2014/07/02 - 2014/07/02
45位(同エリア70件中)
リータさん
西洋建築に最も影響を与えた建築家、アンドレア・パッラーディオ(1508-1580)が手掛けた一部の別荘建築巡りです。
パドヴァで生まれたパッラーディオは、石工から建築家となり、トリッシーノ伯爵邸建設中にトリッシーノ伯爵から才能を認められ、パトロンとなった伯爵とローマを旅することにより古典建築から様々な事を学び自分の建築にそれを活かし、更に偉大な建築家へと成長します。
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①アルメリコ・カプラ邸 (別名「ラ・ロトンダ」イタリア語のロトンダとは円形という意味で、円形大広間から由来する名前)
ヴィチェンツァ市の外れの丘の上に位置するアルメリコ邸
小さな門からこの小道を真っすぐ行った正面に建物がどーんと構える
施主は、パオロ・アルメリコ伯爵
円形図よりギリシャ十字の建物を実現した完璧な集中式建築は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」を思わせる
新プラトン主義の世界観を具現化した究極のルネサンス建築である -
ギリシャ十字の羽部分の四つの出入口のファサードは、少しずつデザインは違えど、それぞれこの写真と同じ様に階段と円柱があり、ポルティコ(屋根付きの回廊)という形式になっている
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建物は、1580年パッラーディオの死後、ヴィンチェンツォ・スカモッツィが引き継ぎ1585年に完成させたが、真ん中のドームの部分がパッラーディオの構想のブラマンテによるテンピエット型ではなく、パンテオン型に変更されている
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ローマ旅行で学んだ古典建築を大きく意識した建築
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正面の門越しに望む向かいの建物
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②ポイアーナ邸(1540-63年)
ポイアーナ・マッジョーレという現在人口4000人程の小さな町の中心街から少し外れたところに位置します
写真は正面入り口
施主はボニファーチョ・ポイアーナ
アーチの部分にある五つの丸いデザインはブラマンテスコと呼ばれる1444年生まれのドナート・ブラマンテの考案によるもの。イタリア語でティンパノと呼ばれる屋根の下の三角形やセルリアーナと呼ばれるアーチの下の柱部分はパッラーディオがローマ旅行の際に古典建築から学び、それをデザイン化して取り入れたものである。 -
ドアの上で施主ポイアーナの胸像がお出迎え
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正面入り口から反対側の庭に面した方にもブラマンテスコの丸いデザイン。
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ベルナルディーノ・インディアの全体的にグロテスクのフレスコ画装飾であしらわれた部屋
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③サラチェーノ邸(1543-48年)
現在人口1500人ほどのアグリャーロという町の外れフィナーレ・ディ・アグリャーロの畑の真ん中にポツンと佇むサラチェーノ邸
施主はビアージョ・サラチェーノ
角柱とアーチによるロッジアが特徴のサラチェーノ邸の全体 -
アーチが美しいです
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④バルバロ邸(1554-1560年)
マゼール市内の町はずれに位置する
施主は、総大司教ダニエレ・バルバロとその弟ヴェネツィア大使マルカントニオ・バルバロ
バルバロ家の中世の建物を建て替えて、母屋と付属屋による横広がりのシンメトリー構成の建築を実現
「ワンピース」ファンは見てすぐにお分かりかもしれないが、ウォーターセブンのブルーステーションのモデルになった建物と思われる -
建物の正面からではなく、裏から脇へ回り、
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回廊を通って入館
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正面の庭は綺麗に整備されています
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建物裏にあるネプチューンの泉
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建物内から正面の正門を望んで
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建物内にはヴェロネーゼのだまし絵が数点あり、必見です
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庭から望んだパッラーディオのテンピエット(1579-80年)
バルバロ邸建築後にパッラーディオが建築したバルバロ家の礼拝堂兼教区教会
パッラーディオ最後の建築物と言われる -
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⑤エモ邸(1558-)
ヴェダラーゴ市内ファンゾーロ村の外れに位置する
エモ家の館として建築
すでに20以上の類似した建築を手掛けた後の建築 -
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