2016/04/06 - 2016/04/06
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junemayさん
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広島県には足を踏み入れたことがありますが、広島市と宮島のある廿日市には長年行きたい願望があったものの、チャンスはなかなか訪れませんでした。暫くの間LCCに浮気していたら、ある日JALさまからお便りが。あらあら!「マイルの有効期限が2月末で切れます」ですって。チャンス到来かしら? ディスカウントマイルなら、なんとか国内往復できる程度のわずかばかりのマイルしかないのだけれど。
2月中に席を押さえて、3月にすわ広島!と思ったのですが、3月は航空会社にとって稼ぎ時らしくて、まさかのディスカウントマイルの対象外。だったら4月は? 無理よね? と見てみたら、ばっちり対象月になっているじゃあないですか。
ラッキー!! 3月より4月が狙い目とは知りませんでした。こりゃあ行くっきゃないねと、その場で羽田⇔広島便をポチッとクリックして押さえました。いつものように、メインの行き先だけ決めて、宿を押さえて、心ウキウキ、まことにアバウトな旅の始まりです。
4月3日 羽田空港→広島空港→広島市
4月4日 広島市→岩国→広島市
4月5日 広島市→宮島→広島市
4月6日★ 広島市→竹原→広島市
4月7日 広島市→西条(東広島市)→広島空港→羽田空港
西方寺普明閣からの景色を楽しみ、本堂の欄間を眺めてから、寺の石段を下りていきます。目の前に最近の事らしい火事現場がまだ手付かずのまま放置されています。見たくないのに、目に入って来てしまう。ああ、困った!
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JALグループ
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痛ましい火事現場を見ないように首を右に向けて、逃げるように本通りに戻ります。今気が付いたけれど、周りの景色とまるで合わないヤシの木が屋根の向こうにひょっこり首を覗かせているのが可笑しいねえ・・・
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本通りに戻ったところにあったのは、大正時代から醤油醸造業を営む「ほり川」の醤油蔵です。市内の酒蔵から仕入れた酒粕を生地に入れたお好み焼きが食べられるんですって。アニメ「たまゆら」の主人公の高校生たちが通ったお店でもあるらしいです。
でも昨日に続き2連荘になるので、流石に今日はお好み焼き遠慮しておきましょう。
この蔵は築200年を超えるようですよ。 -
「ほり川」のお隣は、これまた立派な構えの「吉井邸」。1690年(元禄4年)に建てられた竹原に現存する最古の建築です。江戸時代は広島藩の本陣だったそうですよ。
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典型的な塗屋造りが見て取れます。屋根の瓦は、私今まで「丸瓦」だと思ってそう書いていたのですが、「棒瓦」だそうです。や、やばい・・・
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3枚目ですぞ! 撮り過ぎ!!!・・・
お庭の松も重要なパーツ。個人的にはこちらからのアングルが最も美しいと感じました。吉井邸は公開していないので、見学は外観だけです。 -
吉井邸の向かいには、古色蒼然とした中にも味がある「上吉井邸」が建っています。もしかして、吉井さんと上吉井さんは縁戚関係かしら?
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この「上吉井邸」は、竹原の初代郵便局だったそうで、玄関前には郵便ポストならぬ「書状集箱」が立っていました。
1871年(明治4丁目年)郵便事業開始当時と同じ型で、今も立派な現役です。投函するのは勇気がいるけれど、ちゃんと配達してくれますよ。
特定郵便局というものは、郵便事業開始当初の明治初期に、公費で迅速に津々浦々に郵便局を設置することは財政的に困難だったため、地域の名士や大地主に土地と建物を無償で提供させ、郵便事業を委託する形で設置したもので、いかにもお上のやりそうなことが始まりだったようです。 -
竹原の町並み保存センターの隣は、「旧佐倉邸」と言う看板がかかっていました。ここもお雛様を展示することがあるようですが、この時はなんの表示もなかったから素通りでした。
地元のおじいちゃまがくつろいでおいでです。 -
更に本通りを行くと、またまた粋なおじいちゃまがお立ちの黒光りしたお宅がありました。現在は竹で作った手づくり楽器や竹細工製品などを扱っている「竹楽」と言うお店になっている「旧村上邸」です。江戸末期の文政から安政時代にかけて、町年寄りであった菅超右衛門の家と伝えられています。後に呉服業を営む村上呉服店となりました。
お店の前に「この家の特徴は屋根が三段である」と言う説明文がありましたが、えー? 一体どこが~? ここからだと二段までしか見えませんね。 -
しぼりたて酒粕販売中。ニッカウヰスキーの生みの親 竹鶴政孝の実家 竹鶴酒造の酒粕もありましたよ。
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竹鶴酒造の話が出たところで、途中の「憧憬の広場」に竹鶴夫妻の像があると言うのでお邪魔します。
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2014年秋から2015年春にかけて放映されたNHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」で一躍有名になった、竹鶴酒造の跡取り息子竹鶴政孝とスコットランド人の妻リタの像です。劇中では、亀山酒造の亀山政春と妻エリーという名前でした。
テレビの印象とは異なり、お二人ともとても地味なイメージでした。 -
よい
ウヰスキーづくりに
トリックはない
物事を極めた人が言うセリフかしら? どんな事に取り組む場合にも共通する重みのある言葉です。 -
完全な和の世界を破る建物が突如現れましたよ。竹原市歴史民俗資料館になっているこちらの建物は、1910年(明治43年)に建てられた洋風木造建築で、江戸時代には医者で儒学者の塩谷道碩(しおのやどうせき)の自宅兼学問所だったところです。
入場しませんでしたが、竹原の産業(塩業、海運業、酒造業)の歴史と資料が展示されています。 -
塩谷の没後は頼山陽の父に当たる頼春水、叔父にあたる春風らがここに町の学問所「竹原書院」を開設。この竹原書院は1910年に新しい建物で社団法人として再発足しましたが、昭和の初めからは竹原図書館という名称になっていました。
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こちらは、歴史民俗資料館前のお宅です。2階の格子窓が3つ、1階の引き違い戸が3つ。長屋になっているのかしら? 勝手に想像を膨らませます。
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歴史民俗資料館のお隣の土蔵は「まちなみたけ工房」になっていると地図には書いてあったけれど、開いていませんね。
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それよりも唐突に出現した、この「地割跡」って何でしょう?
「地割」とは一般的には土地の割り当てと言う意味ですが、跡が残っているのかしら? と思い、よーく見てみると、今は水が流れていないけれど、元々ここは小さな水路だったようです。水路で区切っていたという意味なのでしょうね。
看板を立てたからには、もう少し説明が欲しかったですねえ。 -
あっ 2つめの土蔵が開いていましたよ。まちなみ竹工房と書かれています。中には竹細工を制作される方が数名いらして、実際に制作している現場を見学したり、出来上がった作品を眺めたり、購入したりすることが出来ます。
時間があれば、自ら竹細工の体験もできそうでした。 -
竹原らしい竹人形のお雛様です。満面の笑みがいいですね!
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竹工房横にあった路地を覗き込みます。
理想的な路地ですねえ。真ん中に水路。これが正真正銘「地割」跡ではないのかしら? -
再び横丁に逸れたい気分なので、その前に歩いてきた本通りを振り返りましょう。
ゆる~く左にカーブして旧笠井邸まで続いている本通り。距離にして400m位でしょうか。その間に下市、中町、上市と町が区分けされています。高い建物が全くなくて、空が大きい! -
竹原まちなみ竹工房脇の横道を、もう一つの「お抱え地蔵」目指して上っていきます。この辺りは長生寺、西方寺のある高台から続く丘陵が家々のすぐ裏まで迫っています。
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赤い幟を追って行くと、ありましたよ。お抱え地蔵。
静かに持ち上げてお願い事をして下さい。きっとあなたに幸運が来ます。
と言うありがたいお言葉に甘えて、頑張ってみました。何をお願いしたかって? そりゃあ、「いつまでも元気で旅が出来ますように」に決まっているでしょ!
さっき調べてみたら、お地蔵さまが軽く感じられたら望みが叶うと書かれていました。
「・・・・いやーん!・・・重かった!」 -
1枚上の写真のお堂と90度の角度で、もう少し大きなお堂があって、その中にも石のお地蔵様(二人彫)がありましたが、こちらもお抱え地蔵なのかしら? 説明がないのでこちらのお地蔵様は「お抱え」しなかったけれど、良かったんですよね。
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本通りに戻ると、この道がもうじき突き当たることに気が付きました。竹原を歩き始めてすぐにあったのが、下市の地蔵堂。そして、この突き当りにあるお堂が上市の胡(えびす)堂。ともに、町の守り神のような存在なんです。
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胡堂に向かって右側は、頼山陽の祖父に当たる頼惟清(らいただすが)の旧宅です。惟清は紺屋(こうや)を営む町人でしたが、和歌をたしなむ文人でもありました。三人の息子 春水、春風、杏坪は皆優秀で、広島藩の儒官、医者として活躍しました。
惟清旧宅は公開されていました。早速中へ。 -
惟清は規模の小さな紺屋の主で、町の役職にもついていない商人。自身も大層頭の良い努力家だったのでしょうが、生まれつき素質がある学問好きの3人の男の子に恵まれるとは、なんてラッキーなんでしょう!
子供を学者にしたい、富士山を見たい、家を新築したいという彼の生涯の願いは、息子たちによってすべて実現することになります。正に子宝! もしかしてお抱え地蔵にお参りしたのかな? 軽く感じられたのかな?
入ると直ぐに大きな土間。向かって左側に・・・ -
紺屋店に使用していた8畳間、その奥にも2つ座敷が続いていました。
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土間の右側には落ち着いた雰囲気の二間続きの座敷。これを離れと呼ぶのかしら? 山陽は父に連れられて何度もこの祖父の家を訪れたそうです。
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庭にあった、頼山陽45歳の時に作った詩碑です。漢文読めませんので、説明書きにあった訳を載せておきますね。
この吾が家は、昔、読書をしたところだが、その書斎より裏庭を見れば、山の色は昔に変わらず、みどり色にはえている。
京に出てすっかり都の塵で心身とも染まってしまい大変恥ずかしいが、こうして帰ってきて山に向かえば、昔のままなる山の景なり。
この故郷に帰ってきた時の思いと言うのは世の東西を問わず、共通のものがありますね。山陽は脱藩しておとがめを受けたり、色々好き勝手をやらかした人ですが、45歳と言えば、丁度「日本外史」が完成した年です。一仕事終えた後で竹原に帰ってきたのかなあ・・・ -
裏庭から見た、頼惟清邸の母屋の建物です。
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本通りの端にある胡堂までやって参りました。道は突き当りではなく、左にクランクして続いていました。
胡堂については、どこかのサイトに映画「時をかける少女」でもおなじみのスポットと書かれていましたが、あの映画の舞台は尾道ではなかった? と思い調べてみたら、竹原でも撮影が行われたんですね。
もう殆ど忘却の彼方ですが(最初に作られた原田知世主演の映画は1983年=昭和56年公開!)、映画の中で、地震で屋根から瓦が落ちて来たお堂が、この胡堂だったんですって! -
胡堂脇にあった大きな井戸には、「照蓮寺酒造用井戸」と書かれていました。六角形の井戸には1683年(天保3年)と言う銘が残されていました。
竹原を潤した産業の一つ酒造業に代々使われてきた井戸で、江戸時代、竹原には15軒もの醸造元があったそうです。 -
井戸の名前にもついていた照蓮寺へと続く石段を上ります。戦国時代、木村城の主だった小早川氏の帰依が厚かった寺で、代々子弟の学問所として使われてきました。その頃は曹洞宗でしたが、後に浄土真宗に宗旨替えしています。
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今上って来た石段は表参道ではなかったらしく、本堂へは斜め右側からのアプローチでした。ここでも春爛漫を感じさせる景色に出会いましたよ。
色の異なる桜に挟まれた本堂は大きくて立派です。白さが際立つ障子がずらり! 全部で何枚あるんでしょう? 本堂の右端には親鸞聖人像が立っていました。 -
本堂の背後に、先ほど訪れた長生寺の門に似た鐘楼門がありました。こちらを通るのが表参道だったようです。
この寺には、国の重要文化財で、小早川隆景が寄進したと伝わる高麗渡来の銅鐘があったのですが、どこにあるのかわからずじまいでした。尋ねようにも、誰もいないんだもの(言い訳です)。高麗第4代光宗「伐昭大王」の名が銘文にあり、日本に伝来した紀年銘のある高麗鐘としては3番目に古いものだそう。
このお寺頼一族の菩提寺だそうですが、墓地も見逃したなあ・・・ -
帰りは、この鐘楼門から退出します。表側から見た鐘楼門もどっしりとした構えで風格を感じました。桜が何よりの装飾。いかめしさをだいぶ和らげてくれていました。
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さあ、竹原の町並みをもう少し散策しましょう。今度は本通りの1本西側の道を行こうかな・・・
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本通りを一歩外れると、外壁が痛んだ建物が目立つようになりました。こちらは3階建ての古い倉庫。とても味があるんだけれど、縦張り板がだいぶ剥がれてしまっています。
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メンテナンスするにも取り壊すにも費用が掛かりますからね。まだ現役ならば良いのですが、使われなくなると建物はあっという間に脆くなってしまいます。
でも真新しいものより私はこういう鄙びた建物が好き。 -
裏通りの風景は少々寂しいものがありました。手入れしないで大丈夫かなあと余計な心配をしてしまいました。
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なだらかな丘の斜面に満開の桜。ほっとする瞬間です。
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次に現れたのは、最近真っ白にお化粧直しされたらしい美しい酒蔵です。藤井酒造は創業150年の純米蔵。
塩分が多くて稲作には不向きだったと書いた竹原ですが、なんと豊富な地下水が湧いていて、酒造りにはぴったりの柔らかいお水なのだそう。今でも竹原市の水道はこの地下水を使っていると聞きました。 -
酒造業は150年ですが、この蔵は築250年と言うから驚きです。「酒蔵交流館」として蔵を一部公開していて、お酒の他、土産品も売っていました。「 たにざき」というお蕎麦屋さんもありましたよ。
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ビックリするほど大きな桶が天井からぶら下がっていました。
漆器類が並べてあるコーナーで、鍋用の小さなお玉をお買い上げ! ここではよそではないものが見つかりますよ! -
更に道を進むと、なまこ壁のある土蔵が見えてきました。看板には「光本邸・今井政之陶芸の館」と書かれていました。今井政之氏は、竹原育ちで、日本陶芸界の重鎮、象嵌技法の第一人者だそうです。
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この土蔵の中が陶芸館ですが、ちょっと入って行きにくい雰囲気。靴を脱ぐの嫌なんですよね。私。今井家は3代続く陶芸家で、2階には先ほど見た竹鶴政孝&リタ夫妻の彫像の制作者で子息の今井眞正(まきまさ)氏の作品も展示されていたと知ったのは、帰京してからでした。
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イチオシ
周りの蔵を眺めることができるこの板塀に囲まれたお庭がとても気に入ったので一休み。塀の外にある色の変わった蔵の壁を飽かず眺めます。
左側のお宅は、頼山陽の研究者であった光本半次郎(鳳伏)氏の旧邸宅。現在は竹原市の所有となっています。 -
光本邸を出て、次の角を曲がるまで、ずっとこの板塀が続きます。本通りが商店街なら、こちらの通りは住宅街。落ち着きと気品が感じられます。
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塀の板の色。雨に濡れてグラデーションになった辺りが最高です。
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ドキドキしながら角を曲がると・・・
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板塀はなおも続いていました。素敵!
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このまま真っ直ぐに進めば、頼山陽の叔父で安芸藩の儒医だった頼春風の屋敷、「春風館」の前に出たのですが、実はまた右に曲がっちゃったんです(汗)!
後で調べてみたら、春風館の見学は不可と書いてあったのでほっと胸をなでおろしました。春風館の手前には春風の養子で、製塩業と酒造業を営んでいた小園が建てた裏座敷、納戸蔵、米蔵などがある「復古館」が並んでいて、相当広い敷地を頼一族が占領していました。
旧光本邸の庭から眺めて、良い雰囲気だなと感じた塀の向こうの土倉群が春風館・復古館だったんですねえ。 -
さて、右に曲がってしまった私めは本通りに戻らないままふーらふら。
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こんなイタリアンレストラン「笛吹亭」イル・トラゲットを見つけたりしてご満悦です。
楽しいですね! 出格子とずらっと並んだワインボトルのコラボレーション! 内部のインテリアはどうな雰囲気かしら? 伝統家屋で食べるイタリアンのお味はいかに?… -
金土日だけオープンしているギャラリー夢工房は五月人形を展示中。
同じ町で雛人形展と五月人形展が同時に開催中って普通あり得ないんですけれど・・・ -
思いがけない意匠の格子戸を見つけてにんまりもしましたよ。
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亀田邸は、シンプルな格子と犬矢来 (いぬやらい)の連続が見事でした。江戸時代末期の1856年(安政3年)建造で、数寄屋風建築と呼ぶそうです。
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次に町並み保存地区を流れる本川を越えます。
あっ 左側に三重の屋根を持つ民家発見! 非常に複雑な屋根ですねえ。 -
やってきたのは、殿様の屋敷と見まがうような豪邸。元竹原町長だった森川邸です。浜だんな(浜主)だった森川家が、大正の初期に、江戸末期から明治初期にかけて建てた町屋をこちらに移築し、更に玄関、座敷、及び台所を増築したお屋敷なんですって。市の重要文化財に指定されていました。
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ここは有料施設でした。こちらの玄関から中に入ります。
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例によって撮りたいものだけ撮っています。玄関から続く3間続きの座敷です。早速目に留まりましたよ。
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これです。
どうも欄間や障子欄間などに目がないようです。自分でもよく分かっていないのですが、後で写真を整理すると、この類がとても多いのに気が付きます。 -
ただただ美しいと思うだけで、解説なんておこがましい。
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光と影が織りなす美の世界にうっとりです。
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完璧です。
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とはいえ、ここを非日常の空間としか捉えていないようで、実際にここに暮らすとしたら、自分はさぞかし落ち着かないだろうと感じました。
この写真も、きちんと座ったら見えるであろう景色を見逃していますね。 -
欄間はあまり綺麗に撮れなかったので1枚だけ。
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大正初期に増築した部分はこちらの台所でしょうか?
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土間はとても新しいもののように感じました。
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森川家の家業だった製塩業の資料や道具が展示されていました。竹原市の塩田は地形的に災害を受けやすい場所にあったというのもあり、1959年(昭和34年)には国の政策によってすべて廃止されたとのことでした。
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森川邸ではどこもかしこも、手入れが行き届いていましたが、特にお庭は必見だと思いました。
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少し遅れて建てられた離れ座敷との間の庭です。
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反対に、離れ座敷から見た母屋との間の庭です。見る方向で雰囲気ががらりと変わります。
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庭のどこでも飛び石がアクセントになっていましたが、この狭い中庭では特に重要なパーツを演じていました。
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庭にあった茶室は巡らなかったけれど、小堀遠州の流れを引く茶人、不二庵(ふじあん)の設計だそうです。
森川邸 町並み保存地区から少し離れているけれど、腕の良い職人が質の良い材木をふんだんに使って建てた豪邸で一見の価値ありでした。竹原にいらしたら、お忘れなく。 -
本川べりまで戻ると、この方が待ち構えていましたよ。竹原が生んだ歴史・思想家 なのかと思ったら、頼山陽自身は母の故郷の大阪生まれ、広島市(頼山陽史跡資料館のある場所)育ちで、竹原は父、叔父、祖父の出身地ということだったんですね。
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仕官を嫌い、自身の信念に基づいて初志貫徹の精神を貫いた人だったようです。45歳の時22巻からなる「日本外史」を完成させ、時の老中松平定信に献上、高い評価を受けました。
彼のもう一つの著名な書物「日本政記」と共に、明治維新に多大な影響を与えたと言われています。 -
見逃した箇所があるので、再度本通りに戻ります。旧笠井邸からすぐに地蔵堂方面に右折して、西方寺の石段を下りて来たので、その間の本通りの町並みがまだだったのです。
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三連の屋根が続く堂々とした造りの商家は、ニッカウヰスキーの生みの親竹鶴政孝氏の生家「竹鶴酒造」です。
「マッサン」放映後、沢山の観光客が押し寄せ、業務に支障をきたしたそうで、店舗は非公開でした。今も現役の酒造メーカー。本来の事業に勤しんでいただくことが何よりだと思います。 -
壁に貼られた新聞のみが、ここがニッカの故郷だよと伝えています。広島酒改良の機運の中でウヰスキーが育ったんですね。
政孝が苦労して建てた北海道余市のウヰスキー工場。ウヰスキーは製造後最低5年は熟成を待たねばならず出荷できないため、その間リンゴジュースを製造販売して利益を得ていたそうです。で、その時の会社名が「大日本果汁株式会社」。その後ウヰスキー販売に当たり、「日」と「果」をとって「ニッカ」としたという話、初めて知りました。 -
もう1枚。こちらは竹原市観光協会のポスターでした。
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小粋に花が飾られていて、テレビのアンテナさえ見えなければ100年以上過去にスリップしたようなたたずまいです。
小笹屋の屋号で江戸中期より製塩業を営んできましたが、1733年(享保18年)、酒造りを開始。現在も、酒造りの根本に立ち返り、自然の恵みを生かすことをモットーとした酒造りを行っています。 -
長~~い竹鶴酒造の建物。パノラマでないと1枚では無理!
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竹鶴酒造の斜め前に建つ「松阪邸」に入ってみましょう。入場料200円。鶯色の漆喰、「塗込めの窓額つき菱格子」等が特徴的です。
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江戸から昭和まで続いた浜だんなの屋敷で、文政年間(1818年~1831年)の建築。現在は市が管理しています。引き違い戸の格子にまたまた見とれてしまいました。
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座敷は写さずに屋敷裏へ。格子のある建具中心に写しています。
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この出格子も素敵!
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松阪邸においては、余りきちんと写っていませんが、凸凹の滑らかな反転曲面をもつ「てりむくり」屋根も特徴の一つ。「てり」とは 反っていること、「むくり」とはふくれていることで、この「てり」と「むくり」が連続している屋根は、通常、神社仏閣の軒先に多く見られます。
手前は、そのお隣の「岩本邸」に二つ並んだ縦格子入り窓と、 -
千鳥が波間を飛び交う意匠の入った出格子。こだわりを感じますねえ・・・
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竹鶴邸のお隣の「磯辺邸」。元磯辺旅館で、「時をかける少女」ロケ隊が宿泊した宿だそうですよ。
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この美しい町並みが今後とも「保存」されるだけでなく、日々の営みを続けていけるよう、願わずにいられませんでした。
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さ、そろそろタイムスリップした世界からお暇しましょう。最後は、初めの方に登場の「竹原市歴史民俗資料館」の建物と共に異彩を放つこちらの洋風建築。「妙見邸」と言う名前です。いくら調べてもこの建物については詳細が分かりませんでしたが、竣工は昭和初期で木造だそうです。竹原の町並みとはまるで合わない建築だし、普通の民家にはあまり見えないので、何らかのエピソードが残ってそうなものですけれどね。
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道の駅たけはら~たけはら海の駅を往復する無料シャトルバスに乗って、竹原港にやって参りました。海の駅とは、フェリーターミナルを兼ねたレストハウスで、食と文化の新スペースとのキャッチフレーズ。竹原の海の玄関口になっています。
建物の写真がないのですが、広島に戻る高速バスの終点がここなので、帰る前に瀬戸内海を見て帰ろうと思ったのです。 -
観光客に人気のあるうさぎ島として知られる大久野島へは、忠海港からのフェリーを利用するので、ここ竹原港からのフェリーは、目の前に浮かぶ大崎上島(垂水、白水)へ行く便が殆ど。1日に数便、大崎上島を経由して大崎下島の大長港(広島県呉市)への高速船が出ています。
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フェリーを見ているうちに乗りたくなってしまいました。現在時刻は15時20分。帰りのバスは17時発。島をうろつく時間はないけれど、行って帰って来る時間はある。
瀬戸内航路の雰囲気だけでも味わおうかしら。 -
船の名前は「きさおおすいな」?
いやいや、「ないすおおさき」でしょう。きっと。これは私の乗ったフェリーではなく、白水行きだったような記憶。この船を見て乗ってみたくなったのは確かです。 -
実はこんな切符を見つけてしまったのです。
のっとこクルーズ ワンコイン500円。乗ったまんまで下船せずに往復クルージングが出来るんです。まあ、通常運賃も往復で670円なので、散策する時間があるなら、迷わずそちらを買うところでした。往復の所要時間は1時間。帰りのバスに悠々間に合います。 -
と言うわけで、15時25分発の大崎上島垂水行きにいそいそと乗り込む私。
目の前に浮かぶ島は生野島。目指す大崎上島は、この島の裏側にあります。
生野島の人口は2010年現在26名。ウィキペディアによると、島の産業はミカン栽培。1980年代、リゾート開発が行われましたが、バブル崩壊により閉鎖というやりきれない歴史があります。島内に桜並木が見えます。どなたかが植えたのでしょうね。 -
目を見張ったのは、この生野島のすぐ東側にあるこちらの島です。
ええっ 軍艦島? -
イチオシ
望遠でとらえると、こんな島でした。島丸ごと何かの工場のようです。
大崎上島に向かう二人組のお兄さんに尋ねたところ、東邦亜鉛と言う会社の精錬所で、日本にある鉛の半分はこの島で精錬されていると教えてくれました。名前を契島(ちぎりじま)と言います。 -
こちらは、帰り際に撮った1枚。島中央にそびえる鉄塔がマストに見えて、本当に軍艦みたいです。事務所や社宅もあるとのことですが、関係者以外は上陸できないそうです。そりゃそうだよね。鉛は毒だし。
しかし、こんな島があることを知っただけでも、乗った甲斐があったというものです。 -
そうこうしているうちに生野島がだいぶ近づいて来ました。桜並木がはっきり見えています。生野島の東野自然休養村には桜が約600本もあると聞きました。
フェリーは生野島とその背後にある大崎上島の間に入って行きます。 -
右手に生野島を見ながら、フェリーは狭い海を垂水へと進みます。大崎上島は瀬戸内海で7番目に大きな島。島の産業はブルーベリーに柑橘類の生産で、特にレモンの栽培が盛んだそうです。人口は7800人いるそうですから、生野島とは比べ物になりませんね。竹原とのフェリーは1日27往復。結構な便数あるでしょう?
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垂水港は島の東端近くに位置していました。
船が着いたぞ~!!! ここまで竹原から30分。 -
次々と車が出ていく中、私だけ降りません。
一人船中に取り残されてなんだか変な気持ち。 -
小さな丸っこい島は大崎上島と橋でつながっています、右手に見えるのは生野島。その先には船島という島も見えています。
鏡のように滑らかな瀬戸内海と春霞の空です。 -
フェリーは折り返し垂水から車と人を積んで竹原に引き返します。
港を出て間もなく、竹原方面を撮った1枚。2本の鉄塔は安芸長浜駅にほど近い竹原火力発電所のものです。 -
どうも、生野島のことが気になるなあ・・・
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島にこんなに沢山の東屋があるのを発見。辺りは桜が咲き誇っています。リゾート開発時に作られたものがそのままになっているのかしら? リゾートの廃墟は物悲しいねえ・・・
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人口わずか25人の島に咲くピンクの花は、春の神様からのプレゼント。まるで島にリボンをかけているように見えました。あの桜並木を歩いてみたい気分。
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他にも色々見つけましたよ。
こちらは、町並み保存地区の長生寺や西方寺普明閣から見た景色にもあった、三井金属 竹原製煉所の紅白の煙突です。 -
その手前にあったおっぱいのような2つの小山は的場公園かなあ・・・
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鉄塔が立ち並ぶ島が沢山あったのは意外でした。中でも島全体が工場になっている広島版軍艦島には吃驚!!!
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瀬戸内の多島美も満喫できました。島を少しでも歩けたら、もっと良かったんだけれどね。贅沢は言いません。
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春の海ひねもすのたりのたりかな・・・
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山田洋次監督の「東京家族」は2013年(平成25年)公開の映画で、大崎上島が舞台だそうですが、ご存知でしたか? 橋爪功と吉行和子が島に住む夫婦の役。実は小津安二郎の「東京物語」のリメイクなんですって。
船内にポスターが貼ってありました。ここんとこ何年かは、飛行機に乗った時しか映画を見ていないなあ・・・ -
フェリーはあっという間に竹原港に戻って来て・・・
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またあっという間に島目指して出港していきました。よく見たら、船体は「たまゆら」デザインでした。
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まだ少し時間があるので、海外沿いをお散歩。入り江の向こうには的場公園。海側から見た時はおっぱい型だったのに、こちらからはえぐれていました(汗)!
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ちょっとせわしなかったけれど、海が見れて、島が見れて良かった良かった。
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さあ、帰りのバスがやってきましたよ。さようなら竹原。次回は生野島行くからね。
と言うことで、この続きは「サクラ満開 春爛漫の山陽路 その8 広島市・東広島市(西条)」最終回でね。
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