2018/04/18 - 2018/04/18
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悠遊人(ゆうゆうじん)さん
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(写真は吉野ヶ里遺跡南内郭)
吉野ヶ里は弥生時代を代表する遺跡 大規模な環濠集落(約40ha)や墳丘墓が「邪馬台国時代のクニ」を思わせる。とにかく広い。縄文期の三内丸山遺跡などと比べてもやはり一時代ちがう。
銅剣や銅鐸、ガラス製の管玉、ヒスイ製勾玉など数々の装飾品、また稲作に必要な鎌、斧などの鉄製品、鋤・クワなどの木製農具等が多量に出土。この遺跡は紀元前5世紀から紀元3世紀まで約700年間の弥生時代すべての遺構・遺物が発見されている貴重な遺跡です。
ただ残念ながら三角縁神獣鏡は発見されておらず、卑弥呼のクニではないようだ。邪馬台国はもう少し後の時代だろうが、この近く(北九州)にあるのは間違いない。
・古き夢また見て四月ここはどこ?
・白い花ぬらりくらりとまだ落ちず
・散り桜舞いて踊りて夢をみる
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JR特急 JRローカル ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
外環濠
吉野ヶ里遺跡はれっきとした「城」であり、100名城のひとつ 日本最古の城といえる。物見櫓や二重の環濠など防御的性格が強い。 -
南内郭
物見やぐら、王の家、煮炊き屋など20棟の建物が復元されている。 -
南内郭
とにかく広い。園内は循環バスも運行している。 -
南内郭
王の家内部から -
北内郭
集落の中で最も重要な場所 祭殿など9棟が復元されている -
北内郭
まつりごとや -
北内郭
祈祷が行われていたらしい -
甕棺墓列(かめかんぼれつ)
全長300m、約500基の墓列 このように死体は甕に入れ、埋葬されました。 -
北墳丘墓
王や身分の高い人の特別な墓 14基の甕棺が出土し、青銅の剣やガラスの管玉が副葬されていた。 -
南内郭
・縄文の道を歩いて三千年、
今は飛鳥の時代かえ?
それとも昭和の枯れススキ、
いやいや山のあなたになお遠く、
別れ道のみ多かりし
・春なのに色も香りもナイジェリア -
倉と市 倉庫群
交易の中心、31棟の建物が復元されている。
しかし邪馬台国はいったいどこにあるのだろうか? 248年卑弥呼が亡くなり、その後の騒乱を経て、壱与(台与)が国を治めたわけだが、私にはどこかといえば、北九州のどこかに思える。やはり大陸から稲作が伝わったのはまちがいなく北九州であって、そこに最初のクニが興ったハズだと。畿内説には現在の天皇制を正統化しようとする意図を感じる。古代日本には大和(奈良)よりはるか以前に栄えた北九州や出雲、吉備の国があったのだ、と勝手ながら考えている。
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