2013/05/06 - 2013/05/06
58位(同エリア177件中)
栗沢氏さん
福島第一原発事故以来、チェルノブイリ原発を訪問したいと思っていた。事故発生の4月26日前後の時期、かつ、事故当時に建設された石棺が新しい石棺に覆われる2014年よりも前に行きたいと思っていた。2012年のGWには、現地ツアーの予約をし航空券購入までしていたが、ツアー17日前になって急遽チェルノブイリ側からキャンセルされるという不運に見舞われた。今回、遂に念願を叶えることができた。___________________________________________<チェルノブイリ原発事故とは?> 1986年4月26日1時23分にソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号炉が炉心溶融の後に爆発し、放射性降下物がウクライナ・ベラルーシ・ロシアなどを汚染した史上最悪の原子力事故だ。放射性物質で汚染されたチェルノブイリ周辺は居住が不可能になり、約16万人が移住を余儀なくされ、現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに原発から北東へ約350kmの範囲内には局地的な高濃度汚染地域が約100箇所点在し、農業や畜産業などが全面的に禁止されている。ソ連政府の発表による死者数は運転員・消防士合わせて33名だが、4号炉をコンクリートの構造物(石棺)で封じ込めるためなどに動員された延べ80万人の労働者には多数の死者が確認されている。長期的な観点からみると事故の被爆の影響による癌死亡者数は、数万から最大98万5000人という調査報告がある。また、たとえ直接の被曝を受けなくとも避難などに伴う心理面・物理面での間接的な健康被害への影響は大きい。1991年に独立した当時のウクライナの人口は約5200万人だったが、2010年には約4500万人にまで減少している。
PR
-
一人USD160のバスツアーに参加し、キエフの独立広場からチェルノブイリに向かった。バス内では原発事故に関するドキュメンタリーが2時間程度上映されたが、これだけでチェルノブイリの悲劇の何がわかるというのか。
-
チェルノブイリ原発から30kmゾーンの検問所を通過して間もなく「チェルノブイリ(ウクライナ語)」の標識があった。
-
原発事故の消火活動を行った消防士達を追悼するモニュメントがあった。彼らは目に見えない放射線物質の極めて危険な状況を知らされずに消火活動を行い命を落とした。彼らがいなければ、欧州全域が人の住めない地域になりかねなかった。人類誕生以来、これ程までに人類に貢献した英雄はいないということを世界は知らなければならない。その他、原発を覆う石棺を作った作業者達も忘れてはならない。
-
幼稚園を見るということでバスはふいに停車したが、深い緑とその奥に建物がかすかに見えるだけだった。コパチ村幼稚園だ。
-
幼稚園の前の地面から1cmのところをガイガーカウンターで計測してみると、もうこの時点で既に18.53μSv/hrを表示していた(162mSv)。被爆線量の目安は年間被爆許容量が一般市民で1mSv、原発従事者で50mSv、150mSvで軽度のむかつきの障害が出始める。こんなところで泥遊びでもしていれば1年で障害が出てしまうし、呼吸しているだけでもかなりの放射線物質を吸い込んで内部被爆することになるのは間違いない。
-
幼稚園の建物内に入るとすぐに写真や張り紙、マトリョーシカの貼られた掲示板、人形などの置かれたロッカー、飾りがあり、在りし日の姿を重苦しく想像することになった。
-
小さな白板と机と棚、散乱した本やぬいぐるみ、抜け落ちた床が見られた。
-
剥がれ落ちかけた壁だ。人がいないだけでこうも劣化してしまうものなのか。
-
流しとトイレのある部屋だ。ある部分は、除染作業時に作業者や何者かの侵入者によって破壊されたものだろう。
-
お昼寝するための部屋だろうか。子供にとっては二段ベッドでお友達と寝るというのは、とても楽しかったに違いない。
-
避難後に意図的に誰かが置いたと思われるクッションに横たわる人形だ。写真映えはするが悪趣味極まりない。
-
川沿いからチェルノブイリ原発を遠望した。4号炉の煙突と石棺がはっきりと見えた。
-
4号炉から約300mの地点に着き、4号炉をバックに自分を撮影した。4号路は想像してた以上に巨大であり、快晴の青空には似つかわしくなく極めておぞましい姿を見せていた。驚くべきは、予習で何度も見たものとは違って大きい煙突の後部に小さい煙突が増築されていたことだ。更に作業中のクレーンも立っており、依然として4号炉は収束せず、おぞましく生きていることを感じさせていた。
-
私の肩から上の拡大写真だ。高濃度の放射線物質が含有されている埃は危険だ。頭髪や目に付着するのを帽子とメガネで極力防ぎ、埃を吸い込むのをN95マスクで防いだ。体もレインスーツを着て埃の侵入を防いだ。当日の朝にはトロロ昆布50gを水で胃に流し込み、万が一の放射線ヨウ素漏れへの対策も怠らなかった。このレインスーツと履いていた靴は、汚染されたのでツアー後にホテルのゴミ箱に捨てた。ちなみに帽子にはロシア語で「日本人」とプリントされている。ウクライナでは中国人の評判が良くないので、その対策のため日本で特注して作ったのだ。
-
4号炉から約300mも離れたところの地上1.5m程度での線量は4~5μSv/hrで原発従事者許容量の年間50mSvをかろうじて超えない程度であった。福島第一原発事故当時のホットスポットの方が10μSv/hrを超えるなど現在のチェルノブイリ以上であったことは恐ろしいことだ。
-
ここにはモニュメントがあった。他のツアー参加者はツアー開始から一貫して軽装であった。彼らには空気中に漂うPM2.5レベルの埃による内部被爆の認識がなく、飛行機に数時間乗ったり、レントゲン撮影したりするのと同程度の影響しかないと感じていたのだろう。100歩譲ってそれでもいいが、最悪、ツアー中に石棺が崩壊して大量の放射線物質が漏れたらどうするのだろうか。
-
4号炉から数百m横にある新石棺だ。現在の石棺を増築する方法では建築作業者が被曝し危険であるため、4号炉から離れた線量の低いところで建造し、その後にスライドさせて4号炉を現石棺ごと覆うという人類史上最大の可動式建造物となる。資金難で遅れているようだが、2014年に完成予定だ。
-
原発を後にし、原発従事者の市で事故後に廃墟となったプリピャチに向かう(プリピャチの標識)。事故当時4万9000人もの人口があった。事故後、まる1日避難勧告は出されず住民は大量被爆してしまいその後の放射線障害や奇形児など多くの悲劇を生んだ。
-
プリピャチのメインストリートをバスで通過し、ロータリーのような広場で降りるとまず目に着く建物がこれだ。
-
広場から遠くを眺めると奥に高層建築が見えた。
-
別の方角にもコンクリートの建物が見えた。
-
また別の方向には、スポーツセンターがあった。中にはスイミングプールなどがあるらしい。
-
スポーツセンターの裏の遊園地に向かう。観覧車が遠くからも目立ち、この市の在りし日は平和であったという象徴のように感じられた。
-
小さなゴーカート場だ。
-
ブランコがあった。
-
回転系のアトラクションがあった。
-
観覧車の前に来た。
-
ロータリーのような広場に戻った。
-
建物の中はどれもこのように廃墟と化していた。
-
事故前から描かれていたのか、事故後に描かれたのかは不明だが、3人の子供が遊でいるような影が描かれた建物があった。
-
元市役所。エントランス上部に原発マークがあった。
-
その建物のエントランスの「M」の文字が落下していた。これらのようにプリピャチでは印象的な遺物を多数目撃することになった
-
かなり大きな通りだったのだろうが、新緑の草木に大分覆われていた。晴天の中の柔らかい緑の景色が広がり、何度も単純に気持ち良さを感じてしまった。しかし、その都度、これは人類史上最悪の事故の産物であるのだということを強く意識した。
-
生え放題の草木の奥に廃墟と化した高層マンションが乱立しており、非常に不気味だった。
-
大規模な除染作業が行われたとはいえ、27年間メンテナンスしないだけでこうも劣化するのか。
-
数十分も歩いて回ると、このような草木と廃墟の光景には、もはや驚きを感じなくなっていた。
-
軍関係のポスターだろうか。1945-1985の文字が見える。
-
このようなマンションの脇を休みなくせっせと歩いて行った。
-
今回のツアーで最も崩壊していた建物がこれだ。いつ崩壊したかは不明だが、プリチャピ市ができたのが1970年ということを考えると築40年も経過していないのにこのようになっていては、原発事故で廃墟にならなくとも崩壊していたのではないだろうか。
-
ものすごい勢いで道が新緑に侵食されており、登山道の方が数倍歩きやすい。汚染されており危険とはわかっていながらも木々の枝を素手で掻き分けなければ前に進むことができなかった。じっくり写真を撮っていて皆とはぐれて、方向を見失ったときは、遭難するのではないかと非常に焦った。
-
プリピャチを後にする。これは2車線はあったはずのメインストリートだが、草木に侵食されているのがよくわかる。
-
ツアーは昼食付きで、これは食事場所建屋の出入口にあった放射線測定ゲートだ。現在、ここでは使用されていなかった。帰路では10kmと30kmの検問でこのようなゲートを通る必要があり、私は当然のように問題なく通過した。他のツアー客もあれだけ無防備に素手で様々なものに触れていたにもかかわらず問題なく通過していた。
-
キエフの独立広場に戻りツアー終了。 このツアーの総括としては、私はチェルノブイリの大惨事について事前に十分に予習をしていたので、原発事故の深刻さをまざまざと受け止めることができたが、そのような予習をしていない人間にとっては、単なる廃墟マニアの撮影ツアーになりかねず、知識不足による内部被曝、建物崩落や遭難などの事故を招く恐れがあり、また、ツアー後には原発事故は過去のものと軽く捉え、原発推進に容易に考えてしまう危険性を孕んでいるように感じた。ウクライナ政府には、より厳粛なツアー形式となるよう改善して欲しいところである。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
その他の都市(ウクライナ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
その他の都市(ウクライナ) の人気ホテル
ウクライナで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ウクライナ最安
518円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
43