宮島・厳島神社旅行記(ブログ) 一覧に戻る
広島県には足を踏み入れたことがありますが、広島市と宮島のある廿日市には長年行きたい願望があったものの、チャンスはなかなか訪れませんでした。暫くの間LCCに浮気していたら、ある日JALさまからお便りが。あらあら!「マイルの有効期限が2月末で切れます」ですって。チャンス到来かしら? ディスカウントマイルなら、なんとか国内往復できる程度のわずかばかりのマイルしかないのだけれど。<br /><br />2月中に席を押さえて、3月にすわ広島!と思ったのですが、3月は航空会社にとって稼ぎ時らしくて、まさかのディスカウントマイルの対象外。だったら4月は? 無理よね? と見てみたら、ばっちり対象月になっているじゃあないですか。<br /><br />ラッキー!! 3月より4月が狙い目とは知りませんでした。こりゃあ行くっきゃないねと、その場で羽田⇔広島便をポチッとクリックして押さえました。いつものように、メインの行き先だけ決めて、宿を押さえて、心ウキウキ、まことにアバウトな旅の始まりです。<br /><br />4月3日  羽田空港→広島空港→広島市<br />4月4日  広島市→岩国→広島市<br />4月5日★ 広島市→宮島→広島市<br />4月6日  広島市→竹原→広島市<br />4月7日  広島市→西条(東広島市)→広島空港→羽田空港<br /><br />今日予定を入れておいたのは厳島神社のみ。後は現地で考えてというアバウトなプランだったので、お馴染みの放浪が始まりましたよ。何と出くわすか分からない、行き当たりばったりな旅が続きます。

サクラ満開 春爛漫の山陽路 その5 宮島(後半)

44いいね!

2016/04/05 - 2016/04/05

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junemay

junemayさん

広島県には足を踏み入れたことがありますが、広島市と宮島のある廿日市には長年行きたい願望があったものの、チャンスはなかなか訪れませんでした。暫くの間LCCに浮気していたら、ある日JALさまからお便りが。あらあら!「マイルの有効期限が2月末で切れます」ですって。チャンス到来かしら? ディスカウントマイルなら、なんとか国内往復できる程度のわずかばかりのマイルしかないのだけれど。

2月中に席を押さえて、3月にすわ広島!と思ったのですが、3月は航空会社にとって稼ぎ時らしくて、まさかのディスカウントマイルの対象外。だったら4月は? 無理よね? と見てみたら、ばっちり対象月になっているじゃあないですか。

ラッキー!! 3月より4月が狙い目とは知りませんでした。こりゃあ行くっきゃないねと、その場で羽田⇔広島便をポチッとクリックして押さえました。いつものように、メインの行き先だけ決めて、宿を押さえて、心ウキウキ、まことにアバウトな旅の始まりです。

4月3日  羽田空港→広島空港→広島市
4月4日  広島市→岩国→広島市
4月5日★ 広島市→宮島→広島市
4月6日  広島市→竹原→広島市
4月7日  広島市→西条(東広島市)→広島空港→羽田空港

今日予定を入れておいたのは厳島神社のみ。後は現地で考えてというアバウトなプランだったので、お馴染みの放浪が始まりましたよ。何と出くわすか分からない、行き当たりばったりな旅が続きます。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
JALグループ
旅行の手配内容
個別手配
  • 山の中の一本道のような寂しいあせび歩道を歩いていくと、やがて見えてきたのは、<br /><br />えっ こんなに人がいるの?<br /><br />と思わず目を見張った大聖院本坊の山門です。あせび歩道を歩き始めてからだれにも会わなかったのに、一体どこからやって来たのかしら? 別の道があったんですね。

    山の中の一本道のような寂しいあせび歩道を歩いていくと、やがて見えてきたのは、

    えっ こんなに人がいるの?

    と思わず目を見張った大聖院本坊の山門です。あせび歩道を歩き始めてからだれにも会わなかったのに、一体どこからやって来たのかしら? 別の道があったんですね。

  • 正式名は多喜山水精寺大聖院は真言宗御室派の大本山で、なんと今見て来た大願寺よりも起源が古く、寺によれば、あの「空海」が弥山で修行を行い、開基したのがなんと806年だそうですよ。<br /><br />真言密教は元々神仏習合しやすい呪術的要素があるため、寺は古くは鳥羽天皇の祈願道場として、また厳島神社の別当寺として祭祀を司って来ました。

    正式名は多喜山水精寺大聖院は真言宗御室派の大本山で、なんと今見て来た大願寺よりも起源が古く、寺によれば、あの「空海」が弥山で修行を行い、開基したのがなんと806年だそうですよ。

    真言密教は元々神仏習合しやすい呪術的要素があるため、寺は古くは鳥羽天皇の祈願道場として、また厳島神社の別当寺として祭祀を司って来ました。

  • 大聖院の観音堂です。中国観音第14番霊場という札が掛かっていることからもわかるように、本尊は観音。中には十一面観世音菩薩が安置されています。<br /><br />寺の説明書きでは行基作とされていましたが、大願寺にあった行基作と伝わる釈迦如来坐像等は国の重要文化財だったのに、こちらの観音様は県重文でした。<br /><br />でもねえ、行基って奈良時代の人ですよね。お寺が出来る前から仏像だけ作られていたってこと???

    大聖院の観音堂です。中国観音第14番霊場という札が掛かっていることからもわかるように、本尊は観音。中には十一面観世音菩薩が安置されています。

    寺の説明書きでは行基作とされていましたが、大願寺にあった行基作と伝わる釈迦如来坐像等は国の重要文化財だったのに、こちらの観音様は県重文でした。

    でもねえ、行基って奈良時代の人ですよね。お寺が出来る前から仏像だけ作られていたってこと???

  • 正面の欄間にある龍の透かし彫りが見事でした!<br /><br />複雑に入り組む 斗栱(ときょう)・組物を見ていると、時間が経つのを忘れます。どういう順番で組み立てるんでしょうね。

    正面の欄間にある龍の透かし彫りが見事でした!

    複雑に入り組む 斗栱(ときょう)・組物を見ていると、時間が経つのを忘れます。どういう順番で組み立てるんでしょうね。

  • 観音堂にお邪魔すると、目に飛び込んできたのは、眩いばかりの黄金の弥勒菩薩と、その前に置かれた砂曼荼羅。中国雲南省や四川省のチベット寺院で見て以来、久々の再会となりましたが、大変鮮やかで美しい色合いのものでした。吸い込まれるような青です。<br /><br />弥勒菩薩は弥山開創1200年記念事業の一環として2006年(平成18年)に安置されたものだそうです。こちらの菩薩はおでこが妙に広いところが、気に入りませんでした。誰も尋ねていないけれど・・・

    観音堂にお邪魔すると、目に飛び込んできたのは、眩いばかりの黄金の弥勒菩薩と、その前に置かれた砂曼荼羅。中国雲南省や四川省のチベット寺院で見て以来、久々の再会となりましたが、大変鮮やかで美しい色合いのものでした。吸い込まれるような青です。

    弥勒菩薩は弥山開創1200年記念事業の一環として2006年(平成18年)に安置されたものだそうです。こちらの菩薩はおでこが妙に広いところが、気に入りませんでした。誰も尋ねていないけれど・・・

  • 砂曼荼羅はもう一つあって、大きなショーウインドウの中に展示されていました。チベット仏教では確か、砂曼荼羅を描き上げた後、壊して川に流すことで教えが広まる、そのプロセスが肝心だと聞いたのですが、このままにしておいて良いのかしら?<br /><br />このお寺チベット仏教と結びつきが強く、弥勒菩薩が造られた2006年にはダライ・ラマ14世も訪れているんですって。

    砂曼荼羅はもう一つあって、大きなショーウインドウの中に展示されていました。チベット仏教では確か、砂曼荼羅を描き上げた後、壊して川に流すことで教えが広まる、そのプロセスが肝心だと聞いたのですが、このままにしておいて良いのかしら?

    このお寺チベット仏教と結びつきが強く、弥勒菩薩が造られた2006年にはダライ・ラマ14世も訪れているんですって。

  • こちらの絵は、明治天皇が1885年(明治18年)に宮島を訪問され、大聖院に一泊された時の行進の様子でしょうか? 大聖院への坂道が、お付きの方々でびっしりと埋まっています。明治18年の行幸は、明治天皇の六大行幸の一つに数え上げられていて、山口、広島、岡山を巡行されたとのことですよ。

    こちらの絵は、明治天皇が1885年(明治18年)に宮島を訪問され、大聖院に一泊された時の行進の様子でしょうか? 大聖院への坂道が、お付きの方々でびっしりと埋まっています。明治18年の行幸は、明治天皇の六大行幸の一つに数え上げられていて、山口、広島、岡山を巡行されたとのことですよ。

  • そして本尊の十一面観音菩薩像とご対面です。前述したように、行基の作だとしたら奈良時代まで遡ることになってしまいますが、実際には鎌倉から室町時代に作られたものではないかと言われています。<br /><br />堂内にあまりに物が多くて、雑然としているので、一人静かに仏と対面するという雰囲気ではありませんでしたが、上品なお顔の優しい観音様でした。本尊を拝むことが出来ない寺が多い中で、こうして一般に公開して下さっていることに何よりも感謝です。

    そして本尊の十一面観音菩薩像とご対面です。前述したように、行基の作だとしたら奈良時代まで遡ることになってしまいますが、実際には鎌倉から室町時代に作られたものではないかと言われています。

    堂内にあまりに物が多くて、雑然としているので、一人静かに仏と対面するという雰囲気ではありませんでしたが、上品なお顔の優しい観音様でした。本尊を拝むことが出来ない寺が多い中で、こうして一般に公開して下さっていることに何よりも感謝です。

  • 観音堂の天井がまた豪華でした。全部で184人の方から奉納された天井画で、花鳥風月が描かれています。この天井画は2010年に営まれた第1回花法要の際に一般公開されたものだそうです。<br /><br />欄間の透かし彫りが、表から見えたものに続き、室内のものも素晴らしいですね。

    観音堂の天井がまた豪華でした。全部で184人の方から奉納された天井画で、花鳥風月が描かれています。この天井画は2010年に営まれた第1回花法要の際に一般公開されたものだそうです。

    欄間の透かし彫りが、表から見えたものに続き、室内のものも素晴らしいですね。

  • 天井画はこれで半分の92枚です。あっ 正しくは「天井絵」でしたね。

    天井画はこれで半分の92枚です。あっ 正しくは「天井絵」でしたね。

  • 天井画と欄間に見とれて、ふと左側を覗くと、沢山の仏像やら物やらが置かれて、まるで骨董屋さんの店先のようなコーナーが目に入りましたよ。

    天井画と欄間に見とれて、ふと左側を覗くと、沢山の仏像やら物やらが置かれて、まるで骨董屋さんの店先のようなコーナーが目に入りましたよ。

  • お寺に断捨離しろとは言えませんけれどね。これってすごくない?

    お寺に断捨離しろとは言えませんけれどね。これってすごくない?

  • 観音堂を出ると、表には妙に彫りの深いお坊さんの姿が!

    観音堂を出ると、表には妙に彫りの深いお坊さんの姿が!

  • 観音堂の外側もとても賑やかですよ。1590年(天正18年)豊臣秀吉が大聖院にて和歌会を催した図やら、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ 例のなで仏)やら、ギョロ目のだるまさんやら、戒壇巡り入口やら、これでもかという具合に物(失礼!)で溢れています。<br /><br />ある4トラベラーさんのブログを読んでいたら、なんと大天使ミカエル像まであったそうな! 私自身は見ておりませんが。<br /><br />まだまだ愉快なもの満載の、テーマパークのような寺なので、掘り出し物?探しに参りましょう。

    観音堂の外側もとても賑やかですよ。1590年(天正18年)豊臣秀吉が大聖院にて和歌会を催した図やら、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ 例のなで仏)やら、ギョロ目のだるまさんやら、戒壇巡り入口やら、これでもかという具合に物(失礼!)で溢れています。

    ある4トラベラーさんのブログを読んでいたら、なんと大天使ミカエル像まであったそうな! 私自身は見ておりませんが。

    まだまだ愉快なもの満載の、テーマパークのような寺なので、掘り出し物?探しに参りましょう。

  • 見上げると、更に高い場所に多宝塔のような建物が見えました。この建物も組物が見事です! 大日如来の化身である時眉鬼神、虚空菩薩の化身である追帳鬼神、不動明王の化身である魔羅鬼神の三鬼大権現をお祀りした魔尼殿だそうです。全く存じ上げなかった神々ですが、この鬼神、弥山の守護神なんですって。<br /><br />お庭のあちこちに小さな地蔵さんの石像も点在していますね。ワクワクしてきましたよ。

    見上げると、更に高い場所に多宝塔のような建物が見えました。この建物も組物が見事です! 大日如来の化身である時眉鬼神、虚空菩薩の化身である追帳鬼神、不動明王の化身である魔羅鬼神の三鬼大権現をお祀りした魔尼殿だそうです。全く存じ上げなかった神々ですが、この鬼神、弥山の守護神なんですって。

    お庭のあちこちに小さな地蔵さんの石像も点在していますね。ワクワクしてきましたよ。

  • 「折り鶴」を象ったモニュメント発見! 2014年(平成26年)、被爆2世彫刻家ゼロ・ヒガシダさんが、平和への願いを込めて制作した作品です。

    「折り鶴」を象ったモニュメント発見! 2014年(平成26年)、被爆2世彫刻家ゼロ・ヒガシダさんが、平和への願いを込めて制作した作品です。

  • 魔尼殿に上る階段前には、うちわを持った天狗がにらみを利かしていました。天狗は修験道の象徴のような存在。階段の中央にはずらっと並んだマニ車。これはチベット仏教ですね。魔尼殿に祀られている鬼神さん達とはどういう関係なんでしょう? このお寺、何でもありなんでしょうかねえ・・・

    魔尼殿に上る階段前には、うちわを持った天狗がにらみを利かしていました。天狗は修験道の象徴のような存在。階段の中央にはずらっと並んだマニ車。これはチベット仏教ですね。魔尼殿に祀られている鬼神さん達とはどういう関係なんでしょう? このお寺、何でもありなんでしょうかねえ・・・

  • 大聖院の本堂に当たる勅願堂は、鳥羽天皇が勅願道場として創建したという伝説が残されています。私は何故か本堂を写しておらず、この写真はその裏手にあった釈迦涅槃堂です。釈迦の背後には十六羅漢の姿がありました。<br /><br />仏の姿の32の特徴を挙げた「三十二相八十種好」によると、釈迦の螺髪は、「毛の色は体毛がすべて上に向き、右巻きで、紺青色で、柔軟」 と書かれています。「青」なんですね。この「三十二相八十種好」なかなか面白いですよ。この中に、偏平足や白毫、手足に水かきのようなものがある等の特徴が書かれているんですよ。ちなみに仏の目の色も紺青色ですって!

    大聖院の本堂に当たる勅願堂は、鳥羽天皇が勅願道場として創建したという伝説が残されています。私は何故か本堂を写しておらず、この写真はその裏手にあった釈迦涅槃堂です。釈迦の背後には十六羅漢の姿がありました。

    仏の姿の32の特徴を挙げた「三十二相八十種好」によると、釈迦の螺髪は、「毛の色は体毛がすべて上に向き、右巻きで、紺青色で、柔軟」 と書かれています。「青」なんですね。この「三十二相八十種好」なかなか面白いですよ。この中に、偏平足や白毫、手足に水かきのようなものがある等の特徴が書かれているんですよ。ちなみに仏の目の色も紺青色ですって!

  • 続いてやってきた遍照窟。<br /><br />遍照窟とは、しあわせの灯を遍く照らす洞窟という意味だそうです。

    続いてやってきた遍照窟。

    遍照窟とは、しあわせの灯を遍く照らす洞窟という意味だそうです。

  • 中には四国88箇所札所の本尊たちが安置されていました。本尊前にある四角い枠の中には、各札所の「お砂」が埋められていて、その「お砂」を踏みながらお参りすると、実際に遍路をしたことのと同じご利益が得られるとされています。<br /><br />四国88箇所札所を模した所は全国に沢山ありますが、「お砂」まで用意されているのは見かけたことがなかったように思いましたが、知らなかっただけかしら?

    中には四国88箇所札所の本尊たちが安置されていました。本尊前にある四角い枠の中には、各札所の「お砂」が埋められていて、その「お砂」を踏みながらお参りすると、実際に遍路をしたことのと同じご利益が得られるとされています。

    四国88箇所札所を模した所は全国に沢山ありますが、「お砂」まで用意されているのは見かけたことがなかったように思いましたが、知らなかっただけかしら?

  • さて、今度はシャクナゲが今や盛りのお庭を散策することにしましょう。

    さて、今度はシャクナゲが今や盛りのお庭を散策することにしましょう。

  • 傾斜地を巧みに利用している庭園です。苔むした沢山の石とシャクナゲが妙にマッチしています。

    傾斜地を巧みに利用している庭園です。苔むした沢山の石とシャクナゲが妙にマッチしています。

  • 大聖院の勅願堂の裏手に見えてきたのは、八角万福堂。大きな青い幟には、「宮島七福神」と書かれていました。<br /><br />このお堂の中に、大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の七福神全てが祀られています。通常は一つのお寺に一人の神様と言うのが多いのですが、宮島では一か所で七福神巡りを終えることが可能です。

    大聖院の勅願堂の裏手に見えてきたのは、八角万福堂。大きな青い幟には、「宮島七福神」と書かれていました。

    このお堂の中に、大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の七福神全てが祀られています。通常は一つのお寺に一人の神様と言うのが多いのですが、宮島では一か所で七福神巡りを終えることが可能です。

  • お次は、干支に纏わる地蔵様。干支と仏教のつながりもあまり考えたことありませんが、まっいいか。<br /><br />あんまりかわいいので、十二支全部写してしまいましたが、ここでは代表で申地蔵君に登場してもらいましょう。皆お揃いの帽子をかぶっているところがまたにくいわ。<br /><br />お地蔵君が聞かざる。傍らの猿君が言わざるやっていますよ。

    お次は、干支に纏わる地蔵様。干支と仏教のつながりもあまり考えたことありませんが、まっいいか。

    あんまりかわいいので、十二支全部写してしまいましたが、ここでは代表で申地蔵君に登場してもらいましょう。皆お揃いの帽子をかぶっているところがまたにくいわ。

    お地蔵君が聞かざる。傍らの猿君が言わざるやっていますよ。

  • これは一重塔・・・なんて塔はありませんね。阿弥陀堂でした。どこにあったか思い出せませんが、下の写真の大師堂に行く途中だったと思います。阿弥陀三尊が祀られています。お堂の前に立っておられるお方は、右側が弘法大師、左側は大聖院の75代座主恵光大和尚だそうです。

    これは一重塔・・・なんて塔はありませんね。阿弥陀堂でした。どこにあったか思い出せませんが、下の写真の大師堂に行く途中だったと思います。阿弥陀三尊が祀られています。お堂の前に立っておられるお方は、右側が弘法大師、左側は大聖院の75代座主恵光大和尚だそうです。

  • 大聖院で一番古いお堂がこちらの大師堂です。806年(大同元年)に弘法大師が弥山を開基したとされていますが、どう見てもその頃の建築ではなさそうです。<br /><br />大聖院は1887年(明治20年)に大きな火災により、その殆どの建物を焼失していますが、こちらの大師堂だけは焼け残ったと聞いています。

    大聖院で一番古いお堂がこちらの大師堂です。806年(大同元年)に弘法大師が弥山を開基したとされていますが、どう見てもその頃の建築ではなさそうです。

    大聖院は1887年(明治20年)に大きな火災により、その殆どの建物を焼失していますが、こちらの大師堂だけは焼け残ったと聞いています。

  • 一番高い所にある大師堂からの景色は、甍の波の彼方に海と本州側の山が見えて、中々です。

    一番高い所にある大師堂からの景色は、甍の波の彼方に海と本州側の山が見えて、中々です。

  • 大聖院はここでも皆様へのサービスを忘れません。奥に見えるのは平成のなで仏「一願大師」と言うパワースポット。一つだけ願いをかなえて下さるそうですから、あれもこれもと欲張らないでくださいね。沢山の人達が撫でまわしたせいか、仏様の頭はすすけて見えますねえ。<br /><br />お手に持っているのが五鈷杵(ごこしょ)。弘法大師が右手にお持ちの法具で<br />魔を払い、身を守る武器でもあります。密教を代表する法具ですね。<br /><br />手前には巨大な五鈷杵が見えていますが、これもなでることでご利益あったんだっけ?

    大聖院はここでも皆様へのサービスを忘れません。奥に見えるのは平成のなで仏「一願大師」と言うパワースポット。一つだけ願いをかなえて下さるそうですから、あれもこれもと欲張らないでくださいね。沢山の人達が撫でまわしたせいか、仏様の頭はすすけて見えますねえ。

    お手に持っているのが五鈷杵(ごこしょ)。弘法大師が右手にお持ちの法具で
    魔を払い、身を守る武器でもあります。密教を代表する法具ですね。

    手前には巨大な五鈷杵が見えていますが、これもなでることでご利益あったんだっけ?

  • 庭のあちこちにいる地蔵さんの石像。思わず笑みがこぼれるポーズが多い! もしかしてひっくり返っている?

    庭のあちこちにいる地蔵さんの石像。思わず笑みがこぼれるポーズが多い! もしかしてひっくり返っている?

  • はい。前述の三十二相を思い出してくださいね。仏の足は「足下安平立相」。俗にいう偏平足。これは、足の裏に凹凸がなく平らで、地面を歩くとき足裏と地面とが密着していて、慈悲が平等であることを示しているのだそうですよ。

    はい。前述の三十二相を思い出してくださいね。仏の足は「足下安平立相」。俗にいう偏平足。これは、足の裏に凹凸がなく平らで、地面を歩くとき足裏と地面とが密着していて、慈悲が平等であることを示しているのだそうですよ。

  • ぐるりと一周して、一番最初の観音堂に戻って参りました。

    ぐるりと一周して、一番最初の観音堂に戻って参りました。

  • さ、ここからはどんどん下りますよ。

    さ、ここからはどんどん下りますよ。

  • 帰り道は、楽しい羅漢様を愛でながら下ることにしました。<br /><br />ご覧ください。孫守? 保育園の保父さんのような良いお顔の羅漢さんです。5人の子供にまとわりつかれていますよ。

    帰り道は、楽しい羅漢様を愛でながら下ることにしました。

    ご覧ください。孫守? 保育園の保父さんのような良いお顔の羅漢さんです。5人の子供にまとわりつかれていますよ。

  • 皆、お揃いの帽子。どなたかが、一針一針編んだ手作りでしょうね。皆、頭の格好も大きさも異なるだろうに、ぴったりフィットしていましたよ。

    皆、お揃いの帽子。どなたかが、一針一針編んだ手作りでしょうね。皆、頭の格好も大きさも異なるだろうに、ぴったりフィットしていましたよ。

  • 羅漢様の着ている衣装は様々ですが、手前中央の人のは西洋風に見えるなあ・・・

    羅漢様の着ている衣装は様々ですが、手前中央の人のは西洋風に見えるなあ・・・

  • こちらは、どう見ても西洋人の僧? ローマ教皇はたまた宣教師風ですよね。

    こちらは、どう見ても西洋人の僧? ローマ教皇はたまた宣教師風ですよね。

  • 今にも立ち上がって踊りだしそうな按配です。

    今にも立ち上がって踊りだしそうな按配です。

  • ひょっとして陰陽師?<br />

    ひょっとして陰陽師?

  • 哺乳瓶がアクセント? おもわずにんまり。<br /><br />とまあ、歩きながら楽しめること請け合いです。見るからに古さは感じられない五百羅漢ですが、こういう羅漢様がいたっていいんじゃない と言う気にさせられます。

    哺乳瓶がアクセント? おもわずにんまり。

    とまあ、歩きながら楽しめること請け合いです。見るからに古さは感じられない五百羅漢ですが、こういう羅漢様がいたっていいんじゃない と言う気にさせられます。

  • この階段横の遊歩道をゆっくりと羅漢さん見ながら下りてきました。<br /><br />今よく見たら、階段の手摺も凝っていますよ。手前の手摺には釈迦の十大弟子の一人阿難陀尊者(アーナンダ)のレリーフが彫られていました。こちらの手摺 三蔵法師がインドより持ち帰った大般若経筒を模していて、触りながら上れば(下れば)ご利益があったんです。<br /><br />しまった!

    この階段横の遊歩道をゆっくりと羅漢さん見ながら下りてきました。

    今よく見たら、階段の手摺も凝っていますよ。手前の手摺には釈迦の十大弟子の一人阿難陀尊者(アーナンダ)のレリーフが彫られていました。こちらの手摺 三蔵法師がインドより持ち帰った大般若経筒を模していて、触りながら上れば(下れば)ご利益があったんです。

    しまった!

  • 最後に仁王門を見ていきましょう。普通はここから始まるんですけれど、おへそが曲がっているんです。<br /><br />「明るい社会は合掌から」の標語に五鈷杵が掲げられていました。寺のポリシーが伝わってきます。

    最後に仁王門を見ていきましょう。普通はここから始まるんですけれど、おへそが曲がっているんです。

    「明るい社会は合掌から」の標語に五鈷杵が掲げられていました。寺のポリシーが伝わってきます。

  • 阿の仁王様と

    阿の仁王様と

  • 吽の仁王様です。<br /><br />1000年以上の歴史を有しながら、なんでもござれの日本を象徴するような「楽しい」お寺でした。「明るい社会は合掌から」勿論、大切なことは忘れていません。手を合わせることは感謝を体で表すこと、そして同時に平安を得ることだと思いながら、大聖院を後にしました。<br /><br />ああ、面白かったです!

    吽の仁王様です。

    1000年以上の歴史を有しながら、なんでもござれの日本を象徴するような「楽しい」お寺でした。「明るい社会は合掌から」勿論、大切なことは忘れていません。手を合わせることは感謝を体で表すこと、そして同時に平安を得ることだと思いながら、大聖院を後にしました。

    ああ、面白かったです!

  • とその時、優雅な平安衣装「壺装束」に身を包んだ女性の二人連れが階段を上ってきたので、皆で一斉に注目!<br /><br />平安時代の貴族の姫君が寺社参詣の旅に出る時の装いだそうですが、こんなレンタル衣装があるのを初めて知りました。艶やかですねえ。

    とその時、優雅な平安衣装「壺装束」に身を包んだ女性の二人連れが階段を上ってきたので、皆で一斉に注目!

    平安時代の貴族の姫君が寺社参詣の旅に出る時の装いだそうですが、こんなレンタル衣装があるのを初めて知りました。艶やかですねえ。

  • 思わず振り返ってもう1枚。<br /><br />残念ながら、わたしゃもうあの格好じゃあ歩けないわ!

    思わず振り返ってもう1枚。

    残念ながら、わたしゃもうあの格好じゃあ歩けないわ!

  • 大聖院前の坂を下っていくと、右側に「もみぢだに道」と書かれた石があり、桜が数本植わっていました。紅葉谷公園は桜の名所と聞いていますので、後で行ってみましょう。

    大聖院前の坂を下っていくと、右側に「もみぢだに道」と書かれた石があり、桜が数本植わっていました。紅葉谷公園は桜の名所と聞いていますので、後で行ってみましょう。

  • 上の写真の道の反対側にも説明板を見つけましたよ。厳島合戦の一つ「瀧小路の戦い」跡です。毛利元就の奇襲を受けた陶晴賢軍は壊滅状態に陥り敗走。陶晴賢の盟友弘中隆包は晴賢を山中に退かせ、瀧小路(現在の滝町 この辺り)を背にして毛利元就の次男吉川元春率いる軍勢を防いだが、支えきれず左右の民家に火を放ち、大聖院から駒が林へ退いた。と説明板には書かれていました。<br /><br />昨日訪れた岩国藩の吉川家に養子に行った元就の二男元春が勝利を収めた場所だったんですね。この時、元春は「弘中を逃しても、神殿を焼かすな!」と命じたと言います。彼のおかげで、厳島神社はかなりのダメージを受けたものの、類焼を免れたのだそうですよ。

    上の写真の道の反対側にも説明板を見つけましたよ。厳島合戦の一つ「瀧小路の戦い」跡です。毛利元就の奇襲を受けた陶晴賢軍は壊滅状態に陥り敗走。陶晴賢の盟友弘中隆包は晴賢を山中に退かせ、瀧小路(現在の滝町 この辺り)を背にして毛利元就の次男吉川元春率いる軍勢を防いだが、支えきれず左右の民家に火を放ち、大聖院から駒が林へ退いた。と説明板には書かれていました。

    昨日訪れた岩国藩の吉川家に養子に行った元就の二男元春が勝利を収めた場所だったんですね。この時、元春は「弘中を逃しても、神殿を焼かすな!」と命じたと言います。彼のおかげで、厳島神社はかなりのダメージを受けたものの、類焼を免れたのだそうですよ。

  • 紅葉谷方面には曲がらず、真っ直ぐに坂を下ります。途中で見つけた粟島神社はかつてあった東泉坊と言う真言宗の寺の鎮守として建立された神社です。明治初頭の神仏分離により寺はなくなり、神社だけが残ったようです。<br /><br />寺を創建する際には、土着の神より強力な神を勧請し、寺の鎮守とすることが習わしとなっていました。粟島神社の祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)。現代風にいうと医療、福祉の守護神ですって! 特に女性特有の病にご利益があると聞きましたよ。

    紅葉谷方面には曲がらず、真っ直ぐに坂を下ります。途中で見つけた粟島神社はかつてあった東泉坊と言う真言宗の寺の鎮守として建立された神社です。明治初頭の神仏分離により寺はなくなり、神社だけが残ったようです。

    寺を創建する際には、土着の神より強力な神を勧請し、寺の鎮守とすることが習わしとなっていました。粟島神社の祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)。現代風にいうと医療、福祉の守護神ですって! 特に女性特有の病にご利益があると聞きましたよ。

  • お次は林家住宅、またの名を上卿屋敷(じょうけいやしき)と言う、立派な石垣を回したお宅です。<br /><br />林家は厳島神社の神職をつとめる家柄で、朝廷から遣わされる奉幣使の代参を行っていたので「上卿」と呼ばれていたようです。江戸時代には朝廷の財力が弱かったため使者を派遣することが出来ず、地元の有力な神官が朝廷からの使いの代理をつとめていたということです。

    お次は林家住宅、またの名を上卿屋敷(じょうけいやしき)と言う、立派な石垣を回したお宅です。

    林家は厳島神社の神職をつとめる家柄で、朝廷から遣わされる奉幣使の代参を行っていたので「上卿」と呼ばれていたようです。江戸時代には朝廷の財力が弱かったため使者を派遣することが出来ず、地元の有力な神官が朝廷からの使いの代理をつとめていたということです。

  • この住宅、江戸の元禄時代の頃の建物ですが、保存状態が良く、国の重要文化財に指定されているそうです。この辺り瀧町一帯は、厳島神社の上級神官の住宅街だったようです。神官の家と言うのはあまり例がないので、見学したかったのですが、平日は事前の予約が必要とのことでした。残念。

    この住宅、江戸の元禄時代の頃の建物ですが、保存状態が良く、国の重要文化財に指定されているそうです。この辺り瀧町一帯は、厳島神社の上級神官の住宅街だったようです。神官の家と言うのはあまり例がないので、見学したかったのですが、平日は事前の予約が必要とのことでした。残念。

  • こちらは棚守屋敷跡。手前の石段ではないですよ。階段の上にかつて、神職を代表して神事を行い、自らも舞楽を舞う「棚守」という役職が住んでいた屋敷があったのです。能舞台もある立派なお屋敷で、広島藩主が来島される際には定宿となっていたそうです。<br /><br />今ある建物は何なのか、説明はありませんでした。門へと続く石段だけ見ても、かつてのお屋敷が大層格式高いものであったことが伺われます。

    こちらは棚守屋敷跡。手前の石段ではないですよ。階段の上にかつて、神職を代表して神事を行い、自らも舞楽を舞う「棚守」という役職が住んでいた屋敷があったのです。能舞台もある立派なお屋敷で、広島藩主が来島される際には定宿となっていたそうです。

    今ある建物は何なのか、説明はありませんでした。門へと続く石段だけ見ても、かつてのお屋敷が大層格式高いものであったことが伺われます。

  • 社家や内侍の屋敷、大聖院の宿坊等が立ち並んでいた時代を彷彿させる立派な塀の中の民家は、カフェになっていました。遊鹿里茶屋 ゆうしかさとぢゃや と読むんですって。<br /><br />

    社家や内侍の屋敷、大聖院の宿坊等が立ち並んでいた時代を彷彿させる立派な塀の中の民家は、カフェになっていました。遊鹿里茶屋 ゆうしかさとぢゃや と読むんですって。

  • あらら、今日はお休み?

    あらら、今日はお休み?

  • そのお隣さんは少々くたびれた佇まいでしたが、大聖院の関連の幟が並んでいたので、お寺関係のお宅かしら? 昔はさぞ立派な屋敷だったんでしょうねえ。

    そのお隣さんは少々くたびれた佇まいでしたが、大聖院の関連の幟が並んでいたので、お寺関係のお宅かしら? 昔はさぞ立派な屋敷だったんでしょうねえ。

  • 狭い宮島の町ですから、あっという間に厳島神社の裏手まで戻って参りましたよ。<br /><br />老舗のもみじ饅頭屋さんを覗き込んだら、まだ午後3時前だというのに、今日はもう完売で店じまいですって。

    狭い宮島の町ですから、あっという間に厳島神社の裏手まで戻って参りましたよ。

    老舗のもみじ饅頭屋さんを覗き込んだら、まだ午後3時前だというのに、今日はもう完売で店じまいですって。

  • 大聖院からの道の突き当りにあった厳島神社の宝蔵。校倉造りの建物が頑丈なフェンスで囲まれているので、近づくことが出来ません。現在の宝蔵の室町時代ですが、平安時代後期の1168年の文献記録には、すでにその名があるそうです。

    大聖院からの道の突き当りにあった厳島神社の宝蔵。校倉造りの建物が頑丈なフェンスで囲まれているので、近づくことが出来ません。現在の宝蔵の室町時代ですが、平安時代後期の1168年の文献記録には、すでにその名があるそうです。

  • 鹿たちがのんびり日向ぼっこをしている御手洗川に架かる橋を渡ります。

    鹿たちがのんびり日向ぼっこをしている御手洗川に架かる橋を渡ります。

  • 今度は厳島神社を裏から覗いちゃいましょう。あっ 大鳥居見っけ!!

    今度は厳島神社を裏から覗いちゃいましょう。あっ 大鳥居見っけ!!

  • ♪枝垂桜が満開♪ の厳島神社と社務所の間の道を抜け、

    ♪枝垂桜が満開♪ の厳島神社と社務所の間の道を抜け、

  • 3つの社殿に11柱の神様を祀る三翁神社の前を通ります。明治時代になって、厳島神社の末社を合祀していた結果、こんなに大人数の神様をお迎えすることになったようです。<br /><br />青銅製の鳥居「台輪鳥居」がとても良い雰囲気でした。大分のガイドさんから、リングの嵌った鳥居は明治以前の建立と習いましたが、広島では果たして???

    3つの社殿に11柱の神様を祀る三翁神社の前を通ります。明治時代になって、厳島神社の末社を合祀していた結果、こんなに大人数の神様をお迎えすることになったようです。

    青銅製の鳥居「台輪鳥居」がとても良い雰囲気でした。大分のガイドさんから、リングの嵌った鳥居は明治以前の建立と習いましたが、広島では果たして???

  • 拝殿から拝むと、確かに3つの社が横に並んで建っていました。中央の社殿には平清盛の後妻時子(二位尼)、安徳天皇、広島の豪族佐伯鞍職等々、六柱の神様が祀られていましたよ。現在は厳島神社の摂社となっています。

    拝殿から拝むと、確かに3つの社が横に並んで建っていました。中央の社殿には平清盛の後妻時子(二位尼)、安徳天皇、広島の豪族佐伯鞍職等々、六柱の神様が祀られていましたよ。現在は厳島神社の摂社となっています。

  • 今度はこの石段を上って、千畳閣と五重塔を詣でましょう。<br />

    今度はこの石段を上って、千畳閣と五重塔を詣でましょう。

  • 石段の途中から、こんな風に厳島神社を見下ろすことが出来ます。

    石段の途中から、こんな風に厳島神社を見下ろすことが出来ます。

  • ようやく厳島神社の五重塔が立つ丘の上に到着しましたよ。正確には厳島神社の末社豊国神社の五重塔だそうです。<br /><br />室町時代後期の創建で、和様と唐様を巧みに調和させた建築とありますが、一体どのあたりが唐様で、どこが和様なのでしょう。 <br /><br />外側で目立つ部分は屋根の反り返りの形状が禅宗様式であってこれが唐様と呼ばれる点です。内部は公開されていませんが、完全な唐様なのだそうですよ。<br /><br />各層屋根の裏側の垂木が平行状に組まれているのが和様とありましたが、私には見事な斗栱・組物、そして四隅に飛び出した尾垂木に和を感じました。宮島の寺社はどこに行っても組物が凄い!

    ようやく厳島神社の五重塔が立つ丘の上に到着しましたよ。正確には厳島神社の末社豊国神社の五重塔だそうです。

    室町時代後期の創建で、和様と唐様を巧みに調和させた建築とありますが、一体どのあたりが唐様で、どこが和様なのでしょう。 

    外側で目立つ部分は屋根の反り返りの形状が禅宗様式であってこれが唐様と呼ばれる点です。内部は公開されていませんが、完全な唐様なのだそうですよ。

    各層屋根の裏側の垂木が平行状に組まれているのが和様とありましたが、私には見事な斗栱・組物、そして四隅に飛び出した尾垂木に和を感じました。宮島の寺社はどこに行っても組物が凄い!

  • さあ、こちらは千畳閣の入口です。元々は秀吉が僧の恵瓊に銘じて千部経の読経を行うために建立させた大経堂でした。明治時代に入り、神仏分離が行われた際に、秀吉と加藤清正を祭神とする「豊国神社」に生まれ変わりました。<br /><br />天井も壁板もないのは、秀吉が完成を待たずに亡くなったため未完成だからと言われていますが、どでかいだけで本当に殺風景なお堂だったので、靴を脱いで上がる気にはなれませんでした。

    さあ、こちらは千畳閣の入口です。元々は秀吉が僧の恵瓊に銘じて千部経の読経を行うために建立させた大経堂でした。明治時代に入り、神仏分離が行われた際に、秀吉と加藤清正を祭神とする「豊国神社」に生まれ変わりました。

    天井も壁板もないのは、秀吉が完成を待たずに亡くなったため未完成だからと言われていますが、どでかいだけで本当に殺風景なお堂だったので、靴を脱いで上がる気にはなれませんでした。

  • 見るべきものとと言ったら、方々に掲げられたおびただしい数の絵馬です。成田山新勝寺、春日大社と並んで、日本三大絵馬奉納所の一つだそうですよ。その数100枚以上!

    見るべきものとと言ったら、方々に掲げられたおびただしい数の絵馬です。成田山新勝寺、春日大社と並んで、日本三大絵馬奉納所の一つだそうですよ。その数100枚以上!

  • 大きな千畳閣の周りを、中を覗き見しながら撮った写真なので、見苦しいですね。入場料は100円なので、別にケチったわけではないですよ。単純に靴を脱ぎたくなかっただけです。

    大きな千畳閣の周りを、中を覗き見しながら撮った写真なので、見苦しいですね。入場料は100円なので、別にケチったわけではないですよ。単純に靴を脱ぎたくなかっただけです。

  • 大鳥居の扁額として掲げられていた神名額です。江戸時代末期の物で、こちらは正面を・・・

    大鳥居の扁額として掲げられていた神名額です。江戸時代末期の物で、こちらは正面を・・・

  • そして、こちらは本殿の方を向いていたそうです。「厳島」ではなく、「伊都岐島」大明神と書かれていますね!

    そして、こちらは本殿の方を向いていたそうです。「厳島」ではなく、「伊都岐島」大明神と書かれていますね!

  • 端午の節句でおなじみの中国の神、鍾馗(しょうき)大臣の姿もありました。彼の描かれた図像は魔よけの効果があるそうです。

    端午の節句でおなじみの中国の神、鍾馗(しょうき)大臣の姿もありました。彼の描かれた図像は魔よけの効果があるそうです。

  • 「玄徳・関羽・張飛の図」<br /><br />「三国志演義」の一場面で、玄徳・関羽・張飛の三人が義兄弟の契りを結んでいるところだそうです。

    「玄徳・関羽・張飛の図」

    「三国志演義」の一場面で、玄徳・関羽・張飛の三人が義兄弟の契りを結んでいるところだそうです。

  • 会津征討(あいづせいばつ)と書かれた絵馬です。應変隊為戦勝掛之・明治元戊辰十二月と書かれていました。征討に向かう行列の人々の装束が、まことに興味深いです。

    会津征討(あいづせいばつ)と書かれた絵馬です。應変隊為戦勝掛之・明治元戊辰十二月と書かれていました。征討に向かう行列の人々の装束が、まことに興味深いです。

  • 碁盤が描かれたものもありました。囲碁が分かる人が見たら、どんな棋譜かが分かるのかしら? 絵馬にきちんとした解説を付けて下さるんだったら、靴脱いで上がっちゃうんですが・・・

    碁盤が描かれたものもありました。囲碁が分かる人が見たら、どんな棋譜かが分かるのかしら? 絵馬にきちんとした解説を付けて下さるんだったら、靴脱いで上がっちゃうんですが・・・

  • 天井板がなく、梁がむき出し状態であることがわかりますね。奉納絵馬は文字のみが書かれた物から極彩色の物まで様々ですが、庶民文化の一端に触れられることが出来てなかなか面白いですね。靴脱げばよかったかも。

    天井板がなく、梁がむき出し状態であることがわかりますね。奉納絵馬は文字のみが書かれた物から極彩色の物まで様々ですが、庶民文化の一端に触れられることが出来てなかなか面白いですね。靴脱げばよかったかも。

  • 千畳閣に沿って建物を一周すると、ご覧のような絶景を目にすることが出来ます。どんどん潮が引いていますね。建物のすぐ下は今朝歩いた海辺の参道です。その先に50m位はあるかなあ・・・海面が姿を現しています。<br /><br />千畳閣の海側から更に岬の突端に行った辺りは、厳島合戦で陶晴賢が本陣を張った「塔の岡」と呼ばれる場所。標高が高く、海が見渡せて敵の動きがつぶさにわかる一等地でした。

    千畳閣に沿って建物を一周すると、ご覧のような絶景を目にすることが出来ます。どんどん潮が引いていますね。建物のすぐ下は今朝歩いた海辺の参道です。その先に50m位はあるかなあ・・・海面が姿を現しています。

    千畳閣の海側から更に岬の突端に行った辺りは、厳島合戦で陶晴賢が本陣を張った「塔の岡」と呼ばれる場所。標高が高く、海が見渡せて敵の動きがつぶさにわかる一等地でした。

  • 一旦五重塔まで戻って・・・

    一旦五重塔まで戻って・・・

  • そこから坂を下ります。石段はいくつかあって、行きとは別な階段です。

    そこから坂を下ります。石段はいくつかあって、行きとは別な階段です。

  • 階段の下に現れたのは、荒胡子(あらえびす)神社。1411年創建。重要文化財に指定されています。元々は大願寺の子院である金剛院にあった神社でした。<br /><br />両側に支えのある石の鳥居は珍しいですね。その先に門があり、奥に小さな朱塗りの本殿が見えていました。建物は1591年(天正19年)に、毛利輝元が再建したものだと伝えられています。

    階段の下に現れたのは、荒胡子(あらえびす)神社。1411年創建。重要文化財に指定されています。元々は大願寺の子院である金剛院にあった神社でした。

    両側に支えのある石の鳥居は珍しいですね。その先に門があり、奥に小さな朱塗りの本殿が見えていました。建物は1591年(天正19年)に、毛利輝元が再建したものだと伝えられています。

  • 坂の下から五重塔を見上げます。降りて来た階段道が見えています。<br /><br />やはり、塔は下から見て敬うものですね。こうやって見上げた時の塔が一番美しいと感じました。

    イチオシ

    坂の下から五重塔を見上げます。降りて来た階段道が見えています。

    やはり、塔は下から見て敬うものですね。こうやって見上げた時の塔が一番美しいと感じました。

  • 荒胡子神社に隣接する白い建物と、千畳閣の間に、立派な銀杏の木が見えていました。俗に宮島の大イチョウとして知られています。

    荒胡子神社に隣接する白い建物と、千畳閣の間に、立派な銀杏の木が見えていました。俗に宮島の大イチョウとして知られています。

  • 五重塔と枝垂桜と新緑の大イチョウ揃い組です。秋には全く違った景色が楽しめそうですね。

    五重塔と枝垂桜と新緑の大イチョウ揃い組です。秋には全く違った景色が楽しめそうですね。

  • この場所からは厳島神社の客神社を背面から眺めることが出来ます。満潮だと海の中に見えるんだけれどなあ・・・

    この場所からは厳島神社の客神社を背面から眺めることが出来ます。満潮だと海の中に見えるんだけれどなあ・・・

  • おっ<br />潮がササァ~と引いて、今なら大鳥居の傍まで行けそうですよ。行ってどうなるってものでもありませんが、実はこの時大発見をしたのです!<br /><br />大鳥居が今見て来たばかりの荒胡子神社の石鳥居と同じ形状であることを!

    おっ
    潮がササァ~と引いて、今なら大鳥居の傍まで行けそうですよ。行ってどうなるってものでもありませんが、実はこの時大発見をしたのです!

    大鳥居が今見て来たばかりの荒胡子神社の石鳥居と同じ形状であることを!

  • この大鳥居、「両部鳥居」と言って、合計6本足で立っています。これは平清盛自らが考案したものと言われていて、平安時代に神社が寝殿造りで再建した時に合わせて造られたものなんですって。<br /><br />これは後から調べたこと。行った時は「おんなじだぁ」と思い、海の横波にも強そうだなと感じただけなんですけれどね。

    この大鳥居、「両部鳥居」と言って、合計6本足で立っています。これは平清盛自らが考案したものと言われていて、平安時代に神社が寝殿造りで再建した時に合わせて造られたものなんですって。

    これは後から調べたこと。行った時は「おんなじだぁ」と思い、海の横波にも強そうだなと感じただけなんですけれどね。

  • そして、もう一つ発見したことは、先ほど千畳閣で見たのと同じ「伊都岐島神社」と書かれた扁額です。確かに神社側にはそう書かれていました。<br /><br />字が違うことについては、三保の松原の御穂神社、新宿区津久戸町の筑土八幡等々、方々で見てきているので、あまり疑問は感じずに、確認したにとどめました。

    そして、もう一つ発見したことは、先ほど千畳閣で見たのと同じ「伊都岐島神社」と書かれた扁額です。確かに神社側にはそう書かれていました。

    字が違うことについては、三保の松原の御穂神社、新宿区津久戸町の筑土八幡等々、方々で見てきているので、あまり疑問は感じずに、確認したにとどめました。

  • さあて、これからどうしようとまずはまだ歩いていない参道のお店を覗き込みます。

    さあて、これからどうしようとまずはまだ歩いていない参道のお店を覗き込みます。

  • おお~<br /><br />ずらりと並んだしゃもじ発見! どのしゃもじにも墨で大きく縁起の良い文字が書かれています。「必勝」、「商売繁盛」、「家内安全」、「合格」、「長寿」、「千客万来」辺りは良いとしても、「ど根性」、「ファイト やる気一発」辺りになるとちょっとねえ。<br /><br />「ダイエット」なんてのもありましたよ。しゃもじにダイエットって書いてどうするのよ!

    おお~

    ずらりと並んだしゃもじ発見! どのしゃもじにも墨で大きく縁起の良い文字が書かれています。「必勝」、「商売繁盛」、「家内安全」、「合格」、「長寿」、「千客万来」辺りは良いとしても、「ど根性」、「ファイト やる気一発」辺りになるとちょっとねえ。

    「ダイエット」なんてのもありましたよ。しゃもじにダイエットって書いてどうするのよ!

  • ここにきて初めて、しゃもじそのものが宮島が起源だったということを知りました。敵を「めしとる」ものとして、縁起が良いと評判になったのは明治以降のことであるようです。

    ここにきて初めて、しゃもじそのものが宮島が起源だったということを知りました。敵を「めしとる」ものとして、縁起が良いと評判になったのは明治以降のことであるようです。

  • 可愛い「しゃもじ雛」にも会いました。

    可愛い「しゃもじ雛」にも会いました。

  • こちらは立ち雛です。お雛様がお内裏様の肩をそっと抱いていますよ。って手は見えませんけれどね。<br /><br />こちらの写真2点のしゃもじは、村上轆轤工場の製品でした。他にも気になる木工品が沢山ありましたよ。

    こちらは立ち雛です。お雛様がお内裏様の肩をそっと抱いていますよ。って手は見えませんけれどね。

    こちらの写真2点のしゃもじは、村上轆轤工場の製品でした。他にも気になる木工品が沢山ありましたよ。

  • 町で渡された1枚のパンフレット「宮島の古寺まわり」宮島の古刹×現代アート<br /><br />の裏面に地図が出ていたので、お寺を探しながら町をうろつくことにしました。何気ない横丁に神社、仏閣が隠れています。この石段の上には今伊勢神社(嚴島神社の末社)があります。

    町で渡された1枚のパンフレット「宮島の古寺まわり」宮島の古刹×現代アート

    の裏面に地図が出ていたので、お寺を探しながら町をうろつくことにしました。何気ない横丁に神社、仏閣が隠れています。この石段の上には今伊勢神社(嚴島神社の末社)があります。

  • まずは要害山の麓にある曹洞宗存光寺へ。この辺りまで来ると、観光客ゼロです。

    まずは要害山の麓にある曹洞宗存光寺へ。この辺りまで来ると、観光客ゼロです。

  • 蓮の台座に座ったお地蔵様と目が合ったので1枚。

    蓮の台座に座ったお地蔵様と目が合ったので1枚。

  • 阿弥陀如来が安置された本堂前に、その現代アートがありました。水墨画の中に白い大きなハートが半分ずつ。左右で1枚かしら? 見事にコラボされていました。<br /><br />手前にある青いパイプのようなものも作品ですが、よくわからず。「現代的阿吽構造模型」ですって。

    阿弥陀如来が安置された本堂前に、その現代アートがありました。水墨画の中に白い大きなハートが半分ずつ。左右で1枚かしら? 見事にコラボされていました。

    手前にある青いパイプのようなものも作品ですが、よくわからず。「現代的阿吽構造模型」ですって。

  • 出雲の一畑薬師から十二支神を持ち帰って開いたと伝えられる薬師堂です。

    出雲の一畑薬師から十二支神を持ち帰って開いたと伝えられる薬師堂です。

  • ここを上っていくと要害山。標高30m。かつて毛利元就が築城した宮尾城(別名 宮の尾城)があったとされています。平地が少なく、石段ばかりが目立つ宮島です。

    ここを上っていくと要害山。標高30m。かつて毛利元就が築城した宮尾城(別名 宮の尾城)があったとされています。平地が少なく、石段ばかりが目立つ宮島です。

  • 本当は金石(きんせき)地蔵という子授け地蔵が有名だったらしい、曹洞宗の寺徳寿寺。そうとは知らず、石仏の千手観音を写してご満悦。他にも石仏の地蔵様が並んでいました。

    本当は金石(きんせき)地蔵という子授け地蔵が有名だったらしい、曹洞宗の寺徳寿寺。そうとは知らず、石仏の千手観音を写してご満悦。他にも石仏の地蔵様が並んでいました。

  • 山の斜面にやや窮屈そうに建てられた本堂とそれに続く庫裏。目指す現代アートはこの庫裏にありました。

    山の斜面にやや窮屈そうに建てられた本堂とそれに続く庫裏。目指す現代アートはこの庫裏にありました。

  • タイトルは「久遠」。なるほど、朱色の〇の中に、久遠と書いてあります。和歌は平安時代前期の歌人紀友則のものだそう。<br /><br />この作品もコラボレーションばっちりですね。

    タイトルは「久遠」。なるほど、朱色の〇の中に、久遠と書いてあります。和歌は平安時代前期の歌人紀友則のものだそう。

    この作品もコラボレーションばっちりですね。

  • もう一つの作品は山門の内側にありました。美音異星人さんの「HEART」と言うタイトルでした。左右のカプセルの中にも異星人らしき人形が見えますが、作家さんの名前でもあるんだ。<br /><br />流れるように置かれた銀色の金属片が格子の隙間から入って来る光に反射して、幻想的な雰囲気を醸し出していました。

    もう一つの作品は山門の内側にありました。美音異星人さんの「HEART」と言うタイトルでした。左右のカプセルの中にも異星人らしき人形が見えますが、作家さんの名前でもあるんだ。

    流れるように置かれた銀色の金属片が格子の隙間から入って来る光に反射して、幻想的な雰囲気を醸し出していました。

  • こちらが表から見た徳寿寺の山門。上の作品はこの山門の内側を飾っていました。右側に格子戸が見えますが、宮島特有の鹿戸です。押してもダメなら引いてみない鹿除け用で、殆どの寺や民家ではこうした鹿戸が使われていました。

    こちらが表から見た徳寿寺の山門。上の作品はこの山門の内側を飾っていました。右側に格子戸が見えますが、宮島特有の鹿戸です。押してもダメなら引いてみない鹿除け用で、殆どの寺や民家ではこうした鹿戸が使われていました。

  • 次の寺に行く途中にあった「大束富くじ場」跡。<br /><br />はて???<br /><br />なんでも元禄時代から宮島で年に5.6回行われていた富くじで、幕府は富くじ禁令を出していたので、表向きは薪の束(大束)の入札と言う形をとり、結果的には広島藩の財政を潤していたようです。<br /><br />それにしても、唐突にこんな石標だけ立てて、どういうつもりだったのでしょう?

    次の寺に行く途中にあった「大束富くじ場」跡。

    はて???

    なんでも元禄時代から宮島で年に5.6回行われていた富くじで、幕府は富くじ禁令を出していたので、表向きは薪の束(大束)の入札と言う形をとり、結果的には広島藩の財政を潤していたようです。

    それにしても、唐突にこんな石標だけ立てて、どういうつもりだったのでしょう?

  • 三番目のお寺はこちらの浄土真宗真光寺。門前にアートが置かれていました。<br /><br />

    三番目のお寺はこちらの浄土真宗真光寺。門前にアートが置かれていました。

  • 肩を寄せ合うこけしのようなステンレスの物体。家族かしら? <br /><br />タイトルは「きずな」でした。<br /><br />江戸時代、広島本土には「安芸門徒」と呼ばれる真宗の信者が大勢いましたが、宮島では浄土真宗が禁止されていたそうです。坊主は髪を剃らんでよし、肉食よし、妻をめとるもよし とされる浄土真宗が、汚れを嫌う宮島の風土になじまなかったという理由からだとか。そのため、ここは明治になってからできた、宮島では新しい寺です。

    肩を寄せ合うこけしのようなステンレスの物体。家族かしら? 

    タイトルは「きずな」でした。

    江戸時代、広島本土には「安芸門徒」と呼ばれる真宗の信者が大勢いましたが、宮島では浄土真宗が禁止されていたそうです。坊主は髪を剃らんでよし、肉食よし、妻をめとるもよし とされる浄土真宗が、汚れを嫌う宮島の風土になじまなかったという理由からだとか。そのため、ここは明治になってからできた、宮島では新しい寺です。

  • もう一つの作品は本堂を飾っていました。タイトルは「巡りても‥・めぐりてもNo Matter How Much It Runs Through… 」。金色に縁どられたものは二酸化炭素と新鮮な酸素を交換する「血管内皮細胞」をイメージしているとのこと。<br /><br />開け放たれた扉越しにご本尊を拝むことが出来ました。このお寺のコンセプトがまた良い。<br /><br />お参りすることによって世の中を変えるのではなく、聞法(真実を聴聞)することによって自分自身をつくりかえられるところに宗教本来のはたらきを見出すことを宗とします。(真光寺HPより)

    もう一つの作品は本堂を飾っていました。タイトルは「巡りても‥・めぐりてもNo Matter How Much It Runs Through… 」。金色に縁どられたものは二酸化炭素と新鮮な酸素を交換する「血管内皮細胞」をイメージしているとのこと。

    開け放たれた扉越しにご本尊を拝むことが出来ました。このお寺のコンセプトがまた良い。

    お参りすることによって世の中を変えるのではなく、聞法(真実を聴聞)することによって自分自身をつくりかえられるところに宗教本来のはたらきを見出すことを宗とします。(真光寺HPより)

  • 四番目の寺 宝寿院不動堂は、嚴島神社の「艮(うしとら)丑と寅の間」、つまり鬼が出入りする方角に当たることから、鬼門鎮護のために建てられたそうです。<br /><br />

    四番目の寺 宝寿院不動堂は、嚴島神社の「艮(うしとら)丑と寅の間」、つまり鬼が出入りする方角に当たることから、鬼門鎮護のために建てられたそうです。

  • 作品のタイトルは「悠遠」と書かれていましたが、この字をそう読むのかしら??? よ、読めない(汗)! 私には金粉をまとった人形が動いているように見えてなりません。このお堂のために特別に作られたのではと思われるほど、フィット感が半端なくありました。<br /><br />本日出逢った中で、文句なしの一番!<br /><br />

    作品のタイトルは「悠遠」と書かれていましたが、この字をそう読むのかしら??? よ、読めない(汗)! 私には金粉をまとった人形が動いているように見えてなりません。このお堂のために特別に作られたのではと思われるほど、フィット感が半端なくありました。

    本日出逢った中で、文句なしの一番!

  • もう一つの作品はタイトル「ねえ、見てみんさい」<br /><br />子供の視点で世の中を見たら、世界が変わって見えるんじゃないか と説明板に書かれていました。

    もう一つの作品はタイトル「ねえ、見てみんさい」

    子供の視点で世の中を見たら、世界が変わって見えるんじゃないか と説明板に書かれていました。

  • 鹿による害を恐れてか、ここでは石仏も格子戸の中に安置されていました。

    鹿による害を恐れてか、ここでは石仏も格子戸の中に安置されていました。

  • 不動堂の前は、かなりの急坂。<br />

    不動堂の前は、かなりの急坂。

  • 少し上るとすぐにこのような景色が広がります。ここからはまた、遊歩道のような道を辿っていきます。ここを「山辺の古径(こみち)」と呼ぶんですって! 偶然ですが、宮島で最古の道を歩かせていただけるなんて、光栄です。

    少し上るとすぐにこのような景色が広がります。ここからはまた、遊歩道のような道を辿っていきます。ここを「山辺の古径(こみち)」と呼ぶんですって! 偶然ですが、宮島で最古の道を歩かせていただけるなんて、光栄です。

  • 次に出会った五番目のお寺は西方寺宝寿院に属している聖天堂です。ここに祀られている歓喜天(聖天)は商売繁盛の神様として多くの参拝者があるそうですよ。

    次に出会った五番目のお寺は西方寺宝寿院に属している聖天堂です。ここに祀られている歓喜天(聖天)は商売繁盛の神様として多くの参拝者があるそうですよ。

  • あれれ・・・<br /><br />扉が閉まっているので、歓喜天のお顔が見えませんでした。(´・ω・`)

    あれれ・・・

    扉が閉まっているので、歓喜天のお顔が見えませんでした。(´・ω・`)

  • 気を取り直して、本堂の方に進みます。西方寺宝寿院(寶壽院)。聖天堂だけでなく、先ほど訪ねた不動堂も、こちらのお寺に属していました。一応六番目かな? 真言宗のお寺で、馬酔木が群生している所から、馬酔木寺とも呼ばれるようです。<br /><br />こちらのお寺も、完璧な鹿除けがあり、非常に入りにくい印象を受けますが、大丈夫。戸を引いてやっておくんなせえ。

    気を取り直して、本堂の方に進みます。西方寺宝寿院(寶壽院)。聖天堂だけでなく、先ほど訪ねた不動堂も、こちらのお寺に属していました。一応六番目かな? 真言宗のお寺で、馬酔木が群生している所から、馬酔木寺とも呼ばれるようです。

    こちらのお寺も、完璧な鹿除けがあり、非常に入りにくい印象を受けますが、大丈夫。戸を引いてやっておくんなせえ。

  • ほらっ ご覧の通り馬酔木だらけ。先ほど見たあせび歩道とは異なり、このお寺の花盛りは過ぎているようでした。

    ほらっ ご覧の通り馬酔木だらけ。先ほど見たあせび歩道とは異なり、このお寺の花盛りは過ぎているようでした。

  • 古めかしいトタン葺きの庫裏で見つけたのは・・・

    古めかしいトタン葺きの庫裏で見つけたのは・・・

  • ドイツ人アーティストFanny Harlan作の「How are we influenced by the past?」<br />私たちは過去からどう影響を受けているだろうか? と言う訳が付け加えられていました。<br /><br />展示されている写真は、彼女自身、母親、祖母のもののようで、吊り下げられていた走馬燈? がぐるぐる回る様が容易に想像できるように思えました。

    ドイツ人アーティストFanny Harlan作の「How are we influenced by the past?」
    私たちは過去からどう影響を受けているだろうか? と言う訳が付け加えられていました。

    展示されている写真は、彼女自身、母親、祖母のもののようで、吊り下げられていた走馬燈? がぐるぐる回る様が容易に想像できるように思えました。

  • もう一つはこちらのオブジェ。タイトルは「マンダラ」でした。古びたお寺の縁側が異次元空間となっていました。

    もう一つはこちらのオブジェ。タイトルは「マンダラ」でした。古びたお寺の縁側が異次元空間となっていました。

  • こちらが宝寿院の本堂。本尊の阿弥陀如来さんは秘仏なので、見せていただけないだろうな。昔、海に光るところがあって、不思議に思った島の人たちが漁師に頼んで網ですくってもらったのがこの阿弥陀如来だったという伝説が残っています。古今東西よくあるお話。<br /><br />

    こちらが宝寿院の本堂。本尊の阿弥陀如来さんは秘仏なので、見せていただけないだろうな。昔、海に光るところがあって、不思議に思った島の人たちが漁師に頼んで網ですくってもらったのがこの阿弥陀如来だったという伝説が残っています。古今東西よくあるお話。

  • 宝寿院前からの景色は優れものです。中央に見えているこんもりとした緑の丘が、フェリー乗り場前の要害山 宮尾城跡です。緑の木々に交じって、桜もちらほら。<br /><br />手前にある大きな建物の殆どがホテルです。

    宝寿院前からの景色は優れものです。中央に見えているこんもりとした緑の丘が、フェリー乗り場前の要害山 宮尾城跡です。緑の木々に交じって、桜もちらほら。

    手前にある大きな建物の殆どがホテルです。

  • 反対側には、千畳閣と五重塔が、こことほぼ同じ高さ(標高)のところに見えていました。

    反対側には、千畳閣と五重塔が、こことほぼ同じ高さ(標高)のところに見えていました。

  • この山辺の古径には、下の町から何本もの階段が伸びています。対岸の廿日市市から来たという方とひょんなことからお話したのもこの辺りでした。桜の季節に宮島に来るのは久しぶりだそうで、知られざる桜の名所を案内して下さると言うので、ひょこひょこ付いていくことに。

    この山辺の古径には、下の町から何本もの階段が伸びています。対岸の廿日市市から来たという方とひょんなことからお話したのもこの辺りでした。桜の季節に宮島に来るのは久しぶりだそうで、知られざる桜の名所を案内して下さると言うので、ひょこひょこ付いていくことに。

  • 斜面に桜の木々が多くなりました。ここは、通称「隠居場」という名前が付いた広場。「土地の人間以外は滅多に来ないだろうね」と男性は話してくれました。

    斜面に桜の木々が多くなりました。ここは、通称「隠居場」という名前が付いた広場。「土地の人間以外は滅多に来ないだろうね」と男性は話してくれました。

  • その広場にあった誓真大徳頌徳碑。天明年間(1782年-1788年)の頃に宮島にやってきて光明院で修行していた僧誓真は、水不足に苦しむ島民のために10か所の井戸を掘り、庶民のために身を粉にして働き、尽くしました。しゃもじを始めとする木工製品を広めたのも彼だったそうで、今でも土地の人々からは、親しみを込めて「誓真さん」と呼ばれています。<br /><br />誓真さんの命日は1800年(寛政12年)8月6日。100回忌を迎えた頃から宮島の恩人「誓真さん」を供養する碑を建てたいという話が持ち上がりましたが、実現したのはそれから37年後の1937年(昭和12年)のこと。碑を建てるまでの詳しいいきさつが裏面に彫られているそうですよ。かすれていて読めなかったけれど・・・<br />

    その広場にあった誓真大徳頌徳碑。天明年間(1782年-1788年)の頃に宮島にやってきて光明院で修行していた僧誓真は、水不足に苦しむ島民のために10か所の井戸を掘り、庶民のために身を粉にして働き、尽くしました。しゃもじを始めとする木工製品を広めたのも彼だったそうで、今でも土地の人々からは、親しみを込めて「誓真さん」と呼ばれています。

    誓真さんの命日は1800年(寛政12年)8月6日。100回忌を迎えた頃から宮島の恩人「誓真さん」を供養する碑を建てたいという話が持ち上がりましたが、実現したのはそれから37年後の1937年(昭和12年)のこと。碑を建てるまでの詳しいいきさつが裏面に彫られているそうですよ。かすれていて読めなかったけれど・・・

  • 隠居場は、宮島の隠れた桜の名所です。右奥で写真を撮っているのが、廿日市市からやっていらした、なーんちゃってお散歩仲間です。

    隠居場は、宮島の隠れた桜の名所です。右奥で写真を撮っているのが、廿日市市からやっていらした、なーんちゃってお散歩仲間です。

  • 逆光ですが、西の空が凄~い!!!

    イチオシ

    逆光ですが、西の空が凄~い!!!

  • もう一回誓真大徳頌徳碑の方に向き直って1枚。

    もう一回誓真大徳頌徳碑の方に向き直って1枚。

  • 濃いピンクの花が混じった枝がありました。不思議!

    イチオシ

    濃いピンクの花が混じった枝がありました。不思議!

  • 古寺めぐりは終盤ですよ。隠居場からすぐの浄土宗の古刹七番目の光明院。誓真さんゆかりの寺です。

    古寺めぐりは終盤ですよ。隠居場からすぐの浄土宗の古刹七番目の光明院。誓真さんゆかりの寺です。

  • 山門の内側にあったタイトル「空(くう)の記憶」。はては「仏足」と思いましたが、作者によれば、「我々が生きた証をどのように残すか? それを形にしたらどうなるか? 」という試みの一環だそうです。

    山門の内側にあったタイトル「空(くう)の記憶」。はては「仏足」と思いましたが、作者によれば、「我々が生きた証をどのように残すか? それを形にしたらどうなるか? 」という試みの一環だそうです。

  • ま新しそうないぶし銀の瓦が印象的な手前の庫裏と奥が本堂かな? この寺の裏手に、同じく浄土宗の道場坊神泉寺があり、前述の誓願が番僧として修行していました。

    ま新しそうないぶし銀の瓦が印象的な手前の庫裏と奥が本堂かな? この寺の裏手に、同じく浄土宗の道場坊神泉寺があり、前述の誓願が番僧として修行していました。

  • 手入れの行き届いた庭のすぐ裏手には高い石垣が迫っていました。

    手入れの行き届いた庭のすぐ裏手には高い石垣が迫っていました。

  • 最後の作品は庫裏にありました。2組の掛け軸に書かれた素晴らしい書は、右側「前程」左側「万里」と読むんですって。「前程万里」とは、前途洋洋として、望み叶うこと。<br /><br />中央に見える縁側の額から開け放たれた座敷の中に架かる額縁2組。掛け軸から始まって障子戸そして奥の襖まで、全てが作品の一部分として、そこに存在していました。奥に長い空間が作品を一層引き立てているように思いましたよ。

    最後の作品は庫裏にありました。2組の掛け軸に書かれた素晴らしい書は、右側「前程」左側「万里」と読むんですって。「前程万里」とは、前途洋洋として、望み叶うこと。

    中央に見える縁側の額から開け放たれた座敷の中に架かる額縁2組。掛け軸から始まって障子戸そして奥の襖まで、全てが作品の一部分として、そこに存在していました。奥に長い空間が作品を一層引き立てているように思いましたよ。

  • 古寺と現代アートがこんなにもマッチするとは、思ってもみませんでした。とてもユニークな企画で、いつもの見慣れたお寺が華麗に ではなく、密やかに変身する様を身をもって体験させていただきました。またの企画を期待しています。

    古寺と現代アートがこんなにもマッチするとは、思ってもみませんでした。とてもユニークな企画で、いつもの見慣れたお寺が華麗に ではなく、密やかに変身する様を身をもって体験させていただきました。またの企画を期待しています。

  • 光明院まで来ると、千畳閣と五重塔はもうすぐそこ。

    光明院まで来ると、千畳閣と五重塔はもうすぐそこ。

  • どうしても桜を入れたかった・・・

    どうしても桜を入れたかった・・・

  • この坂を下りた辺りからの五重塔が・・・

    この坂を下りた辺りからの五重塔が・・・

  • 絶景なんだとか・・・でも逆光だよ。

    絶景なんだとか・・・でも逆光だよ。

  • 時刻は17時10分。ロープウェイは17時で営業終了なので、弥山頂上へ詣でるというプランは、既に実行不可能になっていました。まあ、次でもよいかなあ。次があったらの話ですが。<br />

    時刻は17時10分。ロープウェイは17時で営業終了なので、弥山頂上へ詣でるというプランは、既に実行不可能になっていました。まあ、次でもよいかなあ。次があったらの話ですが。

  • でも折角宮島に来たからには、最後の訪問地紅葉谷を目指します。目的は「もみじ」ではなく、「さくら」。廿日市市からの散歩仲間が教えてくれたとっておきの場所です。<br /><br />それにしても、この「岩惣」ってなあに? 看板の数が半端ない。

    でも折角宮島に来たからには、最後の訪問地紅葉谷を目指します。目的は「もみじ」ではなく、「さくら」。廿日市市からの散歩仲間が教えてくれたとっておきの場所です。

    それにしても、この「岩惣」ってなあに? 看板の数が半端ない。

  • おお~ こちらの旅館だったんですね。嘉永年間(1844年~1855年)に、初代岩国屋惣兵衛が許可を得て紅葉谷を開拓し、宿を開いたのが始まり。こちらは1892年(明治25年)に建築された、宮島特有の松材「弥山木」を使用した玄関母屋だそうですよ。

    おお~ こちらの旅館だったんですね。嘉永年間(1844年~1855年)に、初代岩国屋惣兵衛が許可を得て紅葉谷を開拓し、宿を開いたのが始まり。こちらは1892年(明治25年)に建築された、宮島特有の松材「弥山木」を使用した玄関母屋だそうですよ。

  • 玄関の向かい側にあった、こちらの建物の前で、黒服に身を包んだ方々が何やら打ち合わせ中。この時は分からなかったのですが、実はこの数日後、ここでG7広島外相会合のワーキングディナーが開催されたんですね。それでピリピリしていたんだ。

    玄関の向かい側にあった、こちらの建物の前で、黒服に身を包んだ方々が何やら打ち合わせ中。この時は分からなかったのですが、実はこの数日後、ここでG7広島外相会合のワーキングディナーが開催されたんですね。それでピリピリしていたんだ。

  • 岩惣の玄関前を流れる御手洗川を渡ると、紅葉谷公園に入ります。

    岩惣の玄関前を流れる御手洗川を渡ると、紅葉谷公園に入ります。

  • 町中からたった5分で、深山の佇まい。

    町中からたった5分で、深山の佇まい。

  • 「ロープウェイ」乗り場への案内が面白い。<br /><br />ゆっくり歩いて8分<br />ときどき走って6分<br /><br />さてはストップウォッチ持って測ったのかな?

    「ロープウェイ」乗り場への案内が面白い。

    ゆっくり歩いて8分
    ときどき走って6分

    さてはストップウォッチ持って測ったのかな?

  • こちらは、入口近くにあった四宮(しのみや)神社へと続く参道です。普段なら上りますが、今日はもう十分歩いたので眺めるだけ。桜を追っかけているけれど、この辺りにはありませんね。

    こちらは、入口近くにあった四宮(しのみや)神社へと続く参道です。普段なら上りますが、今日はもう十分歩いたので眺めるだけ。桜を追っかけているけれど、この辺りにはありませんね。

  • この辺りは秋になれば、モミジで色づく場所なのでしょうが、今は草紅葉。朱色の橋が鮮やかでした。御手洗川は、この辺りでは紅葉谷川と呼ぶんだ。

    この辺りは秋になれば、モミジで色づく場所なのでしょうが、今は草紅葉。朱色の橋が鮮やかでした。御手洗川は、この辺りでは紅葉谷川と呼ぶんだ。

  • このまま進むと営業の終わったロープウェイ乗り場に行ってしまうので、一旦戻って四宮神社の右側の丘を上ります。

    このまま進むと営業の終わったロープウェイ乗り場に行ってしまうので、一旦戻って四宮神社の右側の丘を上ります。

  • ありましたよ。桜満開の山村茶屋のある広場。左手にある山村茶屋は、地元の人たちに愛されている、町の中華屋さんなんですって! Σ(゚Д゚)!<br /><br />

    ありましたよ。桜満開の山村茶屋のある広場。左手にある山村茶屋は、地元の人たちに愛されている、町の中華屋さんなんですって! Σ(゚Д゚)!

  • まだ若いソメイヨシノ中心でしたので、風情はあまり感じられなかったけれど、地元民に教えてもらった「穴場」体験で、気持ちよかったぁ!

    まだ若いソメイヨシノ中心でしたので、風情はあまり感じられなかったけれど、地元民に教えてもらった「穴場」体験で、気持ちよかったぁ!

  • 紅葉谷の桜を愛でてから帰路につきました。廿日市市からの散歩人さん、本日はありがとうございました。

    紅葉谷の桜を愛でてから帰路につきました。廿日市市からの散歩人さん、本日はありがとうございました。

  • 岩惣の脇を下りて行って・・・

    岩惣の脇を下りて行って・・・

  • 性懲りもなく、五重塔と桜を撮って・・・

    性懲りもなく、五重塔と桜を撮って・・・

  • 別の道から甍の波を眺めます。

    別の道から甍の波を眺めます。

  • この坂は、まだ通っていなかったよね。

    この坂は、まだ通っていなかったよね。

  • 大鳥居と同じ両部鳥居を持つ幸(さいわい)神社。

    大鳥居と同じ両部鳥居を持つ幸(さいわい)神社。

  • 一瞬、荒胡子(あらえびす)神社に戻ったかと思いましたが、違いました。道祖神を祀っている神社で、その昔は疫病神「牛王」を祀っていたと説明板にあったのでこれまたビックリ! 今日だけで、一体いくつの神社のお参りをしたのかしら?

    一瞬、荒胡子(あらえびす)神社に戻ったかと思いましたが、違いました。道祖神を祀っている神社で、その昔は疫病神「牛王」を祀っていたと説明板にあったのでこれまたビックリ! 今日だけで、一体いくつの神社のお参りをしたのかしら?

  • フェリー乗り場までは、まだ通っていなかった道「町屋通」を進みます。表参道の一本山側の道ですが、驚くほど人の数が少ない。

    フェリー乗り場までは、まだ通っていなかった道「町屋通」を進みます。表参道の一本山側の道ですが、驚くほど人の数が少ない。

  • こちらの「佐々木文具店」は楽しいお店でした。文具で商売できたのは50年前の話。店ん中で文具は一切見かけなかったなあ。それでも看板はそのまま。<br /><br />お土産屋さんですが、少々変わったものが見つかります。気さくなご主人とのおしゃべりも楽しかった。<br /><br />ここで私はもみじ饅頭型マグネットを購入しました。

    こちらの「佐々木文具店」は楽しいお店でした。文具で商売できたのは50年前の話。店ん中で文具は一切見かけなかったなあ。それでも看板はそのまま。

    お土産屋さんですが、少々変わったものが見つかります。気さくなご主人とのおしゃべりも楽しかった。

    ここで私はもみじ饅頭型マグネットを購入しました。

  • もう4月なのに、まだ飾ってあるお雛様。ひょっとして1年中お雛様?

    もう4月なのに、まだ飾ってあるお雛様。ひょっとして1年中お雛様?

  • ようやく、要害山に上る階段のところまで戻って参りました。

    ようやく、要害山に上る階段のところまで戻って参りました。

  • もう、こんな時間になってしまいました。今日は1日晴れてくれてありがとう。明日も頼みまっせ!

    もう、こんな時間になってしまいました。今日は1日晴れてくれてありがとう。明日も頼みまっせ!

  • 帰路は松大汽船で帰りましょう。両頭双胴船「厳島」号で、宮島に別れを告げます。次回は弥山頂上と、そして今度こそアナゴ飯に挑戦しようっと。

    帰路は松大汽船で帰りましょう。両頭双胴船「厳島」号で、宮島に別れを告げます。次回は弥山頂上と、そして今度こそアナゴ飯に挑戦しようっと。

  • 宮島口からは広電で景色を見ながらゆっくり帰ろう と思ったのは良いのですが、あっという間に寝落ちして気が付けばもう広島駅のすぐそばを走っていました。1時間くらいどんぶらこしてしまいました。<br /><br />お天気が続くようなので、明日も遠出して、広島の小京都竹原と瀬戸内海を見に行ってこようと思っています。この続きは、サクラ満開 春爛漫の山陽路 その6 広島市・竹原(前半)で!

    宮島口からは広電で景色を見ながらゆっくり帰ろう と思ったのは良いのですが、あっという間に寝落ちして気が付けばもう広島駅のすぐそばを走っていました。1時間くらいどんぶらこしてしまいました。

    お天気が続くようなので、明日も遠出して、広島の小京都竹原と瀬戸内海を見に行ってこようと思っています。この続きは、サクラ満開 春爛漫の山陽路 その6 広島市・竹原(前半)で!

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