2018/04/18 - 2018/04/18
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naoさん
琵琶湖北西部の滋賀県高島市は、近江国(滋賀県)と越前国(福井県)を結ぶ西近江路沿いに位置し、市の南端部の旧高島町はかつて「大溝」と呼ばれた中心地で、古来、都と北陸を結ぶ琵琶湖水運と西近江路による水陸交通の要衝として重要な位置を占めていました。
また、背後の山々より琵琶湖が一望できることから軍事的にも重要な場所とされ、天正6年(1578年)には織田信長の甥、信澄が新庄(現新旭町)から城を移して大溝城を築城し、新庄や今市(現新旭町)、南市(現安曇川町)の商人や寺院などを移住させて城下町を整備しました。
関ヶ原の戦いにおける功績により、元和5年(1619年)に二万石余りで伊賀上野から大溝藩主として移封された分部光信は、大溝城本丸の西北にある三の丸に陣屋を構え、旧城下の大手前から西側に新たに郭内と呼ばれる武家屋敷を配し、陣屋の北側には、織田信澄時代の町割りを土台として商人や職人などの町家を集めた町並みを拡張しました。
これに併せて、城下町特有の枡形、当て曲げ、行き止まりなど、軍事的見地による道路や、生活用水と防火用水確保のために豊富な水を有効活用した「まちわり水路」を城下町にめぐらせ、近世の城下町が形作られることとなりました。
水陸交通の要衝に位置し、早くから物資の流通拠点として多くの商人で賑わっていた「大溝」は、東北地方まで進出した近江商人発祥の地の一つとも言われており、厨子2階建てに虫籠窓や格子をしつらえた商家が軒を連ねていました。
そんな「大溝」では、平成8年に地元商工会の有志「アクティブ95」のメンバーによって町の活性化が図られ、空き家となっていた古い商家を活用した「高島びれっじ(たかしまアイルランド交流館)」を整備するなど、活発に活動されています。
現在8号館まで増えた「高島びれっじ(たかしまアイルランド交流館)」では、キャンドル作りや染色などの体験施設やカフェ等が併設され、1日中楽しめる施設として親しまれています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR湖西線の近江高島駅に到着しました。
この日は電車を使って移動しました。 -
旧高島町の汚水桝の蓋。
町のイメージシンボルであるガリバー旅行記の主人公「ガリバー」を真ん中に、町の木「松」と町の花「菊」を配置しています。 -
近江高島駅から琵琶湖の方(東)に向かって歩くと、西近江路との三叉路に出ます。
先ずはこの三叉路を左(北)に曲がって、かつて大溝と呼ばれた城下町を歩きます。 -
三叉路を曲がった先の、西近江路の光景です。
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西近江路に沿って瓦葺の板塀をめぐらせた町家です。
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千本格子に塗られたベンガラが、かつての面影を伝えています。
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西近江路沿いの大溝の町並みです。
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こちらは、大溝祭で曳航される巴組の曳山の収蔵庫です。
大溝祭は、元和5年(1619年)に大溝藩主として入封した分部光信が、前任地の伊賀上野の曳山祭りを移したものと伝えられており、大溝の鎮守社である日吉神社の夏の例祭として毎年5月3~4日にかけて行われ、巴(ともえ)、龍(りゅう)、寶(たから)、勇(いさむ)、湊(みなと)の、五基の曳山が曳航されます。 -
曳山収蔵庫と隣り合っているのが、町の活性化を目指して地元商工会の有志の皆さんによって活動が進められている「高島びれっじ」1号館です。
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では、奥へ・・・。
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左手の建物が1号館で、右手が7号館です。
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築180年の商家を再生した1号館には、キャンドル作りの工房が入っています。
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こちらの工房の店名は、江戸時代から大溝に残っている「蝋燭町」の町名をとって名付けられています。
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こちらはカレー屋さんが入る5号館と中庭の佇まいです。
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こちらはカフェが入る6号館。
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中庭の奥から振り返って見た光景です。
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では、いい時間なのでこちらのカフェで昼食を戴きます。
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こちらのカフェは、地元農家さんが無農薬や有機栽培にこだわった野菜、琵琶湖の天然の魚、自然飼料のみで育った近江牛や鶏卵など・・・
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「命」を頂いていることが実感できる、安心で安全な近江の自然食材を使っておられます。
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ガラス越しに揺れる蔦の葉が、さわやかな店内を印象的なものにしています。
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では、美味しい食事を戴いたので町並みに戻ります。
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こちらは高島の地酒を取り扱う酒屋さんです。
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こちらは、パン屋、お食事処、ヘアーサロンの3店が入る2号館です。
本卯建をあげた、大溝最古と言われる築250年の商家が再生されています。 -
西近江路沿いの町並みです。
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こちらは地酒の造り酒屋さんです。
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造り酒屋さんだけあって、敷地には醸造蔵が並んでいます。
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醸造蔵の近くにある魅力いっぱいの路地。
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造り酒屋さんの店舗部分です。
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こちらの代表的な銘柄「萩の露」にちなんで・・・
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デフォルメされた萩の花を染め抜いた暖簾が、軒下いっぱいに吊られています。
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伝統的な出格子がしつらえられた町家です。
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浅黄色の外壁が町並みに変化を与える町家です。
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町並みに路線バスのバス停がありました。
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茅葺屋根を鉄板で覆ったと思われる町家です。
直交する屋根が複雑な形状を見せています。 -
西近江路は北国街道とも呼ばれていたようですね・・・。
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滋賀県の琵琶湖流域下水道の桝蓋。
県の鳥「カイツブリ」と「琵琶湖のヨット」がモチーフになっています。 -
緩やかに曲がりながら続く西近江路の町並み。
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背の高い土塀をめぐらせたお屋敷の主屋には・・・
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ばったり床几も造り付けられています。
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かつてのベンガラ塗の面影を留める・・・
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町家です。
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西近江路沿いの町並み。
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外壁が浅黄色の厨子2階建ての町家です。
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とても間口の広い町家です。
豪快な太い格子が存在感を示しています。 -
こちらの町家は、外壁の浅黄色と木部のベンガラ塗もコントラストが際立っています。
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典型的な厨子2階建ての町家です。
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大溝祭で曳航される五基の曳山、「巴、龍、寶、勇、湊」の名前の入った提灯が飾られています。
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妻入りの町家が連なる町並みが見えてきました。
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妻入りの町家と言っても、下屋となる平入部分の上に妻面を見せる部分が組み合わされたものです。
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でも、玄関は妻面を見せる部分に開けられているので、妻入り町家なんでしょうね・・・。
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引き違いの玄関戸とは別に、4枚のガラス戸が入れられた町家です。
ではこの辺りで引き返して、武家屋敷へ向かいます。 -
ガリバーと帆船がデザインされた鋳鉄蓋。
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幕板状の破風が付けられた町家です。
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西近江路の町並みです。
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この辺りからかつての武家屋敷に入ります。
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こちらの町家は、玄関回りに重厚な幕板をしつらえておられます。
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玄関先を花々で埋め尽くしておられる町家です。
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武家屋敷の町並みです。
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こちらは、厨子2階建ての町家に、虫籠窓と格子窓を並べて配置しておられます。
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こちらの町家は、本2階建てに大きな虫籠窓と格子窓が開けられています。
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本2階建てのお向かいの町家には、木部のベンガラ塗が鮮やかに残っています。
ちなみに、これらの町家が建っているところは、城下町特有の当て曲げ道路の角になります。 -
生活用水と防火用水確保のために掘られた「まちわり水路」が道路の真ん中を流れています。
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こちらは、近江国の郷土料理として名高い鮒寿し(ふなずし)のお店です。
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鮒寿しは日本古来の「なれずし」の一種で、古くから琵琶湖のニゴロブナを原料として作られています。
発酵食品特有の強烈な匂いから一般人に敬遠されがちですが、『この匂いがたまらない』と珍重される愛好家がたくさんおられます。 -
玄関回りのベンガラが印象的な町家です。
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こちらの町家は、ベンガラ塗の名残が風情を呼び覚ましてくれます。
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こちらの和洋折衷の建物は、日本基督教団大溝教会です。
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キリスト教会と日本的な梅の古木の取り合わせも和洋折衷ですね・・・。
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道路の真ん中を流れる・・・
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「まちわり水路」を見返した様子です。
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杉板張りの大きな外壁に圧倒されそうな町家です。
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この町家に彩りを添えているのは桃の花でしょうか・・・。
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一旦西近江路に戻って、この交差点を右(西)に向かいます。
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交差点の角に立っている道標。
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こちらの町家にも、ばったり床几が造り付けられています。
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大溝藩士の武家屋敷の正門として使われていた総門です。
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この総門は、宝暦5年(1755年)に修理された時の棟札が発見されており、部分的に当初の建物の部材が再利用されていることも判っています。
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総門内から見える立派な土蔵のある町家は・・・
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見事な虫籠窓の連なるお米屋さんでした。
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チューリップが咲き誇るシーズンになりました。
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チューリップの借景となっている、大きな妻面を見せる町家です。
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茅葺屋根を鉄板で覆った町家がありました。
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こちらも大きな妻面を見せる町家です。
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高架になっているJR湖西線の線路に沿って移動します。
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水を張った水田の向こうに、茅葺屋根を鉄板で覆った大きな町家が見えてきました。
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先ほど水田越しに見えていた、茅葺屋根を鉄板で覆った大きな町家です。
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こちらは、わずかに残る大溝藩士の武家屋敷の内の一軒だそうです。
では、大溝の町並みはこれくらいにして、近江高島駅から南側の西近江路へ向かいます。 -
近江高島駅から南側の琵琶湖沿いには、マリーナが設けられています。
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そのマリーナを望む場所に建っている風情ある町家。
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チューリップもその町家にじっと視線を向けています。
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近江高島駅から南側の西近江路の光景です。
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こちらの町家には相当手が入れられているように見受けますが、瓜型の虫籠窓が昔の風情を漂わせています。
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さざ波が揺れる琵琶湖の上を・・・
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高島バイパスの高架橋が渡って行きます。
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琵琶湖の西側には、大溝城の外濠として使われた「乙女が池」が広がっていて・・・
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池を横断するように木造の橋が架けられています。
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単純な直線の橋では飽き足らないようで・・・
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創意工夫の跡がうかがえる、ひねりにひねった形をしています。
直線じゃ面白くないですからね~、変化を持たせたくなるその気持ち、よ~く判ります。 -
水面には養殖いかだのようなものが見えます。
昭和30年代から淡水真珠の養殖場として利用されているので、それかも知れませんね・・・。 -
葦原の景観に溶け込む木造橋。
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木造橋の全景。
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のんびりと水面をただよう鴨。
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かつて桟橋か何かに使われていたと思われる木杭が、池の景観に趣を与えています。
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乙女が池と琵琶湖にはさまれた砂州上に広がる打下集落の光景です。
平時には琵琶湖の水運や漁業に携わっていたこの集落には、大溝城築城に併せて、いざ鎌倉の際には水軍になる集団が配置されていました。 -
では、打下集落を歩いて近江高島駅へ戻ります。
町家の屋根には、煙出しの越屋根が設けられています。 -
日吉神社の常夜灯に寄り添うモミジが眩しいくらいです。
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打下集落の町家です。
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打下集落の町並みから見え隠れする「乙女が池」の木造橋。
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その橋の向こうを、JRの特急列車が走り去って行きます。
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かつて「大溝」と呼ばれた旧高島町一帯には、大溝城の中核を成す城下町と琵琶湖が織りなす、素晴らしい景観が広がっていました。
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