2018/02/24 - 2018/02/25
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アルプ・グリュムさん
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京急創立120周年の節目となる日に発祥の地となる大師線を京急川崎駅から終点の小島新田駅まで4.5Kmを歩いて散策しました。
今では盲腸線となってしまいましたがかつては川崎大師で電車を乗り継いで鶴見の総持寺まで、塩浜駅では川崎市電に乗り継いで再び川崎駅へ戻ることができた路線でした。
味の素の工場から出荷されたアミノ酸を日本の各地へ出荷された貨物線もあった歴史深い大師線を廃止された区間も含めて散策しました。
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出発は京急川崎駅から
この川崎駅も京浜川崎から名を変えています。京急川崎駅 駅
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京急川崎駅を出発すると大きくカーブして本線と分かれます。
京急大師線 乗り物
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やがて県道409号線と交差します。
大師線の連続立体化事業の川崎駅から港町駅までの計画は中止されたのでこの光景は続くことになります。
渋滞の原因はこの踏切だけではなく、この先の国道15号線との交差点も慢性的な渋滞が発生しているのです。 -
この交差点では信号待ちの期間を少しでの短くするため上り下りの電車が同時に通過するように設定されているようです。
1500系の電車が通過中です。 -
すぐに新1000系の電車が通過します。
信号待ちの車、人間は同じです。 -
旧東海道に出ると碑の横に川崎市歴史ガイドがあります。
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川崎宿がある旧東海道には川崎市歴史ガイドが「新宿という町」を紹介しています。
このガイドでは触れていませんが大師線にも「新宿駅」がかつて存在していました。
但し、大正15年(1926年)に廃止されましたが。 -
見える道路は旧東海道で六郷橋手前で川崎宿観光ガイドを発見
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川崎宿観光ガイド「大師電気鉄道 六郷橋停留所跡」50m先 →
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大師電気鉄道 六郷橋停留所跡
この場所が停留所跡で、プラットホームらしき遺構が見えますが開業時の停留所はもう少し多摩川から離れた場所にあったそうです。 -
停留所跡を反対側から見ています。
京急創立120周年の原点は川崎駅ではなく六郷橋停留所から大師駅までの2.0Kmの区間となるのです。
昭和19年から休止状態だった六郷橋駅は昭和24年に正式に廃止されました。 -
丁度1500系と新1000系が通過しています。
大師線を走る新1000系は大変珍しいのではないでしょうか! -
大師線は六郷橋駅と港駅町間は六郷橋の工事等で幾度となく路線が変更されたため急カーブが連続していて電車は最徐行で通過しています。
車両の長さも18mと短いのはこのヘアピンカーブを通過ためだったのでしょうか?
都営地下鉄、京成、北総との兼ね合いもあるので今更20m車を入選は無理だと思いますが! -
六郷橋からは万年横丁・大師道なる通りがあります。
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万年横丁・大師道は大師まで続きます。
大師線が開通するまではこの通りを歩いたのでしょう!
面影は全く感じられませんがロマンを感じます。 -
六郷橋駅は国道15号線の真下にあり、は旧東海道は国道15号線をクロスします。
写真は六郷の渡しの説明板です。 -
史跡東海道川崎宿 六郷の渡し
余談ですが六郷橋駅と川崎駅間の開通は3年ほど遅れるのですが理由は人力車夫の反対だったそうです。 -
大師線の最初の停車駅である港町です。
連続立体化事業が中止されたので駅舎は建て替えられ大師線では唯一近代化されたえきとなっています。
港町は路線の変更、駅名、駅の場所等は何度か変わっていて戦前は「コロムビア前駅」だったのです。港町駅 駅
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港町駅には旧コロムビア工場の写真と等身大の美空ひばりが壁一面にあります。
こちらは別途編集しています。 -
港駅から程近い川崎競馬場横には県道409号にはかつて久根崎駅がありました。
信号とバス亭に久根崎の名を残しています。 -
この久根崎駅も度重なる路線の変更で昭和3年に廃止されたのです。
この先にある池端駅も同時に廃止されました。 -
多摩川沿いを歩くと登録有形文化財に指定された河港水門があります。
こちらも別途編集しています。 -
鈴木町駅
大師駅までの多摩川寄りには味の素川崎工場があり、駅の反対側は味の素専用口となっています。
この駅も戦前は「味の素前駅」だったのです。
鈴木の名は味の素の初代社長の鈴木三郎助から引用しています。鈴木町駅 駅
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鈴木町駅に新1000系電車が出発して行きました。
この新1000は120周年記念として歴代のカラリングの京急120年の歩み号の電車のための暫定的な運用だと思います。 -
鈴木町駅反対側にはイトーヨーカドー、ヤマダ電機が見えますが以前はメルシャンウイスキー川崎工場があったのです。
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川崎市歴史ガイド
花見橋と大師新道の案内板を発見しましたが内容はともかく、鈴木町駅と大師駅間に「花見橋駅」があったのですが開業日、廃止日等は不明です。
場所は大師駅の少し手前になります。 -
大師駅手前の踏切に来ています。
何の変哲もない風景ですが! -
ズームアップすると右には味の素の工場の塀が斜めになっているのが見え、白い扉が見えますが味の素川崎工場から出荷されるアミノ酸用の貨車の引き込み線跡です。
レールだけは撤去されていますが情景は全く変わっていません。 -
そしてその引き込み線跡が残る大師駅の踏切の線路
何の変哲もないように見えますが鉄道オタク?の私にはピンと来ました。 -
大師駅の踏切の線路
京急のレールの幅は新幹線と同じで1、435mmでJRは1、067mmの三線軌条の跡なのです。
1、067mm部分は線路は撤去されていますがいてアスファルト舗装されていますが脱線軌道は1、067mm部分は残っています。
1996年廃止 -
大師駅には撮り鉄の方が数人いましたが歴代のカラリングの「京急120年の歩み号」にしか興味がないようでここに貨物列車が走ったことを話しても全く関心ないようでした。
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撮り鉄のお兄さん達が狙っていたのはこの電車ではなく「京急120年の歩み号」です。
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大師駅
今では珍しくなった屋根を支えるレールは1923の刻印があるそうです。 -
大師駅構内も120年前の駅票に!
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歴代のカラリングの京急120年の歩み号の電車
赤と黄色の電車はよく目にした電車でした。
この色が走っていた時代の小田急線は青と黄色、東急線が緑一色でした。 -
大師駅にも連続立体化事業をわかりやすく説明しているパネルがあります。
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2月24日の大師駅は普段のいつもの駅です。
川崎大師駅 駅
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2月25日の大師駅
駅票は120年前の姿に一晩でか変わり、京急120年の歩み号の電車が運行する日です。 -
有名な「発祥の地」の碑です。
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2月24日の「発祥の地」
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2月25日の「発祥の地」
胡蝶蘭で120周年を祝っています。 -
2月24日には大師駅限定で京急120周年記念の記念切符が販売されています。
3000部用意され一人5部までの制限でしたが2月24日中に完売されました。
2月25日からは京急120年の歩み号が運行されるのでその電車を見るために多くの鉄道愛好者が訪れ多くの購入希望者がいたと思いますがすでに完売とは大変残念でありません。 -
門前町駅
大師から先は海岸電気軌道の路線で門前町駅は存在しませんでした。
連続立体化事業の工事のため仮駅舎となっています。
実は川崎大師へは最寄りの駅となのです。東門前駅 駅
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大師線で唯一跨線橋がない駅です。
大師から小島新田までは海岸電気軌道の路線ですがかつては鶴見の総持寺まで伸びていました。
川崎大師から総持寺まで乗り換えせずに行けたとは驚きで、私も一度は乗車してみたかった!
海岸電気軌道は昭和12年(1937年)に廃止、理由は産業道路建設のためです。 -
連続立体化事業の工事の真っ最中ですが地下がの様子はわかりません。
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工事は平成37年3月31日まですが産業道路駅の地下部分は今年中に完成予定です。
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産業道路沿いにある京急バス乗り場
ここは浮島地区への通勤客用バスの発着所です。 -
横の壁には京急の歴史が分かる写真が掲示されてあります。
一枚一枚撮るのを忘れたのは失敗でした。 -
産業道路駅付近は工事が真っ最中のようです。
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産業道路駅
こちらは工事真っ最中で、新しい産業道路駅は道路下の地下に造られていています。大師橋駅 駅
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電車が通過中のこの景色ももうすく見納めとなります。
歩道橋の上からの写真、真上に首都高速の横羽線あるので圧迫感があります。
産業道路の建設のために海岸電気軌道が廃線となったことを思うと電車は邪魔な存在のようです。 -
廃線探訪①
海岸電気軌道は産業道路駅の横辺りから産業道路までの区間は今では道路となっていますが線路跡が見られます。
この先行き止まりの標識があったので行きませんでしたがこのカーブの具合は線路跡に一致します。 -
反対側を見ています。
左側には産業道路が見えますが産業道路の建設のために廃止されたとは信じられない事実で、海岸電気軌道の駅の出来野駅がこの辺りにありました。 -
小島新田駅
産業道路駅は地下駅となるのですがこの駅は再び地上駅となります。
小島新田駅は今では盲腸線になっていますが歴史的に幾度となく場所が変わり、かつては塩浜駅まで伸びていたのです。
これから廃線となった区間が3カ所あるのでその廃線跡を辿ります。小島新田駅 駅
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跨線橋から見た小島新田駅
この跨線橋はJR貨物と神奈川臨海鉄道を跨ぐ陸橋ですが小島新田駅はJR貨物と神奈川臨海鉄道建設のために分断されこの場所になったのです。 -
廃線探訪②
昭和45年(1970)に廃止された大師線跡
跨線橋から跡地を見ていますが本来の小島新田駅はこの先にあったのです。 -
実際に訪れるとカーブの具合が廃線と一致しているのが分かります。
大師線は塩浜駅が終点で川崎市電と接続していました。 -
廃線探訪③
味の素川崎工場から出荷されるアミノ酸は小島新田駅近くから「味タム」と呼ばれるタンク車がこの住宅街に通って塩浜操車場へ伸びていました。
運行は終電の後に行われていました。
廃線跡と言っても既に民家が建っているので大変わかりにくいのですが廃線跡に建てられた家は道路と直角ではなく線路跡と平行になっています。 -
この家も道路と斜めに建てられているのがはっきりとわかります。
貨物線は1997年に廃止されました。
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