が合い、尚あいさんも楽しそう。
年齢からすれば、高校3年か大学一年相当だが、行儀作法もきびしく教え込まれているはずで、話し方も話す内容もしっかりしていて、当代の女子高生、女子大生に比べるとはるかに大人である。 -
とはいえ、大勢の客の相手をしなければならないので、ずっとそばにいてくれるわけではない。今度は隣のテーブルのグループ客の相手で忙しい。
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続いて席に来てくれたのは、ぽっちゃり顔の「梅たえ」さん。尚あいさんとは同級生だという。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎていく。連れ合いは、次の千本えんま堂の風祭りに参加予約をしているので、ビアガーデンには30分くらいしか居られなかった。玄白は、もうしばらく、ここで粘ることにした。梅たえさん、この後も3~4人は芸妓さんがきますよと言って席を移っていったが、次の芸妓はなかなか来ない。 -
そろそろ、上七軒の夜の風景を撮影したり、千本えんま堂に連れ合いを迎えにいかねばならないので、退散。
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歌舞練場のホール。祇園の歌舞練場では、4月に都踊りが公開されるのが有名だが、ここの歌舞練場では北野踊りが毎年3月25日から4月7日まで公開されるという。
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次から次へと客がきて、このビアガーデン大盛況である。
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歌舞練場の塀に掛けられた提灯にはすでに明かりが灯っている。
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上七軒の茶屋が並ぶ通りから歌舞練場に通じる路地には、路地行灯が並べられていて、なかなか趣きがよい。
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イチオシ
あわただしく、歌舞練場方向に向かう和服姿の女性。置屋の女将だろうか?
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イチオシ
上七軒通り。かつては置屋、茶屋がずらりと並んでいたというが、今では数が減っている。ギンギラギンの派手な照明はなく、落ち着いた街並みである。突き当りが北野天満宮である。
空は夕焼けで朱に染まっている。 -
東方向の町並み
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こういう街は、和服の女性がよく似合う。
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街角の小さな祠の提灯にも灯がともされている。
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イチオシ
千本えんま堂に連れ合いを迎えに行く。昼間はさもない小さな寺だが、今は風祭りというイベントをやっていて、赤いLED提灯のイルミネーションをやっている。
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風祭りというのは、7月1日から15日まで夜7時から、普段は見られないえんま大王の御開帳とライトアップがあったり、梶の葉祈願をしたり、聞香をしたりするイベントである。香道は茶道での嗜みとして必要だとか、梶の葉祈願も茶事の話題作りの肥やしになるからぜひ参加したいといって、連れ合いのみ参加した次第。
当然、えんま大王の撮影はできないし、聞香には興味はないので、玄白は不参加である。
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境内には風鈴が吊るされ、涼やかな音色を楽しんでもらおうという趣向のようだ。風祭りとは、この風鈴飾りに由来しているようだ。しかし、数は少なく、ちょっとショボい感じではある。
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願い事を書き、えんま大王の前で祈祷を受けた梶の葉が本堂入り口に吊るされている。梶は桑科の高木で、その葉っぱは墨で文字が書きやすいのだそうだ。もともと平安時代、七夕の日に梶の葉7枚に歌を書き、織姫星に手向けるという風習が発祥で、それが願い事を書いて祈祷を受け月夜にさらすと願い事がかなうという具合に変わって来た。七夕の時、笹に願い事を書いた短冊を吊るすという風習の起源でもある。
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風祭りイベントに参加してもらってきた千本えんま堂の御朱印。
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今宵のイベント参加は20人ぐらいだったようだ。意外なことに、女性だけではなく、男性の参加者も結構いたようだ。さすが京都、風流な御仁が多いのだろうか。
風祭りは午後8時40分ごろ終了した。最寄りのバス停から帰路に着いた。
晴明神社は予想外に人出が多かったが、それ以外は、さほどの混雑もなく、落ち着いた京都観光ができた一日だった。
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