2017/05/01 - 2017/05/02
14位(同エリア104件中)
のまどさん
この旅行記のスケジュール
2017/05/01
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チトー記念館見学
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ノヴィ・サド観光
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Slavija Lux
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電車での移動
ベオグラード→ヴルシャク→ティミショアラ
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ティミショアラ観光
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Hotel Central Timisoara
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この旅行記スケジュールを元に
ベオグラード1日目の午後はティトー記念館を見学します。パルチザンを結成してナチスに抵抗し、ユーゴスラヴィアの終身大統領を務めた功績には賛否両論ありますが、見学する価値は大いにあります。
翌日はノヴィ・サドを観光。電車の中では素敵な出会いがありました。教会が建つ広場やドナウ川の対岸にある要塞など見どころが多くありましたが、この街はベオグラードよりも罹災が激しかったようです。
さらに翌日は早朝の電車でヴルシャクを経由してティミショアラに戻りました。18世紀に栄えた街だけあって、昨今は西ヨーロッパから多くの観光客が押し寄せるので立派な観光地になっています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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午後はティトー記念館の見学から始まります。
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特別展示はドイツに渡ったガストアルバイダー。移民の困窮した生活が強調されていました。
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続いて本館。ティトーの生涯とのその偉大な功績を讃える品が展示されています。世界中から寄せられた贈答品が印象的でした。
ティトーはナチスの占領に対してパルチザン前線を張って祖国を解放した英雄ですが、社会主義体制が崩壊した今、その功績は賛否両論です。 -
同じく贈答品の民族衣装を着た人形。
米原万里氏は共産党員の父親の赴任で少女時代をプラハのソビエト学校で過ごす、という現在ではあり得ない経歴の持ち主で、ユーゴスラヴィア出身のヤースナとはプラハで出会います。 -
二人は街で偶然出会い、ヤースナは万里に自分と同じ孤独を感じたと言った。その頃、ティトーはソ連と一線を画して独自の路線を築くことを宣言し、日本共産党も同様の姿勢を見せる。そのため二人はソビエト学校で孤立する。
ティトーの墓がある建物は観葉植物が並ぶ温室のような感じで、キューバのチェ・ゲバラの墓を彷彿とさせました。 -
パルチザン活動に使われたバトンはティトーの自由精神の象徴となっています。
日本に帰って受験勉強で忙しくなったマリはプラハの友人たちと次第に連絡がなくなる。その頃、ヤースナは学校でますます孤独になり、教師から投げつけられたユーゴスラヴィア批判に対して怒りを露わにして停学処分になる。
国の政治が無垢な子どもの学業を左右するのは共産主義に限ってのことなのだろうか。 -
ティトーはやはりあだ名で「お前があれをしろ」というぶっきらぼうな意味がある。そしてそのカリスマ性もチェゲバラと共通している。
何度も命を狙われながらも逃亡して生き延び、パルチザンを結成してナチスに真っ向から挑み、共産主義の欠点を補完する政策を取ってソ連を敵に回し、独裁政治や民族対立を回避するような独自の主義を貫いたことで支持が厚かったのは疑いの余地がない。
しかし、その死後ユーゴスラヴィアをまとめる手腕のある後継者が現れずに紛争が勃発したことも事実だ。 -
中央駅で明日の時刻表を調べます。
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夕食はしゃれたイタリアン。まあまあおいしかったけど、やたらと高く満足度低め。
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翌朝。今日は気持ち良く晴れそうです。ノヴィ・サドに向けて出発。
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ボックス席の私の前ではおばあちゃんに連れられた女の子が人形遊びを始めた。時折私のことを興味深そうに見てくる。
話してみると7歳の女の子はお母さんがフィリピン人で、その週末は恐らくお父さんの実家で過ごすことになっていたようだ。本人はシャイで、おばあちゃんがそう説明した。 -
SF映画さながらのアパートビル群。
おばあちゃんは昔フランス語を勉強したと言うので英語から切り替えると、頬を上気させて嬉しそうに話し始めた。私のフランス語は何年経ってもうまくならないのだが、こういう時下手でも話せてよかったと思う。 -
ノヴィ・サド到着。二人の姿をカメラに収めて別れる。
駅から市街までは徒歩25分。市街入口の劇場。 -
ノヴィ・サド市庁舎。
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イチオシ
向かいに佇むのは聖母マリア教会。ネオゴシック、小さな教会なので尖塔の高さが際立って見えます。この構えは何となくプロテスタントのように見えますが、ノヴィ・サドはハプスブルクの支配下にあったためカトリックです。
それにしても、市庁舎、尖塔、銅像、広場という構図はデルフト新教会と酷似しています。 -
中はわりと質素。24枚のステンドグラスには惜しみない太陽光が当たって本当にきれいです。
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続いて赤いレンガの枢機卿宮。アール・ヌーヴォー様式のようです。
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更に歩いて趣のある建物を発見。バルコニーのアーチに対して何とも飾り気のない窓。
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市場に寄ります。野菜の色が目に鮮やか。
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野菜の丸ごと酢漬け。平野レミっぽいかも。
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昼食。スタロプラーメン、万歳。(←好きなんです)
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ビタミンC補給のために注文した活性酸素抑制サラダは何とも斬新。
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ドゥナフスキ公園では何組かの謎の集団に遭遇。結婚式の前祝いと言った感じなのでしょう。
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ドナウ川に架かる橋を渡って、ペトロヴァラディン要塞にやって来ました。丘を上って麓の街を見下ろした光景。なかなか味があります。
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時計台はノヴィ・サドのシンボルになっています。長針が時間を指し、短針が分を指すという普通とは逆の仕組みになっています。
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先ほど渡ってきた橋。NATO空爆の際、ノヴィ・サドはベオグラード以上の被害を受けました。
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要塞はオスマントルコの150年の支配を終焉させたオーストリアが再建して今に至ります。王家の門。
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そのもっと前の石器時代から人が住んでいたという記録があります。中の博物館には太古の昔に手彫りされた木製の船があり、その長さには驚きました。
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川の対岸に戻ってきました。振り返って見る要塞。
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平和を祈る像。戦災に遭った街が発信するメッセージは重く受け取られます。
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街を去る前に赤ワインを1杯飲みます。
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昔の鉄道車両が展示されています。
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駅まではバスで。
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切符です。
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そして蒸気機関車。
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車内は快適。眠りに落ちてしまいましたが、所持品はみんな無事でした。治安は問題なし。
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ベオグラードに戻ってきました。
ホテルまでの道沿いには有名な国防庁ビル。軍事的に重要な建物だったので1999年にNATO軍によって3度も空爆されました。 -
爆破されたのは約20年前ですが、間近に見ると今さっき空爆があったかのような衝撃を受けます。悲劇を忘れないようにそのまま残してありますが、南側のA棟は改修計画があるようです。
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日が暮れて夜のサヴァ寺院、ライトアップされた姿もなかなかです。
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ベオグラード最後の夕食はホテル近くのレストラン。セルビア料理の本質はやはり肉。安いし、ウェイターも一生懸命だし、素朴さが気に入りました。
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翌朝、早朝の電車でティミショアラまで戻ります。
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見積もりを誤って現金が足らないというピンチに陥りました。電車の切符購入は現金のみ。でも、ATMがない。手持ちの現金でどうにか途中駅ヴルシャクまで2枚購入し、乗り換え時間内にウワバミが町の中心まで走ってどうにか現金を取得。ヴルシャクの地理に明るかったのが幸い。
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往路と同じ行程で長時間を経てティミショアラ到着。おなじみ共産主義チックな建物も多く見られますが、
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おしゃれな建物も多いので、ベオグラードから帰ってきた目には随分洗練された街に見えます。
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バックパックを抱えたまま勝利広場に面したレストランに入ります。とにかくサービスが遅く、1皿注文して食べ終わるまで1時間半も掛かりました。
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セントラル・ホテルにチェックインしてから街を散策します。
宙に浮いた傘。晴れた日に見ると素敵です。世界各地で見られますが、発祥はどこなのでしょう? -
イチオシ
続いて自由広場。天気が良く、コンサートのイベントが行われて活気がありました。オーストリア・ハンガリー帝国下で経済の中心であっただけあって、歴史的建造物が至る所に見られます。
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イチオシ
更に進むと統一広場。噴水広場とも言われていますが、噴水はとても小さいです。
ティミショアラでは1989年にチャウシェスクに対する蜂起運動が始まり、その1週間後にルーマニア革命となって政権崩壊に至ります。ティミショアラだけでも1000人以上の犠牲者が出ました。 -
由緒ある建物が見られる一方、ガラス窓から突如現れたハゲ頭。シュールなものに遭遇しました。
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またもやスタロプラーメン♪ベルギーにないのが残念です。
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夕食は民族衣装を着た店員が出迎えるルーマニア料理店。換算をごまかされて3ユーロほどぼられました。
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夜の傘もロマンチックです。
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翌朝、ライアンエアで帰宅です。今年の東欧の旅が終わりました。
<完>
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この旅行記へのコメント (2)
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- salsaladyさん 2018/07/15 09:05:40
- ユーゴスラビアの現実?
- ☆歴史に疎い私でもチトー大統領亡き後の分裂に心を痛めました。
☆其れでも人々は生きていく。今の平和が続きます様に~
☆千葉の”大賀蓮”を見ていても『年々歳々花合い似たり,歳々年々人同じからず』を感じました。つるされた傘群が洋の東西を問わず,空を見上げるすがすがしさに通じますね。日本では極限の暑さが訪れ,山陽の洪水被害者達を苦しめ続けます。~see you~
- のまどさん からの返信 2018/07/17 05:29:14
- Re: ユーゴスラビアの現実?
- サッカーのワールドカップに熱狂できる世の中は幸せですよね。準優勝のクロアチアに対する反応はバルカンでも様々ですが、民族協和を掲げたユーゴスラヴィアの時代を生きた人には感慨深かったでしょう。
その間、日本からはショッキングなニュースが入ってきました。戦争でも自然災害でも尊い命が奪われるのは悲しいことです。私には祈ることしかできません。
この夏一番の暑さだと思いますので、どうぞご自愛下さい。
暑中お見舞い申し上げます。
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