2018/06/11 - 2018/06/13
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しんちゃんさん
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何年も前から”歩けるうちに尾瀬に行きたい”と思っていたが、行く機会に恵まれず、数年過ぎ、とうとう歩けるか危うくなりかけてしまった(~_~;)
当初は個人旅行を考えていたが、自分に合ったコースを見つけツアーで行きました。
コース名は、北陸新幹線&特急サンダーバード利用【秘境奥只見遊覧船利用で尾瀬沼花紀行と湯沢高原・親不知廃線ウォーク3日間】と、長々~。
新潟県奥只見湖から沼山峠に入り尾瀬沼を散策するコース。温泉大好きのしんちゃん。2か所の温泉地での宿泊が組み込まれていたのが決め手となりました。
******
1日目は、かつて北陸道の最大の難所だったことで知られる親不知を一望できる旧国道「コミュニティロード」と、廃線となったトンネルを歩きます。あまり知られていない観光スポットかなと思いますが、チラッとでも見て頂ければ嬉しく思います。
*写真は、廃線になった新潟県糸魚川市と富山県黒部市の県境に近い場所にある旧親不知レンガトンネルです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 JR特急 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 読売旅行
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最寄駅から特急サンダーバード7号に乗車してツアー合流。
列車内で3日間お世話になる若い添乗員さんと挨拶を交わし旅が始まる♪ -
11:28金沢駅で、新幹線つるぎに乗り換え。
車両は、かがやき・はくたかと同じくE7系。 -
2015年デビューした新幹線つるぎ。
金沢-新高岡-富山間を走行する新幹線で、サンダーバードやしらさぎの接続、通勤列車といった意味合いが強い列車です。
乗換え時間は、往きは26分で余裕があったが復路は9分と短く、乗り遅れないようかなり慌てました。 -
座席は3-2で、和柄の赤いシート。ゆとりの空間で快適な乗り心地。在来線特急の自由席よりも新幹線はやや広めで、足元ゆったりで座ることができます。
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最高速度260km。終点の富山駅までは、わずか23分-(''_'')
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洋式のウォッシュレットのトイレ。つるぎ初乗車で下車する前に撮ってみる。
他の新幹線と違いは、? -
トイレを出た所にある洗面台の右側には、ハンドドライヤーが付いていて乾燥できる。手拭きを出す手間が要らなくて便利です。
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駅を出て駅前通路を進むと、JR富山駅舎の1階部分にある路面電車の停留場が見えた。黒・白・シルバーの電車が停留中。
富山市の3路線を運行する、富山地方鉄道電車(株)です。 -
3番線は、始発駅の岩峅寺から→上滝→南富山→電鉄富山駅へと、富山市街を走る路面電車のよう。いつの日か乗車して市内観光を楽しみたい・・
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白い駅舎と特徴的な放射状の柱の富山駅。
雪の立山連峰と立山杉をイメージしているそうです。 -
富山駅前
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またレトロな路面電車が駅に入ってきました。
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さて、今回利用した読売ツアーは、富山駅前から富山地鉄北斗バスを利用して観光が始まります。
参加者は、ネットを通じて関西予約センターで申し込みをしたので大阪、京都、奈良、和歌山、滋賀など近畿地方からの参加者40名と関西以外の私たち2名の計42名です。
満席でバスに乗るにも時間が掛かります。 -
まず最初の観光は「鉄道遺産」親不知レンガトンネル。
バス中で配られたコースが書かれた用紙を見ると、北陸本線跡にある遊歩道を通り、その先の廃線トンネルを潜り抜けぐるり一周。約1時間コースです。 -
やがて、国道8号天険親不知トンネルが見えて来ました。
バスはこのトンネル手前にある駐車場に入ります。 -
天険親不知駐車場は、小さなトイレもあり駐車料金などは要らないようです。
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駐車場(天険コミュニティ広場)にある大きな案内板。
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この案内板は…景観も独特であり、多くの著名作家に愛される場所となり松尾芭蕉、森鴎外、十返舎一九などなど多くの文学作品にも登場しているなどと親不知を紹介していました。
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バスを降り、いよいよ一周ウォーキング開始!
周遊コースは2通りありますが、私達は親不知コミュニティロードを通るコースへ。西方向へ歩きます。 -
駐車場から続くこの道は、海抜約100mの崖を削って1883年に作られた道で、「市道・天険親不知線」という道。東西1.0kmの道路です。
道路を作るには難しすぎる地形ゆえ、現在ひかれている道路も崖路すれすれの場所に作らなければいけなかった程で、苦労を感じることができます。 -
市道・天険親不知線は、1986年に「日本の道百選」に選ばれ、2007年には「土木遺産」に認定されています。
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青海八景
現在は主に観光客向けの遊歩道として利用され、自動車等の通行はできません。 -
展望台の手前にある矢印の方向の先は能登半島や、
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晴れた日には佐渡島も眺望できます。この日は曇り空で見られませんでした。
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この展望台からの親不知の眺めはおすすめ!
親不知は正式には親不知・子不知(おやしらず・こしらず)といい、日本海海岸の断崖絶壁に沿って狭い砂浜があるだけの北陸道の最大の難所。 -
親不知がいかに険しい地形かがわかる景色をズームアップ。
海に飛び出している高架橋は北陸自動車道です。そして、一般道である国道8号線は海の上ではないものの、もう本当に崖すれすれの場所を通っていることが分かります。今ではこれらの道路を通ればいいわけですが、昔はもう海すれすれの場所を歩いていたようです。「天下の険」と呼ばれた交通の難所、親不知・子不知…も昔のこととなりました。 -
展望台のすぐ隣には、日本近代登山の父と言われるウェルター・ウェストンの像があります。
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ウェルター・ウェストンは、富士山や日本アルプスなどを登る他、この親不知も訪れ、著書で、親不知を紹介しています。
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ウォルター・ウェストンの解説板
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左側の切り立った崖が、この親不知の道の険しさを語っているようです。
眼下に日本海を眺めながら、曇天が幸いして汗もかかず快適に散策♪ -
「如砥如矢(とのごとしやのごとし)」90m先
何かと思ったら… -
「如砥如矢砥」と岩に刻み込まれている。
道より5m上の大きな一枚岩に、海に対面して1m四方の大文字で、この道(市道・天険親不知線)の完成を喜んで彫られた文字だそうです。 -
「如砥如矢(とのごとしやのごとし)」
出典は中国の「たいらかなること砥の如く、はやきこと矢の如し」という新道をたたえた文からとったと言われているそうです。 -
絶壁に梅雨に咲く紫陽花。
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駐車場から600mの場所に階段が出てきました。
約 100mの距離を一気に降りる急な階 段。足元に気を付けながらゆっくりゆっくりと(';') もし道が濡れていたらどんなに怖かった事でしょう。 -
急階段を降りきると展望広場があって、日本海を眺め一息入れます~(*'▽')
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そして右手に、がけをぶち抜いて作られた「親不知トンネル」が出現(@_@)
これが、昭和40年まで使用されていた旧北陸本線のレンガトンネルです。
こちらはトンネルの西側入口になります。 -
この文面によると・・・
この道を作るきっかけとなったのは、1878年明治天皇の北陸巡幸。 明治天皇はこの地を通る際には、安全を考えて海沿いではなく山道を選んで歩かれた。
しかし、その山道はもちろん容易な道ではなく大変な山越えだったのです。
それを悔いた地元の有志が、安全な道を作ろうということで、明治天皇が訪れた5年後の1883年に新道が出来た。と説明しています。 -
では、100年以上前のレンガ造りのトンネルを歩いて見学。
懐中電灯必須と事前に聞いていたので、持参したヘッドライトを付けて歩きます。
トンネル入口に数個の懐中電灯が用意されているようでした。 -
トンネル内は真っ暗でした。歩けるのは左側で、粉鉱を敷き詰 めた幅約 1mの通路が設けられています。
トンネルの両側はレンガ造りが残っていて保存状態が良さそうでした。 -
トンネルの大きさは?の解説パネル。
このトンネルの長さは、668m。さらに幅は3.4~4.6mで、高さは5m程。
大きさに関しては、機関車が通れる最小限の大きさだそうです。 -
どうやってつくった?の解説となっています。
このトンネルは1907年に作り始め、5年の歳月をかけて完成させました。そして、その作り方はなんと手掘り!このトンネルは天井部分から掘り、それと同時にレンガを使って固めながらトンネルを掘り下げて造ったのです。苦労が偲ばれますネ。 -
親不知レンガトンネルで使われている「イギリス積み」「長手積み」それぞれの工法の解説があります。
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トンネル内は、解説パネル部分にある灯りとフットライトがあるだけで真っ暗。
中にコウモリがいると聞きましたが発見出来ませんでした。 -
トンネルの東側入口が見えて来ました。
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大正元年~昭和40年まで蒸気機関車が走っていたトンネルを歩き、東側入口に出てきました。
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トンネルをで出た所にも親不知ずい道(旧親不知トンネル)と書いた大きなパネル。
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復習すると、1907(明治40年)に富山・直江津間 の両端から工事が始まった旧親不知トンネルは、稲葉組が 60 万円(現在の金額換算では約 120 億円で請け負い、トンネル部分だけの工事費17 万6千円という 記録がある。地質が非常に硬い安山岩であったため手掘りで、一日平均約 58cm しか掘り進められなかったそうです。5年の歳月がかかったのも解ります。
このトンネルを走っていた旧北陸本線は、黒姫山の石灰石などを主に運んでいたそうです。今から53年も前の 1965(昭和 40 年)複線化に伴い廃線となり役目を終えたのです。 -
トンネルの東側入口 付近から、波打ち際まで降りることもできます。
怖そうで時間もないので降りる人はいないようでした。 -
東側遊歩道は約 200m。昇り切ると ゴール地点の駐車場に到着します。
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絶景を楽しみながら約1時間、出発地点に戻って来ました。
親不知レンガトンネルと親不知コミュニティロードが遊歩道で結ばれ、眺めがよいコースでした。
西側入り口に至る急階段は、明日の尾瀬散策の良い足馴らしとなりました(^_-)-☆ -
親不知を離れバスは魚沼市方面目指して走行。
北陸自動車道・米山サービスエリア(下り線)で、トイレ休憩。
米山SAは、裏手に展望台広場があり日本海と遠く佐渡島を望めるSAです。
場所は、新潟県柏崎市笠島です。 -
雲の切れ目に、かすかに佐渡島が見えましたが、この写真では微妙?
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”荒海や 佐渡に横たふ 天の川”
芭蕉が詠んだ句碑も立っています。 -
1689年「奥の細道」旅の途中、えちご出雲崎での吟。芭蕉46歳と記されています。
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バス中の遅いおやつタイムは、米山SAで買った安田牛乳のシュークリーム。
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魚沼市に入り、広大な田んぼを囲むように八海山が見えて来ました。
まだ頭に多くの雪をかぶっています。 -
PM5:50 宿泊先のホテルゆのたに荘に到着。
ホテル周辺は、店もコンビニも温泉街も何もない山郷です。
客室数は 42室 の小さな温泉旅館。
住所:新潟県魚沼市下折立245 -
部屋は4階の12畳の和室です。
宿泊先ではあまり見かけ無いような古畳にちょっと驚き!
気を取り直して兎にも角にも大好きな温泉へ。 -
荷も解かず風呂場へ飛んで来たので一番乗りでした!
先ずは内湯から。 -
ドアに、内湯で温まってから露天風呂に行くように、との注意書きが貼っています。
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露天風呂は、源泉温度38.5度とぬるめの湯。
この時期、内湯で温まっていても最初はヒヤッと少し冷たく感じます。
30分間のんびりと浸かっていたら、だんだん体が温まってきて気持ちいい(*o*)
源泉を温めていない湯に魅力を感じますが、冬場の入浴は難しいでしょう。 -
源泉かけ流しの、アルカリ単純温泉PH8,5のさらっとした肌触りの良い泉質でした。
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6:30夕食。風呂上り直ぐで忙しいですが、お腹はペコペコなので(^'^)
★焼 物 鮎の塩焼き
★煮 物 ぜんまい,車ふ,鰊の田舎煮 -
★刺 身 サーモン,南蛮海老,いか
★てんぷら
★わらびもち -
★越後もち豚鍋
★釜飯、味噌汁
煮物や焼き魚は冷めていますが、鍋と釜飯はテーブルの固形燃料で調理するので温かい物を食べられます。大抵おかずは食べてもご飯は残るのですが、お米が美味しくて全部平らげました。魚沼コシヒカリは美味しかったです☆ -
部屋に置いてあった案内誌。魚沼市と言えば魚沼米しか思い浮かばなかったが…
しかし、湯之谷温泉郷を中心とした13の温泉・宿泊地があるようです。湯治場として有名な温泉もあるようでちょっと気になりました。
さて、夕食を頂いたら朝が早かったので眠気が。食後直ぐだが2度目の入浴で今日の疲れを癒し早目に就寝しました。いよいよ明日は楽しみな尾瀬沼散策です。嬉しくて、実はなかなか寝付けませんでした(*_*)
*********続きは(大江湿原・尾瀬沼散策2日目)になります。
最後まで、ご覧いただき有難うございました。
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