2017/12/12 - 2017/12/12
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mas98765さん
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ケラミコスの遺跡を見ます。
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続いて、ケラミコスの遺跡に向かいます。10時13分、古代アゴラを左手に見ながら、GoogleMapで現在地を確認して、その方向に向かいます。
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10時22分、それらしいところにやってきました。でも、入口が分かりません。右手の細い下り坂を進んでみます。
※周辺の地図
https://www.google.co.jp/maps/@37.9786485,23.7176709,17.34z -
10時24分、入口らしく見えたところに来たら、入口ではありませんでした。手前の花が綺麗です。その後、交通量の多い道路に出たので左折し、進みました。遺跡らしいものが全く見えなくなってしまいましたが、左手に遺跡があるはずだと思って、反時計回りに一周しました。
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10時35分、やっと入口を発見。なんと、2つ前の写真を撮った場所はこの写真の右手に見えるところで、広い遺跡の周囲を一周してしまいました。
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ケラミコスの遺跡の文字がかかれていました。ここは、紀元前12世紀から紀元前1世紀にかけて墓地だったところです。陶工が多く住んでいたそうで、ケラミコスはセラミックの語源のようです。ここにもアクロポリス遺跡で買った共通券で入場できました。
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入口を入ったところの光景です。綺麗な建物が見えますが、これは遺跡の外にある教会で、アギア・トリアダ教会というようです。アギア・トリアダは英語ではHoly Trinity、日本語では至聖三者といい、三位一体の神様を表す言葉のようです。
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道なりに進んで左手にカーブして進んでいくと、正面にさっそく墓石があります。
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これは、パンフィレーとデメトリアの墓のようです。これはレプリカで(この後にでてくる墓石もレプリカです)、本物は併設の博物館に展示されているそうです。でも、博物館を見逃してしまいました。
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10時38分、このような場所にやってきました。
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手前に案内板があります。ここは「The Street of Tombs」つまり墓地通りといった通りで、その名の通り墓石が並んでいます。でも、当時の通りの名前は分かっていないのだそうです。右上に地図が描かれています。見にくいですが、地図の左手にカーブして影がつけられた部分があって、右から左に向かって眺めています。
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左手に最初に見えるのは、デキシレオス(Dexileos)のレリーフです。紀元前394年にスパルタとの闘いで20歳の若さで戦死した兵士のようです。馬に乗って、槍か何かを手に持って、裸の敵を打ち負かしているのがデキシレオスです。
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右手にも墓のようなものがあります。
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これはAgathonの墓石のようです。
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これは、Dionysios of Kollytosの墓のようです(読み方がわからないときは英語のまま書いておきます)。Atticaの市民でもありSamosの市民でもあった人で、紀元前340年に若くして未婚のまま亡くなったようです。
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上にのっているのは一見したところライオンかと思いましたが、牛の像のようです。
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一方、通りの右側を見るとこのようなところが目につきます。中央の高いのがMeliteのKoroibosの墓で、左手のステラが奥さんのHegesoの墓のようです。右側はKoroibosの孫のクレイディモスの墓のようです。
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石のところに
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鳥がいました。
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墓地通りを反対側に下っていくと、このような場所があります。たしか、左正面方向に墓地通りがあって、一方で右側には「聖なる通り」といったような通りがあって、2つの通りが手前で交わっています。
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案内板によると、Tritoratreionという場所です。アテネの人たちが共通の祖先にお参りした場所のようです。この部分を一周して、案内板にのっている写真の場所を探したら、
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ありました。「Tritopatoresの聖域の境界につき立ち入り禁止」といったことが書かれているそうです。
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こんな感じの盛り上がった場所や
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こんなところがありました。どこだったか忘れてしまいました。
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こんな場所にやってきました。「The Road to Plato's Academy」という通りがのびています。前方の教会との位置関係でだいたい分かるかと思いますが、先ほど見た墓地通りや聖なる通りは左手に平行してのびています。
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案内板があります。アテネで最も公的な道路だったらしいです。
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これは何だったかな。
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先ほどの「The Road to Plato's Academy」を背にして反対側を見ると、おそらく同じ道がのびているんだと思いますが、その左手の緑があるところを言うのでしょうか、
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案内板によるとディピュロン「Dipylon(Thriasian Gate)」という門があったようです。西暦478年にテミストクレスという人がペルシャの攻撃に備えてアテネを城壁で囲んだとき、ここに巨大な門を建て、アテネへのメインの入口にしたようです。ケラミコスのあたりでの壁の入口はもう一つあって、聖なる門というところでした。のちほど門の一部と思われる場所に行きます。
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注意力がないし分かってもいないので、案内板を見つけられなかったのですが、意味ありげな場所がありました。
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ピンボケですが、こんな感じの鳥がいました。
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先ほどと同じ道だと思いますが、ケラミコスの遺跡の入口を探していたときに見えていた花が正面に見えたので
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近寄ってみました。
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傍らにこのような場所がありました。
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ポンペイオンという場所です。4年に1度8月に開かれていたPanathenaia(パナテナイコス祭)という、古代のアテネで最も重要な祭りの準備のための建物があったようです。円柱に囲まれた中庭と、いくつかの宴会の部屋があったようです。
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再び鳥が目につきました。
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意味ありげなアーチがあります。位置的には、正面の教会をこのような角度でのぞむところで、確か左手前方に聖なる道がのびていました。
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どうやらこのあたりに巨大な構造物である「聖なる門」があって、聖なる道に通じていたようです。このアーチはその構造物の一部で、下にはエリダノス川が流れていたようです。
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近くにこのような場所がありました。
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「聖なる門の前の大理石の祭壇のある小さな聖域」といったような説明板がありました。祀られていた神様はまだ分かっていないものの、アテネの人々にとって重要な神様だったはずだとかかれています。
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別の角度から見ます。
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左手の壁はこのようになっています。
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このようなものが目につきます。石の棺のようなものがあります。でも、説明板には棺の説明はありません。これが大理石のALTAR(祭壇、供物台)のことなのでしょうか。
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こういうものがあると覗いてみたくなります。覗いてみました。そういえば以前エジプトでクフ王のピラミッドに入った時、同じようなものがあって覗いたのを思い出します。
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この先が聖なる道です。先ほど見たように、正面のTritoratreionでYの字状に二股に分かれ、右側が聖なる道、左側が墓地通りとなります。
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聖なる道とエリダノス川の説明があります。
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最後にこのような場所を眺めて帰ります。
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説明板があります。色付きの石垣のスケッチが描かれています。一番下の深緑色の部分が、紀元前478年にテミストクレスがアテネを守るために築いた壁の部分です。その後たびたび修復が繰り返され、それらが色分けされた上の部分に対応しています。
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最後に、説明板の右下に描かれていた当時の城壁の部分の復元図を拡大してのせておきます。ディピュロンと聖なる門の2つが描かれており、エリダノス川や聖なる右も描かれているので、様子がよくわかります。11時10分ころ、見学を終えて外に出ました。博物館を見忘れてしまったのが残念でした。
次はオモニア広場から地下鉄に乗ります。
https://4travel.jp/travelogue/11330829
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