2017/06/30 - 2017/07/03
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bunkichiさん
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30年ぶりに台湾に行きました。
グルメ、九扮といった観光地も大変魅力的なのですが、このところ歴史建造物の魅力に取り憑かれており、夏だというのにおのれの体力顧みず、日本統治時代の建築物を求め、台北、台南の街を歩いてみました。
建物所在地は事前に調べていたのですが、見学日時がうまくいかず外観だけのものも多くなってしまいました。
それと夏場(晴天日)の見学は思いの外、体力を消耗します。
やはり季節を選ばないと・・・・・・。(T◇T)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
30年ぶりに台湾を旅行しました。
羽田発8時50分、台北松山空港着11時半(時差が1時間遅いので)、約3時間半強のフライトですから本当に早くて近い。
\(^O^)/ -
さすがに台北の街はすっかり変わってしまいました。
街の至る所に高層ビルが建ち並んでいます。
今回の目的は、日本統治時代(1895-1945)の建造物巡りですが、この変貌、発展ぶりを目の当たりすると果たしてどの程度残っているのか不安すら感じます。 -
最初の訪問先は「台大医学院旧館(旧 台北帝国大学 医学部 附属医院)」です。
この病院は、1912年、台湾総督府営繕課に勤務していた建築家の近藤十郎が設計し、1924年に今のルネッサンス様式の赤レンガ2階の建物が完成したそうです。
正面中央部は、1階窓は長方形で列柱がドリス様式、2階は長窓と半円形もしくは丸型の窓にイオニア様式の列柱、三階はアーチ式の窓と非常に凝った造りです。台湾大学付属医院旧館 現代・近代建築
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当時は、東アジア最規模の病院で、1938年には台北帝国大学医学部の管轄下に入り附属病院となったそうです。
戦後は、台湾大学医学院附設医院となり現在も病院として使用されています。 -
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現役の病院なので自由に内部に入れます。
中に入ると吹き抜けで広々とした正面ホールには、思わず息を飲み込みます。
w(°o°)w おおっ!! -
天窓の四角形の窓から日が差し込んでいます。
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建物に囲まれた中庭にはヤシの木や噴水がありました。
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次に二八和平公園内にあるドーム屋根の「国立台湾博物館」を訪れました。
現在の建物は1915年に野村一郎設計により台北総督府博物館として建てられました。 -
建物正面にはドリス様式の列柱がデーンと並んでます。
ここはギリシャ神殿か!とおもわず声を出したくなる光景です。国立台湾博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
内部はコリント様式の列柱に囲まれ、ドーム天井下には豪華なステンドグラスがあります。
元々は、第4代台湾総督の児玉源太郎と民政長官の後藤新平の業績をたたえた記念博物館だそうです。 -
天井のステンドグラスには児玉家の家紋である軍配団扇と後藤家の家紋である藤を組み合わせた図案が使われているそうです。
終戦までこのホールには、児玉源太郎と後藤新平の銅像が向かい合うように立っていましたが、今も博物館に保管されているそうです。 -
博物館の内部は撮影禁止ですが、このドームがある中央のロビーは、撮影できます。
国立台湾博物館
https://jp.ntm.gov.tw/ -
博物館前の襄陽路を挟んで建っている重厚な建物が「台博館土銀展示館」です。
元々は1933年竣工された日本勧業銀行台北支店でした。
戦後、国民政府は勧業銀行の台湾で持つ支店を接収し、1946年に公営台湾土地銀行に改組しました。
その後、2008年より修復工事を経て「台博館土銀展示館」となりました。国立台湾博物館 土銀展示館 博物館・美術館・ギャラリー
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建屋外の歩道
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歩道床にも装飾がなされていました。
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歩道上の天井も凝っています。
国立台湾博物館 土銀展示館
https://jp.ntm.gov.tw/content_172.html -
こちらは「台湾銀行」です。
1899年に木造建築の銀行が出来ましたが、シロアリで建物がダメになってしまったために1923年に現存の花崗岩の建物に作り直したそうです。台湾銀行 (旧 台湾銀行本店) 建造物
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この場所はTBSドラマ「華麗なる一族」のロケに使われ、万俵大介を演じた北小路欣也さんもが来られたとか?
残念ながら内部は撮影禁止ですが、守衛のお兄さんが、わざわざ案内板のある所に案内してくれました。 -
その案内板の当時の写真を見ると確かに木造です。
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日本統治時代の建物として最も有名な「総統府」です。
60メートルの時計塔を備えたルネサンス様式の建物で、赤レンガと白い石の組み合わせのデザインが晴天の下とてもキレイでした。
1919年の竣工で、設計者は明治時代建築設計の巨匠、辰野金吾の弟子、長野宇平と森山松之助です。中華民国総統府 建造物
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戦争中の米軍の爆撃で一部損傷し、内部は全焼しましたが、今は修復され、平日の午前中(月曜から金曜日9:00~12:00)は参観できます。残念ながら撮影した日は土曜日でしたので参観できませんでした。 (T◇T)
中華民国総統府 Visitor information Open house schedule
https://english.president.gov.tw/Page/124 -
この地味な建物は「司法院」です。
5年の工期をかけ、1934年に竣工しました。(1977年には4階部分が増築)
モスグリーンのタイルは、「国防色」と呼ばれ、空襲を避けるためにこのような色にしたとか?司法院 建造物
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白の縁取りをしたアーチ型の窓や幾何学模様の壁、彫刻を施した石など、よく見ればかなりオシャレな外観です。
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こちらは、「台北市立第一女子高級中学」です。
日本統治時代の学校名は台北州立第一高等女学校で、台湾で最初に設けられた女学校です。
この建物は、1923年の関東大震災の教訓から、耐震構造を追究した鉄筋コンクリート造りとして1933年に竣工したそうです。 -
校門のすぐ近くに、この建物より前の「民国14年(1925)台北第一高等女学校」当時の写真が展示されていました。
この建物は木造のようです。 -
この建物は「専売局 」(台湾菸酒股彬有限公司)です。
日本統治時代にアヘンや樟脳、タバコ、酒などの専売を司る 総督府専売局として、1912年より使用し、1922年に2期工事で中央塔が完成しました。
こちらも総統府を担当した森山松之助が設計しています。
なぜかバリケードと警察機動員に囲まれ、向かう途中で職質されました。専売局 史跡・遺跡
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総督府同様に赤レンガと白い石の組合わせの外観デザイン(明治時代建築界の巨匠、辰野金吾が多用したことから「辰野式」と呼ばれているそうです。)に加え、正面中央にドームや尖塔を載せています。
残念ながら内部公開の機会は非常に少ないそうです。 -
西門町に残る1908年建築の赤レンガ造り2階建ての建物、「西門紅楼」です。
設計は、総督府の近藤十郎と松ヶ崎萬長」です。
建物は正八角形の平面で赤レンガと白い石の組合わせのデザインでした。
残念な事に訪問時、改修中でした。
そんな残念だった人のために?工事シートに絵が描いてありました。西門紅楼 劇場・ホール・ショー
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ちょうど戦前の様子が説明されていましたが、中国語でした.....。
(T◇T) -
1936年に竣工した鉄骨鉄筋コンクリート造4階建ての建物、「中山堂」です。
当時は台北公会堂と呼ばれ、市民のための公共施設として演劇などが行われていたそうです。
現在は孫文にちなんで中山堂と呼ばれています。
また戦後、日本の降伏式典が行われた場所でもあります。中山堂(旧台北公会堂) 劇場・ホール・ショー
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天井には、黒で描かれた幾何学模様が広がってました。
(^◇^ ;) スゲー -
通路腰壁は、赤紫色のタイルが貼られ、天井の照明の取付部分には、金色の装飾が施されていました。
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階段もなかなかオシャレです。
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イチオシ
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館内には、レトロな雰囲気満載のカフェがありました。
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「合作金庫銀行 城内分行店(旧 台北信用組合 )」は、中山堂にほど近い衡陽路に面したところにあります。
日本人経営の現地中小企業向けの銀行として設立され、戦後は「台北第十信用合作社」に接収され業務を継続しましたが、1985年春に経営困難に陥り、「合作金庫(現在の合作金庫銀行)」に吸収されてしまったそうです。 -
建物は1927年竣工、正面上部には、2羽のフクロウが装飾されています。
これは「夜間もフクロウが寝ずの番をしているので安心」という意味が込められているそうです。
同様にに小樽の旧日本銀行にもシマフクロウの塑像が取り付けられているのを思い出しましたが、当時の流行だったのですかね? -
1929年竣工(諸説あり)の「台北北門郵局」です。
栗山俊一の設計で当初はRC造の3階建の建物でしたが、戦後増築され、今は4階建になっています。
まだ現役バリバリに業務を行っています。 -
訪問時、建屋前面道路が工事中なので写真に苦労しました。
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室内もなかなか素晴らしいらしいのですが.....、自分の諸事情で中に入ってません。
(T◇T) -
台北北門郵局にほど近い所に1910年代に建てられた現存する数少ない店舗、「撫台街洋楼」があります。
洋樓は洋館の意で、撫台街は建設当時のこの辺りの街区の呼び名だそうです。
元々は合資会社高石組の社屋として竣工しましたが、その後数々の変遷を経て、2009年より台北市の委託をうけた歴史資料館として活用されています。 -
建物は、木造及び石造りの混構造2階建、
屋根は銅板葺きで1階に石造の三連アーチ、2階は上げ下げ窓の連窓、屋根にはドーマー窓とオシャレな外観です。 -
1階、アーチ下
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すぐ隣のヤマト運輸のデポに利用している建物もなかなか古そうで、なにやら歴史的いわくがありそうですが?
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訪問した台北、日本統治時代建造物所在地を別途Google マップに纏めました。
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=19RxmTmegSQgMGuqULTAQsZMkswY0Zio&usp=sharing -
さて、新幹線に乗って古都「台南」に行ってみました。
高鐵台北駅より高鐵台南駅へ行き(約2時間)、隣接する台鐵沙崙駅から台鐵台南駅に向かいます。(約30分) -
1936年に竣工した(台鐵)台南駅です。
半円アーチの窓が特徴的な2階建の鉄筋コンクリート造りの建物です。台南駅 駅
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竣工当時は2階部分がホテル(客室は9室)として利用されており、冷蔵室を完備するなど設備は「台南屈指」と言われるほどで国外の賓客や皇室関係者も宿泊したこともあるそうです。
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窓枠がお洒落です。
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「旧知事官邸」は台南駅の山側にあり、1900年に建設された知事の官邸です。
以前は西洋レストランが入っていましたが、2015年にリニューアルオープンし、1階はカフェスペースとお土産売り場、2階は資料室となっていました。 -
皇族が台南へ来訪した際の宿泊地としても利用され、1923年には当時皇太子の昭和天皇が宿泊したそうです。
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机の上には、当時の写真が展示されていました。
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「林百貨店」は山口県出身の経営者・林方一により1932年に開業した、鉄筋コンクリート造の6階建ての百貨店で、台南唯一エレベーターを備えていました。
戦後建物は改修され、台湾製塩総工場、空軍や警官の派出所などに使用されましたが1980年代には、空きビルになってしまいました。
しかし、2013年修復作業が完了し、創業当時の姿が再現されました。林百貨店 建造物
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店内はレトロな雰囲気の装飾で、お土産を買う観光客で混み合ってました。
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ポスターが渋い!
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「老電梯門」と書かれた古いエレベーターの扉が展示されていました。
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「林」ロゴの入った郵便ポストがありました。
実際に投函できるそうです。 -
屋上階6階には、機械室と展望台があります。
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また屋上庭園と神社もあります。
神社は開業の半年後に完成し、一般には公開されず「末広社」と呼ばれ、産業の守り神として信仰の対象となっていたそうです。
1945年3月1日、大規模な空爆で、屋上、神社、外壁、床などが損傷しました。
神社の鳥居が今も損傷された姿で残されています。 -
林のロゴが彫られている建物最上段には林の旗がはためいていました。
林百貨店ホームページ
http://www.hayashi.com.tw/page.asp?nSub=A8A000&lang=J#top -
林百貨店の対面には灰色の重厚な建物、「台湾土地銀行台南分行」があります。
元々は、日本勧業銀行台南支店で、現在は台湾土地銀行台南分行となっています。
日本勧業銀行台南支店設立当初(1928年)は台南駅前ににヨーロッパ風建築のオフィスを構えましたが、1937年に日本勧業銀行の建築課が当地で4年をかけて現在の建物を完成させたそうです。 -
林百貨店から見た「台湾土地銀行台南分行」
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柱の内側の歩道部分の天井には「藻井」と呼ばれる、中央に花飾りがついた四角形の枠のような装飾が施されています。
残念ながら、現在もこの建物は銀行の店舗として使用されているため、見学は不可となっています。 -
「台南武徳殿」(大日本武徳会台南支部武徳殿)です。
1936年、日本人の武士道精神を学び、柔道や剣道の鍛錬場としてに設立されました。元々は台南神社の付属施設で戦後神社の廃止により忠義国民小学校の講堂となっています。 -
台南武徳殿のすぐ側には「山林事務所」があります。
1925年、台南の山林を管理する為に竣工したレンガ造り2階建ての建物です。
2001年以降は孔廟文化園区の旅遊資訊センターとして使用されています。 -
こちらは「国立台湾文学館」(旧台南庁庁舎)です。
1916年に竣工した、外観は19世紀フランスのルーブル宮殿が代表されるマンサール様式の建物です。(設計:総督府の森山松之助)
空襲による大きな被害を受け、戦後に修復され空軍司令部、市役所として利用されましたが現在は国立文化遺産保存センターと国立文学館として利用されてます。国立台湾文学館 博物館・美術館・ギャラリー
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台南庁内部通路
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台南庁内部。当初の様子を一部に残しながら大胆に改修され活用されてます。
かつては中庭がありましたが、現在は屋根で覆い、展示室の一部となっています。 -
国立台湾文学館のすぐ近くには、「台南合同庁舍」があります。
日本統治時代は消防署、警察会館、警察官吏派出所として利用された建物です。
中央の高い塔は、1930年に昭和天皇の即位を祝う為に作られ、現在は消防署となっています。
残念ながらただいま改修中でした。(T◇T) -
1899年に竣工された「旧台南測候所」(気象博物館)です。
直径15mの円形平面をもち、レンガ造り平屋建て建物の中央に3階立ての塔が建っています。
円筒形としているのは観測器材を安置させるためだそうです。
1998年には業務を完全に移転し、現在は気象博物館として活用されています。 -
台南の大商人、?尚新が建造した?園の入口に1911年に建てられた「旧台南公会堂」(当初は台南公館)があります。
アーチ型の窓の2階建ての建物で、市民の集会所として利用されていました。
現在は芸文活動の場として使われているようです。呉園藝文中心 (旧台南公会堂) 現代・近代建築
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室内にはこの建物の模型が展示されていました。
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旧台南公会堂の裏には、1929年に柳下勇三氏によって造られた食堂「柳屋」を前身とする茶芸館、「十八卯茶屋」があります。
柳屋 十八卯茶屋 カフェ
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店内は静かでレトロな雰囲気に満ちていました。
なによりも涼しく、お茶も美味しく助かりました。
この日の台南は、灼熱、大晴天!やはり真夏に建物巡りは体に良くない!
季節を選ばないと.....今回の反省でした。<(_ _)> -
訪問した台南、日本統治時代建造物所在地を別途Google マップに纏めました。
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=18GKARbPuDikLi2Ll4YqcvL5e6DJM9QA&usp=sharing
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