2018/04/22 - 2018/04/22
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しゅいぐーさん
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大谷資料館を後にして、バスで市内に戻ってきました。まずは、二荒山神社へお参りに行きその後蒲生神社(学問の神様)裏から八幡公園へ行ってきました。この八幡公園は、宇都宮の小高い丘の上に有り、テレビ塔にも登ることができます。宇都宮市内が一望できるのと、新幹線も遠くに見ることができます。
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二荒山神社に到着しました。
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町の真ん中にこんな大きな神社が有るなんて。。。。
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二荒山神社は大変歴史が古く、第10代崇神天皇の御代にさかのぼることができる神社です。
当社は何度も火災にあい、近年に入ってからも天正13年、安永2年、天保3年、
更に明治維新の戊辰の役と4度もあって古い史料のほとんどが消失しています。 -
現在残っている社記には、第16代仁徳天皇の御代(今から約1600年前)に
毛野國が上下の二国に別けられ、御祭神豊城入彦命の4世孫奈良別王(ならわけのきみ)が
下毛野國の国造に任ぜられます。 -
この時祖神である豊城入彦命を荒尾崎(下之宮)に祭神として
祀ったのが始まりで、その後承和5年(838)に現在の地臼ヶ峰に遷されたと伝えられています。
延長5年(927)に政治のよりどころとして完成した延喜式・神名帳には東山道街道筋として
下野國河内郡一座 大 二荒山神社 名神大
とあります。 -
栃木県内には由緒ある神社が11社記されていますが名神大社は当社のみで
代々城主が社務職を兼ね「宇都宮大明神」と称し、郷土の祖神・総氏神さまとして篤い信仰を受け
下野國一之宮といわれておりました。 -
二荒山神社 ご朱印
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下野国十一社 地図
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栃木県庁 昭和館
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4代目の県庁です。
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昭和13年から平成15年まで使用していました。
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現在は、昭和館として一般公開しています。 無料です。
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地価は、免震装置を見ることができます。
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免震装置です。
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設計者の佐藤功一さん
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片山東熊の設計による三代目県庁舎が昭和11年に焼失したことにより、四代目の県庁舎が建築されることとなりました。この設計に当たったのが小金井宿(現在の下野市)出身の建築家佐藤功一です。
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タイル張りで重厚感すごいです。
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この展示室では、栃木県の成立と市町村に関する史料を展示しています。
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貴賓室
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大広間も有ります。
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県庁裏の蒲生神社にも行ってきました。
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境内に土俵が有ります。
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さすがに学問の神様です。御柱も鉛筆型です。
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蒲生君平先生は宇都宮市に生まれた江戸後期の学者である。祖先が会津藩主蒲生氏郷公であることを知り蒲生の姓を名乗った。幼少より学問を好み、多くの先生に学び交わり、全国の天皇陵や旧蹟を巡りて、『山稜誌』を著した。晩年は子弟に学問を教えながら、著述に励むも、志半ば、四十六歳をもって江戸に没した。明治二年十二月、明治天皇は先生の功績を賞し、勅旌碑が建てられ、さらに明治十四年五月正四位を御贈位された。
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大正元年、蒲生君平先生九十九年祭執行の際、神社創建の話が起こり『蒲生会』が結成し、栃木県民あげての賛同により大正十五年七月に蒲生神社本殿が竣工された。 その後、『蒲生会』は『蒲生神社奉賛会』となり県下をはじめ全国に多くの崇敬者を得て今日に至っている。蒲生神社例大祭は先生の命日である七月五日に厳粛に行なわれ、毎月五日には、月次祭が行なわれている。
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蒲生神社 ご朱印
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宇都宮タワーへ登ります。
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藤の花も綺麗です。
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まんまるなつつじ 満開です。
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公園もよく整備してあります。
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小さなテレビ塔ですが、登ってみます。
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県庁方面も一望できます。
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アドベンチャーブリッジ
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歩きましたが、すごくこわかった!
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