2018/05/16 - 2018/05/16
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tono202さん
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ぐーんと気温が上がって、新緑の中を原付ツーリングするのには最適の季節になりました。朝目覚めて思い立つように出かけることにします。向かうのは、阿波池田から馬路川沿いに愛媛県の県境境目峠までです。このルートは、かつては伊予阿波街道が通っていたところ。できるだけ旧街道をトレスして行きます。もちろん原付バイクでです。
- 交通手段
- バイク
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スタートは吉野川に架かる三好大橋です。
青い川に真っ赤な橋がよく似合います。 -
この橋が架かる前までは「大具の渡し」があました。
人や馬車も運べた「岡田式渡船」が最初に就航した場所です。
渡船ルートは、三好大橋の真下でした。右岸の橋から100㍍ほど西に碑文と説明図があります。国道最後の県営渡しは、昭和33年のこの橋の開通で、44年間の仕事を終えました。 -
今日のお題の「旧伊予街道」は、三好大橋から供養地までは国道工事などでルートが分からなくなっています。
トウゲ谷が吉野川に流れ込む地点に架かる池田第一橋を渡ってから、左に降りていきます。 -
吉野川の合流点の橋の下をのぞいて見ると・・・
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下流方向に見えるのがスタートした三好大橋です。
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上流方向には池田ダムや池田城のあった台地が見えてきました。
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県立三好病院に向かって国道の下の道を歩いて行くと、大きな松が迎えてくれます。この松は「半里松」で、ここが岩鼻の一里松と細野の一里松の中間地点になります。
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松の下の赤い屋根のお堂あります。太子堂です。
猿田彦命を祭ってあったといいますが、村の入口で悪霊の侵入を防ぐ道祖神として始まったものかと思われます。境内には木陰とベンチがあり、一休みするにはもってこいの場所です。 -
松の下には庚申塔、地蔵堂、三界万霊塔などが建ってます。
庚申塔は1670年(寛文10)の造立で、金剛神明を三〇〇万遍唱え終わった事を記念して建立された物ですが、この地域では非常に大変古いもので、庚申塔の先駆けとなるものです。これを、真似て幕末に掛けてこの地区では盛んに、光明真言碑が建立されていきます。
地蔵や三界万霊塔は、吉野川の洪水の被害者や、近くにあった江口の渡船場の水難者を弔うために建てられたものではないかと思われます。 -
三好病院から西へ進むと下町橋を渡ります。
この付近が「分間図」に記載されている御蔵所の跡です。この下にある川港から平田船で吉野川を下り徳島や撫養へ人と物が行き来しました。江戸時代から大正期まで、池田の玄関口として栄えた千五百河原港(はまの港)跡です。ここの灯台としての役割を果たしたと思われる常夜燈が残されています。闇夜に荷を積んで川を上って来た平田舟を照らしていたでしょう。
急な坂道を登ると、この地点が本町通りの東の端になります。 -
本町は、千五百河原港が池田の玄関口として栄えた時代には、商家、船宿、料亭が立ち並び、池田の町きってのにぎやかな通りでした。
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明治初期には、谷町とともに手きざみの煙草製造で全盛期を迎えます。
しかし、煙草製造が官営に移って専売となり、機械化されていくと業者にとっては大転換期となります。このときに手に入れた転廃業資金で豪華な家を新築し、その防火壁として卯建(うだつ)を飾り立てました。 -
本町には、今もりっばな卯建をかかげた古い商家が並び、昔の面影を残しています。
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500m余りの通りの中ほどで庚申通りと交差する四つ辻の南東に、石碑が建っています。
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ここにも光明真言供養碑一基、庚申塔一基、常夜燈二基あり、庚申信仰が盛んであったことが分かります。
井戸の上では猫が昼寝中でした。この井戸も、周辺の人々の社交の場となったのでしょう。
池田城のあったウエノ台地に上がって見ましょう。 -
ウエノ台地には鎌倉時代の1221年(承久3)、阿波国守護に任じられた信濃の小笠原長清が、池田大西城を築きました。城跡は現在の池田幼稚園・中学校一帯で、幼稚園の東側に、石垣の一部が残されています。
城跡が現在は池田の文教地区になっています。 -
城跡からはその下に開けた池田の市街が見渡せます。
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蔦監督が率いた山彦打線が甲子園を沸かせた池田高校も、この台地の上にあります。
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旧伊予街道は池田の市街地を抜けて、丸山公園南麓の緩い坂を登って行きます。
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平坦になったところが細野峠です。
かつては、一里松がありましたが、今はありません。この峠の南側には細野大師が祀られていて、境内にたくさんの石造物が並び立ちます。 -
道をはさんで北側にも、細野庵や新山八十八ケ所があり、峠一帯が霊場となっていて、ちょとした小公園です。
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この南西の馬谷にあった観音堂の土地が狭いため、ここに移転して整備されたようです。
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ここから伊予街道は板野渡船場(現池田大橋)へと通じていましたが、ルートにはわからないことが多いのです。
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池田大橋が望める地点まできました。ここが板野の渡船場跡です。
対岸の白地は伊予・土佐・阿波の交通の分岐点で重要な位置を占めましたから、板野-白地間の渡船は、1927年(昭和2)、上流に三好橋が架かるまで重要な交通機関でした。
江戸中期より板野下島は開墾され農地が広がり、吉野川水運が盛んになり板野と対岸の白地の渡船場は宿場町のようなにぎわいをみせるようになりました。
板野の宿場は、道の両側に商家が軒を並べ、活気に満ちていた。現在も観光ホテルから渡船場跡寄りには家屋が軒を並べており、往時の名残がうかがえます。
これから目指す馬路川と吉野川の合流点でもあります。
そして、向こう岸の丘の上にあったのが白地城です。行ってみましょう。 -
泊地小学校西側の路地のような狭い急斜面の道を、標識に導かれながら登って行くと・・・
八幡神社の鳥居が迎えてくれました。 -
この神社は大西氏が白地城を築いた際に、伊予八幡浜より勧請したと伝えられます。
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八幡神社の石段下には、常夜燈があますが、これはもとは番所前にありましたが池田ダムの建設の際に、ここへ移転されました。白地渡船場の夜間照明として用いられたのでしょう。
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ここからは眼下に、池田大橋が見下ろせます。長宗我部元親も、ここで讃岐と阿波の制圧に向けての野望を膨らませていたのかもしれません。
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神社と地続きで八幡寺があります。大西氏が八幡神社を勧請したときに、報恩寺と称した寺院を移転し、別当寺として八幡寺に改称させたといいます。
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境内には、庚申塔、大西氏縁故者の墓とされる三層の石塔(五輪塔の空輪・水輪を集めたものか)があります。
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天正年間(1573~1592)頃まで、これら寺社のある付近から尾根伝いに伊予へ抜ける道(八幡街道、京街道)が用いられていたと伝えられます。修験道の行者は、撫養から四国の西端の八幡はまで、尾根筋の修行道で行き来したとも言います。
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ここからは池田湖と高速の橋が見渡せます。
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ちなみに白地城跡は、この建物の敷地にあります。
しかし、当時を偲ぶ物は何もありません。 -
さて、国道192号を馬路川沿いに500㍍も行くと県道との分岐点に白地郵便局があります。
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白地小学校下の番所前を通った街道は、この付近で馬路川を渡ったようです。
現在は郵便局西に白地橋が架かっています。街道は馬路川を越えるとすぐに西に向かいます。 -
橋の上から馬路川の下流を眺めます。300㍍ほど先で吉野川に合流します。街道は馬路川を越えるとすぐに西に向かいます。
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白地橋の北詰めから西に向かって100m程進んだところに道標があります。
白地青年西北組が1925年(大正14)に造立したもので、箸蔵寺、雲辺寺、境目峠への距離が刻まれています。ここからこの山道へ旧街道は入っていきます。しかし私は原付バイクで迂回します。 -
この道標の下に見える家構えも元造酒屋風で、卯建があがっていました。
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急な渓谷を抜けるとその奥は、盆地状の地形が現れ棚田が広がります。ちょうど田植えの準備中で代掻きが行われていました。
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そして、振り返ると今渡ってきた池田大橋が眼下に見えます。
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井野久保の集落は、耕地整理が進み旧道がどこなのか探しようがありません。
迷ったときには「神社か寺院」が、街歩きの鉄則です。
ここはワープして,左手奥に車窓が見える三所神社に向かいます。 -
盆地の真ん中の小高い丘に鎮座し、集落のどこからも眺められる神社です。
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馬路川の奥の境宮神社から勧請された神社のようです。
境宮神社が、この地域の中核寺院として藩政下においては位置づけられていたようで、そこから勧請した神社がこの地域には多いようです。 -
ここには不動明王像が刻まれた石像が建っています。神仏分離の際にも「廃仏毀釈」を受けなかったようです。修験同者の指導で神社の祭礼が行われていたことを示す物なのかもしれません。
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三所神社の次にめざすべき旧伊予街道の「遺構物」は?
この錆び付いた階段の上にあるというのですが・・・・
疑心を持ちながら登っていくと・・ -
現れたのは小さな庵?
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ここは「芋地蔵さん」と地元の人たちに呼ばれ、かつては参詣人も多く向かい側には数軒の茶屋があったともいう。この場所は千田峠といわれ、馬路・佐野の盆地を見渡せる場所だった。今もこの地蔵堂前を通る山道があり、三社神社方面から馬路の一里松跡の手前まで通じています。
この前を、人々は行き交ったのです。
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峠から西に向かって山道を下りて西に向かうと、福助池田工場が正面に見えるあたりで道は南に転じます。この角にある山口家の脇の駐車場が、馬路の一里松の跡地になるようだが、今はその痕跡もない。
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馬路に入り、国道の南側の旧街道を西へ西へと向かう。
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すると立派な玉垣と鳥居が道に面して現れた。境宮神社です。
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この神社は、蜂須賀藩が阿波西部の鎮守神、藩の崇敬社とし保護してきました。
境内には1822年(文政5)の馬頭観音供養碑などの石造物等、多くの石碑があります。 -
格式を感じる拝殿が迎えてくれます。周辺の集落は、この神社を勧進して新しい神社を起こしていきました。その意味では、手本となった神社です。
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ここでも明治の廃仏毀釈にも関わらず境内に神宮寺が同居しています。
神宮寺は、馬路地区全体の行事として「常念仏供養」(町指定無形民俗文化財)が行われます。悪病がはやったとき、神仏に願をかけ、悪病よけ、五穀豊穣、平和幸福を祈念したことにはじまるといわれます。2夜3日徹夜で行い、旧暦8月1日をもって満願成就となります。 -
杉や銀杏の大木が境内に枝を広げていました。印象に残る神社でした。
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この神社を後にして、街道をさらに西に進みます。
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馬路小学校を右手に見て・・さらに、西へ西へ
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一里松バス停から佐野集落に入っていきます。この付近が佐野の一里松があった所ですが、地名に残るほかは痕跡もありません。
ただ、ここには歩き遍路が雲辺寺を目指す遍路道の分岐点になっているようです。 -
旧街道から南に参道が伸びています。佐野神社の鳥居です。
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佐野神社は、佐野氏が当地に入部した際、鎮守として祀ったといわれ、もと妙見神社と称しました。元々は佐野市の氏神様的な性格であったようです。
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明治になって1878年(明治11)に、先ほど紹介した馬路の境宮神社を分霊・合祀し、佐野神社と改称しました。
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境内には、ここにも庚申塔がありました。
庚申信仰は「庚申の日に、眠っている人の体内から三尸の虫が抜け出して昇天し、天帝に人の罪過を告げるので、天帝によって命を縮められる」という思想があり、そのため庚申の日は眠らずに一夜を明かすという風習が古くからありました。
庚申塔はこの三尸の害を防ぐために作られたものです。 -
佐野神社から300㍍ほど西へ進むと旧街道の一段上の高台にお寺の屋根が見えてきました。
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青色寺です。初めて聞く寺名です。
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この寺は、近世の阿波に独特の制度として置かれた駅路寺の一つだそうです。
駅路寺は、1598年(慶長3)に蜂須賀家政によって制度化され、藩内の真言宗寺院八か寺が指定されました。旅行者への宿泊の便宜付与、治安対策などがその目的とされていました。公的出先機関の役割を担う寺院と言うことでしょうか。
不思議に思ったのは、馬路川を遡って、ここまでに寺院は1つしか出会いませんでした。池田以東の地では、もう少し寺院の分布密度は高かったような気がします。また、浄土真宗のお寺がありません。真宗の教宣拡大ゾーンには含まれなかったようです。どうしてでしょうか? 疑問の残るところです。 -
佐野分館前の交差点は旧伊予街道と讃岐曼陀道の結節点でした。
阿波と伊予・讃岐間の交通の要衝であったため、佐野分館に番所や分一所がおかれ、国境警備の要となっていたようです。
この番所は、蜂須賀氏に国境警備を命じられた石川氏が私設し、寛文年間(1661~1673年)頃から藩の公的な番所とされたという。石川氏の邸宅に続いて建物が設けられ、街道には木戸と柵があったようです。分一所は番所に付設され、石川氏が所管しました。米穀、藍、楮など禁制品の通り抜けの監視、その他の品物の関税(運上銀)の徴収を行いました。しかし、名残はありません。そばを小川のように小さくなった清流の馬路川が流れていました。 -
佐野集落をさらに西へ進みます。
佐野小学校は閉鎖され、子ども達の姿は見えません。 -
境目トンネルの手前、レストラン風車を過ぎて旧道を登ります。
下には現在の国道と、その向こうにとんねるが見えます。 -
杉の木立の中の暗い林の中を抜けると、木立が途絶えて開けてきます。
そこが境谷の集落でした。ここから見える風景は、なにかしらおとぎ話の中の風景のような感じです。その中を白装束のお遍路さんが歩いて行きます。 -
そして今日の最終目的地、境目峠に到着です。
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立派な石積みの側壁をもつ切り通しの峠で、徳島と愛媛の県境になります。
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朽ちかけた標識がここが県境であることを示しています。
1901年(明治34)の遍路道標です。百年以上前の物です。 -
1917年(大正6)に建てられた県境碑です。
正面に「従是東徳島縣三好郡」とあり、左右には愛媛県川之江、徳島県庁、三好郡役所への距離が刻まれていました。 -
ここには道路拡張後の1934(昭和9)からはバスが運行され、料理屋や旅籠が軒を並べていたという。
今も石垣や家屋にその面影を感じることの出来る峠でした。
以上、本日の原付徘徊旅の終了です。
お付き合いいただいてありがとうございました。
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