2017/10/29 - 2017/10/29
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sakaikazunoriさん
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最近、「明治150年」と騒がしい感じもしますが、個人的には日本の近代化、特に産業面や経済面で幕末の激動を生き抜き岩倉使節団より先に欧米に直に触れて来て昭和初期で天寿を全うした埼玉出身の渋沢栄一こそが明治150年を代表する偉人と思っています。
その著書「論語と算盤」に代表される“士魂商才”の思考は今も求められるもの。
そして、渋沢の少し後の世代になる同郷の本多静六博士からも「私の財産告白」を通して、大いに知見を得てました。
前者は東京証券取引所の設立者にして「日本資本主義の父」、後者は日比谷公園の設計者にして「日本の個人投資家の草分け」。
かねてこの二人に私淑して来たので、この二人のゆかりの地を巡って見ることにしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- レンタカー 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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当日は台風が九州地方に近づき、別のツイ友の鹿児島旅行がさんざん振り回されるという天候でしたが、雨の中、まずは熊谷駅に到着。ここを拠点に久喜市・深谷市と回ります。
まずは、熊谷駅の駅レンタカーで軽四を借りて、10:00すぎ、熊谷直実像のある熊谷駅前を出発です。熊谷駅 駅
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熊谷駅から小一時間ほど走って、久喜市菖蒲総合支所。
ここの5階に平成25年に開館した本多静六記念館があります。
市役所の支所の一角で、土曜日は休館、日曜は開館、祝日は休館というスケジュールですので、事前に日程を要確認です。
◆本多静六記念館 http://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/honda_00/honda_05.html -
本多静六記念館前の本多博士の胸像。
これはだいぶ晩年のものでしょうね。昭和27年に85歳の大往生を遂げられましたが、その著書にもいろいろ日々の健康法についても書かれています。 -
ここはなかなかマニアックというか知る人ぞ知る展示施設って感じですね。
当日は、日曜のお昼前でしたが、館内は自分一人だけでした。 -
本多静六博士の業績はウィキ先生をご参照ください。
実は拙宅のデスク脇の本棚には本多静六「私の財産告白」があり、何十回とラインを引きつつ読みました。
利食い、損切り、分割売買などの手法だけでなく投資哲学など、個人投資家として学ぶべきことが多すぎると、かねてより私淑して来たので、今回、ゆかりの地や記念館を訪ねられて感激しきりです。
◆本多静六-Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E9%9D%99%E5%85%AD -
世間一般では日比谷公園や明治神宮の設計ということで著名かもしれません。
ただここにある「一日一ページの文章修行」や「四分の一天引き貯金」など習うこと多しです。 -
株式投資でも巨大の成功をおさめた本多博士ですが、その成果を私することなく、山林などの不動産投資に充て、それを地元の奨学金の財源としたというストーリーもかくありたいと思わせるものです。
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明治25年に現・東大農学部の助教授になった時から「四分の一貯金」を始められ、、
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明治39年には利子所得が東大からもらう給与所得を上回っていたからというから、すごいものです。
「私の財産告白」にも出てくる話ですが、やはり株式投資にしても分割・利食いが実にうまいと勉強になります。世間の投資本と異なり、私見では、損切りは誰でもでき、実は利食いが一番難しいと思っているところ、本多博士の教えはいろいろ役立ちます。 -
館内には、林業家、造園家、東大農学部教授としての業績に加え、「私の財産告白」などから博士の名言がパネル展示されています。
これなど、まさに納得しますね。 -
安田財閥の安田善次郎が暗殺された話も「私の財産告白」では言及されています。
人の恨みを買わず敵を作ることも避けるべきことだと強調されていますが、戦前はやはりイヤな時代だったんですね。。 -
本多博士に限らず、世の投資家という人たちに共通しているのは、この「ありがとう」という謝恩の姿勢だと改めて思いました。
これは先ごろ亡くなった「平成の大旦那」竹田和平氏もよく言っていた話にも繋がります。
◆竹田和平-wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E7%94%B0%E5%92%8C%E5%B9%B3 -
この本多博士の投資家生活を支えていたのが奥さんの詮子さん。
「四分の一貯金」ということは「四分の三生活費」というわけなのだが、これに理解を示さないとタネ銭はできないですからねぇ。
この詮子さんは日本の近代女医の草分け的な方でもあります。 -
本多静六博士は婿養子で、義父は本多晋といって、これまた一橋家に出仕していた方でした。禁門の変で京都御所を襲った長州勢と戦い、上野彰義隊にも参陣したという人物です。
一橋家家臣という線で、渋沢栄一との浅からぬえにしも感じますね。 -
本多静六記念館では、博士が設計や監修に関わった全国各地の近代公園の設計図等も展示されています。
地元の公園も手掛けられているとは、意外でした。
◆博士が設計、改造に携わった全国各地の公園
http://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/honda_00/honda_03.html -
明治神宮の森を百年スパンで計画していたのは有名な話ですが、各地の公園が現代の観光政策にもつながる様にといろいろい種をまいて行かれた様は、本当に勉強になりました。
誰もいない館内。一時間以上かけてたっぷりと勉強させてもらいました。 -
生誕地である菖蒲町河原井の近くの本多静六博士生誕地記念園にも立ち寄って見ました。
ここにも記念の胸像があるのですが、学ラン姿の壮年期の肖像画も有名なのだから、そちらの胸像にすればよかっのになとも。。 -
さて、台風の雨足が強まる中、1時間ほどレンタカーを走らせ西北に移動し、深谷市の「渋沢栄一記念館」へ。
◆渋沢栄一記念館 http://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/kinenkan.html渋沢栄一記念館 八基公民館 美術館・博物館
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ここは、地元公民館の左半分を記念館として無料開放しているものです。
東京・飛鳥山の渋沢史料館にも以前行った事はありますが、こことあわせて見ると「論語と算盤」に代表される渋沢栄一の社会福祉にも向けた眼差しがよく分かります。 -
ちょうど自分が訪ねた1か月ほど前に、ありがたくも天皇皇后両陛下が、私的旅行としてこの渋沢栄一記念館や後述の生家「中の家」など渋沢栄一ゆかりの史跡をお訪ねになられていました。
その記念パネルを見つつ、やはり両陛下も明治150年の近代化のシンボルは経済人だった渋沢栄一だとお考えなのでしょうかと思ってみたり。渋沢栄一記念館 八基公民館 美術館・博物館
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展示室内撮影禁止でしたが、やはり生誕地だけあって、尾高惇忠といった若かりし日々に行き来のあった人たちの展示も多かったですね。
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続いて訪ねたのは、生家である旧渋沢邸「中の家」。
◆旧渋沢邸「中の家」 http://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/bunkaisan/1425343509929.html渋沢栄一生地 (中の家) 名所・史跡
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城山三郎「雄気堂々」を彷彿とさせる幕末期の渋沢栄一像。
後年の好々爺とした感じとは面立ちがやはり違いますね。 -
旧渋沢邸「中の家」は明治28年上棟。
それでも武蔵野の養蚕を営んでいた豪農の家屋という感じがします。
この場合、1階は土間と玄関を有する田の字型民家に、2階は板張りの養蚕広間、そして天窓といったつくりは建築的にも質実剛健さを感じます。 -
1階の座敷は、耐震の関係上、入室不可で、天皇皇后両陛下も縁側から室内をご覧になるにとどめられたとのこと。そんなところ、下々が入ることなどできません。
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その代わり、ボランティアガイドの方に「論語と算盤」や「雨夜譚」などを読んで来たと明かすと、特別に渋沢栄一が帰郷の折に寝泊まりしていた蔵座敷を見せていただけました。
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今回、旧渋沢邸「中の家」に来て見て感じましたが、幕末というのは、ペリー来航後の単なる城下町にいる下級武士層の“草莽崛起”だけでなく、豪農・豪商(ま、坂本龍馬も才谷屋という豪商層みたいなもんですが)といった人たちの天保年間以来の胎動も大きなエネルギーになったんだよなぁと改めて思いました。その幕末の父や兄たちの世代も再評価する必要があるでしょう。
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さて台風も近付く中、尾高惇忠生家。
尾高惇忠は渋沢栄一の従兄にして学問の師匠でした。7歳まで漢学の素読は父親から学んでいましたが、8歳からは惇忠の家が「学校」となりました。
ここで渋沢栄一は論語などを徹底的に学ぶのですが、「雨夜譚」などを読むと、速読・多読の学問法だったとか。これは幼い時にはよく分からなかったけど12歳、13歳の頃になると、にわかに意味が分かり始めて、途端に学問がおもしろくなった、と回想されています。
これは今の「英語をシャワーのように浴び続けろ」という英語勉強法に通じるものがありますね。
◆尾高惇忠生家 http://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/bunkaisan/1425344439348.html尾高惇忠生家 名所・史跡
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台風が近づきレンタカー返却時間も迫る中、今回最後の訪問地は誠之堂。
誠之堂は、大正5年(1916)、渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちが世田谷に建てたものを、平成11年に当地に移築して、平成15年、国の重要文化財となりました。
見学の際は、隣接する大寄公民館の窓口に声をかけるとボランティアガイドの方が開錠して中を案内してくれます。
◆誠之堂 http://www.city.fukaya.saitama.jp/kanko/kanko/seisido_seifutei/1391497434025.html誠之堂 清風亭 名所・史跡
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ここは飛鳥山の渋沢史料館横の「晩香廬」によく似ていると思ったら、設計は同じ田辺淳吉とのこと。
レンガやステンドグラスを用いた意匠やデザインの隅々に、「和洋折衷」「士魂商才」といった渋沢栄一の思いが見て取れます。そして豪農の家であった中の家との対比を思うと、わずか数十年の違いに実に興味深いものがあります。
台風のせいで、あまりじっくりと見られませんでしたが、機会があれば好天の時に、改めて再訪して何かを得てみたいと思ったエリアでした。
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