2018/03/21 - 2018/03/23
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スピアヘッドさん
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最初は日帰りで松本に行こうと考えていたけれども、冬の戸隠に行きたいと思い、急遽、2泊することにしました。
松本城および戸隠神社をメインに計画を立てていきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
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-
3/21春分の日はめちゃ寒。
関東でも雪が積もったようだが、甲信でもそれは同じ。
中央線沿線では、
大月を越えてから急に吹雪き始め、甲府盆地に入ると雪は収まり、韮崎を過ぎ穴山あたりでまた吹雪、茅野や諏訪では猛吹雪となった。
塩尻峠を抜けると降雪量も少なくなったかな、という印象。
6時半くらいに家を出て松本には10時半くらい、4時間くらいの乗車時間。
まずは事前に調べていた有名蕎麦屋・浅田へ行こうとし、その途中の深志神社へ寄った。
寒くて手袋も手放せない。
蕎麦屋?閉まっていましたが何か? -
しかたないので、そばきりみよ田松本店にて、とろろそば850円。
温まーる。 -
市の中央図書館に行く前に開智学校へ。
修復中か。
図書館では、いちおう行く予定の林城と桐原城の資料をゲット。
雪でチャリを借りられないのは誤算だった。 -
まずは松本城に参ろうか。
太鼓門(H11年復元)。
二の丸東門に当たる枡形門。1/3から半分くらい外に出ている外枡形。 -
今知ったが、玄蕃石というらしい。
玄蕃って誰や、と思ったが調べてみると
2代藩主の石川康長が玄蕃頭(従五位下)だったからのようだ。 -
セオリー通り、一つ目が高麗門で、
-
二つ目が櫓門だ。
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雪が降っているのも相まって、なんとなく弘前城っぽい気がする。
そもそも町も弘前っぽいような‥。 -
黒門(S35年、H2年復元)。
本丸の南側で正門に当たる枡形門。ここも外枡形門。
門の外側にスペースをつくる外枡形は馬出しの類形だとわかりやすい。 -
分りにくいが、横矢もかかっている。
ただし櫓がないと外枡形に侵入した敵に攻撃できないだろう。 -
おお!
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黒壁に雪が映えるな~
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さすがに客も来ないのか、待つことなく入れた。
前回は2時間以上待ちで断念したものだ。
床板冷たっ。 -
破風の内側かな?
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上から丸馬出しがよく見える。
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明治初期に描かれた絵。
あの横矢の掛かったところに櫓なかったんだ。 -
月見櫓内部。
3面開けて開放的な印象。 -
晴れていれば気持ちよさそう。
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埋門跡、埋橋と天守。
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丸馬出し。
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本丸側以外を土塁で囲うなどするならわかるが、
どうも意味がなさそうな馬出しだ。 -
女鳥羽川に架かる千歳橋周辺は総掘・大手枡形門のあったあたりで、交差点が箱状になっていたり、護岸に石垣があったりする。
雪の中これ以上観光する気にもなれず、ホテルの送迎をお願いした。 -
今日は「深志荘」
6畳のお部屋で1泊2食6300円という異様な安さ。
部屋もきれいだし食事もおいしいし間違いなくアタリのホテル。
松本に行く機会があったら次も泊まる(断言)。 -
翌朝、9時に駅まで送ってもらう。
昨夜も少し雪が降ったらしい。
松本での観光はあきらめて長野に行こう。
少し待って来た篠ノ井線に乗り込む。 -
途中車窓で有名な姨捨へ。
降りようか迷っていたけれど、この景色を見て降りることに。
次の電車は1時間半後か(汗 -
姨捨の棚田。
向こうの山は左(北)端に屋代城、右(南)端に葛尾城を持つ。
村上氏とかの所領だったはず。
とりあえず、姨捨公園へ向かう。 -
おおー。
雪が全く積もっていない。
県内でここまで天気が違うのは厄介でもあるし、楽しめるのも事実。
長野大好きだー! -
川中島の古戦場とかあの辺なんだろうなー、とぼんやり。
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やることがないので長楽寺まで降りてきた。
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よく考えたら能登輪島の棚田に行ったのも冬だし、農業っぽさがない時期にしか行ってない‥
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姨捨駅はスイッチバックということをする。
正面松本方面から来た列車で、駅に止まらないものは左にそのまま下る。
止まる列車は右の駅に。 -
左が駅。行き止まりなので一度手前の踏切までバックし、その後右に下っていく。
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場所もわかっていいね。
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篠ノ井線で長野まで出る。
善光寺の北側にある葛山城に行く。
写真の旭山城とともに、川中島の戦いの一つのファクターとなった城だ。 -
登っていくとこのような石積みがみられるが、後世のもの。
果樹園ないし桑園があったのではないか。 -
かなり成形された石積みが現れた。
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頼朝山砦跡だ。
後世(江戸後期)に松代藩主がふもとの静松寺の鬼門(北東)除けとして、八幡社を建立したことから、遺構は破壊された可能性がある。 -
ここにきて二泊三日分の荷物が足にくる‥
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うっわ。
めっちゃでかい堀切が見えるんですけど。 -
1郭。
かなりの規模に削平されている。 -
イノシシが荒らしたんだろうか‥
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飯綱山がはっきり見える。
都民にもなじみ深い高尾山の飯綱権現はここが由来だ。 -
1郭から西に伸びる尾根には、堀切が2連続している様子がはっきり見られる。
写真ではっきり撮ることができるほどのものはそうそうない素晴らしい遺構だ。 -
南から攻めてくる武田勢に対して北尾根は安全であるため、より多くの人員が収容できるように大きく曲輪を造っており、ほかの尾根と比較すると防御も甘く見える。
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東尾根には、普通なら曲輪ができるようなスペースを7連続の堀切でつぶしている。
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そんなこんな見どころいっぱいの葛山城であったが、本当の戦いはここから始まった。
このゲートを越え、下っていくと静松寺。 -
静松寺からまっすぐ南に伸びる参道(閉鎖中)。
地図によるとここからさらに下れるようだが、そんな道は見当たらない。
とりあえず東の方に進む。 -
この右手を進んでいく。
あとから分かったことだが、この道は戸隠古道という昔からの道らしい。
尾根まで出ると、下に送電線の鉄塔が見えた。
ということは整備員が通る道があるはずなので尾根を転がり落ちていく。 -
下側の鉄塔を越えてしばらく進むと、お馴染のモノレールがありこれ沿いに進むことで何とか生還した。
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割と便数が多いとはいえ、自販機一つ見当たらない集落で1時間過ごすのも大変だし、ここから戸隠まで1時間以上かかることを考えると17時18分を乗り過ごすわけにはいかぬッ、となり焦ったことが迷った原因。
結局2時間半から3時間城にいたわけだ。 -
ヒエッ。時期が悪かったらやばかったかも。
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バスで熟睡し気づいたら早くも戸隠中社。くそさむ。
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今日はここに泊まります。
国民宿舎 横倉旅館 宿・ホテル
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やたっ。こたつ♪
何年ぶりだろう。 -
翌朝、中社を片目に見つつ奥社へと歩いていく。
一晩中雪が降っていたようで、さらに積もっている。 -
「そばの実」のあたりは開けていて戸隠山が見えるエリア。
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妙にカッコイイ山容である。
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ここまで中社から歩いて30分くらいか。
奥社前のそばや「なおすけ」の前の椅子で軽アイゼンとゲイターを装着。
重かったけれど持ってきてよかった。 -
誰もいない。
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有名なやつだ。
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随神門から先は「雪崩」の危険があるため、春先は特に危険です。
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明らかに雰囲気が違うんだが‥
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飯綱社だろうか。
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傾斜がきつく結構足にくる。
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確かに雪崩が流れ込みそうな場所にある。
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うわあ(混乱)
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奥社はこれですか。
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ついこの間行った高千穂と関係があるこの神社。
天岩戸神話と結びついたのは結構後かららしい。 -
いい加減誰にも会わなくて不安なんだがw
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最終的に誰にも会わず帰還。
「なおすけ」でそばをいただく。
そばの香りは今までで一番。 -
中社まで戻ってきた。
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火之御子社。
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ここからは北アルプスが見える。
鹿島槍だろうか? -
宝光社。気力体力を振り絞ろう。
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バスで中社に戻り「うずら家」へ。
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プチ贅沢に天ぷらをつけてみたり。
香りは「なおすけ」のほうが強かったが、食感というか食べごたえはここの方がよかった。
天ぷらもめちゃくちゃおいしく、名店と言われるのがよくわかる味だった。
昼過ぎのバスで長野に戻り、在来線で帰宅。中央線沿いは帰りやすくていいね。
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